塾長日記から

地震、原発、裏金

  

2024/04/05

 処分と言ったって、刑事罰を受けるわけじゃないし、党内で少しおとなしくしていなさい程度なのだ。普通の会社だったらこんだけ処分者を出したら社長以下全役員が辞任してもおかしくない。なのに、キシダ親分は居直っていて、裏金問題の幕引きが済んだと思っているようだ。今は、アメリカに出かけ議会で演説する準備で大忙しだ。「聞く耳」をさらにダンボにして、アメリカの法外な要求を聞いてくるのだろう。
 能登半島地震から3ヶ月以上経過したが、8千人以上の方が避難生活を強いられている。珠洲市に至っては全域で水道が止まったままだ。瓦礫の撤去はほとんど進んでいないに等しい。アメリカから購入する800本のミサイルのせめて100本でも減らして能登半島の救済に充てたら一気に復興が進むように思えるのだが。キシダ親分は地震のことなどすっかり頭から抜けているようだ。我が親分は、親分で居続けることだけが政治だと思っているのだろう。
 地震で影響を受けた志賀原発の話が全く入ってこなくなった。例によって政権忖度度高めのマスコミは触れようともしていない。そもそも、4つのプレートの上に乗っかり、いつ巨大地震が起こるか分からない日本にとって原発が安全などということはない。いったん事故が起こり制御できなくなったらどうなるか、あの福島原発の今を見れば分かるだろう。廃炉の道筋は全く見えてはいない。汚染水を処理水と偽って海に垂れ流し続け、溶け落ちた燃料デブリの取り出し方法巡って様々な意見は出るものの、放射能だらけのブツを一体誰が作業するのだ、取り出したブツを一体どこに仕舞うのだ。これが「想定外」で片付けられた原発事故のありのままの姿なのだ。
 4月になった。函館の桜の開花が近づいている。爽やかな天気が続いているが、地震、原発、裏金...気分は少し暗い。

残虐非道なプーチン

  

2024/02/19

 つくづく冷酷非道な男だと思った。ロシアのプーチンだ。

 ロシアの反体制指導者で弁護士のアレクセイ・ナワリヌイ氏が殺された。ロシア当局は散歩中に「突然死症候群」で急死したと発表したが、信じる人はいない。ナワリヌイ氏は過去にも毒殺されそうになった。そもそも、わざわざ、極寒の刑務所に送り込み、様々な因縁をつけて、生きて帰れないと言われる「懲罰房」に300日間も拘束されていること自体、たとえ「突然死~」であったとしても、明らかに氏の獄死を図った結果であると言ってよい。

 ロシアでは、反プーチンは合法であれ、非合法であれ生きることは難しい。かのスターリンがそうであったように、その末裔であり秘密警察KGBの長であったプーチンにとって反対者を抹殺すのは常套手段である。まして、ロシア(大ロシア)、ウクライナ(小ロシア)、ベラルーシ(白ロシア)の統合によるロシア・プーチン帝国の皇帝を目論むプーチンにとって、反対派勢力はその芽のうちに摘んでおくことが急務なのだ。アレクセイ・ナワリヌイ氏の抹殺は反対派の「粛清」がこれからも続き、大統領に再選された以降さらにエスカレートとすることを意味している。

 アメリカ、ヨーロッパ諸国の「支援疲れ」を奇貨として、プーチン軍はウクライナ国民のさらなる大虐殺に着手するであろう。狙いは当然にも首都キーウだ。ゼレンスキーの斬首部隊を繰り出し、キーウをことごとく破壊し尽くした後に傀儡政権を樹立し、ロシア・プーチン帝国が完成してもなおプーチンの国内外での極悪非道な振る舞いは続くであろう。この男とその政権を葬り去る日はいつ来るのであろうか。

何というお粗末な地震対策なのだ!

  

2024/01/10

 呆れた。あれだけの大きな地震にわずか6千名の自衛隊とは。

 正月という時期が悪い、半島の先という場所が悪い、道路が寸断されている、などなど、初動が遅れ救助の規模が整わない理由をあげつらう輩。800機もあるヘリを飛ばせばいいだろう。荒波など屁とも思わない護衛艦を出せばいいだろう。何? 国防の観点から、つまり、対中国、対北朝鮮への備えから地震だけに回すわけにはいかない? それこそ何のための「日米安保」なんだ? 何のための「日米同盟」なのだ? 図らずも、こんなものがいざという時にクソの役にも立たないことが分かる。

 そもそも、なぜ巨大地震の度に同じ光景が繰り返されるのだ。食べ物がない、水がない、医薬品がない、寒い、トイレも使えない、何もかもない避難所生活が果てしなく続く。世界の大地震の16%以上が日本で起きているのだ。何度繰り返しても一向に改善されない「地震対策」、常設の災害救助隊などなく、避難所と覚しきところには何の備蓄もない。大災害を前提に仮の避難所を準備することもなく、復旧のマスタープランも持たない。巨額予算をつぎ込んだミサイルは、残念ながら、大災害にはやはりクソの役にも立たない。「万全の体制で」、「全力を尽くして」、「先頭に立って」の岸田の間の抜けた「決意」が空語に聞こえる。ミサイルを何百発もそろえる前に、地震などの災害にカネと人と技術を大幅に割くことが「国を守り、国民を守る」ことなのではないのか。

 さらには原発だ。能登地震のまっただ中にある志賀原発は、当初発表では「全く問題なし」だったが、その後、使用済み燃料プールの水が大量に溢れ、冷却ポンプが一時停止し、変圧器付近では大量の油漏れが明らかになった。当たり前だ。原発の耐震性など某大手住宅メーカーのハウスよりも遙かに劣っているのだ。これを野放しにして、発表を鵜呑みにして「原発の安全神話」などで安心しているのはおめでたすぎる。いくら喉元過ぎても、あのフクシマを忘れてはいけないだろう。

 災害大国日本をいかにすべきなのか、大いに見直すべきだ。

イスラエルのジェノサイドを何故容認する!

  

2023/12/07

 まさにジェノサイド(皆殺し)だ。「テロリスト・ハマス撲滅」をがなり立てながら、病院、学校など公共施設にミサイルをぶち込み、戦車で蹂躙し、何万人もの市民を殺戮する様はまさに「シオニズム」の狂気としか言いようがない。

 かつて、「三枚舌外交」で中東をバラバラにしたイギリスはもとより、アメリカを筆頭とする西欧諸国がイスラエル支持でまとまっているなど論外だ。日本はといえば、アメリカの忠犬として欺瞞的にイスラエルを訪問して見せたものの、停戦に持ち込ませようとする意志など毛頭ないことを改めて内外に宣言したのだ。

 

許しがたいのはエジプトをはじめとする「アラブ諸国」だ。一体何が「アラブの大義」だ。アメリカを恐れてシオニズムとの戦いを放棄し、ガザ市民を見殺しにするのが「大義」だとでも言うのか。

 G7など何度集まっておしゃべりしてもパレスチナ問題は1ミリたりとも前進などしない。大国の拒否権の前には国連もまた無能と化している。停戦決議を拒否権発動で握りつぶしたでアメリカはイスラエルと同罪だ。世界中がガザの惨劇を前に、なすすべなくシオニズム・イスラエルの「やりたい放題」を容認してしまっている。

 しかし、人質に対する残虐行為も含めてハマスそのものを肯定する訳にはいかない。「目には目を、歯には歯を」の武装闘争でシオニズムを打倒することなどできない。無垢な市民の犠牲、しかも多くの青少年の虐殺を招き領土を疲弊させるだけで、パレスチナが解放されることはない。必要なのは、アラブ諸国・国民の反シオニズムでの団結と統一行動、イスラエルの政治的、軍事的な後ろ盾になっているアメリカはじめ世界各国での反戦世論や反戦行動を通して、イスラエルのガザからの撤退、侵攻停止を実現し、アラブ人民とイスラエル人民との共存による平和なパレスチナを目指すことなのだ。

果たして正しいのだろうか?

  

2023/11/06

 マスコミが権力監視機能を放棄したたことが大きいのだろう。政治も経済も軍事もほぼ政権側の思い通りに進み、一つの方を向いて国民が流れていくように思う。

 例えば、東電の福島原発の汚染水処理について、「ALPSを通しているから『汚染水』ではなく『処理水』だ」を支持し拡散しているのはマスコミ。海洋放出しているのは「汚染水」だと言うことが憚れるような世の中って正しいのか?東電や政府の言うことをそのまま信じて検証をしないのが正しいことなのか?ジャニーズは叩いても、政権は叩かないのが正しいのか?

 例えば、「エコ、クリーン」そのこと自体に反対する人などいない。でも、地球温暖化や異常気象を取り上げて、その全てが二酸化炭素が原因だと言い切るのが正しいのか?これほど重要な「全地球的な課題」ならば、科学的見地から大論争をしてもいいはずなのに、国連「政府間パネル」の一方的なデータだけで判断するのが正しいのか?原発を使わず脱二酸化炭素と言うならば、推定毎年国家予算の半分もの予算をつぎ込むことになるのだが、それを真面目に考えている人が果たしているのだろうか、きっと原発促進になるはずなのに黙っているのが正しいのだろうか?

 例えば、敵基地先制攻撃を進めることが正しいのだろうか?「今のウクライナは明日の日本」とか「台湾有事は日本の有事」を確かめることもなく、それっ、ミサイルだ、戦車だ、空母だ、他国との軍事同盟だ、というのが正しいのだろうか?世界で唯一「治外法権」となっている在日米軍基地を野放しにして、県民の反対を無視して辺野古を埋め立て米軍基地を作るのが正しいのだろうか?

 正しいのであれば構わないのだが、おそらく違う。しかも、何の検証もなく、何の国民的議論もなく政権とマスコミの共同作業で世論が形成されていくことが疑問でならないのだ。先の大戦の教訓など一体どこに行ってしまったのだろうか?

ミサイル大国日本にしてどうするのだ!

  

2023/09/30

 アメリカから長距離巡航ミサイル・トマホークを400発買い入れるそうだ。いずれは、これを数千発揃えるという。さらに、マッハ5の極超音速誘導弾、また、射程1000キロ以上の地対艦誘導弾を導入するのだそうだ。狙いは中国、北朝鮮。しかも、防衛のためではなく先制攻撃のための装備なのだ。

 日本は、憲法9条の制約から、表面的には「専守防衛」のための最小限の武装を国の方針としてきた。小泉、安倍が自衛隊の海外派遣、重武装、集団的自衛権の容認に踏み切り、今、岸田が「憲法9条」も「専守防衛」もかなぐり捨て、日米間の軍事同盟強化に奔走している。岸田は、ウクライナへのロシア侵攻を巧みに利用し、「今のウクライナは明日の日本」とか「台湾有事」の危機煽りで、国民の多くを重武装に賛同する方向に誘導しようとしている。

 今の日本は、いとも簡単にひとつの方向に流れようとしている。福島原発の「汚染水」を「処理水」と言わざるを得ない状況、何でもかんでも「地球温暖化」、「異常気象」とがなり立て、それをCO2犯人説に落とし込もうとする状況がその例だ。批判精神、権力の監視意識を完全に欠いたマスコミをフル動員し、国民全体の意識がひとつの方向に収斂される状態はファシズム前夜であろう。

 軍事力は相対的であり、日本が増強すれば相手国もまたそれ以上の軍事力を持とうとする。通常兵器増強に限界があれば、次は核武装だ。核弾頭を搭載するミサイルの数とその巡航距離を競い、やがて地球を何10回も破壊するだけの軍事力を各国が持つ。実に馬鹿げた話だが、それが今進行していることに憂慮する国民は果たしているのだろうか?

福島原発の汚染水の垂れ流しは反対だ

  

2023/08/23

 8月24日を期して福島第一原発の汚染水!の放出が始まる。岸田政権は、福島漁民の猛反対を押し切り、かつ、汚染水に関して「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」という約束を反故にして汚染水の垂れ流しに踏み切った。

 IAEA(国際原子力機関)の「安全基準に合致している」という報告を全面に押し立てての強行だが、そもそもIAEAなるものは、原子力利用を前提に創立されたものであり、原発の稼働・推進は大前提なのだ。「科学的」の名の下に国民の健康や被害などをいささかも苦にすることなどないのだ。

 「処理水」なるものは、ALPS(多核種除去設備)で放射性物質を分離させた汚染水なのだが、その処理ではトリチウムや炭素14を取り除くことは出来ないし、ストロンチウム90、ヨウ素129、_プルトニウムなどが残留する。もう一度ALPSを繰り返すというが、トリチウムや炭素14はもちろん他の放射性物質の除去などできない。だから、海水で薄めて「何もなかった」ことにしようとしているのだ。もし「健康被害などない」と強弁するならば、IAEA、及び日本政府のお歴々は毎日それを飲み続けてみるがいい。

 海洋放出された汚染水に含まれる放射性物質は、やがて世界中に拡散していくが、二度と回収されることもなく、ほぼ永遠に海洋に残存する(プルトニウムはその質量が半分になるまで2万4千年を要する!)。やがて海の食物連鎖によって起こる生体濃縮によってその濃度を高めていくだろう。特に放出地近海ではその危険性は高いだろう。また、ALPSで除去した大量の放射性物質をどうするのかについての安全な具体策もない。

 政府・東電が放出を急ぐのは、「汚染水貯蔵が限界に近い」からだそうだが、これは真っ赤な嘘なのだ。まだまだ福島原発周辺には貯蔵する敷地が十分あるのに放出を強行したのは、虚構の「40年廃炉計画」の破綻の隠蔽のためだ。
 廃炉のためには880トンと推定される燃料デブリ(溶けて固まった核燃料)を取り出す必要があり、「計画」では未使用の広大な敷地をその処理に充てようとしている。ところが、1日に数グラム程度しか取り出せない今の技術では40年後の廃炉など全く不可能なのだ。「40年廃炉計画」の破綻を隠蔽し、廃炉作業が進んでいるかのように見せかけようとしていのがこの強行排水なのだ。

 また、今回の海洋放出を既成事実化し、これから続々と運転を開始するであろう耐用年数切れの原発や新設の原発の汚染水の処理をいとも簡単に実施できる状況を作ろうとしているのだ。

 およそ原発ほど危険で高コストのエネルギー源はない。脱CO2の無責任な世論の形成を背景に、「CO2をださない、クリーンな」原発が拡散されようとしている。今回の汚染水の海洋放出によって、原発がさらに大手を振って歩き出すことを怖れる。

原発はクリーンで脱炭素!まさか。

  

2023/06/30

 福島第一原発1号機の、原子炉格納容器の圧力容器が落下・崩壊するかもしれないそうだ。「事故当事者」東京電力の水中ロボットを使った調査で深刻な状況になっていることが報告された。もちろん、圧力容器の崩壊は、隣接する核使用済み核燃料プールの溶融・崩壊となり大量の放射性物質が放出する。福島原発事故は、過去の出来事ではなく進行中の出来事なのだ。

 原発は「地球温暖化」対策の切り札でも、脱炭素社会の実現者でもない。危険で醜悪なモンスターである。原発の稼働に必要な冷却水の恐怖の事実を知るだけでもそれが理解できるだろう。

 巨大な熱源である原発は常に冷却する必要があり、海水を取り込んだ冷却水は原発が放出する膨大な熱と放射能、さらには化学物質とともに海に排出される。原発は極めて効率の悪い発電システムで、原子炉で生成した熱エネルギーの33%程度しか発電には使われず、残りの67%の熱を海に捨てているのだ。標準的な原発の場合、捨てられる熱エネルギーは1秒間に70トンの海水の温度を7℃上昇させている。もし、54基の原発すべてが稼働すると、1年間で、広島に投下された原爆の約100個分の熱を海に捨てることになる。しかも、熱は直ちに拡散して均一になるのではなく、熱の塊として日本周辺の海に「浮かぶ」のだ。「地球温暖化」の危機を唱える方々は、原発の温排水による温暖化を一顧だにしない。
 海に捨てられるのは熱だけではなく放射性物質と化学物質が加わる。CO2 を目の敵にしている方々に是非申し上げたいことがある。原発による海水温の上昇は、海水に溶け込んでいるCO2を大気中に拡散してしまうことを。冷たい炭酸飲料を放っておくと炭酸がすっかり無くなってしまうことでおわかりだろう。その量たるや年間約120万トンと見積もられている。CO2を忌み嫌い原発へ誘導しようとする方々は考えてみるがいい。。

 それでも、彼らは言う、「原発はCO2を出さない」と。これは正確には核分裂の際のことを言っているのだ。なるほど、その通りだ。だが、原発は無限に連続運転するわけではなく、事故、トラブル、不祥事、地震などでしばしば止まり、1年ごとの定期検査のために約3ヶ月は運転を停止する。その間、バックアップとして他の発電力方法に、その多くは火力発電だが、頼らざるを得ない。CO2とは無縁だなどと威張ってはいられないのだ。

 そもそも、ウランの採掘、精製、加工時ではCO2が大量に発生し、その輸送過程でもCO2が発生する。さらに、原発の使用済み核燃料は数万年!もの長きにわたって隔離する必要があるのだが、その巨大な設備の建設・維持にも大量のCO2が排出される。原発がCO2とは無縁だなどとは言わせない。

 原発はクリーンでもなく、脱CO2でもない。「モンスター」は誕生以来、使用済み核燃料をどうするかすら決めずに生きながらえてきたのだ。事故から12年、福島第一原発は未だに最終処理方法が確立していない。次々に貯蔵されていく汚染処理水は、ALPS処理水と称して大量の放射性物質を海へと排出し、トリチウムは海水で薄めて海に垂れ流すのだそうだ。いくら、政府が「環境や人体への影響は考えられない」と強弁しても、何かが起これば「想定外」で済まされてしまうのだ。あの原発事故を想起せよ!一体誰が責任を負ったというのだ!脱炭素、クリーンの耳障りの良い言葉に踊って、「不都合な真実」から目を背ける愚を犯してはならない。

(続)二酸化炭素は犯人なのか?

  

2023/06/22

 函館マラソンが行われる。日本一過酷なマラソンだそうだ。景色は素晴らしいが、高低差が大きく、後半の”ともえ大橋”の往復で体力が大きく損なわれるようだ。これに夏日の暑さが加わると、完走率が75%になるらしい。日本一過酷と言われるゆえんである。

 暑さの話になると、「地球温暖化の影響で」が必ず使われるようだ。何か気象に変化があれば、「地球温暖化」と言われる。そしてその犯人はCO2だと。

 地球が「温暖」になるのは今に始まったことではない。長い地球の歴史の中で何度も現れた現象なのだ。例えば、平安時代の京都では、科学的知見から気温30度以上の真夏日があったことが分かっている。エアコンも扇風機もない真夏日の京都はさぞ辛かったろうと思う。もちろん、このときの人間が出すCO2などほぼゼロだったろう。

 今の夏の猛暑の原因は、ひとつは夏の高気圧の張り出し方という自然現象と、ヒートアイアランド現象をもたらす都市熱が原因で、地球温暖化とは別の話なのだ。マスコミが煽るせいもあって、猛暑があたかも地球温暖化がもたらしたものと我々はまさに刷り込まれているのだ。

 CO2は確かに「温室効果ガス」のひとつであるが、その「効果」は、水蒸気、つまり雲、特に低層雲の効果には遠く及ばない。(温暖化寄与率は水蒸気の95%に対してCO2はわずか3%である。)雲が多く太陽が見えない時の気温は低いことが分かる、逆に雲ひとつない時の気温は高い。その昔、地球を雲が厚く覆っていた時の地球は寒冷期で、雲量が少ない時の地球は温暖期だった。今は、温暖期ではなく寒冷期に入ろうとしていると指摘する学者も多い。
(因みに、最近のCO2濃度は400ppm、つまり1万粒のうちの4粒で、半世紀前は3粒だった。この1粒の増加を温暖化の犯人だあ!と騒ぎ立てているのだ。)

 雲量は、地球の海、湖沼、川などから蒸発した水蒸気が上空で冷えたものだが、それが出来るためには核になるものが必要で、地球のチリなどもそうだが、低層雲の核は宇宙線の電離作用によって大気イオンが生成され、エアロゾル(空中の微粒子)の形成されたものが圧倒的に多いのだ。つまり、雲量を決め、地球の気温を左右しているのは宇宙線の流入量と強さなのだ。

 その宇宙線の地球への流入を決めているのは太陽風であり、太陽の活動が強い時は太陽風によって宇宙線は飛ばされて、地球には余り到来せず雲量は少なくなる、これによって地球は温暖化する。逆に太陽活動が弱い時は雲量が多く地球は寒冷化するのだ。地球の寒暖は自然現象であって、人の及ばないところで決定されているのだ。

 今、地球温暖化を叫び、無実なCO2を悪人呼ばわりし、明日にも地球が滅亡するかの危機を煽るのは、科学に全くの無知であるか、原発を推進したくてたまらない輩か、化石燃料で稼ぐ限界を知って脱炭素で一山当ててやろうとするハゲタカ連中である。

 もちろんやがて枯渇するであろう化石燃料をバンバン燃やせという話ではない。明らかに次世代のエネルギーは必要なのだ。CO2犯人説が安直な原発の選択につながったり、極めて高価で到底必要量を満たさないばかりか、自然環境を破壊する可能性が高い自然再生エネルギー一辺倒になる愚を犯してはならない。石炭火力や天然ガスがかつてとは比較にならないほど、クリーンに利用できることが分かっている。低規模水力発電などと組み合わせて用いながら、アホな脱炭素などにカネを使わずに、人工光合成や次世代クリーンエネルギーの研究開発にカネと人を回すべきなのではないだろうか。

二酸化炭素は犯人なのか?

  

2023/05/23

 「地球は温暖化している。近い将来、生態系が破壊され、自然災害が増え、海面は上昇し住む場所がなくなる」と信じ込まされ、「地球温暖化の原因は石油、石炭などの化石燃料を燃やすことで出るCO2だ」として「これを大幅に削減することが必要だ」といつの間にか刷り込まれている。しかも、地球温暖化もCO2犯人説は科学的真実だから、反論する奴は全人類の敵であるかのような雰囲気になっている。

 日本はもちろん世界中が「脱二酸化炭素」の大合唱だが、実際はCO2排出で全体の40%を超える中国とアメリカは全く削減などに動いてはいない。「20××年までには排出量をゼロにする」など実現出来ないことが分かっている。排出量3%の日本が、もし頑張って排出量をゼロにしたところで、世界の総排出量などには全く変化がないだろう。そのために年間40兆円以上の予算を使うのだが。

 そもそも、地球は温暖化しているのか。多分そうではないだろう。確かに産業革命以前に比べて地球の平均気温は0.8度程度(!)増えてはいる。この気温差を敏感に感じて「温暖化だあ」と騒ぎ立てる人はいないはずだ。しかし、今の世界はまさにそんな喧噪状態になっているのだ。

 それでも、「このところ夏の暑さは尋常ではない、猛暑はやはり温暖化が原因なのだ」と言う人が多いが、おそらくは、夏の高気圧の張り出し方などの自然現象と、ヒートアイランド現象などの都市熱による影響であって、いわゆる温暖化そのものが原因なのではない。

 地球の長い歴史の中で、温暖期もあれば寒冷期もあった。そこにCO2はほとんど関係していない。現在、CO2素排出量が増えていることは事実だが、それと温暖化を直結させるための十分な科学的知見などないのだ。何度か「データ」らしきものを見るが、都合の良いところだけに注目した「クソデータ」がほとんどだ。おそらく、科学者の多くは「CO2犯人説」には極めて懐疑的だと思う。

 根拠なしに脱炭素に世の中全体が向いたときにどうなるのか。「化石燃料排除=原発」の図式が成り立つことはないのか。脱炭素の莫大な予算を貪欲に食って利益を上げようとする大企業、投資家、各界エリートたちの陰謀ではないのか。そのことを少しは冷静に考えてみるべきではないだろうか。

<追記>
地球気温のピークは1998年。それ以後は気温が上昇していない。しかもこの間に中国やインドの高成長があり、両国ともばんばんCO2を排出した。もちろん、アメリカも負けじと排出しCO2の排出量は過去最高となった。にもかかわらず、気温の上昇はなかったのだ。
また、NHKがニュースで、「南極」の氷が崩れ落ちる映像を流し、「温暖化対策は待ったなし」だと喧伝した。しかし、実際は、氷が崩れるのは分厚い氷の重さのせいで、最近になって始まったことではなかった。現に、分厚い氷と大量の積雪で、南極観測隊が四苦八苦する寒い年が続いたのだった。マスコミも、エセ評論家も、もう少し科学と事実を検証すべきだ。

 

羽田でなく、横田基地に降りたバイデン

  

2023/05/19

  G7サミットが広島で開催された。例によって、アメリカの大統領バイデンは、羽田でなく横田米軍基地に大統領専用機で着陸した。どうも気に食わない。他の首脳たちは、羽田あるいは成田に着陸するのに、バイデンだけが「治外法権」の横田基地に降り立つ。まるで日本がアメリカの属国ないしは植民地であることを見せつけているかのようだ。あのオバマも日本にやってきたときは米軍の岩国基地だった。トランプは横田だった。何か、日本人として情けない気持ちになる。

 その米軍基地だが、アメリカは韓国、ドイツ、イタリアなどにも基地を置いている。しかし、その基地はそれぞれの国内法の下に置かれていて、「治外法権」になってるのは日本だけだ。日米安保条約と日米地位協定、それに関連する数多くの密約によって、日本はアメリカに対して、「アメリカの望む場所に基地を作り」、日本国内及びその周辺で「自由に軍事行動」し、世界のあらゆる地域に「出撃」できる権利を認めた。

 「横田空域」という米軍が管理する「空」がある。東京、埼玉、神奈川など1都9県にまたがっていて、最低で高度2450メートル、最高7000メートルまでを米軍が管理し、米軍が許可しない限りは日本の飛行機はこの空域を通過できない。JALやANAなどはこの空域を避けて飛ばざるを得ず、羽田から西に西に向かう便は、東京湾上で旋回し急上昇せざる得ない状況が続いている。また、在日米軍には日本の航空法が適用されないことになっている。

 故アベシンゾウは右翼・国士気取りだったが、日本国内に日本の主権が及ばない事に関しては、積極的に容認していた。また、いわゆる自民党など保守派の多数も積極的容認派だ。こんな輩が「日本の国益」とか「戦後日本の総精算」とかを抜かすのだ。まさに噴飯物だ。

 自分は決して右翼・民族主義者ではないが、日本人としてのプライドは持っている。バイデンよ、日本の正面玄関は横田基地ではなく羽田・成田だ。もし、広島で原爆資料館を見学するなら、お前の国が落とした原爆でどのような惨劇が生まれたかをじっくり見るが良い。もっとも、アメリカに忖度して、キシダ政権は肝心な資料は見せないことにしているらしいが。

凋落著しい日本の左派勢力

  

2023/04/11

 統一地方選挙の前半が終了した。「維新の会」が大幅に地方議会で議席を獲得したものの、「維新」はいわば「右派自民党」だから、自民党を中核とした与党・保守勢力としては現状維持ないしは微増だったのではないか。

 情けないのが「左派」だ。立憲民主党が冴えないのは、元々何を目指しているのか、何をしたいのかがさっぱり分からないからだ。さらに、この政党が抱える「闇」は、かの民主党政権の大失敗だろう。あれだけ国民の支持を受けたにもかかわらず、辺野古移設問題への腰の定まらない対応、公約違反の消費税増税と挙げ句の果ての分裂、やけくそ解散=選挙大敗北に多くの国民は怒り、呆れかえってしまった。その後「緑の狸おばさん」に騙され四分五裂、ただでさえ小さな所帯をさらに小さくしてしまった。民主党政権崩壊の重罪は、国民が民主党とその後継政党から離反しただけでなく、政治そのものから離反してしまったことだ。異様に低い投票率を見れば明らかだ。

 枝野、管(かん)、小沢、岡田、安住、蓮舫、そして野田、民主党政権崩壊の張本人たちが、反省もなく偉そうにしている政党が存在していること自体が不思議でならない。一刻も早く、この輩を放逐するか引退させ、若い清新な党員を中心に、真の左派=改革派として出直す以外に道はあるまい。例え「右からの改革」だったとはいえ、「維新」が台頭することが出来たように、「左から」だって国民が頷く改革は出来ると思う。

 共産党も後退した。今回の除名問題で、古くて怖い共産主義のイメージができあがってしまった。公な幹部批判を許さないという「民主集中制」など国民が理解することは出来ない。また、立憲民主党と組んでの国民連合政権構想も、「立憲」自体が不人気で低迷しているのに実現など不可能だ。伝統的に欧州では共産党が強かったが、政権参加もあったイタリア共産党はすでに解党し、フランス共産党も著しく弱体化し党名変更も検討されているという。世界中で左派が低迷している中で、日本の共産党はどの道を探るのだろうか。

 衆院の補欠選挙、統一地方選挙後半戦が始まるが、低い投票率自身が政権、政治家に対する不信任だと彼らが自覚してくれるのであればまだ救いはあるが、恐らくそうはなるまい。また、国民は不満を言いつつも、結局は現状を肯定しているのかもしれない。むしろ、このことが一番怖いことなのかもしれない。

一体どの口がプーチンを批判しているのだ!

  

2023/03/11

 プーチン・ロシア軍のウクライナ侵攻から1年余りが経った。首都キーウを掌握し、ゼレンスキーを放逐し、ウクライナ全土を支配下に置くというプーチンの最初の目論見は完全に破綻した。怒りに燃えたウクライナ国民の不屈の戦い-ウクライナ軍の英雄的な反撃の戦い、ウクライナ人民のレジスタンス闘争-の前に、プーチン・ロシア軍は各地で潰走し始めた。

 

  しかし、プーチンは、市民の生活を凍死に追い込もうと電力施設などのインフラを狙ってミサイルを連日のように打ち込み、ウクライナ国の半数以上の電源を破壊し、原発すら破壊の対象とし始めた。キーウ始め市民そのものを殺戮を狙ったミサイル攻撃も激化している。このような極悪非道なプーチンを決して許してはならないと思う。

 ところで、アメリカのバイデンはプーチンのウクライナ侵略をここぞとばかり批判し続けてきた。だが、そのアメリカ自身が実はプーチン同様、かの太平洋戦争において無垢な日本国民を殺戮し、未だに平然としていることも看過してはならない。

  太平洋戦争の終わりの年、1945年3月10日、ほとんど軍事施設のない東京下町の住宅密集地を狙って焼夷弾を用いて空爆し、10万以上を焼き殺し、27万個を焼き尽くし、罹災者は100万人に及んだ。市民の殺戮だけを狙った明らかにジェノサイド(皆殺し)だった。

  さらに、同じ年の4月から6月にかけて沖縄に上陸したアメリカ軍によって、10万~15万人もの市民が惨殺された(沖縄県民の4割が殺されたのだ!)。

  また、8月6日の広島への原爆投下で14万人が、8月9日の長崎への原爆投下で8万人が犠牲となった。歴代のアメリカ政府は「戦争を終結させるために必要だった」と今もってジェノサイドを正当化している。正義感面したオバマもそうだった。そのアメリカ・バイデンにプーチンを批判する資格は全くない。

 

  いま、プーチンは、かつてスターリンが「社会主義のため」として、ウクライナ農民から穀物を収奪し、400万人を餓死させたホロドモールといわれるジェノサイドの再現を狙っている。「大ロシア再建のため」、ウクライナをロシアに屈服させるためにプーチンはさらにウクライナ国土の破壊と国民の殲滅に突き進むだろう。

  かつて世界中に伝播した「ベトナム反戦」の声が、アメリカのベトナムからの撤退の一因となったように、「ロシア侵攻反対」の声が拡がることを期待する。しかし、「ウクライナの今は明日の日本」とか「台湾有事は日本有事」の危機煽り、「敵基地攻撃能力の保有」とばかり軍備増強に走る日本からはその「声」は聞かれそうもない。

<追記>
広島サミットがあるそうな。アメリカの原爆で被災した広島が地盤のキシダ総理が大はしゃぎしているそうな。広島の酒を振る舞う前に、原爆ドームと原爆記念館を案内して、核兵器保有国、とりわけ、アメリカに「こんな非道なことをあなたたちはやったんですよ。即座に核を廃棄しなさい。」と言ってやるが良い。もっとも、時代遅れのトマホークを400発もアメリカから高値で買い取り、周辺国を敵に仕立て上げて軍備増強にひた走るキシダに出来るはずがない。

日本はどこに向かうのだろうか

  

2023/02/17

 日本はどこに向かうのだろうか。

 疑念、怒り、不信、諦め、なんとも複雑な気持ちを繰り返しながらマスコミ報道を見、識者の意見を聞き、自問自答している。

 凶弾に倒れたアベ前総理の長い、余りにも長い「冬の政治」が終わり、束の間のスガ政権を経て、「ハト派」であるはずのキシダ総理が、実はハトどころか獰猛かつ姑息なタカであったとは驚きだ。

 あの軍国主義者のアベですら実行できなかった対中国「先制攻撃」のための長距離ミサイル配備、巡航ミサイル「トマホーク」の大量配備を、民意を問うどころか国会にすら諮ることなく閣議決定をし、しかもその財源確保のための大増税すら目論んだ。

 「凶暴なタカ」キシダは、憲法9条廃棄と、緊急事態宣言の憲法への組み込みすら企み始めている。まさしく、日本を「戦争が出来る国」へと、アメリカとともに「他国を攻める」国へと導こうとしてるのは明白だ。

 もはやキシダは戦後最悪のネオ軍国主義者であり、ネオファシストなのだ。しかし、輪をかけて危険なのは、権力の動向を監視し、国民に警鐘を鳴らすべきマスコミが、完全に政府の広告塔と化し、政権と一緒になって中国、北朝鮮、ロシアに対する国防の必要性を喧伝していることだ。かつて、大本営発表のいいなりになって、戦争へと国民を煽り立てた戦前のマスコミの愚を、彼らは再び犯そうとしている。恥を知れ!

 さらに、野党の不甲斐なさはどうだ。国会軽視、民意無視のアベ政権以来、政権と戦うことを放棄した野党は、立憲民主党も共産党も今も日本軍国化にどう抗するのかを国民に示し、一大反対運動を起こすこともなく、キシダの馬鹿息子の観光がどうの、増税の仕方がどうのこうの、気球がどうの、一体この方々に何を期待すれば良いのだろうか。

 日本はどこに向かうのだろうか。このまま、かつて似た道を辿るのだろうか。あまりにも「お上」に従順すぎて、怒りを持つことがない我が国民は、それを黙って許ししてしまうのだろうか。

共通テストに振り回されるな

  

2023/01/20

 受験シーズンが到来した。

 共通テストが終わり、二次出願、私大入試、前期日程入試と続き、合否がほぼ確定するのは3月後半だ。

 受験屋の自分が言ったところで何か変わるわけではないが、共通テストはもちろん、それ以前のセンター試験、共通一次試験にも懐疑的だった。

 大学入試は「難問、奇問」が多いとして始まった共通一試験、私大の大多数を巻き込んだセンター試験が成功したとはとても実感できない。

 そもそも、それで大学生の質が向上したのか、残念ながらその報告は聞かない。高校生が勉強熱心になったのか、それも聞かない。実感としてその逆である。

 現在の共通テストは、「知識・技能に加え、思考力・判断力・表現力を問う」のが目的だそうだ。もしそうなら、それが実現するなら、この試験は「地頭」の良し悪しを判断するだけの試験になっていくだろう。なぜなら、どの教科・科目も長々と文章を読ませ、「情報処理」を求めるやり方に特化しているからっだ。

 高校生、中学生、小学生に思考力・判断力・表現力を求めるのは、はっきり言って無理だ。それを実現するような教育制度、内容にはとてもなっていないのだ。

 ところで、私大入試は様々な「推薦型入試」が主流になってきた。煩わしい国公立大学入試を避けて、面接程度で年内に合格できることを歓迎する受験生と、少子化で18歳人口が減少する中、早めに生徒を確保したい大学側の思惑が一致してのことだろう。現在、6割程度は推薦方式での入学となっている。模試の偏差値が50に満たない生徒が、難関・有名私大に合格する現状は、一方の入試が「知識・技能に加え、思考力・判断力・表現力を問う」だけに大いなる矛盾であろう。

 共通テストでは「地頭」を競わせ、私大は「推薦で」バンバン入学させる。このことが大学生の知識・技能・思考・判断・表現の向上につながるのか、高校生、中学生、小学生の学習の向上につながるのか、大いなる疑問である。

 おそらく国の思惑は、大学進学率が60%になろうとする今、AI時代の到来、ICT時代にあって、一握りの「知的エリート」と大多数の一定の知力を有する労働力を確保することであろう。今回の大学入試改革の真の狙いはそこにある。

情報処理に長けた人だけが学問に向いているわけではない、短い時間で解法できる能力だけで学問が成り立つわけでもない。入試に国がしゃしゃり出る必要などない。それぞれの大学が、自立してそれぞれの方法で入試をすべきなのだ。ある大学は、短時間での情報処理能力ではなく、じっくり時間をかけての思考力を求めようとするだろうし、別の大学は表現力をしっかり試したいであろう。試験は各大学に委ねるべきなのだ。

 もっとも、受験屋である以上、どんな試験制度、教育制度であろうとそれを受けて立とうと思う。「情報処理」型入試、よかろう。だが、少なくとも、受験生がやがて進むはずの社会の現状と未来を、そして学問する意義だけはしっかりと伝えたいと思う。

憲法を踏みにじってまで「敵基地攻撃能力」とは

  

2023/01/04

 右傾化、保守化どころか戦前回帰が一層強まりそうだ。

 キシダが「ハト派」の仮面をかなぐり捨て、アベ以上の「タカ派」ぶりを発揮して、「敵基地攻撃能力」をがなり立て、防衛費を現在の2倍、GDP比をNATO並みの2%に引き上げることを決めた。

 我が国は、憲法第9条で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。---国の交戦権は、これを認めない。」として、国を守るための「専守防衛権」だけを内外に宣言してきた。戦後80年近く維持し,世界各国から(アメリカを除いて)評価されてきた根本国是を、国民に是非を問うこともなく変更することだけでも「ファシズム」的なやり方であるだけでなく、姑息にもこれを「財源論争」にすり替えるこの政権は、日本的民主主義自体をも破壊する極悪政権である。

 さらに許しがたいのは野党である。政権の防衛論争の俎上に乗り、どれが一番有効な迎撃方法かを競う有様だ。まんまとキシダ政権の手のひらで踊らされている野党など存在に値しない。おそらく近い将来、立憲民主党に至っては左右に分裂し、自民・公明・維新・国民民主・立憲右派の現代版「大政翼賛会」が誕生するだろう。「戦前回帰」とはこのことだ。

 また、マスコミは我が国防衛を巡る戦後最大の危機に臨んで、「戦争ができる、世界三番目の軍事力を持つ日本」の可否を論ずることなく増税論争に加担し、北朝鮮、中国、ロシアの危機を政権と一緒になって喧伝し、国民を「敵基地攻撃能力」賛成へと導いている。

 「敵基地攻撃能力」とは、「反撃能力」などど言い換ようが、明らかに「国権の発動たる戦争」準備と「武力による威嚇または行使」に過ぎない。いくらステルス型戦闘機を買い揃えようが、いくらミサイルを並べようが、日本から「敵」とみなされた国は、それを上回る武力をもって応えるであろうし、軍事力増強の無限競争に突入していくだろう。日本が揃える武器は、ほぼすべてがアメリカからの購入である。武器を買うたびに、しかもアメリカの言い値で買うたびに、日本の税金の年間10兆円近くがアメリカに流れ、日本は貧しくなり、アメリカは富み、日本はアメリカの先兵となって武器を「敵」に向ける。こんな光景を国民は見たいのだろうか、否、断じて違うはずだ。

「国民の責任」とは何か

  

2022/12/29

 『孫子』は、紀元前500年ごろ軍事思想家「孫武」が記した兵法書である。「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」は特に有名である。

 数年前に中国人民解放軍の2名の大佐が発表した『超限戦』には、この孫子の兵法が下地になっている。
 彼らの言う「超限戦」は、「限界を超えた戦争」を指し、正規と非正規、軍事と非軍事、平時と非常時などのあらゆる制約・限界を超越した戦争論である。ここには、論理や法の制約すらない。「何でもあり」の戦争論である。
 平時でもサイバー戦、諜報戦、外交戦、金融テロ戦等々、そして、中国共産党伝統の三戦論(広報戦、心理戦、法律戦)をも取り入れ対外的な勝利を目指している。

 日本キシダ政権は中国の軍事施設を直接叩く「敵基地攻撃能力」を備えようとしているが、まさに「笑止」である。もし、中国がミサイルや爆撃機での攻撃、陸上部隊の日本上陸などの正規戦を挑んだとすれば、それは、中国がそれ以前のすべての「超限戦」に勝利した後であり、日本の「敵基地攻撃能力」などクソの役にも立たないであろう。

 キシダには「国防」の概念も戦略も戦術も何もない。アメリカのケツを舐めていれば何とかなると思い、言われるままに軍事費をNATO並みのGDPの2%以上に倍増し、アメリカの言い値で大量のミサイルや戦闘爆撃機を買い揃えて、それが国防だと思い込んでいる。

 真の国防とは「戦わないこと」である。戦わないためには「敵」を作らないこと、一方に荷担しないことである。中国や北朝鮮に向かって「敵だ」と言い張り、軍備拡張することが果たして是なのか、アホな政治家に任せないで、今こそ我ら国民が今一度真剣に考え議論すべき時ではないだろうか。

「お前ら守ってやる、カネ払え」は、ヤクザのみかじめ料だ

  

2022/12/14

 「防衛力の抜本強化は安全保障政策の大転換で、時代を画するものだ。責任ある財源を考えるべきで、今を生きる国民が自らの責任としてその重みを背負って対応すべきものだ」

 キシダよ、よくぞ言い切ったものだ。
アベこそ、現代版ファシストだと思っていたが、キシダはその上を行く真性ファシストであることがはっきりした。

 勝手に戦争危機を煽り、「敵基地攻撃」は「専守防衛」だと嘯き、やれミサイル購入だ、ステルス戦闘機・爆撃機の開発だ、日本は戦争準備するんだ、防衛費を今の2倍にするぞ、お前ら国民のためだ、だからカネ取るぞと息巻いたキシダ。

 そのキシダが、さらに今度は、政府の支持に世論を誘導するために、AIを駆使し、インフルエンサーをも動員することを決めたという。
戦後「民主主義」そのものさえ破壊しようとする言論の恣意的な誘導・統制が、防衛力強化とともに始まっていることを中止しなければならない。

 キシダは、何百万人の犠牲の上に迎えた終戦と、その後の国民の塗炭の苦しみなど知る由もない裕福な特権階級の子として生まれた。
戦争・殺戮の恐ろしさ、兵士や国民の苦しみ、恐怖、不安など一顧だにしたことなどないだろう。
でなければ、戦争準備に邁進することなどできはしない。

 政権・与党側から防衛力強化に伴う増税に異論が噴出しているという。
だが、彼らももまた防衛力=軍事力増強主義者であり、安定した財源を定めて防衛費を増やせと言っているに過ぎない。
彼らは、憲法9条の改悪を通して自衛隊を国軍とすることを隠そうともしないキシダと同じ穴のムジナなのだ。

 今、日本は戦後最大の危機を迎えている。
ロシアのウクライナへの軍事侵攻を機に、北朝鮮の狂ったようなミサイル発射、中国の台湾侵攻危機を最大限に利用し、日米同盟を自衛隊の軍事力強化・国軍化を通して、戦争をするための文字通り軍事同盟として確立し、日本をいつか来た「戦争への道」へと駆り立てるキシダ政権を決して許してはならない。

 野党よ、しっかりしろ、かつての「大政翼賛会」を想起せよ。

 国民よ、この危機を危機として思え、この危機を乗り切るのは国民以外の誰がいようか。

NATO並みの軍事費を持つんだそうだ

  

2022/11/22

 防衛予算をNATO並みのGDP2%、約10兆円にするそうだ。ミサイルをバンバン買い揃えて、中国や北朝鮮に備えるのだそうだ。敵地を攻撃する「反撃能力」を持つそうだ。ついでに、海上保安庁の部隊をを「準軍」として、いざというときには自衛隊の傘下に組み込むのだそうだ。で、国をこうやって守るのだから、国民よ、防衛費を負担しろ、税金を上げるぞ、と。

 こんな馬鹿げたことが、大手を振ってまかり通る日本を我らは指を咥えて見ているだけなのだろうか。否、黙って見過ごしてきたのではなかったのか?

 軍事大国・中国による台湾侵攻「危機」、核兵器所有にひた走る北朝鮮による度重なるミサイルの打ち上げ、そして、ロシアによるウクライナ侵攻など、政府、マスコミ、右翼政治家によっていやがうえにも危機感がかき立てられる。だが、本当の危機はその危機に乗じて軍事力の一層の強化に邁進する我が日本にこそあるのではないだろうか。

 第二次世界大戦の敗戦国であり、戦後アメリカの統治下にあった日本は、朝鮮戦争を機に、アメリカの軍事戦略に編み込まれ、在日米軍の補完戦力として自衛隊を強化し続け、ついには日米軍事同盟としてその最前線に立つことになった。その法的根拠である日米安保条約は、日本をアメリカが守るためなのではなく、アメリカの世界核戦略の最前線基地として日本を機能させるためにこそあるのだ。

 アメリカのバイデン大統領に防衛力増強を約束したキシダは、「我が国の安全と平和のため」と称しながら、実はアメリカの対中国、対北朝鮮、対ロシア軍事力強化の片棒を担ぎ、アメリカとともに中国、北朝鮮との軍事緊張の真っ只中に身を置き、アメリカとともに近い将来の戦争に積極的に加担することを宣言したに等しい。

 この先に待っているのは、憲法9条の改悪を通して、自衛隊を文字通り国軍として改編することを通しての更なる軍事大国化であろう。果てしない軍拡競争の果てにあるのは、平和なのではなく軍事費の国民負担の増加、絶えざる軍事的緊張、そして一触即発の戦争危機だ。今一度ならず何度も我らはこれこそ真の危機だと認識すべきだ。

 

「美しい日本」って

  

2022/10/31

 旧統一教会と自民党との癒着が連日報道されている。とうとう、教会と深い関係にあった山際大臣が事実上更迭された。だが、おそらく、これで幕引きとはならないだろう。安倍派を中心に、この数十年間にわたって組織的・個人的な広範なつながりがあったからだ。

 統一教会は、そもそも、アベ元総理の祖父・岸信介と統一教会創立者の文鮮明は盟友関係にあり、キシは、日本での教会の設立に関わり、政治力でその保護・育成をしてきた。当初教会本部は岸信介の自宅の隣にあり、首相公邸すら本部として利用していたほどだ。

 アベ元総理もまた、祖父・岸信介、父・安倍晋太郎を引き継いで、自らの派閥を中心に統一教会との関係を深めてきた。彼が好んで用いる「美しい日本」は、統一教会の初代日本支部長・久保木修己が記した『美しい国 日本の使命』と奇しくも重なっている。

 アベが謳う「美しい日本」は、アメリカと組んで北朝鮮や中国と戦争が出来るように強大な軍事力を有し、大企業とお金持ちがますますカネを貯め込み、庶民には大企業から一滴か二滴の「トリクルダウン」のおこぼれがあり、「桜」の下で「もり」蕎麦・「かけ」蕎麦をすすり、一人くらいの公務員の自殺など屁でもなく、国会で118回も嘘をついても何らお咎めもない、大臣の不祥事で政権をぶん投げたものの復活し、「国難突破」解散だの、「代表なくして課税なし」解散だのと恣意的に国会を引き回し、挙げ句、追及を怖れて国会はちっとも開かない、コロナ対策の無為・無策で立ち往生し、またもや政権ぶん投げ、引退などどこ吹く風で派閥会長に収まり、その挙げ句が、祖父、父に次いで三代で癒着・保護してきた統一教会に家族をバラバラにされた男によって銃殺れてしまう、こんな国だったのだろう。

 読んでもいないのに「ポツダム宣言を読んでいる」とか「妻は私人である」などとわざわざ閣議決定をし、「云々(うんぬん)」を「でんでん」と読み、「願って已(や)みません」を「願っていません」と読み、「私は(総理)は立法府の長」、「私が国家です」などと無知を曝け出し、所詮は、空っぽな頭に祖父・岸信介譲りの反共・反左翼感情だけを詰め込んだ男が宣う「美しい日本」などどこを探しても見いだすことなど出来ない。

 

 日本の政治と社会が、アベ元総理だけではなく、表裏一体とも言える教会によってねじ曲げられてきたことに憤りを感ぜざるを得ない。

国葬が終わって

  

2022/10/08

 国葬反対の立場と、日本のマスコミ・テレビが一斉に国葬番組を組むことに腹を立てて、国葬なるものをテレビで見ることはなかった。

 報道によると、お涙頂戴のずいぶん凝った演出が行われたようだ。かなりの方々が感動したようだ。特に、友人代表のスガ前総理の弔辞は絶賛されたそうだ。葬儀には珍しく拍手が沸いたそうだ。

 「銀座の焼鳥屋」でアベの総裁選への出馬を3時間に渡って説得した件、偶然、アベの読みかけの本で、山県有朋の句を見て、これで弔辞の最後を締めくくった件が評価を得たようだ。

 

テレ朝の玉川氏が「電通が入っていますよ」とコメントしたことに思わず頷いてしまった。氏は、SNSや政治家諸氏などからのバッシングで謹慎処分となり、番組降板かとも言われている。電通自身が抗議もしていないのに不思議なことだ。「厳粛な」国葬へのいささかの批判も許さないのだろう。国民の大多数が反対する中での国葬の強行など一向に構わないのだろう。

 ともあれ、国葬でアベを神格化すらしたキシダは、アベの進めたアベノミクスなる国民分断と格差拡大、大企業・金持ち優遇の経済低迷政策の推進と、戦争が出来る軍事大国として日本を導く後継者であることを宣言したに等しい。キシダはアベに劣らず日本のファシズム回帰を早めていくだろう。

 不甲斐ない野党を嘆く前に、そろそろ多くの人がその事に気付いてもいい頃だ。

北海道にオスプレイが飛来、低空飛行訓練だそうだ

  

2022/09/30

 9月28日に、アメリカ海軍の5機のオスプレイが北海道丘珠駐屯地に飛来した。「未亡人製造機」の異名を持つ極めて事故率の高いオスプレイだが、事前の予告もなく室蘭上空から北海道に入り、札幌上空を通過したようだ。

 29日から、日米合同軍事訓練に参加するため、十勝の鹿内町の然別演習場に移動し、訓練が終了する10月14日まで丘珠上空と演習場を度々往復飛行するようだ。しかも、今回は低空飛行訓練だそうだ。北海道の空を低空で蹂躙するオスプレイを日本政府は承認したそうだ。

 もっともいくら日本政府が反対しようが、日米安保条約と、それに関わる様々な取り決め(おびただしい密約など)によって日本の空も陸地もアメリカ軍が自由に使用することが認められている。北朝鮮との緊張が続く韓国ですら、米軍の自由使用など認められていないのに日本はこの70年以上にわたって米軍の天下なのだ。

 以前、『塾長日記』でこう書いた。

---安保条約、地位協定、密約、合同委員会のすべてがアメリカ駐留軍目的達成(日本防衛ではない!)のためにだけ存在し、ダレスの言う「我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」が有効に行使されている。あのオスプレイも含めて、日本の上空では日本の許可なくいつでもアメリカの軍事訓練が行われている。

 アメリカは世界各地に基地を持っているが、基地が治外法権(その国の主権が及ばない)なのは日本だけだ。未だに戦争状態にある韓国ですら、アフガニスタンですらそうではない。アメリカ軍人・軍属の犯罪に「寛容」なのも日本だけだ。

 沖縄に至っては、日本の国土全体の0.6%の面積に米軍専用施設の約70%が集中し沖縄本島の約15%を米軍基地が占めている。 軍人・軍属は風光明媚なところに小綺麗なアメリカ式の住宅を構え、特権階級然としている。基地は米軍の思うところに作ることが出来、辺野古建設のために沖縄の誇る素晴らしい海が無残にも埋め立てられている。

 ”在日アメリカ軍>日本”という不等式が戦後75年経った今も成立し、これからも続くであろう。「在日米軍は日本を防衛する」ということを信じ込まされてきた日本国民だが、アメリカの世界軍事戦略にすっぽり編み込まれているのが独立国・日本の現実である。」---と。

 今、北海道もまた、ロシアの脅威、北朝鮮の脅威、中国の脅威を国民に刷り込みつつ、沖縄と同様に米軍の「自由使用」が始まるのではないかと怖れる。

3.11を経験しているのに、原発なんて

  

2022/08/27

 ロシア軍によるウクライナ・ザポリージャ原発への執拗な砲撃によって、原発三基が次々に緊急停止をした。もし、全電源喪失になれば、メルトダウン(炉心の溶融)は必至である。プーチン・ロシアは、戦況の悪化を打開すべく、ザポリージャ原発を人質にし、実際に核攻撃をせずとも、ウクライナを核汚染の恐怖に陥れようとしているのだ。

 翻って、日本でも、あの3.11を経験していながらも、休止原発の再稼働が次から次へと進められようとしている。キシダ政権は、ウクライナ戦争以降の燃料高騰と需給のひっ迫を理由に、再稼働と並んで「次世代型原発」の新設へと舵を切った。産業界はもちろん、国民の中からもこれに賛成する声が上がっている。「ゼロカーボン」にもつながるとして!

 だが、原発の安全性など常に「想定外」なのだ。地震大国の日本に、原発にとって安全な場所などないにもかかわらず、また、人為的ミスから人が自由でない限り、チェルノブイリがそうであるように、福島第1原発がそうであるように、一度事故に至った原発は何万年もの寿命の放射能汚染の恐怖を抱え続けなければならないのだ。原発賛成派は、日本の空を飛ぶ航空機(米軍機も)が原発の上に墜落する光景を一度想起してみるが良い!

 さらに、放射能廃棄物の処理など考えずに、せいぜい地球の深部に埋める以外の方策しか持たず、放射を含む冷却水を海に垂れ流す原発を稼働し続けることが、いかに「クリーンな地球」に矛盾しているのかを考えるべきだ。

 また、原発の燃料と原爆の燃料は違うと強弁してはいるが、燃料は同じウランなのだ。確かに原発は低濃縮ウランだが、これを作ることを繰り返せば原爆用の高濃縮ウランができあがる。核武装したい政治家や、ウランジャックを狙うテロリストどもの絶好の餌食になるだろう。

 こんな原発に金と時間をかけ安全性を犠牲にするのではなく、あらゆる再生可能エネルギーと蓄電の技術開発に持てる力を注ぐべきだ。散々それを怠ってきたのが、我が日本なのだ。

 

「ハト派」の仮面をかなぐり捨てた岸田

  

2022/08/27

 岸田首相が仕掛けた安倍元首相の「国葬」は、岸田が「ハト派」の仮面をかなぐり捨て、ゴリゴリの「タカ派」である安倍の政治・経済・軍事路線を継承することを内外に示すことに他ならない。

 安倍が推し進めた安保関連法、秘密保護法、共謀罪の成立、憲法改悪を通しての自衛隊の明文化=合憲化、緊急事態条項の導入の準備は、国民の反対意見・反対行動を封殺し、「戦争が出来る」日本への道を切り開くためのものだ。岸田は、ロシアのウクライナ侵攻、中国の台湾侵攻危機をも利用しつつ安倍路線をさらに推し進めることを意図しているのだ。

 また、「新しい資本主義」なる意味不明の目くらましを唱えつつ、実際は「アベノミクス」なる最悪の経済政策を踏襲し、さらに貧困層の増大と一部富裕層への富の集中を招こうとしている。

 このような意図を押し隠し、凶弾に斃れた「悲劇の宰相・安倍」への国民の素朴な哀悼の意を利用し、国民を安倍=岸田路線のもとに一つにまとめ上げようと目論んだ「国葬」だったのだが、自民党と統一教会との関わり、とりわけ安倍=清和会との一体とも見えるほどのズブズブな癒着が明らかにつれ、岸田の思惑は外れかかったように見える。

 だが、国費2億5千万円を投じ、ただし、膨大な警備負担費を押し隠し、内外から六千余名を集め執り行う国債を岸田が諦めるはずがない。どれだけ国民が反発しようとも、自慢の「聞く耳」に耳栓をして強行開催するだろう。

 「悪夢のような」民主党政権崩壊以降、安倍の強権政治によって、かろうじて保たれていた日本の「民主主義」とそれに伴う倫理や規範が音を立てて崩れ去り、戦前への里帰り=戦争へと日本が向かっていることに危機感を持つのは自分だけか。

国葬強行実施の先にあるもの

  

2022/07/27

 「民主主義を断固守る」のがアベの国葬だそうだ。「テロの凶弾に倒れた悲劇の元総理」としてアベを祭り上げ、国民に喪に服させることを狙い、「志半ばで斃れた」アベの遺志を継ぎ改憲を成し遂げるための一大イベント、それがアベの国葬に他ならない。

 アベはテロリストの凶弾に斃れたのでも何でもない。アベが深く関わっていた「統一教会」というインチキ宗教に洗脳された犯人・山上某の母が、一切合切を統一献金することで一家が破産、父、兄が自殺、一家が崩壊してしまったことを恨んだ山上の個人的事情による殺害に過ぎない。それを、「民主主義への挑戦」だとか「テロによる言論封殺」だのとフレームアップし、マスコミと一体となって直前に迫った参院選への政治的利用に走ったのが「聞く耳総理」のキシダなのだ。

 また、アベの祖父岸信介が創立に深く関わっていた「国際勝共連合」と表裏一体をなす「統一教会」と関係が深いのはアベその人だけでなくアベの派閥「清和会」だ。彼らは統一教会関係者から献金を受け、運動員として選挙で利用してきた。統一教会の詐欺商法、多額献金が社会問題となっていたにもかかわらず、マスコミがこのことに目をつぶってきたのは言語道断だ。山上某が凶行に走った遠因になったかも知れないからだ。

 「民主主義を断固守る」国葬に国民の多くが疑念を持ち、反対の意思表明をしているにもかかわらず、国会審議もせず、すでに各国への国葬案内を始めている。これが彼らの言う「民主主義」の正体だ。そもそも、総理在任中に国会を長期にわたって開くこともせず、また、100回以上にわたって国会でウソ八百を述べてきたアベのために守るべき「民主主義」などどこにもない。

 日本では「死者に鞭打つ」として死んだ者への批判をタブーとしてきた。しかし、本人が『ポツダム宣言』をろくに読んでもいないのに、『宣言』受諾から始まる「戦後レジーム(体制)の打破」を叫び、軍拡を推し進め「戦争が出来る」日本へと導き、アベノミクスなるアホ経済政策で貧富の格差拡大と日本経済の衰退を招き、無為無策でコロナ感染を広め、挙げ句の果ての政権ぶん投げについての評価を避けてはならない。

 今般の国葬の強行によって「志半ば」のアベの「志」が現実化されることを心底怖れる。

参院選が済んで日本はどこに向かう?

  

2022/07/11

 参院選は、政治家はもちろん、マスコミも一丸となって「民主主義に対する挑戦」、「言論封殺のテロ」とアベ殺害犯・山上某をテロリストに仕立て上げ、アベ政治を「偉業」として祭り上げたこともあって、与党はじめ改憲勢力が圧勝し、立憲民主党始め左派の「一人負け」となった。

 与党ら改憲勢力が、ロシアのウクライナ侵攻を、中国、北朝鮮、ロシアの日本侵攻と重ね合わせ、その危機を煽り立てることで防衛力=軍事力増強、憲法9条を中心とする改憲へと世論を誘導したこともまた、彼らの躍進につながった。

 選挙での勝利を受け、キシダ政権は「ハト派」どころか「大タカ派」の本性丸出しで、軍事力強化と改憲へと大きく舵を切った。軍事費増強の財源には消費税の増税が検討されているそうだ。物価高であえぐ庶民に更なる物価高となる消費税の増税とは! 選挙で勝った以上は、何をしても構わないのだ!

 負けた立憲民主党の責任は重い。旧民主党の負の遺産を全く清算することなく、立ち位置を失い、何をしたのかよく分からない政党が多数派になることなどない。左派たることを放棄して、「国民政党」なる曖昧な規定で進むなら、改憲勢力の補完政党に堕していくだろう。今、必要なのは党の分裂を怖れずに、まずは党が依って立つ場を確立することだ。

 にしても、「テロだ、民主主義への挑戦だ、断固戦う」のかけ声が一瞬で列島を駆け巡り、識者もマスコミも検証することなく煽り立て、国民の多くがそれに同調して行く様子に、戦前の日本を想起しまうのは自分だけか。

果たしてテロなのか?

  

2022/07/11

 犯人はそれなりに用意周到に準備していたのかも知れないが、命中精度の悪い手製の銃を使ったにもかかわらず、警備に不慣れな地方警察のずさんな警備などいくつかの偶然が重なっての安倍氏襲撃だったように思う。自分とは思想も信条も違うし、もっとも嫌いな政治家のひとりだったとは言え、亡くなられたことについては本当にお気の毒に思う。

 それにしても、日本の社会・政治風土はバイアスがかかりやすいとつくづく思う。上から下まで、右から左まで揃いも揃って「言論封殺のテロ」、「民主主義に挑戦するテロ」など、テロだ、テロだと一色に染まる。もし、何らかの政治的背景や組織が介在し、あるいは己の政治信条のための暴力=殺戮なら間違いなくテロだろう。だが、現在伝えられる犯人の供述では、「家庭を崩壊に招いた宗教団体(統一教会)と関連がある」ということで安倍氏を逆恨みしての殺人の域を超えていないように思う。選挙演説中だったのは、大勢の聴衆に紛れて接近しやすかったからだろう。演説を止める=言論封殺、民主主義を踏み潰すなどの政治的意図は内容に思うのだ。「テロ」でないのに、「テロのは屈しない」とがなり立てることに違和感を覚えてしまう。

 投票日にもかかわらず、マスコミはテレビを通してこの事件を取り上げ続け、「テロ」のアピールと安倍氏の「偉業」の喧伝に明け暮れた。テロの凶弾に倒れたとして安倍氏の「神格化」を図り、選挙を「弔い合戦」に仕立て上げることで、自民党の大勝にいささかなりとも貢献したように思う。

 死んだ者を批判するのは、「死者に鞭打つ」行為として日本ではタブー視されている。だが、二度も政権を放り出し、国会での度重なる嘘で真っ当な批判をかわし続け、善良の公務員を自殺に追い込み、アベノミクスなる大企業優遇政策で経済格差を拡大させ、戦争出来る国へと舵を切った9年余の安倍政治は何としてでも総括されねばならない。だが、今回の選挙結果は、その実現を「封殺」してしまうのかもしれない。その先にあるのは、安倍氏が望んだ「いつか来た道」であろうことを怖れる。

立憲は大転換せよ!

  

2022/07/04

 参院選の投票日が近い。依然として自民党始め改憲勢力が優勢なようだ。賃金抑制、物価高騰でありながら、国民の多くは保守勢力を支持すること、すなわち現状をより容認するようだ。「怒らない国民」と「無策な政府・与党」が日本の政治風土なのだろう。

 野党第1党の立憲民主党は、比例区では、維新の会の後塵を拝しそうだ。無理もない、何をしようとしているか分からないからだ。主張のはっきりしている維新の方が新鮮で、何か期待できそうな感すらある。

 立憲は自民党田中派の流れをくむ小沢など保守派と社会党、社民党などが反自民で結託してできた旧民主党そのものと言って良く、右なのか左なのか、それとも何なのかよく分からない野合集団だ。先細りしながらやがては再び解党するように思う。

 立憲が存立するための条件は、第一に旧民主党の無様な挫折の総括だろう。民主党政権時代の幹部で今も党内で偉そうにしている小沢、蓮舫、岡田、枝野ら全員の放逐ないしは総自己批判がない限り国民は立憲など信じはしない。

 第2に、立ち位置をはっきりさせることだ。「政策提案型」などと言っている輩は国民民主か自民党に移ればよい。労働者・国民が求めているのは「健全な」左派政党だ。「我々は左翼である、我々が目指すのは日本型社会主義である」と堂々と宣言すればよい。「国民政党」などとあいまいな自己規定は欺瞞以外の何物でもない。「何でも反対党」の批判など気に留める必要などない。悪いものは悪いから批判するのだ。現代版「大政翼賛会」に加担する政党、政治家を批判し尽くせ!

 第3に、政策の純化だ。原発即時廃棄、安保法制廃棄、消費税撤廃、ガソリン税撤廃などを遠慮することなく掲げればよい。中途半端な「現実的提案」など不要だ。

 第4に、連合からの独立だろう。自民党と癒着し始めた連合幹部など頼むに足らず。自分たちを支持する労組だけで十分だし、不断に労組に信頼される活動をすればよい。

 10日の投開票の結果に左右されることなく立憲民主党は党の存亡を賭けた大転換を始めるべきだ。

黄昏れる日本の左派政党

  

2022/06/22

 参院選が公示された。
 自民党=公明党の圧勝だそうだ。これに、準与党のの国民民主党と右派の維新の会が加わると、参院でも2/3以上となり、いよいよ改憲に進むだろうと言われている。

 出口の見えないアベノミクスの大失敗、嘘つき宰相アベ、不人気のスガ、何もしないキシダ、そしてセクハラ、不況・物価高、これだけのことがありながら選挙の度に与党が圧勝するのが、日本の政治土壌かもしれない。

 しかし、一番の原因は、野党とりわけ立憲民主党のだらしなさであろう。 あの「悪夢のような」民主党政権の失敗を完全に総括なしでなし崩しに生き残った日本版左派政党を国民はかつての社会党よりも忌み嫌い、自民党よりマシな政党、期待出来る政党などとは露も思わないのだ。

 あの民主党政権崩壊の元凶たち--ノダ、カン、オザワ、オカダ、ちびっ子ギャングなど、などが、未だに偉そうにこの政党にいること自体がすでに終わっているのだ。
 全く人気のないイズミなる党首に残されているのは、これらの元凶たちを党から追放することだ。一時的に党の分裂、弱体化を生じるかも知れないが、生き残りやがて政権を窺うためには避けて通れないはずだ。

 次に、「提案型野党」は捨てることだ。
 政策が良いかどうかの前に、この日本をどう導くかだろう。キシダが「新しい資本主義」というなら堂々と「新しい社会主義」を対置すれば良いだろう。
 もしそれがないなら、国民民主党とくっついて、せっせと政策なるものを練り上げ、時には自民党に寄り添えばよい。

 最後に、連合とは是々非々で臨めばよい。原発容認の労組は相手にしなければよい。誰に遠慮することなく「即時原発廃棄」を主張せよ。

 などと、ぼーーと考えてみたものの、多分このままだろうな。

プーチン=ロシアを粉砕するウクライナ国民

  

2022/05/31

 プーチンの戦争は、ウクライナ国民の必死の反撃で、当初目論んだキーウ(キエフ)占領とゼレンスキーの排除、新ロシア政権の樹立は完全に破綻した。ひとつはロシア軍の戦術が想像以上に稚拙で、制空権を確保した上での地上軍による制圧があまりにも中途半端でずさん過ぎたことだ。また、ロシア軍の装備が意外にも時代遅れで、ウクライナを支援するアメリカ=NATOからの装備、武器がそれを凌駕していることなどがあげられるが、それ以上にロシア国民の死をも厭わない勇敢な英雄的な祖国愛に満ちた抵抗がロシア軍を粉砕してきたことが最大の理由だ。

 プーチン=ロシアは、いったんはキーウをはじめとするウクライナ全土の制圧を諦め、新ロシア派が勢力を持つウクライナ東南部に転戦した。黒海を押さえ、鉱工業地帯を奪取することで、ウクライナの経済力を壊滅させようとしているのだ。オデーサ(オデッサ)の攻防がウクライナの運命を決めるかも知れない。東南部を制圧した後でロシアが狙うのは再びキーウだ。キーウを陥落させ、ゼレンスキーを失脚させ親ロ派傀儡政権を樹立することをロシアは決して諦めてはいない。ロシアのNATO=西側国家からの軍事的緩衝地帯としてのウクライナ、また穀倉地帯、地下資源地帯としてのウクライナをプーチン=ロシアは決して手放しはしない。

 ウクライナは一時的な停戦を望むだろうが、侵略者プーチン=ロシアを認めることはしない。停戦があるとしても次の戦いに備え、やがてウクライナ国民は侵略者を叩き出すために再び決起するだろう。しかし、その時に、自分の手を汚さずに武器・装備・弾薬の提供だけでウクライナを戦わせ、ロシアの衰退だけを狙うアメリカ=NATOは果たして更なる軍事的、経済的支援を続けるのであろうか。それとも、停戦から休戦へと誘導し、ウクライナの東西分裂を是認するのであろうか。もし、そうだとしたら、それはウクライナへの裏切りだ。

 ウクライナ国民は、たとえ支援がなくとも最後の一兵まで戦うだろうし、仮にロシアが占領したらパルチザンを結成して反抗し、やがてゼネラルストライキをもって傀儡政権を打倒するまで戦い抜くだろう。我らに出来ることは、できうる限りの経済的支援を続けること、戦うウクライナ国民への共感と連帯の意志を明らかにすることだ。ロシア国民には、いつまでもスターリンの申し子たる独裁者プーチンの暴挙を許さず、プーチン打倒に踏み出すことを期待する。

プーチンの野望

  

2022/04/19

 ウクライナ南東部のマリウポリでは、アゾフスタリ製鉄所でウクライナ軍とロシア軍が激しい戦いを続けているようだ。製鉄所の地下シェルターには女性、子ども、高齢者など約1000人が避難していると見られているが、ロシア軍はこのシェルターをも攻撃しているようだ。さらに、数万人の市民がロシア領に強制移住させれたれと聞く。マリウポリはすでに町の形がないほど破壊されてしまった。東部ドンバス地方でもロシア軍の大規模な攻撃が始まったようだ。ウクライナ軍と国民の激しい抵抗で、首都キーウ陥落を通した全ウクライナの制圧に失敗したプーチン・ロシアは、当面は何が何でもウクライナ東部の占領を達成したいのだ。

 ところで、情けないことに、日本では、ロシア軍に対するウクライナ軍と市民の反撃に対して、日本の安全な場所から「逃げろ、戦うな」とアホなことを言い続ける橋下某はじめ、「命より大事なものはないから白旗降参せよ」だとか言っている評論家諸氏がいるが、とんでもない話だ。

 ウクライナ国民も皆命は大事だと思っている。ロシア軍などに殺されたくはないと皆思っている。それでも戦う理由があるのだ。
 1932年から33年にかけて、ソ連の最高権力者のスターリンによってウクライナの農民・国民のおよそ400万人が餓死させられた。ソ連邦の「社会主義化=重工業化」促進のために、その費用の捻出にウクライナの穀物を強制的に徴収したのだ。スターリンが送り込んだ軍隊と子飼いの共産党員たちは、富農層(クラーク)は革命の敵であるとして逮捕あるいは処刑した。農民たちは土地を取り上げられ「集団農場」で強制労働させられた。飢饉と農業生産力の低下で穀物収穫が激減したにもかかわらず、収奪は以前にも増して厳しく、400万人が餓死したのだ。さらには、地下資源の豊富なウクライナはその掘り出した資源をことごとくソ連が社会主義化のための「5カ年計画」の資金とし簒奪していった。

 それから90年。
 スターリンに憧憬の念を抱いているプーチンは、ロシア(大ロシア)・ベラルーシ(白ロシア)・ウクライナ(小ロシア)統合による--実質はロシア独裁--大ロシア帝国の皇帝に君臨する野望を抱いてウクライナ侵攻に踏み切った。戦闘員と一般市民を区別することなくウクライナの国土と国民を殲滅しようという”狂気”こそ、400万人の餓死者生んだにもかかわらず、その後数百万人の反対派を「粛正」の名の下に虐殺したしたスターリンの末裔たるプーチンならば平然と持ち得たであろう。ブチャの惨劇に一滴の涙も流さなかったであろう。

 かかる殺人鬼プーチンに白旗を掲げることで、ウクライナ国民が得るものはなにもない。命の保障すらないだろう。プーチン帝国の属国となり、国の富を収奪され、命すら危ぶまれる状況を誰が好むというのだ

 ウクライナ軍と武装せるウクライナ人民に対して、平和ボケした頭で「白旗」と「人道主義」を掲げることは有害以外の何物でもない。このような輩とは決別し、ウクライナの全面支援のために出来ることをしようとすることがまともな人間のすることだ。また、ロシア国民には、怖れることなくプーチン打倒のための行動を直ちに始めることを期待したい。それは、ウクライナのためだけではなく、ロシア国民のためでもある。

 

「火事場泥棒」現る!

  

2022/03/08

 ウクライナにロシア軍が侵略したのを機に、日本の右翼保守派が「火事場泥棒」的に「戦争が出来る国」への策動を始めた。中国、北朝鮮、ロシアの日本侵攻の可能性を煽り立て、ひとつは「核の共有」、ふたつめは「敵基地の先制攻撃」、みっつめは「憲法9条の改悪」だ。

 「みなさん、ウクライナの問題は明日の日本の問題ですよ。中国が尖閣や沖縄を攻めて来たらどうするんです?北朝鮮がミサイルを日本に向けて発射したらどうするんです?ロシアだって分かりませんよ。」ということで、戦争をやれるように憲法を書き換えて、北朝鮮のミサイル基地をミサイルで先制攻撃して、アメリカと核兵器を共有して中国やロシアに対抗しよう、ということらしい。これを腹が痛くて二回も政権をぶん投げたアベが先頭を切って吹きまくっている。嘘つきの無責任男は黙ってろ!

 早速、維新の連中やらアベの取り巻きやらが賛成の合唱を始め、テレビでは自称評論家が危機煽りに貢献する有様だ。こういう輩に限って、「ウクライナの徹底抗戦が長引けば尊い命が失なわれていく」などとしたり顔で嘆いてみるが、いざ日本が同じ立場に立った時にアベを始め一斉に逃げることしかしないだろう。彼らは自分たちだけ安全な場所にいて、死ぬことなく傷つくことなく、日本を戦争が出来る国へ仕向けようというのだ。

 ウクライナ国民は死を賭してプーチン・ロシア軍に対峙している。キーウ(ロシア名キエフ)は陥落するかも知れないが、プーチン・ロシアが永遠にウクライナを統治すること出来ない。ウクライナ国民は支配者ロシアへの非服従運動とゼネラルストライキで、ロシア国民の連帯を得て戦い続けるだろう。世界中が連帯しそれぞれの場で支援を続けることが解決への道となるだろう。

ウクライナ国民と連帯する!

  

2022/03/08

 ウクライナと国民にとってあまりにも残酷な10日間が過ぎた。大ロシア帝国皇帝たらんとする非道なプーチンの野望の前に、街は破壊され尽くし、数多のクライナ軍兵士と市民の血が流れた。プーチンとその取り巻きが引き起こしたウクライナ侵略を決して看過してはならない。

 ウクライナ人民にとって、今の戦いを放棄しプーチン・ロシアの圧政の下で生きながらえることで得られるものなど何もない。ロシアからの独立を求め戦い続けてきたウクライナの誇りと希望と引き換えの生命など彼らは欲しがりはしない。だが、ウクライナ単独での戦いは相当長期に及び、やがて軍事力の差でロシアがウクライナを蹂躙することになるだろう。ウクライナ人民は、兵士による戦いと同時に市民がパルチザンを結成し、都市型ゲリラとして戦うこと、そして、やがて制圧せんとするロシアに対しては非服従運動と全国一斉のゼネラルストライキで立ち向かうことになるだろう。その時は、ロシア本土の国民に対してもロシア軍撤退とプーチン打倒の一大国民運動にウクライナと連帯して決起することを促すことになるだろう。

 テレ朝の玉川某や暴言を吐くことでしか注目されない橋下某などは、ウクライナに降伏するように「したり顔」で盛んに発言しているが、平和ボケの最たるものだろう。橋下に至っては「ウクライナを支援するならウクライナに行って戦え」とほざいた。大阪市政を批判した者に、「じゃあ、お前が市長になれ」との言辞を吐いたのと同じ論法だ。ウクライナを支援することは武器を持って戦うことだけだとしか考えられない幼稚で単純な頭脳しか持ち合わせてはいない。

 真の連帯とは、それぞれの場で「共通の目標」を持って行動することを意味する。「ロシア軍撤退!プーチン政権打倒」の下で、デモ、集会、資金援助、食料援助、医療品援助などを通してウクライナ人民を直接、間接に支援し連帯の意志を伝え、さらにはロシア国民にもウクライナ国民と共に決起することを呼びかけることこそ真の連帯なのだ。世界中でベトナム反戦を掲げた運動がやがてアメリカを敗退させた一印になったことを想起せよ。

 ところで、プーチンに対して「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている~ゴールまで、ウラジミール、2人の力で駆けて、駆け、駆け抜けよう」と臭いポエムを贈ったアベ某は、「盟友」プーチンの説得に出かけたかと思えば、何を血迷ったのかドサクサに紛れて「核の共有」をぶち上げ始めた。「政治生命をかけて(橋下某曰く)」成立させた安保法をさらに推し進め、アメリカの核をも日本の武器として中国、北朝鮮を威嚇しようと、いかにも卑怯で単細胞な発想しか出来ない元宰相ではある。プーチンに媚び諂ったものの北方領土2島返還すら叶わず、しかも3千数百億円をプーチンにむしり取られたことをいささかでも悔やむなら、「政治生命をかけて」プーチンにウクライナ撤退を談判してくるべきだ。

ロシアのウクライナ侵攻を糾弾する!(続)

  

2022/03/04

 ロシアが軍がウクライナに侵略を始めてから1週間以上経った。  停戦の兆しはなく、逆にプーチン・ロシアは「徹底的に破滅させる」と、首都キエフの包囲を強めようとしている。ウクライナは兵士だけでなく数千名の民間人が殺戮された。ロシアはまだ空軍を使っていない。もし、空爆が始まればキエフだけでなく、主要都市は跡形もなく破壊されてしまうだろう。ロシアが仕掛けた侵略戦争を決して許してはならない。

 腹にイチモツのある中国、インド、アラブ首長国連邦などの一部の国を除いて大半の国やその国民はこのロシアの非道な残虐行為を批判した。経済制裁、スポーツ界からの締め出しなど世界一斉にロシアに対抗措置を取りはじめた。ロシア国民は疲弊始めているが、プーチンは全く痛くも痒くもないだろう。そのそも彼には人民の事など考える頭など持ち合わせていない。彼の唯一の関心は、大ロシア帝国--ロシア、ベラルーシ、ウクライナ統合--の再現であり、皇帝として君臨することだからである。そのための犠牲など屁とも思っていないのだ。

 今、アメリカ、NATOが自分たちは戦わずに、武器を供与してウクライナへの軍事支援を行っている。だが、彼らはこの軍事支援を受けたウクライナの反撃によってロシアが退却するだろうなどと露ほども思っていないだろう。明らかにウクライナを彼らの代理人としてロシアに立ち向かわせているだけなのだ。我らは、愛国者としてのウクライナ人民の自己犠牲的な反撃に心から感銘し、共感と拍手を送る。だが、このことで戦争が長引き、ウクライナの被害が壊滅的になりかねないこと、また、このことでアメリカ、NATOは失うものが何もないことに気付くべきだろう。むしろ、反ロシアの国際世論を得ること、経済制裁の強化でロシアを弱体化させることができることで笑いが止まらないだろう。

 このままでは、ウクライナはロシアに制圧されるだろう。だとすれば、ウクライナ人民に残された道は勇敢なレジスタンスと侵略者へのゼネラルストライキの決行であろう。これは、同時にロシア本国にも問われることだ。侵略者の汚名を着せられ、経済制裁によって国民生活が犠牲となり、スポーツ界からも追放されるという屈辱に耐えるのではなく、ウクライナと連帯し、ウクライナからのロシア軍撤退と「反プーチン=プーチン政権打倒」の一大国民運動こそが必要なのではないだろうか。だが、そうは言うものの、「総玉砕」覚悟で、今も、これからもロシアと戦うウクライナ国民の無事を願うしかない自分が情けない。

 

ロシアのウクライナ侵攻を糾弾する!

  

2022/02/25

 悪い予感はあったが、プーチンのロシアがウクライナに軍事侵攻した。首都キエフの陥落は時間の問題だろう。抵抗するウクライナ人民の虐殺が心配される。プーチンはどんな犠牲を払っても、たとえ世界中から非難されようともウクライナ全土を掌握し、親ロ派の政権を樹立し、相当長きに渡って占領を続けるだろう。

 アメリカはじめとするNATOは口先ではロシアの軍事侵攻を批判し経済制裁を強めるだろうが、ウクライナがNATO加盟国でないことを理由に、ウクライナへの派兵や軍事的支援などは決してしないだろう。誰も軍事強国ロシアとの全面戦争など望まないからだ。だから、プーチンは何ら躊躇うことなしに軍隊による制圧を決められたのだ。

 現ロシア、旧ソ連は他国を戦車で踏みにじる歴史を繰り返してきた。戦後だけでも、1956年のハンガリー侵攻、1972年の「プラハの春」を謳ったチェコへの軍事介入、1979年のアフガン侵攻、2008年のジョージア(グルジア)侵攻,2014年のクリミア併合が思い当たる。

 ロシアは自国が不利益になること--領土的、軍事的、政治的、経済的その他--を一切認めないし、軍事力での解決を厭わない。ウクライナからの撤退は、アメリカ始めNATOがウクライナを見捨てるか、逆に軍事的にロシアを追い詰めない限りあり得ない。そのどちらも極めて困難だ。抵抗を続けるであろうウクライナ人民の苦闘を共有するために我らに出来ることは何なのだろう。

 ところで、アベ某という男は、「ウラジミール」と叫んでプーチンに抱きつき、プーチンとの数十回の会談を自慢し、選挙区である山口県の温泉にまで招待し、プーチンに愛想笑いと妥協を続け、北方領土2島返還までハードルを下げたあげく、領土は返らないはカネはむしり取られるは散々な目に遭った。「地球儀を俯瞰する外交、積極的平和主義」をぶち上げたにも関わらず、ロシアのウクライナ侵攻にはアベ某が洞ヶ峠を決め込んでいる。心底呆れたクズ政治家である。

とことん貧弱な日本のコロナ対応

  

2022/02/05

 希望者全員がPCR検査を受けられない。こんな信じられない状態が一向に改善されることなくコロナ禍は3年目に入った。厚生労働省省―国立感染症研究所―保健所・地方衛生研究所というラインしか検査を仕切れないこと、「クラスター潰し」が絶対の感染症対策だという考えが根幹にあった。さらに、日本人はコロナに強いという「神風神話」めいた話が信じ込まれた。これに、むやみに検査を拡大すると医療が「ひっぱく」するという、信じられないような論法をエセ専門家やデマ・コメンテーターが吹聴してきた。「検査拡大-感染者増-医療ひっぱく」だから検査をしない、誰が考えててもこのことが感染者を野放しにしてきたことは明白だ。

 

 なぜ「ひっぱく」する医療が手つかずだったのか。簡単なこと、コイズミ-アベ-スガ政権、これに同調する「維新の会」主導の自治体などが「新自由主義」路線の下、さかんに国公立病院や保健所などの統廃合を図ってきたからだ。かれらは、国民の健康を守ることは最優先ではない。「規制・無駄を排し経済を回し続けること」こそが「新自由主義」の旗印なのだ。命・健康を是非とも守るのであれば、ひっぱくしない医療を目指してカネ、人をかけてシステムを構築すれば良かったのだ。そうしなかったのは、命・健康には大した重みはなかったのだ。

 「みなし陽性」なるふざけた「医学用語」が生まれた。検査なしでも医師がコロナ陽性と診断すれば立派な陽性者となるのだ。これまた理由は簡単、PCR検査が追いつかない、検査キットがないからなのだ。さらに、ふざけているのは、感染者を自宅で待機させ、ほとんどお構いなしの状態を放置していることだ。東京都のコイケなる知事は、「うちさぽ東京」と称して感染者は自宅で事故管理しろ、体調悪かったら電話しろ、食料品やパルスメーターオキシメータは届けてやるなどと、さも人民救済的であるかのような振る舞いを見せた。だがその実態は、電話は通じない、食料品はいつまでたっても届かない。感染者を不安のどん底に突き落としているのだ。コイケはさぞ進歩的・良心的な施策だと思っているだろうが、犠牲になるのは現場で働く関係者と、もちろん感染者自身である。

 「聞く耳」総理キシダは、ほとんど全く動こうともしない。彼はとことん政治主義的男なである。このオミクロン株はもうじきピークアウトするだろうから、じたばたしても無駄だ、まずはワクチン接種を急がせるくらいでじっと待てば良い。こう考えているはずだ。おっかなびっくり半身になってワクチン接種光景を覗いて「心配したふり、やっているふり」を見せたが、自宅で呻吟する感染者、患者を見舞うことはない。ワクチン一本足打法のスガがまだマシに見えてしまうのは皮肉なことだ。

 なぜ日本がこうも貧弱なコロナ対応になるのかは施政者だけの責任ではない。こんな施政者に満足している、あるいは諦めている我ら国民にもその責があると思うのは自分だけか。

 追記
 キシダは彼にとって想定外の感染拡大に慌てふためき、1日100万本のワクチン接種の号令をかけたとか。何を今更だが、これが日本の政権者たちのコロナ対策なのだ。OECD加盟国中最低の3回目接種率でも動こうとはしなかった。また、号令をかけたとしても具体策などない。自治体のケツをひっぱたき、大規模接種会場の他は、企業や大学に接種をお願いするだけなのだ。「国民は生かさぬよう、殺さすよう」ではなく、多少の国民は死んでも構わない。ここに、「新しい資本主義」でごまかしてはいるが、新自由主義の棄民政策を推進するキシダの正体があるのだ。

ハトの仮面にだまされるな!

  

2021/12/27

 今年も暮れようとしている。コロナは第5波が収束しつつあるときに、オミクロン株なる新型があっという間に欧州を席巻しはじめ、日本も市中感染が報告されだした。恐らく年明けからの第6波は避けられないだろう。受験生が気がかりで仕方がない。

 ハトの仮面を被りながら、アベ、スガ以上のネオファシストと化したのが現キシダ政権だ。「聞く力」を持ち、時には野党の政策に耳を貸し、飲み込む度量を見せるキシダに、世間の支持率は安定して高い。アベ時代に飼い慣らされたマスコミの持ち上げぶりは言うまでもない。だが、キシダ政権の実態は、防衛費倍増、敵基地攻撃、憲法9条改悪を打ち出すなど、「戦争の出来る国・日本」への道をひた走っている。右翼反動であることを隠そうとしないアベ以上に姑息で、危険なネオファシストがキシダその人である。

 野党共闘が機能せず衆院選で敗北を喫した立憲民主党は、新たな代表を選出したものの、自民党とマスコミが一体となった「何でも反対の立民党」なるキャンペーンに屈服し、「提案型なんちゃら」などとふやけた対応しか出来ない有様だ。彼らは、維新の会と国民民主党の袖の引っ張り合いに精を出すだけで、惨敗が予想される参院選にただただ怯えているだけだ。彼らにはネオファシズムと戦う意欲も、いや、そもそも、キシダ政権をファシズム政権との規定すら出来ない。いずれファシズム側に丸ごと飲み込まれるだろう。
 共産党は、先の衆院選で「限定的な閣外協力」などとソフト化して見せたものの大惨敗を記し、立民との共闘態勢が音を立てて崩れはじめ、参院選に暗雲が立ち込めはじめていることに危機感丸出しで、これまたキシダ政権と真正面から対決する気概すら感じられない。党名変更してまで立民との共闘に活路を見いだすか、革命路線を貫徹するかの判断が早晩迫られるだろう。

 おそらく、2022年は日本が日米軍事同盟の尖兵として中国、北朝鮮、ロシアと対峙し、戦争の危機をはらんだ年となるだろう。そうならないことを願うが、果たして国民の多くはどう思うのであろうか。

沖縄の新たな危機

  

2021/11/30

 ようやく第5波が終焉しつつあった沖縄が、再びコロナ禍に瀕している。在沖縄米軍基地・キャンプハンセンで大型クラスターが発生したのだ。感染者数は180名を超えているようだ。オミクロン株によるものかどうかは分からないようだ。「ようだ」というのは、在日米軍基地は「治外法権」であって日本の主権が及ばず、米軍発表を待つ以外にないからだ。沖縄県が要望している、基地内全員のPCR検査と陽性者のゲノム解析については米軍側は実施を拒んでいる。基地外で遊興する軍人や軍属もいて、市中感染の恐れが十分にある。岸田政権は「我関せず」を決め込んでいる有様だ。

 韓国、ドイツなどアメリカ軍が駐留基地を設けている国は多いが、基地が治外法権になっているのは日本だけだ。理由は「日米安全保障条約」とそれに基づく「日米地位協定」による取り決めだ。実は、基地にとどまらず、日本の空のほとんどが米軍の管理下にあって、日本は米軍の了解の下に航空機の運航をしているのだ。米軍が希望すれば、国内のどこにでも米軍基地を設けることが出来る。日本のどこにでも、軍隊を送り込むことが出来る。アメリカ本土はじめ世界のどこからでも日本を通さずに直接基地に人員を運ぶことが出来る。だから、日本政府がいくら「水際対策」を力説しようとも米軍には適用されない。

 沖縄はじめ、日本国内の米軍基地および米軍の行動に日本の主権が及ばない。これが独立国・日本の真実の姿だ。戦後まもなくの朝鮮戦争を期に、ソ連、中国、北朝鮮などの「反共産主義」の砦として日本を位置づけ、サンフランシスコ平和条約と同時になし崩し的に締結された日米安全保障条約、そして日米地位協定を法的根拠に日本全体、とりわけ、沖縄をアメリカの最前線基地として機能させようとしてきたのであった。名目的な独立と引き換えに、日本は軍事的には事実上アメリカの属国となったのだ。

 米軍基地は沖縄本島の約15%を占めている。空のすべてが米軍のものだ。日本はコロナ対策すら日本の方針を及ぼすことが出来ない。オミクロンの市中感染が起こったとしたら、米軍はどうするのであろうか。被害のすべては沖縄県民が、そして日本国民が被ることになる。沖縄の苦悩を我々全体の苦悩としない限り、米軍駐留に関わる諸問題の解決はない。

新ファシズムの時代を恐れる

  

2021/11/30

 立憲民主党の代表選挙が終わった。これから間違いなく立民党の「右旋回」が始まるだろう。これに不満を持ついわゆるリベラル派は、機会を見て「左分裂」に向かうだろう。だがその先は、共産党同様に政権に縁がない反対派として細々と存在するだけだろう。そうでなければ、リベラルだの、社会主義だのを投げ捨てる他はないだろう。日本の政治は、強大な自民党・公明党、維新などの新自由主義派、中道右派政党としての立民、少数の左派の4グループに棲み分けが進み、全体として右旋回することになるだろう。日本の左派は相当長い間冬の季節に耐えねばならないだろう。春が来るかどうかも分からないのだが。

 左翼の支持者は60歳以上のシルバー世代、要するに、何でも反対の「日本社会党」、国を相手に大立ち回りを演じた「全共闘」などに郷愁を感じる人たち、せいぜい20%いるかいないかの程度だ。20代から40代は、新自由主義に突き進む自民党や維新が改革派であって、左翼は硬直した保守派に映るようだ。これじゃ、いつまで経っても自民党など倒せないだろう。

 原発は反対だと思っている人は結構多いだろう。だからと言って、これを声を大にして言ったからといって票には結びつかない。選択的夫婦別姓しかり、LGBT、男女共同参画しかり。防衛費を現在の2倍にする、北朝鮮がミサイルを撃つ前にこちらからミサ入り基地を叩くことに不安を感じる人は多いはず。憲法9条の改訂も問題ありだ。でも、これを訴えても票にはならない。左翼は、しかしながら、これらをせっせと訴える。反体制の社会主義、共産主義左翼にとってはあまりにも当たり前だからだ。

 だが、国民の大多数はそんなことよりも期待するものがある。それは、毎日の生活をどうするか、老後をどうするか、ガソリン・灯油をどうするか、赤潮をどうするか等だ。かくて、ぬくぬくと税金で食っている国会議員を叩き、一見生活が安定しているように見える公務員を叩き、小さな政府を目指す「改革派」維新がもてはやされる。どうせ金をばらまいてくれるなら別に野党でなくてもいんじゃない、むしろ与党の方がより安心だからということで自民党・公明党が選挙で勝利する。一般国民は、左派が生活を良くしてくれるなどとはちっとも思えない。だから票など入れたいとは思わない。これが延々と続くのが日本の選挙なのだ。そして、金をばらまくことで選挙に勝利した与党が、「国民から支持された」とばかりに、金をばらまく代わりに改憲、原発推進、防衛力増強、大企業救済、中小零細企業、弱者切り捨ての新自由主義の道をひた走る。

 これが真っ当なのかどうか、残念ながら日本のマスコミが政権監視・批判の使命を捨てて「まずゴミ」と化した以上、我々国民自身が判断する以外にない。日本が新ファシズムの時代に向かっていることに不安と危機を感じるのは自分だけなのだろうか。

 姑息な日本の政党

  

2021/11/17

 立て続けに、やけに威勢よく過激な文を書き連ねるもんだと我ながら呆れてしまっている。

 立憲民主党の代表選挙が行われる。
 立候補者を眺めていると、申し訳ないがどなたにも魅力を感じることができない。人物もさることながら、何をどう目指すのかに魅力が感じられないのだ。候補者の違いがよく分からない。新鮮味も感じられない。他の政党との違いが分からない。恐らくどなたが代表になっても、何年経っても「政権交代」など起こりえないだろう。
 立憲民主党は、主に旧社会党と自民党からの脱党組・哀愁組から成っている。社会主義を目指す方々と、自民党に近い方々が一緒にやれるはずがない。いや、一緒にやろうとしているからダメなのだろう。
 そもそも理念が全く違う両者が一緒にやること自体が矛盾だ。彼らが言う「反自民」などは理念ではない。立憲民主党の社会主義者は(リベラルなどとごまかすな!)、社民党とくっついて社会党を再結成した方がよい。反社会主義派は自民党に回帰するか、国民民主党やら維新やらとくっつけばよい。
 今の世の中で、古くさい社会主義思想が支持されるかどうかは疑問だが、それが信念であり、信条ならば隠すことはなかろう。堂々と社会主義者を名乗り、いかにしてこの日本に新しい社会主義を実現するかを蕩々と語ればよい。
 アメリカ民主党のサンダース上院議員は、自ら民主的社会主義者を名乗り、大統領選挙に出馬し、予備選挙では若者やマイノリティーや女性からバイデンを脅かすほどの人気を集めた。

 共産党は、その名の通り共産主義革命を目指すなら、閣外協力だの、「そんなに怖くない」だのと言わずに堂々と「民主主義革命」とそれに続く「共産主義革命」を主張すればよい。少なくとも、他の勢力と組んで自民党とほとんど違いがないような公約を並べ立てて穏健イメージをまき散らすのではなく、野党共闘は「民主連合政府」樹立のためだとはっきり言えば良いのだ。それを押し隠すのは姑息で欺瞞である。

 公明党は、自民党などにくっつかないで、結党の精神である「王仏冥合の大理念」に基づく仏法民主主義・中道路線を貫けばよい。自民党の軍拡政策に追随することが初心に反していないかどうかとくと検討するがよい。ドイツはキリスト教民主同盟という宗教色ある政党が与党であり続けた。宗教色を隠す必要などない。

 戦後のほとんどを与党として君臨してきた自民党はある意味「ぶれない」政党だ。様々な階層に支持基盤を持っている。あまたの批判を受けながらも、ある時はそれを跳ね返し、ある時はそれを吸収し、ある時は謀略をも駆使し、それなりの国民の支持を受けて政権運営してきた。本質は右翼保守派であるが、中道にまで政策的なウイングを広げ、岩盤の支持層を持っているのは見事だ。この党を打倒するのはそれこそ「革命的」なことだろう。

 他の政党は、要は、政権にありつきたいばっかりに、理念、信条を押し隠した姑息な政党に成り下がっている。どこもかしこも「国民のために」、「国民とともに」を掲げ(当たり前すぎて理念とは言えない)、国民の機嫌取りのような公約・政策を並べ立てるのではなく、まず、自らの理念、信条を語れ!二大政党制などは結果であって、最初から二つに収斂させる必要などない。アメリカやイギリスの2大政党制のどこが良いというのだ!
 小選挙区制だから、自民対反自民の一騎打ちでなければ野党は勝てないなどと、最初から敗北主義的なぼやきを言っているからいつまで経っても「自民党一強」なのだ。本当に自民党を倒したいなら、すべての選挙区で有権者自由参加(立候補も投票も)の「予備選挙」をやり、半数の女性を擁立し、未来に希望を抱かせる理念、政策を立てて立ち向かえば良いのだ。

 資本主義は腐り続け腐臭を放っている。対抗するはずの社会主義・共産主義はすっかり色あせてしまった。だれも未来を見通せない現代の有様だ。今、問われているのはこのような状況下で、この国を、この社会を世界をどうするかの確固たる理念、方策なのだ。
 政党に属する方々よ、臆することなく自分の信念、思想を自分の言葉で語れ! さもなくば去れ!

ハト面をしたタカ

  

2021/11/16

 プロ野球は日本シリーズを待つのみとなった。

 ファイターズとジャイアンツで日本シリーズを戦い、4勝3敗でファイターズが優勝するという自分の夢は、今年はずいぶん前に潰えてしまった。ファイターズについては、シーズン当初から投打の主役を欠いていたため、リーグ優勝はどうかなあと思っていたが、ジャイアンツは昨年の日本シリーズ4連敗と同じく、監督を含め総合力の低さだろう。すべてがちぐはぐだった。原監督は新たに3年契約をして続投らしいが、潔く辞めた方が良い。ファイターズは、新庄新監督に期待するしかない。ファイターズとジャイアンツで日本シリーズという夢は来年はどうだろうか。

 衆議院選挙が終わった。結果は自分の中では想定内だった。明らかに政権担当能力がなく、その期待感もない立民と共産が組んで「政権選択選挙」と大風呂敷を広げても勝てるはずがない。世論調査の支持率数%の両者が組んだところで、過半数を制すなどおこがましいのだ。国民はそこまでお馬鹿ではない。胡散臭い匂いがして、左翼だ、リベラルだ、に郷愁を感じる世代を除いてはとても投票する気にはなれなかったろう。「現実的」な自民、維新が票を得るのは自明だ。

 しかし、これからの日本にはきな臭さが強烈に漂うだろう。「ハト派」の振りをした岸田政権は、「新しい資本主義」などと糊塗しているが、小泉政権以降の新自由主義が継続することは明らかだ。新自由主義の権化であるパソナの竹中平蔵を政府委員に任命したことからもそれは知れる。岸田のいう「成長」とは、大企業の「成長」に他ならない。「成長」に庶民は入ってはいない。無論、大企業のお情け(優遇税制)に縋る「分配」増など欺瞞以外の何物でもない。

 維新、国民民主などの改憲勢力の議席増を背景に、岸田は虎視眈々と憲法9条をはじめとする改憲を成し遂げようとしている。さらに、北朝鮮や中国を念頭に敵ミサイル基地を専制的に攻撃する能力を有すること、防衛費を現在のGDP1%以内から2%まで倍増させることを通して、「戦争が出来る」国としての日本を全面に押し出した。

 「聞き上手」で「穏健な」岸田は、ハトの仮面を被ったタカである。「身を切る改革」だの「政策対置」だの、選挙戦術頼りの政権選択などで果たして「鷹狩り」が出来るのか、政治家、政党はもちろん無党派を含め、我ら国民1人1人に「お前はこれでいいのか」が問われているに違いない。

保守党強し!

  

2021/11/01

 衆院選の結果については自分としては想定内の出来事だった。

 保守政権を辞める理由が総じて国民にはなかったからだ。たとえ首相が嘘八百を並べよが、証拠隠滅しようが、役立たずマスクを配ろうが、コロナ禍でオリンピックをやろうが、病院に収容出来ずに死者が出ようが、解散直前に「総裁選」祭りをやり、コロナがそれなりに収束して町に活気が出てしまえば、政権交代などと言う危険を冒すことなど日本人の多くは考えない。まして、反対党の人気は軒並み一桁台の政党支持率、彼らに一体何を期待出来ようかと考えたとしても不思議ではない。

 今般選挙の救いは、汚職にまみれた幹事長を落選させたことと、賞味期限切れの高齢者などをを落としたことだろうか。保守党へはほんの少しのモグサのお灸程度で、熱くもなんともなかったであろう。

 議席を減らした反対党は、候補者を一本化するという選挙戦術の是非の前に己の立ち位置と過去を見直すべきだろう。特に民主党の負の遺産を押し隠したまま新しさや改革を訴えても国民は全く信用しないだろう。まずは、旧民主党政権の中枢にあった者達は政界を去るべきだ。もう彼らに期待する者は何もない。政権交代への国民の期待を、公約違反の消費税増税を進め、目玉の「子ども手当」を後退させ、あろうことか党内分裂により政権を壊滅させた責任は極めて重い。その総括と反省なくして次を望むのはおよそ無責任であり、政権奪取どころか政治に携わる権利さえないであろう。

 あえて反対党に望むとしたら、旧幹部達を一掃した後、中道右派なのか、中道左派なのか、左派なのか立ち位置をはっきりさせることだ。出来れば支持団体たる連合依存からの脱却を図るべきだ。北欧型高福祉社会を目指すのもよし、社会主義を目指すもよし、要は、国民が「あー、そうか、この政党はこれを目指しているんだ」がはっきり分かれば良いのだ。

 それにしても保守党は強い。「候補一本化」ごときで倒せるよな相手ではない。

今回は投票しに行きます

  

2021/10/25

 塾長「月記」と化した感がある。
 選挙の真っ最中だが、住宅地のせいか校舎も自宅も時折メインストリートを流す選挙カーの絶叫が届く程度で、実に静かなものだ。
 短い期間を別にすればずっと保守政権が続く日本は、政権に不祥事があろうが、失政があろうが、漢字を読めない総理であろうが、国会を開こうとしない政権であろうが、今回もまた保守政権が生まれるだろう。与党は「お灸」をすえられた程度で議席を減らすだろうけれども。

 保守政権が継続するのは、国民の多くが変化を好まず、政権の施政が赤点プラス1点程度なら良いと思っているからだ。与党に全面的な指示を与えているわけでは無いが、「何でも反対、調子の良いことばかり言う」野党に好感度は低く、コア層を除いては投票に行かないからだろう。いわゆる無党派層は、「悪夢のような(アベの得意文句)民主党」政権の失敗もあって「羮に懲りて膾を吹く」ようになっているのかもしれない。

 実は私には支持政党が無い。いわゆる無党派層の一人だ。今回は、何かしら投票行動を取ろうと思う。アベノミクスはずいぶんデタラメだったし、原発再稼働も許しがたい。共通テストで受験生や教育現場を振り回したことには怒りを覚えた。嘘八百を並べて東京五輪を誘致し、コロナ禍の最中に開催したこと、一連のコロナ対策のヒドさを見るにつけ、このところの政権には批判的にならざるを得ない。

 ところで、余計なことだが、巨人はまた原監督でいくつもりか? エース菅野の不調もあったろうが、辛抱の無い投手起用には特に疑問を持った。中田を加入させ、終盤一気に首位から滑り落ち、借金1でシーズンを終えた。原は辞めるべきだ。人材は他にいるだろうが。

「無責任の体系」を無限に見続けるのだろうか

  

2021/09/22

 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

 秋といえばこの歌だ。若い頃は夏が過ぎるのがいやで、日が短くなっていく秋がいやでたまらなかったが、年を経るごとにそれが薄れ、今では秋もまた楽しむ季節になっている。もっとも、この歌は「立秋」の頃の歌だが、立秋は暦上は8月7日頃で暑い盛り、とても「秋来ぬと」と感じることは出来ないが、あくまでも「旧暦」でのことで「新暦」では9月中旬頃だ。なるほど「身にはさやかに見えねども」ではある。

 自民党の総裁選挙だが、これで政治家、否、誠治屋がいかに無責任であるか、またマスコミがいかに権力追従かが分かってしまう。緊急事態宣言の最中、確かに第5波は沈静しつつあるかに見えるが、「人類がコロナに勝った証」にはほど遠く、冬にかけて第6波が危惧されるほどだ。コロナ感染者がパルスオキシメータだけ持たされて、あるいはそれすら無く、病院で治療を受けることがでく自宅で不安と絶望のどん底にある患者の救済を総裁選では触れようともしない。予算措置をはじめとするコロナ対策のための国会を開こうともせず、ワクチン担当大臣が国会の委員会出席を拒んでまで繰り広げられる総裁選挙は、「温もり」だの「この国に生きて良かった」などの空しい言葉だけが飛び交う国民不在の噴飯物の三文芝居に見えて仕方が無い。

 マスコミと言えば、テレビを中心に総裁選挙の盛り上げ、言い換えればスガに代わる次の総理・総裁への期待感を煽り立てることに終始している。権力をを監視し、時には敢然と立ち向かうマスコミの使命は一体どこに消えたのか。なぜ、総裁候補に国会をぶん投げていることの是非を、なぜコロナ対策の今を、これからを、この一年余のスガ政治の是非を問おうとしない。いわば「大政翼賛会」の報道担当と化しているマスコミに憐憫の情すら禁じ得ない。

 やがて来たる衆院選のための神輿選びなどに興味は無い。皆、スガ政治の当事者、伴走者、協力者であった彼らに期待など全くない。3.11原発事故の責任を誰も取らず、今また昨年来のコロナ対策の失敗の責任を問うことがなく連綿と続く日本の、あるいは、日本人の「無責任の体系」がまた一段と根を張る暗澹たる状況を一体いつまで見続けなければならないのだろうか。

「無責任の体系」を破るために

  

2021/09/15

 権力亡者たちはまるでゾンビのように蘇ろうとする。1年前に担ぎ上げた神輿を、今度は、気に食わない、自分の当選ためにならないと引きずり下ろし、新しい神輿を担ごうとする。そこにはその状態を招いたことへの反省など全くない。「自民党の党風を一新する」とぶち上げた小泉進次郎よ、ならば、なぜおまえはスガの引退に泣かねばならないのだ。スガを担いだ責任はお前にもあるのではないのか。スガ政権の不始末の責任は閣僚としての自分にも責任があるのではないのか。それを隠して「党風一新」とは笑止千万なり!進次郎はじめとするゾンビには、コロナも経済もない、もちろん国民大衆の命も生活も眼中にないのだ。
 自民党の「党風」などどうでもいい。頭を代えたところで胴体はは少しも変わることはない。国民不在のゾンビ劇場を、なぜ皆怒らない!

 ゾンビの暗躍は腹立たしい限りだが、同時に、一体、日本のマスコミは何なのだろう? 新聞各社のお偉方は、政権側と会食の回数を競うのがステータスだと考えているようだ。また、連日のように「なんとかスシロー」まで現れ、政権擁護を繰り返す有様だ。テレビでは、岸田がどうだ、高市がこう言った、河野が石破と組むらしい等々、まるで自民党の広報機関と化している。腰が全く据わらない記者面々の総理記者会見でのへなちょこ質問をは一体誰のためにやっているのだ。アベ・スガ政権でのコロナ対策が無為・無策・無能ならば、それを真っ正面から質すことをしなかったマスコミもまた無為・無策・無能の烙印を押さえることに抵抗はできまい。

 野党のだらしなさは、自民党、マスコミ以下と言えよう。第1党の立憲某党はいまだに支持率が一桁だ。当たり前だ。民主党政権崩壊の責任を誰一人取らずに、当時と同じ輩が未だに党中央でふんぞり返っている光景に誰が魅力を感じるのだ。彼らは、自民党に飽いた国民大衆の圧倒的な支持を受けて政権を得たにもかかわらず、目玉政策の「子ども手当」を打ち切り、福島原発事故伝処理に失敗し、公約違反の消費税増税で党を分裂させたあげく選挙で大敗し政権を失った背信行為の責任を誰一人として取ろうとはしなかった。あげく、旧民主党の一部は小池の術中にはまり「希望の党」なるところに逃げ込み、野党のさらなる低迷の原因を作った。旧民主党政権に幹部として関わった御仁は、まず自己批判の上、政界から去るべきだ。その上で、清新な後継者たちに明日の野党を任せるべきだ。

 日本の現在の状況はどこもかしこも「無責任の体系」が根を張っている。とりわけ政治・政治家の「無責任」ぶりは万死に値する。我らに出来るのは、利権にありつこうと政権にすり寄るしかない者を除いて、嘘・偽りのない責任ある政治を見極め、それを選ぶ眼を持つことだろう。

アメリカに従属した「独立国」日本

  

2021/08/20

 日本はアメリカの属国か? 独自の政府、憲法、法律を持つので一応は独立国なのだが、間違いなくアメリカの世界戦略に従属した国家なのだ。

 つい最近、沖縄に駐留する米軍は日本側と協議中であるにもかかわらず、独断で有機フッ素化合物(PFOS、PFOA)23万リットル(ドラム缶1135本)を米軍基地外の公的下水道に排出するという暴挙に出た。PFOS、PFOAは自然界では分解されない毒性の高い化合物で、発がん性や動植物への被害が危惧されている。米軍は、この化合物を軍事演習での泡消火剤として使用してきたのだ。排出に当たって、米軍にとって、沖縄の民衆の生命・健康など考慮するに値しないのだ。

 以下は、少し前に塾長日記に書き記したものだ。

 「我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」とは、戦後のアメリカの対日政策の責任者であったJ・フォスター・ダレスの主張だ。1951年の旧安保条約、1960年の新安保条約と日米地位協定にもその考えは反映された。条文に出来ない部分は日米の多くの密約が補った。日本の再軍備を警戒し占領軍が作成した日本国憲法の第9条(平和・不戦条項)の制約を、朝鮮戦争を機に事実上反故にするためにそれらは必要だったのだ。

 日米合同委員会が毎月2回のペースで開かれている。日本からは関係官僚が出席し、アメリカからは在日米軍のトップがメンバーとなっている。主として日米地位協定の運用に関して協議することになっているのだが、軍事だけでなく政治、経済、教育など広範な協議が行われている(アメリカの軍人と!)。日本の「裏閣議」というべきこの合同委員会の全容が知らされることはない。

 安保条約、地位協定、密約、合同委員会のすべてがアメリカ駐留軍目的達成(日本防衛ではない!)のためにだけ存在し、ダレスの言う「我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」が有効に行使されている。あのオスプレイも含めて、日本の上空では日本の許可なくいつでもアメリカの軍事訓練が行われている。

 アメリカは世界各地に基地を持っているが、基地が治外法権(その国の主権が及ばない)なのは日本だけだ。未だに戦争状態にある韓国ですら、アフガニスタンですらそうではない。アメリカ軍人・軍属の犯罪に「寛容」なのも日本だけだ。

 沖縄に至っては、日本の国土全体の0.6%の面積に米軍専用施設の約70%が集中し沖縄本島の約15%を米軍基地が占めている。 軍人・軍属は風光明媚なところに小綺麗なアメリカ式の住宅を構え、特権階級然としている。基地は米軍の思うところに作ることが出来、辺野古建設のために沖縄の誇る素晴らしい海が無残にも埋め立てられている。

 ”在日アメリカ軍>日本”という不等式が戦後75年経った今も成立し、これからも続くであろう。「在日米軍は日本を防衛する」ということを信じ込まされてきた日本国民だが、アメリカの世界軍事戦略にすっぽり編み込まれているのが独立国・日本の現実である。

「無責任の体系」からの脱却

  

2021/08/20

 もういい加減国民はこの国の今を、そしてこれからを真剣に考えた方が良い。

 かつて、政治学者丸山真男は「無責任の体系」という言葉と使って軍国主義日本の日本の統治システムを批判した。  極東軍事裁判で朝鮮総督であった日本官僚は「なぜ聖戦と呼ぶのか」と聞かれた時、「聖戦と一般に言っていたから、ついそういう言葉を使った。侵略的というような戦争ではなく、状況上余儀なき戦争だったと思っていた」と答えた。

 丸山真男は「主体性を喪失して盲目的に大きな力にひきまわされる精神」を「無責任の体系」と呼び、戦前、戦中、戦後の日本の有様を痛烈に批判したのだ。

 今回の東京オリンピックでは、国民の多くが開催に反対したはずだった。にもかかわらず、国民は開催を許容し、反対だった者の中には「やっぱりやって良かった」と「転向」する者が多数出た。「コロナ感染拡大とオリンピックは関係ない」と嘯く政権者たちを事実上認めたのだが、彼らの多くはこのことが「主体性の喪失」であり「盲目的に大きな力にひきまわされる精神」などとは考えまい。己がそれまでなぜ開催に反対したのかを問い、それがなぜ一転賛成に回ったのかを一顧だにしないであろう。
 当然、開催を強行した輩も、そののことによりカネや人員などの資源をコロナ対策に向けることなく、惜しげもなくオリンピックにつぎ込み、感染を拡大させ国民生活に大きな打撃を与えたことを認めることなく、だから、責任などさらさら取ることもなく、涼しい顔して己の地位を守ることに専念することだろう。かくて、開催を強行したた輩と「無垢な」国民は揃いも揃って相変わらずの「無責任の体系」に連なっていくのだ。
 

 かの3.11原発事故を想起するがいい。当事者の東京電力、原発を推進してきた歴代政権者や政治家ども、原発誘致をした者や賛同者、安全神話を唱えてきた学者やマスコミの誰一人として事故の責任を取ろうとしなかったし、今もそうだ。反省や責任どころか、古い原発を稼働させるなど原発依存を復活させた。

 「悪夢」だったかどうかは別にして、かの民主党政権を公約破りの消費税増税を巡る分裂で瓦解させた政治家どももまた「無責任の体系」の中にある。変化を期待して彼らに投票し政権を委ねた国民の多数をいとも簡単に裏切った責任を誰も取ってはいない。だから、今もその当時の輩が政党の主要な地位について、政権交代を性懲りもなく唱え続けているが、「責任なき政治家」を誰も信用しようとはしない。

 上から下まで「無責任の体系」にぶら下がるこの国は、誰が頭になろうとも変わりようがない。国家的課題、天災、事故などの危機に際してどう考えどう立ち向かったのかを検証することがなければ、同じ過ちを無限に繰り返すだけだ。

 自己の責任を感じることのない輩は別にして、もういい加減国民はこの国の今を、そしてこれからを真剣に考えた方が良い。「責任」ある国と社会をどう作るのかを。

アホな人間が長になると

2021/07/08

 どんな組織であれ、アホな人間が長だったら、組織もそこの人間も腐る。それが国家ならなおさらだ。

 日本のコロナ対策の失敗とオリンピック開催の迷走はアベ前総理とその一派の責任だ。「アスリートには最適の季節(東京は酷暑だ!)」とか「福島原発は完全に制御できている」とか大嘘をついて東京にオリンピックを誘致し、「福島復興五輪」という美辞麗句を掲げた。その実、オリンピック関連工事のため、福島復興に資材は回らず、工事人件費の高騰に福島は悩まされることになった。

 昨年のコロナ感染拡大は、中国の習近平の来日を優先し、また、国慶節休暇での中国から日本への観光客誘致を図ろうと「水際での感染防止」を怠ったのがそもそもの原因だ。その後も、根拠のない「全国一斉休校」だの「アベノマスク」に代表される何らの合理性がない極めて恣意的な政策の乱発で、コロナウイルスの全国的なまん延を招くに至った。

 この己をいかに格好よく見せるかしか思いつかない無能な総理は、ごていねいにもオリンピックに関してもG7で「完全な形で実施」というおおぼらを吹き、できもしない「人類がコロナに勝った証」としてのオリンピックを描いて見せた。2020年の実施が不可能となると、周囲が2年先への延期を提言したにもかかわらず、自分の総理の任期中に開催したいという理由で、1年先の延期にしてしまった。この自己愛の強い男の無責任極まる方針が、現在のオリンピック開催を巡る混乱の元凶となったのだ。

 だが、コロナもオリンピックも思い描いたとおりにならないと悟った無能な男が思いついたのは、有効なコロナ対策、オリンピック対策ではなく自己保身だった。病気を理由に辞任、つまり、政権ぶん投げの敵前逃亡だった。その後釜に「いくらでも後ろから操縦できる」と踏んだスガを据えたのだが、これがまたアベに輪をかけての無能な男だった。

 携帯料金値下げ、デジタル化などコロナとは全く関係のない政策で一躍人気となった「令和おじさん」は、好物の「パンケーキ」をむしゃぶり、高級店で料理を堪能しながら、コロナでは前政権に劣らず無為・無策、いや、悪質極まりない政策を採り続けた。その最たるものが「GOTOキャンペーン」だ。いわば、病人に向かって「起きろ、旅に出ろ、食え、飲め」と言っているに等しいこの政策実行でコロナは瞬く間に感染拡大を続けた。

 これにオリンピック開催強行の政治的思惑が輪をかけた。「はじめにオリンピック開催ありき」でコロナ対策はそれに従属したものとなった。いやいやながらの緊急事態宣言、まん延防止が繰り返され、飲食へも規制と緩和が繰り返された。ワクチンに光明を見いだしたのも束の間、「打て、打て、打って打ちまくれ」と吠えたもののワクチン供給がストップというずさんさが露呈した。

 今や国民の多くがスガに不信の念を抱いている。4度目の東京への緊急事態宣言はほとんど意味をなさないだろう。コロナ感染の恐怖に怯える国民に馬鹿のひとつ覚えのごとく「安心・安全」を繰り返しても心に響かず、「スポーツの感動、勇気」が白々しく聞こえてしまうのだ。

 悲しむべきは、この腐り切った政権を倒しそれにとって代わる勢力がないことだ。一体どの野党に魅力を感じることができようか。

 自分は恐れる。現在の全般的な危機状況と、それを打開しうるすべがない時に聞こえてくるのは闇に葬ったはずの「全体主義=ファシズム」の台頭だ。病気で裏に引っ込んだはずのあの男が、公然とそれを担おうとしている。だが、真のファシズムは国民の中にあるいき場所のない不満、もやもや感から始まるのだ。それが今ではないと断言できないことにまた危機感を覚えるのだ。

コロナ拡大は人災だ

2021/02/17

 「日本は欧米と比べるとコロナ感染者数も志望者数も少ない」と言われる。確かに、数字だけ見ていればその通りだと思う。だが、これは政府の感染対策が功を奏したからではない。「ファクターX」とよばれる日本や東アジアの人種にある固有の「ウイルス耐性」があるからだとする見方が強い。

 しかし、その一方で、日本は東アジアの中では、人口あたりのコロナ感染者と死者数が最も多いことは以外と知られていない、というか、隠されている。人口あたりの病床数が世界で最も多いのにも拘わらず、病床不足を理由に入院できない状態=医療崩壊を招いている東アジア唯一の国が日本なのだ。相変わらずPCR検査は停滞し、重症者は自宅でなくなっている。医療大国を自認しながら、ワクチン供給は欧米頼み、国産ワクチンはそっちのけで、注射針すらままならない。日本のコロナ医療体制は完全に失敗である。

 おまけに、GOTOなんちゃらを振りかざしたものの日本経済が受けたダメージはこれまた東アジアで最大である。あのコロナ拡大のアメリカに比べても実質経済成長率の低下が大きいのだ。「コロナも経済も」の目論見は完全に失敗したのだ。

 コロナ対策としてやったことといえば、無意味な「全国一斉休校」だの「アベノマスク」だの二度の「緊急事態宣言」での休業・自粛要請だけだ。今、政府の無為・無策の追及を恐れ、感染拡大の責任を国民に押しつける「コロナ特措法・感染症法改定」に踏み切った。カネは出さないが罰則で恫喝して国民・病院・事業者を黙らせようという希に見る悪法を、なんと野党まで賛成に引き込んで成立してしまった。

 日本におけるコロナ禍の拡大は、完全に政府の失政であり、人災である。その象徴が前総理アベの「敵前逃亡」だ。この無能な政治家は、習近平の来日、中国国慶節での中国人観光客の訪日を最優先にし、感染拡大を招いた張本人だ。その後、やることなすことのすべてが的外れ、陳腐なことの連続で、国民の支持を失い、嫌気をさして病気を理由に二度目の政権投げ出しをしてしまった。何が、「美しい国、日本を取り戻す」だ! 何が、「国民の生命、財産を守る」だ!嘘と言い訳と権力集中だけで政権を維持してきたこの軍国主義政治家には、そもそも国を預かり、国民の命を守り抜く気概も素質も何もなかったのだ。しかも反省心のかけらもなく、病気治療などどこ吹く風で、「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」会長に就任して表舞台に出始めた。三度目の総理を狙うとまで言われている。恥も外聞もないこの男に何か付ける薬はないのだろうか!

 後を継いだスガもまた前任者同様の無能な政治家だ。あと5ヶ月に迫った東京オリンピックの開催以外は全く眼中にないこの総理は、輸入ワクチン頼みの綱渡りに己の政治生命をかけようとしている。いくら反対しても利権にまみれたオリンピックは行われることになるのだろう。もしそれによってこの政権が延命したとしても、国民にとって不幸しか招かないような気がしてならない。

特措法、感染症法改定は国民への責任転嫁だ

2021/01/18

 今の政権は恐らく長くは持たない。多くの国民がそう感じているのではないだろうか。スマホ料金、デジタル庁、ハンコの是非はともかく、コロナ対策の余りの迷走ぶりと杜撰さに呆れ、怒りを覚えているからだ。

 行き詰まったスガ政権は、今の国会でコロナ特措法と感染症法の改定させ罰則強化によるコロナ封じを図るようだが、とんでもない話だ。
 「コロナ対策と経済対策の両立」と言いながら、コロナ対策はほぼそっちのけで、「GOTOトラベル」だの「GOTOイート」だのと感染拡大を促進した事への過ちを認めることなく現在の感染爆発に至ったことは「内閣総辞職」に値する。「エビデンスがない」とうそぶきながら国民を煽りあちらこちらに旅をさせ、「GIOTOイート」を声高に唱え盛んに外食を促したにもかかわらず、今度は、同じ口が「移動はダメ、会食ダメ、夜は8時まで、昼飯も外ではダメ」などど支離滅裂なことを強調する。己の政策の過ちを包み隠しながら、その全責任を国民に押し被せてしまおうという政権の延命策がコロナ特措法と感染症法の改定に他ならない。

 この法改訂の許しがたいのは、「緊急事態」を発令する前に予防措置として政府の指示に従わない飲食店や国民や医療機関に罰則を課すことだ。「緊急事態」発令前にすでに政府に緊急事態時と同じ私権を制限しようというのだ。この予防的措置はやがてコロナ特措法だけでなく、他の法令に援用、適用されることで政府の国民統制の根拠ともなり得る決して許してはならない法改定なのだ。

 さらに、緊急事態下での国民の私権制限に対する政府・自治体の補償の曖昧さが指摘される。国民や病院、飲食店には懲役を含む厳罰を課しながら肝心の補償に対しては全く具体性がなく、場合によっては補償しなくても構わないことになってしまう。現に、アソウという財務大臣は「もう一律10万円の給付はしない」と言い切っているのだ。こんなふざけた話はない。

 病院への厳罰など全く論外である。これまで歴代の政権は保健所や病院の統廃合を進めてきた。今、「コロナで病院が逼迫している」などと悲鳴を上げているが一体どの口がそう言っているのだ。しかも、いったんコロナが落ち着いた昨年の時期に、冬場になってからの感染拡大が分かっていながら医療の拡充に何ら取り組まなかったのは、今後、病院への厳罰を言い渡そうとしている政府だったのだ。

 情けないのは野党だ。こんな悪しき法改定に対して協力の姿勢すら見せている。百歩譲って緊急事態下の私権の一部制限を認めたとしよう。その場合絶対に譲ってならないのは、GOTOキャンペーンの失政を政府に認めさせること、国民への十分な補償を具体的に義務づけることだ。その際、財源がどうのこうのと政府やその取り巻きが持ち出すだろうが、その時は「アベノミクス」なる円安・株高誘導策でしこたまカネを貯め込んだ大企業・個人から特別税として徴収するか、必要な分の国債を発行すれば良い。1千兆円を超える国債・公債を乱発したにも拘わらず日本にインフレは起こらず今なおデフレ下である。100兆、200兆程度の国債の増額など心配はない。この国の政治家は右も左も、与党にも野党にもそう言える気骨ある者はいないのか!

東京オリンピックは即時中止すべきだ

2020/12/29

 今年はコロナで始まりコロナで終わろうとしている。何から何までコロナに振り回され続けた一年だった。「エビデンスがない」からとGOTOで大移動させ、飲食させ、それでもなお感染拡大は失政だとは言わない政権者たち。PCR検査すらままならない政府の「コロナ感染対策」。恐らく来年もまた、この方々の無為・無策・無謀によって国民の多くはコロナに怯えながら生活することになるのだろう。

 その政権者たちがいまだにしがみついているのが「東京オリンピック」の開催だ。世界中で感染拡大中の今、あと7ヶ月後に世界からアスリートを集め、観客を呼び込んで開催できると思っていること自体がどうかしている。

 恐らくワクチン接種の実施で何とかなると算段しているのかもしれないが、世界中の人々に摂取できるほどのワクチンなどどこにもない。日本だけを考えてみても、オリンピック開催までに日本全体に行き渡り、かつ、有効性、安全性が実証できると考えているならそれだけでも狂気の沙汰である。まして、これが世界中となると...。それとも、参加できる恵まれた選手だけの、感染を免れた恵まれた観客だけのオリンピックを考えているのなら、差別と選別で強行するこの大会をもってオリンピックの歴史は終わるであろう。

 そもそもこのオリンピックは誘致から欺瞞以外のないものでもない。誘致に動いたアベは世界に向かって大嘘を放った。
 「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」 これが嘘でなくて一体何なのだ。

 誘致の大嘘だけでなく、誘致のための裏金工作、オリンピックスタジアムの建設を巡る混乱、エンブレム盗作問題など、このオリンピックそのものには最初から暗い闇があった。  このオリンピックは「復興五輪」だと言う。ならば聞こう、フクシマは復興したのか、住民は元通りの生活が保障されたのか、フクシマの事故原発の安全はどうなったのだ、汚染水はどうなるのだ!

 言葉遊びなのか、今度は「人類がコロナに勝った証」としてのオリンピックだそうだ。聞くまでもないが、コロナに勝ったのか!いや、そもそも勝つために何をしたというのだ!

 当初予算を大幅に上回るカネを湯水のように注ぎ込んで作ったオリンピック関係の施設を「レガシー」というのだそうだ。用途のないレガシー(長野オリンピックを想起せよ)、少なく見積もられた今後の維持費、こんなものを残された後の世代は実に不幸だ。

 今、政権者たちがしなければならないのはオリンピック開催の中止声明だ。そして、フクシマ復興のために、「人類がコロナに勝った証」となるようなコロナ感染対策に全力を挙げ、再び日本と政界の健康を取り戻すことだ。もし、政治的思惑や利権がらみでずるする直前まで開催を引きずるようなことがあったらそれは犯罪である。

最後に、アベが五輪ムーブメント推進に功績があった人物に贈る「オリンピック・オーダー」の授与式でバッハ会長から金賞を受けたときのスピーチを。この男の本性が丸見えだ。

「今、人類は疫病との闘いに歯をくいしばり、唇をかみしめて、互いが互いを思いやりながら、夜に日を継いで耐え、勝利の日を待ち望んでいます。---私たち人類は強い。絶望を希望に変える力を持っています。だからこそ五輪は聖なる火をともして、希望のたいまつとし、それを人の手から手へと渡し続けてきた。そうでは、ありませんか---2021年7月23日、東京の空高く、いま再びブルー・インパルスが天翔ける時、世界のどんなところに住まう方も、一度は絶望の淵にくれた人々でさえ、天を、そして青空を、はるかに仰ぐことでしょう。その日、東京にラッパが鳴る。ファンファーレは世界に響き、人の心に凍りついた恐怖を解かし、希望に置き換えてくれることでしょう」

「歯をくいしばり、唇をかみしめて、互いが互いを思いやりながら、夜に日を継いで耐え」だと? どの口がそう言うのだ! アホらしくて、情けなくて、このノー天男につける薬は何もないことが分かる。8年近くも総理にしてしまったことを心底恥じる。

総理記者会見に見るマスコミの劣化

2020/12/07

 12月4日のスガ総理の記者会見を見て改めて思った。一体、この国のマスコミ、とりわけ新聞は何をしようとしているのだ、と。

 その前日、不倫で自粛中の渡部建の謝罪会見で、彼は芸能記者やらレポーターに「フルボッコ」状態にされていた。要は、「弱い立場の者には強く、強い立場の者には弱い」のが日本のマスコミなのだろう。

 渡部建が不倫やら何かをしても、その家族と一部の人には大問題なのだろうが、我々国民の多くにとっては些末なことだ。しかし、政権がしでかすことは国民にとっては大事なのだ。あの記者会見で報道各社がやったことは、結果から見れば政権のチェック・監視・追求ではなく、政権の宣伝に一役買ったに過ぎない。スガの国会での所信表明を総花的に再度表明させた以外の何かがあったのだろうか。

 初期のコロナ水際対策の怠慢、全国一斉の学校休業という愚策、さらにはアベノマスク配布も酷かったが、GOTOキャンペーンはその何倍も劣悪なコロナ蔓延促進政策だ。馬鹿のひとつ覚えの「エビデンスがない」に対してマスコミは何か反論を準備していたのか? ウイルスが勢いづく冬場で感染拡大が予想されたにも拘わらず、何一つ対策を取り得ていない政権に対して追求する必要はなかったのか? 「人類がコロナに勝った証」とうそぶく東京オリンピック開催強行の是非を問いただす必要はなかったのか? 補正予算7兆円の使い道を質すことはしなくて良いことなのか? などなど、国民が知りたいこと、疑問に思うことは多々あったはずだ。そのどのひとつも質すことのないマスコミに何の存在意義があろうか? いっそ、芸能ゴシップ専門となれば良いのではないか?

 アベ政権では、新聞各社の経営陣と政権側が度々会食をしていたと聞く。スガ政権でも例のパンケーキ会食に報道各社が招待されたそうだ。呆れてものが言えない。マスコミよ、今一度己が使命を考え直した方が良い。

オリンピックは直ちに中止を

>2020/12/02

 今年初めのコロナ第1波は、中国の習近平主席の日本訪問と春節での中国人訪日客を当て込んで「水際対策」をしなかったのは明らかだ。多数の感染者と重症者、さらには亡くなった多くの人たちはこの愚かな政権の無為・無策・愚策の犠牲者であろう。

 今、「経済を回す」としてGOTOキャンペーンに政権は躍起になり、過去最大のコロナ第3波に対しても「エビデンスがない」とうそぶきながら、渋々一部の自粛策を認めたものの、GOTOを来年半ばまで継続するという狂乱的な施策を打ち出した。政権にとって、コロナ感染などインフルエンザ感染にも満たないほど小さな問題なのであろう。

 目的は明らかに東京オリンピックである。福島原発事故の汚染水を「アンダーコントロール」と大嘘をつき、灼熱の東京の夏を「アスリートにとって最適の季節」とさらなる嘘で固め、巨額な誘致工作資金をばらまいて実現したアベ・オリンピック。いかに「福島復興の象徴」やら「人類がコロナに勝った証」やらの美辞麗句を並べようとも、その目的は膨大な施設建設・整備のカネをかけたオリンピックの中止によるスガ政権の面子・威信の失墜を避けること、開催強行で次の総選挙と自民党総裁選を見据えた政治利用のためであることは余りにも明白なことだ。このGOTOキャンペーンもオリンピックの開催強行を見据えたものであろう。犠牲になるのはコロナ感染で肉体的にも精神的にも経済的にも苦吟する国民である。

 情けないのはマスコミと野党だ。もちろん派閥親分の顔色以外見ていない与党の無用な「陣笠代議士」は言うに及ばない。また、マスコミは権力の監視こそ社会的役割であるにも拘わらず、アベ以降、政権によってその監視の目を潰され牙を完全に抜かれ、今や政権にすり寄ってさえいる。政権とマスコミ幹部との会食など言語道断、恥と知れ。

 どの野党もまた、政策と不正を追及する能力を欠き、与党の横暴を許す補完勢力と成り果てている。若者の多くから外方(そっぽ)を向かれる野党がどこの世界にあるというのか。国政の調査能力なし、論戦での追求能力なし、未来社会への展望なし、希望を見いだせる人材なし。ため息しか出ない有様だ。

 ともあれ、コロナである。いわば病気の患者に向かって「働け、遊べ、食え、呑め、旅しろ、ただしマスクを忘れるな」と気合いをかけるGOTOキャンペーンは直ちに中止すべきである。予算を医療現場に回し、検査と治療体制を拡充すべきである。

 オリンピックは中止すべきだ。選手には申し訳ないが、日本はおろか世界中がコロナ禍で疲弊する中で華やかな舞台がそぐわない事を理解すべきだ。何よりも政権と一部利害関係者の思惑だけで実施されるオリンピックなど直ちに返上すべきだ。

日本版ファシズム-その2

2020/10/14

 「自助・共助・公助・そして絆」の「そして絆」は、まあ完全な付け足しだろう。「自助」が最初に来るのはけしからんと野党始め識者は見当違いな批判しているが、2番目になろうが3番目になろうが本質的には一向に変わりはない。3番目、4番目に来たからといって褒められるものではない。

 スガ総理は「国家の理念を持たない」と評されるが、実は全く違う。「自助」を掲げるスガはネオコン(ネオ・コンサバティズム、新保守主義)であり、ネオリベ(ネオ・リベラリズム、新自由主義)である。「自助・共助・公助」はそれのスガなりの解釈なのだろう。彼の目指すのはネオコンとネオリベに基づく国家である。いわば「新保守的自由主義国家」である。聞こえは良いが、行き着く先は現代におけるファシズム=「ネオ・ファシズム」である。スガ自身はそれに気付いてはいまいが。

 ネオリベ信者は、市場競争やそこで生き残る大企業とりわけ多国籍企業を重視し、それらがグローバルに活動しやすいように、規制や非合理性を廃し、あらゆる改革や自由化、民営化を断行すべきだと主張する。
 アメリカではレーガンの「レーガノミクス」、イギリスではサッチャーの「サッチャーイズム」、日本では中曽根の国定民営化を柱とする一連の「行政改革」、小泉純一郎の「郵政民営化」、最近ではアベ前首相の「アベノミクス」がそうである。

 これらのネオリベ信者たちによって、大企業、多国籍企業のための規制は緩和ないしは撤廃され、法人税率が引き下げられた。民営化促進によって国民サービスから利潤追求の大企業体ができあがった。(JR、JT、日本郵政、ゆうちょ銀行など)

 大企業が潤うことによって我々下々には「トリクルダウン」と称する「おこぼれ」があると喧伝された。だが、それは幻であった。いささかなりともしたたり落ちるおこぼれなどなかった。法人税率の引き下げの代価は消費税率の引き上げであり、財源確保のための社会保障費、教育費などの削減を生んだ。ネオリベによって国民が豊かになった国などひとつもない。民営化によるメリットはそのほとんどがデメリットとなって消えた。郵政民営化に際してはアメリカのハゲタカが暗躍し日本からカネを奪い取っていった。

 ネオコンは、ネオリベに基づいて国家を再編する。国民は自ら生きる術を得なければならない。今を、老後を、国を当てにして生きてはいけない。失業させない代わりに、大企業が雇いやすい非正規雇用が増える。学問ですら自由競争に貢献するものでなければならないし、武器研究・開発の禁止などを学者が唱えてはいけない。このため政府に批判的な日本学術会議などは無用であり、政府の御用学者の集まりに再編される。教育への政治介入が露骨さを増し、元総理中曽根の葬儀に、国立大学は弔旗を掲揚しろと強要するまで至った。
 「携帯料金の値下げ」、「ハンコの排斥」、「デジタル化」の推進に国民は飛びついているが、狙っているのは紛れもなくネオリベ政策の深化である。デジタル化は行政の効率化を通して時の政権者が行政を集中管理する体制を強化すると共に、マイナンバーの義務化を通して政府が国民の財産、消費などを確実に管理することを狙っているのだ。地方銀行の取り潰し、中小零細企業の見殺しなど以前にも増して経済再編が強化されていく。効率化、合理化の名の下にすべてが急ピッチで解体・再編されていく。ネオコンの恐ろしさがここにある。

 大企業、多国籍企業がグローバルに活躍するためには、国家は強大な軍事力を持たねばならない。強い国家こそ国際的な自由競争の勝者を生むのだ。伝統的に難民、移民を受け入れてきた欧米は、その排斥に舵を切った。偏狭なナショナリズムもまた大企業、多国籍企業の存続の条件だ。イギリスはECから離脱し、「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン(再び強いアメリカを!)」を叫ぶ大統領が生まれた。自国企業のためには国家間の対立を辞さない、否、敢えて対立を作る。米中対立を見よ!

 行き着く先は、間違いなく「ネオ・ファシズム」である。スガはアベ以上のネオリベ・ネオコン論者であり、戦後最も危険な指導者となるであろう。甘い砂糖に包んだ毒薬を見逃してはいけない。しかし、どの野党も識者も「ネオ・ファシズム」に気付かないでいる。そこがまた恐ろしいのだ。

日本版ファシズム

2020/10/05

 この10ヶ月近くのコロナ禍を忘れたわけではないだろうが、「GO TOなんちゃら」が大賑わいだ。函館もホテル、旅館が一杯だそうだ。朝市も賑わい、西部地区にはカメラ片手に観光客とおぼしき方々が多数見受けられた。
 「やっぱ、心配したけどGO TOって良かった」の声が聞かれる。ホテルも旅館も高額なプランほど先に売れるのだそうだ。カネの前にはコロナも霞んでしまうのか。

 スガ内閣の支持率が70%前後のようだ。安倍内閣の末期が30%で、その後継内閣を自称するスガ内閣がその2倍以上を叩き出すのは異様な気がするが、これが「ふわっとした民意」なのだろうか。

 別に役所のハンコくらい、内部で「改善策」を講じれば済むものを、大臣がテレビに出ずっぱりで抵抗を見せる文化庁いびりをしてみせる、これをテレビが喧伝する。携帯料金値下げについては、スガ総理自らがあたかも国家の第一目標であるかのように、これまた携帯大手三社を攻撃しながら披瀝し、それをテレビがまた喧伝する。値下げに絶対反対しない若者を声を多く集めながら。不妊治療への健保適用然り、政権とテレビが一体となっての茶番劇に「ふわっとした民意」が集まり、かくして支持率が馬鹿上がる始末だ。

 日本学術会議の会員候補の任命拒否は明らかに学問・研究の自由への国家権力の違法な介入であり恫喝である。だが、大手メディアはまともに取り上げようとはしない。次は、報道・メディア自体への国家権力の介入・支配になることをまさか忘れてはいまいな。もっとも、スガ総理とパンケーキ朝食会にのこのこ出かける方々だ。とっくに権力の監視・批判の精神などお持ちではないかもしれないが。

 学問の自由にまで手を突っ込んだスガ総理は、日本版ファシズムを静かに、しかし広範囲に渡って進めようとしている。生粋の「ネオコン(新保守主義者)」であり、あのイギリスの「鉄の女」サッチャーをしのぐ「ネオリベ(新自由主義者)」であるスガは、「田舎のとっちゃん面」でそれを糊塗しながら国民受けする政策で「ふわっとする民意」の支持を集めながら、着実にアベ以上のネオファシストとして進み始めた。

 国会を見てみると良い。
 総理になったにもかかわらず、コロナ対策が第一だと言いながら、国会を開こうともしない。まともに国会での記者会見に応じようとしない。合法的に選挙を通して国会で多数派となったヒトラーが、国会を翼賛会とし独裁を強め、やがて全体主義ドイツを作ったことを想起せよ。

 かつてドイツの牧師であり反ナチ運動の指導者だったマルティン・ニーメラーは、つぎのように述べた。

 「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから。
 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから。
 ---そして、彼らが私を攻撃したとき、 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」

我が物顔のオスプレイ

2020/09/16

 あの「オスプレイ」が、事前通告なしに北海道千歳市の航空自衛隊の千歳基地に着陸したそうだ。もちろん何の目的かなどは一切通知はない。

 在日米軍は「日本国内のどこにでも自由に基地を設け、日本の許可なく自由に軍を移動し軍事活動が出来る」権利を持っている。これは、日米安保条約、日米地位協定だけでなくおびただしい数の日米政府間の密約によって保証されているのだ。日本国内のどこを飛ぼうが、どこに降りようが、そこで何をしようが日本にお構いなく米軍が決めて良いのだ。

 日本人の多くは、「アメリカは日本を守ってくれるから仕方ない」と漠然と思っているが、在日米軍は日本を防衛するために存在しているのでない。アメリカの世界核軍事戦略の一端を担って軍事行動するために存在しているのだ。

 日本は独立国である。しかし、政治的にも経済的にも、もちろん軍事的にアメリカに従属した独立国である。「従属した独立国」は明らかに形容矛盾だが、これが日本の現状なのだ。

 政権が変わる。だが、日米の基本的な関係には恐らく変化はないだろう。アジアでアメリカが戦争を始めたとき、「日本軍』は在日米軍の傘下でアジア同胞に武器を向けるのだろうか。

すぐそこにある危機

2020/09/03

 長く、暗い7年8ヶ月だった。
 誰であれ病気には同情し回復を願う。だが、相手は苟も国家の指導者だ。同情だけで済ますわけにはいかない。6月から体調悪化と言うならば、なぜその時点で辞めぬ。国会から逃げ、記者会見での追求から逃げ、官邸での仕事はほんの2時間。「国難」を力説した当のご本人が国難から逃げるようでは国家の指導者とは言えぬ。
 だが、ほとんど無為・無能・無策な戦前回帰の「ぼんぼん」総理が政権をぶん投げたからと言って特別な感慨はないが、余りにも暗く重かった8年近い年月に正直疲れてしまった。

 次はスガだそうだ。アベ政治を継続させるのだそうだ。こんな時だけはアドレナリン全開の権力亡者のご老人たちが、密室で担ぎ上げた「スガ神輿(みこし)」に一体何を期待できようか。

 一方、野党はと言えば、「大きな塊」か何かは知らないが、かつて政権を自壊させた反省も謝罪もなく、その時と同じ老人の方々が、これまたアドレナリンを溢れさせて新党を結党するようだ。
 アベ・スガ政権と対峙するなら、はっきりした対立軸が必要だろう。にもかかわらず、原発然り、消費税然り、憲法然り、コロナ然り、日米安保然り、辺野古然り、一体何をどうしたいのかさっぱり分からない「塊」が出来そうだ。それはそうだろう。公約(あの時はマニフェストと言ったか)違反の突然の消費税増税を積極的に進め、時の政権党・民主党を空中分解させたた厚顔無恥の諸先生方が作る新党に一体何を期待しろというのだ。彼らは先ずは8年前の懺悔から始めるべきだ。

 与党と言わず、野党と言わずまことにお寒い状況だ。無党派層が大量に生まれるのは当然だろう。かくて、有権者の半分の半分以下でも政権をかくも長く維持できうるのだ。

 恐れるのは二つ。
 ひとつは、アベ亜流政権が悪無限的に続くことだ。時期総理になるだろうスガはアベ政治の継続を公言した。内政も外交も何一つ成果がないばかりか、ペテンまがいのアベノミクス、今年に入ってのコロナ対策など国力を弱体させたアベ政治がさらに続く。恐らくこの巨大与党が存続する限りは。
 もうひとつは、右派か左派の強いポピュリズム政党の突然の登場だ。我らはヒトラーのファシズム党・国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)を想起すべきだ。第一次世界大戦で敗北し、疲弊し窮乏したドイツ国民の不満を一気に吸収して議会で躍進したのは既成政党ではなくナチ党だった。ナショナリズムを煽り、反ユダヤの排外主義を叫ぶナチ党に国民は熱狂した。時の政権が無策・無為で国民の失望を誘い、反対党にも打開の希望を見いだせない時、超右派か超左派が生まれる土壌ができる。今の日本にその危険性がないとは誰も断言できない。それを恐れるのだ。

「独立国」日本の現実

2020/08/09

 我が日本は果たして独立国だろうか?

 「我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」とは、戦後のアメリカの対日政策の責任者であったJ・フォスター・ダレスの主張だ。1951年の旧安保条約、1960年の新安保条約と日米地位協定にもその考えは反映された。条文に出来ない部分は日米の多くの密約が補った。日本の再軍備を警戒し占領軍が作成した日本国憲法の第9条(平和・不戦条項)の制約を、朝鮮戦争を機に事実上反故にするためにそれらは必要だったのだ。

 日米合同委員会が毎月2回のペースで開かれている。日本からは関係官僚が出席し、アメリカからは在日米軍のトップがメンバーとなっている。主として日米地位協定の運用に関して協議することになっているのだが、軍事だけでなく政治、経済、教育など広範な協議が行われている(アメリカの軍人と!)。日本の「裏閣議」というべきこの合同委員会の全容が知らされることはない。

 安保条約、地位協定、密約、合同委員会のすべてがアメリカ駐留軍目的達成(日本防衛ではない!)のためにだけ存在し、ダレスの言う「我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」が有効に行使されている。あのオスプレイも含めて、日本の上空では日本の許可なくいつでもアメリカの軍事訓練が行われている。

 アメリカは世界各地に基地を持っているが、基地が治外法権(その国の主権が及ばない)なのは日本だけだ。未だに戦争状態にある韓国ですら、アフガニスタンですらそうではない。アメリカ軍人・軍属の犯罪に「寛容」なのも日本だけだ。

 沖縄に至っては、日本の国土全体の0.6%の面積に米軍専用施設の約70%が集中し沖縄本島の約15%を米軍基地が占めている。 軍人・軍属は風光明媚なところに小綺麗なアメリカ式の住宅を構え、特権階級然としている。基地は米軍の思うところに作ることが出来、辺野古建設のために沖縄の誇る素晴らしい海が無残にも埋め立てられている。

 ”在日アメリカ軍>日本”という不等式が戦後75年経った今も成立し、これからも続くであろう。「在日米軍は日本を防衛する」ということを信じ込まされてきた日本国民だが、アメリカの世界軍事戦略にすっぽり編み込まれているのが独立国・日本の現実である。

何が「日本モデル」だ!

2020/08/02

 GO TOトラベルは誰が見てもコロナ感染を全国に蔓延させているのは明らかだ。にもかかわらず、アベ総理はじめ政権の方々は、「重症者が少ない」、「医療は逼迫していない」、「経済を回さないと国が壊れる」などと強弁し、キャンペーンを止める気配がない。

 コロナでの死亡率が日本は低いと信じ込まされているが、実は日本はアジアの中では高いのだ。人口100万人当たりの死亡者数は、コロナ禍発祥の武漢を持つ中国が3.2人、感染者数が多かったはずの韓国でも5.9人、感染防止策が進んだオーストラリアが7.7人に対して日本は8.0人で自慢できるほど低いわけではないのだ。

 確かに欧米に比べて低いのは事実であるが、これは政権者が何か特別な対策をしたわけでは断じてない。諸説あるが、アジア人特有の遺伝的な要素、日本人のBCG摂取や清潔な生活様式などが関連しているのであって、無為・無策・無能なアベ総理ごときに「日本モデル」などとドヤ顔で言ってもらっては困るのだ。

 アップルやグーグルが公表する「移動データ」と感染者数の間にはかなり強い相関関係があり、恐らく今月20日前後には信じられないほどの感染者数になる可能性がある。その時に、まだ「死亡率が低い」だの「重症者が少ない」、「医療は逼迫していない」、「経済を回す」だのほざく政権ならもはや御用済みにしなければなるまい。

 だが、実際となると...。

「巣ごもり逃げ恥」作戦敢行中

2020/07/30

 懐に予備費10兆円をしまい込んだ我がアベ総理だが、「巣ごもり逃げ恥」作戦なんだそうだ。
 全国に拡散されるコロナウイルス、すでに第1波を越える第2波が襲ってきているにもかかわらず、「GO TO なんちゃら」を止めることもなく、コロナにどう立ち向かうかを示すこともなく、国会は閉めたまま休会中審議に顔を出すこともなく、本人が大好きな記者会見すら行わないのだから、やはり「巣ごもり逃げ恥」作戦を続けているのだろう。

 危機に際して先頭に立たない総理を戴く国民も気の毒だが、これを徹底批判し国民運動を起こしもせず、「党名がどうの、なんちゃらがどうの」と合併談義に明け暮れる野党の不甲斐なさ、政府に寿司やらフレンチをご馳走になったからか、はたまた恫喝を食らったのか、とんと政権批判をしなくなったマスコミが酷すぎて話にもならない。

 「こんな政府だったら、フランスでは革命が起こっていますよ」とフランス人記者が呆れて言ったそうだが、日本人は辛抱強いし、「お上」にはあまり逆らわないし「革命」どころか「抗議」の声すら上がる気配がない。

 だからだろう、ウイルスをまき散らす「GO TO トラベル」を「GO TO トラブル」と揶揄はするが、結構これが受け入れられ列島各地には観光客があふれる始末。「アベノマスク」が2百数十億円かけて再配布されようとしても、「そんなもんいらねえよ」位で済んでしまう。

 なんだろう、何から何まで劣化しているのだろうか。国民が悪いのだろうか、総理始め政治家が悪いのだろうか、マスコミの責任なのだろうか。

 いずれにせよ、コロナウイルスは日本列島全域に拡散されることは間違いない。第1波で心身並びに経済的に疲弊してしまった医療現場を何とか立て直し第2波、第3波に備えなければならない。だが、あの10兆円がここに回ることはない。かくて、恐れおののきながらいつか巣ごもり生活に逆戻り。その時、あのお方は「巣」から表に出て、どや顔で「国難」をわめき散らして票集めの算段をするんだろう。絶望してはいけないが、少し疲れた。

旧民主党政権幹部は引退すべき

2020/07/17

 アベ政権がかくも長く存続している大きな原因のひとつは野党の不甲斐なさだ。
 「一度はやらせてみたい」という大きな期待を受けて発足した民主党政権だったが、その後の迷走と分裂、おまけに野田が公約違反の「消費税増税」を打ち出し、破れかぶれの解散に打って出て民主党は大惨敗を招いた。これ以降、国民の多くは民主党に代表される野党に幻滅し、過半数が「無党派層」と化し、選挙をボイコットし、若者の多くは自民党支持に動いた。かくて、低い投票率の恩恵を受けて自民党は選挙を勝ち続け、「アベ一強」と呼ばれる状況を招いた。

 アベ政権がまともでないのは今回のコロナ禍での無為・無策・無能ぶりに端的に現れている。いつ倒れててもおかしくない政権を持たせているのは、反主流派を形成できない与党のだらしなさもそうだが、なんと言っても野党の体たらくだろう。

 その野党の立憲民主党と国民民主党が相変わらず「やれ党名がどうの、やれ何とかがどうの」と合併を巡って大もめする光景には絶望以外の何ものもない。不思議なのは、野田、岡田、枝野、管など民主党政権崩壊の「戦犯」たちが未だに何の責任も感じないのか、いけシャアーシャアーと仕切りたがっていることだ。あの政権の中枢にいた人間に必要なのは「引退」であって、新しい「民主党」には一切関わらないことだ。

 崩壊した民主党政権に関わらなかった若い人たちこそ「新党」結成の主役に相応しいし、これからの日本の政治の原動力だ。
 「現実的な政策」の枠にこだわらない、大胆、新鮮な政治理念と政策を打ち出して欲しい。

オリンピックは中止すべきだ 2020/07/15

 日本人はオリンピックが大好きだ。おそらく世界で一番好きなのではないか。スポーツ大国アメリカは金メダルを多数とる国だが、オリンピックにはほとんど興味を持たないようだ。それよりもアメフト、プロ野球メジャーリ-グ、バスケット、アイスホッケー人気が遙かに高いようだ。

 政界、財界、マスコミ、芸能界、とにかくすべてが一体となってオリンピックを盛り上げる。自分のようなオリンピック反対論者は「国賊・非国民」、「変人・奇人」扱いに近い。1964年の最初の東京オリンピックとその点では大きく変わってはいないようだ。

 だが、今度の東京オリンピックは必ずしも歓迎一色ではないだろう。もちろんコロナ禍である。日本は勿論、世界のどの地域でも感染が広がりオリンピックどころではない状況だ。来年開催できるなどと未だに言っているのはアベ一派とオリンピックと深い利害関係を持つほんの一握りだけだろう。

 そもそも、このオリンピックは招致の過程から欺瞞であった。誘致に力を持つものへの金銭のばらまきに始まって、アベのIOC総会での大嘘演説があった。曰く、「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。……」と。
 実際のフクシマは今も多くのタンクから汚染水が漏れまくり、山側から流れ込む地下水が汚染されて港湾に流れ込んでいる。「アンダーコントロール(統御)」ではなく完全に「アウト・オブ・コントロール(制御不能)」状態なのだ。「息を吐くように嘘をつく」アベは、こうしてオリンピックを引っ張る事に成功したのだ。

 さらに、このオリンピック開催のために多くの国民が犠牲になった。アベおよび「緑のたぬき」都知事とも、コロナ感染者数を人為的に押さえ込んで感染を拡大させた犯罪行為をなしたのだ。オリンピック延期とともに感染者数が飛躍的に増加したのは単なる偶然ではあるまい。それは、今でも続いている。「日本モデル」と称しての無為・無策の「コロナ対策」は、すべての責任を国民に丸投げしたものだ。アベがオリンピックを諦めない限り、国民の犠牲は続くだろう。

 東京オリンピックは中止すべきだ。例え多くのカネがかかろうとも国民の命と暮らしを犠牲にして開催することに何の意味がある?

都知事選に見る日本の「政治風土」

 2020/07/08

 東京都知事選は小池の圧勝だった。傍から見ていると、築地移転問題での迷走から始まって、「7つのゼロ公約」がすべて「達成ゼロ」になったことや、東京アラート、ステイホーム、ロックダウン、オーバーシュートなど言葉は踊ったものの、「自粛」以外に大したコロナ対策はなかったようにみえたが、東京の選挙民の方々はそうは思わなかったのだろう。

 投票した女性の61%が小池に投票したそうだ。女性知事だからということもあったろうが、他の候補者が女性から見て魅力に欠けていたのだろう。次点の宇都宮候補は人格、識見、政策はともかく高齢が避けられたかもしれない。山本候補は「過激」さが嫌われたかもしれない。小野候補は「よく知らない人」だからだったかもしれない。いずれにしても、選挙では女性から好まれる候補が優位である。

 ただ、これは東京だけでなく日本の特徴かもしれないが、選挙公約に対する無関心、あるいは、在任中の公約実行の是非など選挙の際にはほとんど無視されてしまうことが気になって仕方がない。前回の都知事選で小池が華々しく打ち上げた「7つのゼロ」はすべて未達成だったが、選挙民は大して気にしなかったようだ。築地問題も済んでしまったことにしてしまったようだ。

 選挙公約は形式であって、どうせ良いことしか言わないのだからその実現の是非などどうでもいいということなら、選挙は漠然としたムードやイメージで決まってしまう。あるいは、勝ちそうな候補に入れるのが支配的になって、何度選挙をしても何か前進するものがないように思うのは自分だけか?

 どうやら秋には衆議院の解散・選挙あるようだ。このコロナ禍の中でやるべき事が満載なのに、国会を閉めてしまっているにもかかわらず、その国会議員の選挙をする意味が分からないが、「北朝鮮のミサイルによる国難選挙」とか「消費税を上げないことの是非を問う選挙」とか、おそらく「大義名分」など何でも良いのだろう。「コロナ対策を自民党に任せるのか、まとまりのない野党に任せるのかを問う選挙」なのかもしれない。「コロナでの失敗を反省しています選挙」はふざけすぎか。

 アベノミクスは破綻、インバウンド需要は見込めない、北方領土問題は後退、拉致問題も後退、コロナ対策は迷走、迷走、後手、後手、「モリカケ」や「桜」は嘘と隠蔽が満載、にもかかわらず解散・選挙するのは、もちろん「勝てる」からであって、どうせ選挙民は公約とか政権が「やったこと・やらなかったこと」などどうでもいいと思っている、と高を括っているからだろう。もっとも、立憲民主党始めとする野党の体たらくは選挙民から見れば一票を入れる気にはなれないだろう。かくて、棄権者多数で政権与党が大勝利。

 してみると、政権党も野党も、そして選挙民も日本の「政治風土」にどっぷり漬かっていて、「改革」だの「変革」だのからほど遠い所にいるのかもしれない。

コロナ危機は去っていない

2020/07/03

 東京の1日のコロナ感染者がとうとう100人を超えた。
 「新生活様式」以外にこれと言ってないもしてないわけだから、当然予想されたことであり、おそらく東京の感染者数は増え続け、観光や仕事などでの移動が多くなることから、東京から周縁地域そして地方にも感染が拡大すること恐れがある。

 「コロナ対策と経済活動の両立」とはいうものの、コロナ対策はゼロなのが現状だ。  アベ危機「無管理」内閣は、「高い緊張感を持って」とか「危機感を持って」、「十分な対策を」とは言うが、西村担当大臣が「キレ気味」に、国民が努力しないからこうなるんだと言うようなことを言っていたように、また、小池某が「東京アラート」なるものがどこに行ってしまったのか、今度は「夜の街が、ホストクラブが、若い人が」と責任転嫁を図るなど、危機管理の当事者たちの無為・無策・無責任が露呈してしまっている。

 ワクチンと治療薬がない以上、最良の対策は「PCR検査」の積極実施と「感染者隔離」以外にはない。カネはかかるが、「システムデザインなんちゃら」や電通に出す巨額のカネの何分の一かで十分賄えるはずだ。にもかかわらず、政府も東京都も実際はその意志はないようだ。間違いなく、「東京オリンピック」の開催のためだろう。検査数増加による感染者数の大幅な増加が、来年に延期されたオリンピックの開催を不可能にしてしまうことを懸念しているに違いない。国民の健康・命よりもオリンピック開催が優先しているのだ。

 新たな「医療崩壊」が懸念される。第1波では、「マスク・防護服がない、病床がない、医療従事者が足りない、他の患者を診られない」だったが、今度は病院そのものの存続の危機だ。コロナ最前線で、感染の危機と向かい合わせで奮闘し、心身ともに疲弊した医療従事者、さらには病院の経営自体が危ぶまれている。

 「Go Toなんちゃら」に2兆円近くを注ぎ込む前に、電通に巨額のカネを渡す前に、病院、医療機器、病床、医療従事者のための施策が急務なのだ。何しろこの内閣は予備費として10兆円も抱え込んでいるのだ。やろうと思えば今すぐにでも出来るはずだ。にもかかわらず、放任するのは、ここでも経済が国民の健康・命よりも優先されているということだ。

 オリンピックなど直ちに中止せよ。医療体制を整備し、検査を大幅に拡大し、感染者隔離の設備と人員を確保せよ。命と健康が最優先であると知れ。

辺野古移設工事再開にあたって

2020/06/12

 沖縄にある米軍普天間基地の辺野古移設を巡っては、先の沖縄県議会議員選挙でも「移設反対派」が多数を占め、沖縄県民の相当数が辺野古移設には反対だという意思表示をしたように思える。だが、この県民の思いをあざ笑うかのように、政府・防衛省は4月以降にコロナで断していた移設工事を再開した。

 沖縄は、否、日本全土は日本固有の領土でありながら米軍が自由に使うことができるようになっている。その根拠は「日米安全保障条約」とそれに関わるいくつかの日米協定といくつかの「密約」だ。アメリカは日本国内のどんな場所も基地にでき、日本は格段の合理的な理由なしには、それを拒否する ことはできないことになっている。

 そればかりではない。米軍はその基地から世界中のどこに対しても軍事行動を起こすことができる。もちろん日本の許可など不要だ。米軍が日本に駐留するのは日本を防衛するためではない。アメリカの世界軍事戦略・戦術に基づく軍事行動のためだ。移転後の辺野古に駐留するのは海兵隊だが、この軍隊の目的は日本国外の戦場に最初に駆けつけことだ。辺野古基地が日本を防衛するためではないのだ。

 沖縄だけが特別なのではない。旅客機が飛び交う日本の空を管理しているのは日本政府ではなく米軍なのだ。東京の空の半分は「横田空域」として米軍が管理し、許可なく飛ぶことができない。このため、羽田発着の航空機は横田空域を避けるため複雑な航路を通っているのだ。他にも「岩国空域」、「沖縄空域(元嘉手納空域)」があり、広島を訪れたオバマは岩国空域を使ってオスプレイに守られながら着陸したのだ。

 「平和憲法によって日本は交戦権を持たない。だから、米軍が用心棒となって日本を守ってやる。その代わり基地と空を自由に使わせろ。」「うーん、仕方ないなあ」おそらく日本人の大多数がそう思っているはずだ。さらに、「遠い沖縄で何が起こっても自分には関係ない」なのかもしれない。

 しかし、独立国でありながら、日本が支配の及ばない領域を米軍の自由使用に任せ、そこから米軍は世界の紛争地に出撃していく。その中身については我々は全く知らされることがない。意図せざる戦争への「加担者」となるのが日本である。辺野古移設工事再開を機に、少なくともその事の是非を判断すべきではないだろうか。

コロナ禍で進む「アトム化」

2020/05/20

 現代社会の大きな特徴は「アトム化」だろう。
 個人と社会、個人と周囲の人とのつながりが希薄で、個々人は孤立感・孤独感・疎外感を感じながら生きている。アトム化は、隣近所に誰が住んでいるか分からない都会ほどその傾向が強い。

 コロナ対策の「自粛」戦略は、実は国家による積極的なアトム化とも言えよう。
 マスクという仮面の下の表情を窺うことができない。2メートルもの距離を取った会話が親密であるはずがない。社会から人との交わり、人の集まりが消えた。狭い空間に閉じ込められ、息を潜めながら為す術もなく事態の推移を見守るだけの生活。接触8割削減、ホームステイ、ソーシャル・ディスタンス、テレワークなどなど、あっという間にこれまで経験したことがない極限のアトム化が起こってしまった。

 アトム化と同じように深刻なのは生計を維持する困難さだ。
 外で働くことができない、お店には自粛でお客さんが来ない、国からはほとんど全く支援のためのカネが出ないのだから当然だ。政権者たちは運動会と勘違いしているのか?「辛抱だ、頑張れ」を繰り返すのみなのだから。マスクを二枚もらったところで(まだ届いてはいないが)腹の足しにもならない。感染拡大の第2波、第3波でもアトム化と生活困難が強いられる。絶望のため息しか出ない。

 アトム化、生活困窮に追い打ちをかけるのが子供たちの教育放棄だ。
 3月始めには、何の根拠もなく「全国一斉の休校要請」が出され、子供が学校から閉め出され家庭に巣ごもりさせられてしまった。(この無駄な1ヶ月間の休校が諸悪の根源となった!)子供たちへのの公的教育は宿題だけになってしまった。
 最近になって「9月入学」で大騒ぎしている知事さんたち、自称教育評論家諸氏、政治家先生たちは、休校中の公的教育を守るために一体何をしてきたのか。無為・無策の文科省も「9月入学」に逃げ込んで自らの責任を放棄しようとしている。「コロナで目一杯だっで、とても教育どころではなかった」と言いたいのか!言語道断である!

 これから政権者は現下のコロナ根絶対策など国民の生活防衛などは眼中にはなく、実施できるはずのない来年の東京オリンピックと「新しい生活様式」やバラ色の「アフターコロナ」へと国民の目をそらし、政権維持だけにに汲々とするだろう。彼らには、社会がアトム化の進行で分断され、生活が困窮が進み、教育が停滞する自体の解決など望むべきもない。

 だが、その解決を託すべきものがないのが国民にとって最大の不幸なのかもしれない。

「9月入学」への逃げ込みを許さない!

2020/05/08

 大阪の吉村知事はイメメン、発言の歯切れが良く具体的、少し政権に楯突くところが痛快、将来は総理かも、と全国的に人気を集めてる。

 政府のコロナ対策があまりにも怠慢、稚拙、無責任なので、今は政権への批判がいささかトレンドとなっており、彼は「コロナ禍時代」の寵児といった感がある。

 で、その吉村知事が盛んに唱えているのが「9月入学」論だ。
 「グロ-バル・スタンダード」と言うのがよっぽど格好良いのか、彼も含めて「9月」論者たちでこの言葉を使わない人はいない。「9月入学」は「国際標準」なのだ、と。

 「今を逃したらもう実現のチャンスはない、本年度から即刻採用しろ」と詰め寄る人がいるが、大方は「来年からでもいいんじゃない」なようだ。

 自分は、「ドサクサに紛れて」というか「火事場のこそ泥」というか、「9月」論者たちのこの姑息さが先ず気に食わない。それに、「グロ-バル・スタンダード」でなければならないかのような言い草が気に食わない。

 それはさておき、「9月入学」論者たちの言うところは次の2点のようだ。

その1
  長引く休校で、学習環境の格差が教育格差(学力格差)を生んでいる。これを解消するには、9月まで入学・進級を延ばしてみんな平等に同時に始めるべきだ。

その2
欧米・中国は「9月入学」で、これがグローバルスタンダードなのだ。日本もこれに従え。グロ-バル化はええぞ。

 その1については、論者たちに怒りを禁じ得ない。
 9月入学論をぶち上げているのは吉村氏始め都道府県知事が多いようだ。実際に公立学校を管理しているのは各自治体だから、休校措置で教育格差・学力格差が生まれていることを危惧しているのだろう。

 これを解消することに異論は全くない。それどころか、自分は政府・与野党の政治家諸氏が、今の今まで休校中の子供の教育を一体どうするのかについてほとんど何もしてこなかったことは「教育放棄」だと言い続けてきた。

 しかし、その解決策が果たして「9月入学・進級」なのであろうか?
 「コロナ禍で休校しているのだから、教育放棄は仕方がない。格差を生むくらいならみんな勉強をするのを一斉に止めて9月から平等にやろう」となるのだろうか? 
 「日本中の小・中・高生はあと4ヶ月間はボーとして家に引っ込んでいろ」ということなのだろうか? 
 つまり、「部活もすんな、勉強もすんな、9月になったら良いことあるぞ、みんな横一線の平等なんだぞ」なのだろうか?

 知事さんたちは、休校に万策尽きたのだろう。
 宿題を出すだけの休校対策をただ眺めてきたのだろう苟も自治体の責任者である。完全に責任の放棄である。「いやあ、色々やってますよ」と言うなら、その成果を見せて欲しい。

 自分は、全国の全生徒がオンライン授業を受けられるように国と自治体が予算を組むこと、それまではNHKを利用して教科書を使った授業をすることを提案してきた。
 各学校の先生方に加え、全国の予備校・学習塾に全面協力させたっていい。彼らは、各地方の実情をよく知っているのだから、それぞれの地方に合わせた授業をNHK地方局が制作(実際はライブ中継)すればいいだけなのだ。NHKの資源を使いはするが、特別にカネがかかるわけではない。

 優秀な知事さんたちなら、自分ごときの提案よりも数段素晴らしいことを考え、実践して来られたのではないか。

 そもそも、9月に先き延ばしたところで格差はなくならない。それどころか、各地域、各学校、各家庭の学習環境に変化はないので、9月まで格差が一層開くだけだ。

 

 これを避けるためには、「みんな9月まで絶対に勉強すんなよ」と強要し日本を教育停止状態にするか、カネを工面し知恵を絞って、今、目の前にいる生徒たちにできるだけ普段と変わらない教育の機会を保障する以外にない。勉強を奪う「9月入学」など対策どころか愚策以外の何物でもない!

 第二の理由の「グローバルスタンダードだから9月入学」については、あまりにも馬鹿げていて論ずる気にもなれない。

 論者たちは盛んに「グローバル化」の必要を説くが、欧米・中国に合わせることがなぜ国益になるのかが自分には分からない。行く行くは、政治・経済・文化・教育のすべてをグローバル化しろと言うことになるのだろうか。政治・経済の欧米・中国化? 文化・教育の欧米・中国化だって? 一体この人たちは何を言っているのだろう?

 論者たちは留学の利点を挙げる。9月入学にすると欧米・中国と同時期になるので、、海外の大学から日本の大学へ、日本の大学から海外の大学への留学にとって都合が良いと。
 海外から日本の大学への留学が進まないのは、入学時期が合わないからではない。日本の大学・大学院の授業は基本的に日本語だ。留学生にとって授業を受けられるだけの日本語能力をマスターしないことには話にならないのだ。逆も然り。日本の大学生のほとんどは外国語の習得が十分でないから、いきなり海外の大学には行けないのだ。むしろ、3月に卒業して、半年間、留学先の語学を研鑽し、生活費や学費を稼いでからでないとほとんどの日本人には留学は無理なのだ。
 かくして、9月入学を歓迎できるのは一握りのエリートたち、おそらく1%にも満たない大学生だけだろう。事実、海外の大学で学ぶ日本人は極めて少ない。

 それだけではない。日本の大学の教育・研究レベルがあまりにも低すぎて欧米からの留学生を呼び込むことができないのだ。権威あるイギリスの教育専門誌『タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)』は、研究の影響力や国際性などで世界の大学の順位付けをしているが、ベスト100に入るのは東大(36位)、京大(65位)だけで、他は200位以下に沈んでいる。中国の精華大(23位)、北京大(24位)、シンガポール国立大(25位)、香港大(35位)、韓国のソウル大(64位)とアジアの中でも後れを取っているのだ。

 日本の大学のレベルの低さは「9月入学」ではないからではない。大学の教育・研究のためにかけているカネがあまりにも低いからだ。国立大学を「大学法人」にして以来、政権がやってきたのは徹底的に大学の予算を削ることだった。日本の大学を「グローバルスタンダード」にするためには、世界の有名大学と同様にカネをかけることが必要だ。世界に誇るiPS関連の予算すら削るほどなのだ。こんなカネのない大学に世界から学生が集まることなどないのだ。大学にカネを使ってこなかった歴代政権が、一体どの口で「グローバル化のための9月入学の検討に入る」などと言えるのだ!

 今必要なのは、目の前の休校中で所在のない生徒たちに向かって「みんな、格差を生むから9月まで勉強すんな」ではない。繰り返すが、カネを使い、知恵を集め、生徒に教育を保障し勉強をさせることなのだ。グローバル化というなら、「日本はコロナ禍で疲弊しているにも拘わらず子供の教育だけはしっかり守った」という事実とその誇りを世界が評価することなのではないだろうか。

「グローバルスタンダード」が一体何だ!

2020/05/01

 昨日の『塾長ブログ』で、現在の教育放棄状態を是正するために二つの提案をした。

 一つは、オンライン授業を小1から高3までの全生徒が受けられるように、生徒のためのネット環境と端末配布に予算を充てろだった。
 今ひとつは、休校中の措置として、主としてNHKの教育放送とBS、できれば民放のテレビを利用して授業を配信せよ、ということだった。

 

 コロナ禍で、簡単に子供たちを休校させ、各自治体に丸投げし、基本的には宿題だけで済ませている今の教育の状態は明らかに国家による教育の放棄だ。日頃、「子供は国のかけがえのない宝だ」、「グローバルな時代の教育改革だ」などという大言壮語する政治屋どもが、危機に際しては教育などそっちのけになっていることに怒りを禁じ得ない。

 何もしない政治屋どもが動いたのは、宮城県知事が「9月入学」を打ち出し、これに多くの知事が賛同してからだ。もちろんあの「緑のたぬきおばさん」知事も「もともと9月入学論者だった」と、これに加担した。「○○ママ」なる教育評論家もそのひとりだ。長期休校時の子供の教育を実際にどうすべきかにだんまりを決め込んだこの御仁は、9月入学に俄然元気づいたのだ。

 さらに、驚くべきは、コロナ対策の無為・無策ぶりが批判されてきたアベ政権が直ちに反応し、「来年からの9月入学」を打ち出し実現に向け動き始めたのだ。

 何かおかしい。明らかに連動している。
 3月初めの突然の全国一斉休校要請の是非を何ら吟味することなく、「緊急事態宣言」発令でまたもや休校を要請し、その間の教育については何もしなかったことを、政府・一部自治体が評論家やら御用学者、一部芸能人を巻き込んでの「9月入学」の大合唱でチャラにしようとしたに違いない。

 考えてみよう。「9月入学で仕切り直し」とはいうが、それまでの5ヶ月間はどうなるのだ。所属もない、学年も宙に浮いた生徒たちはぶん投げられたままにに違いない。教育放棄は続くのだ。

 来年になっても事情は何ら変わらない。
 どういじっても、今の休校期間中に何も教育できなかったツケは永遠に残ったままなのだ。「半年間の教育放棄」を誤魔化し覆い隠したまま次の教育を考えることは無責任であり、破廉恥である。

 おそらくオリンピックは中止だろうが、仮にに開催された場合、大学受験は6月から7月になるので、東京の大学を受験する生徒はその騒動のさなか、宿泊するホテルもない状態で受験するのだ。

 先ずは今の子供の教育をどうするか必死に考えて欲しい。オンラインもテレビもダメだと言うなら、対案を出して欲しい。知事さんも目の前の子供を見て考えて欲しい。政権党だけでなく野党の皆さんにも考えてほしい。

 別に「グローバルなんちゃら」が偉いわけではない。
 「アメリカ、イギリス、中国が9月だから」「グローバル」なのか?
、「留学生が集まりやすい」から? その前に予算を削りっぱなしの今の大学を何とかしろ、日本の大学のランクが極めて低いのは「9月入学」ではないからだ、とでも言うのか?

 「グローバルスタンダード(世界標準とかなんとか言えよ!)」でないことを恥じる前に、今の教育放棄を恥じて打開策を早急にとるべきだ。

政権は末期状態、マスコミも終わっているかも

2020/04/18

 残念だが、我が国首相には国のリーダーとしての資格がないようだ。

 昨日の記者会見での冒頭、安倍さんはこう言った。
「3月の三連休における緩み、都市部から地方への人の移動が全国に感染を拡大させた可能性があるというのが専門家の皆様の分析です。」

 完全に間違っている。
 確かにあの3連休の緩みが二つめの感染拡大につながったかもしれない。しかし、元はと言えば、武漢での感染爆発があったにも関わらず、春節で日本に訪れる中国人観光客などに何の制限を加えることなく入国させ感染爆発のきっかけを作ったのは安倍さんの責任ではないのか!
 来日予定の習近平に忖度し、インバウンドがカネをお落とすことことを当て込んで、春節で大勢やってくる中国人観光客などの来日を大歓迎し、「水際」での感染防止に失敗したのは安倍さんだったのではないのか!
 国民の命よりもカネと自分のメンツを選んだのは安倍さん、あなたですよ!
 しかも専門家を持ち出して「三連休犯人説」を正当化し己の責任をひた隠しにするとは姑息なり!

 一律10万円支給については、陳謝の構えを見せたものの、全国一斉の緊急事態宣言を発令したからだと強弁してみせた安倍さんには「己のメンツ」以外のなにものもない。

 安倍さんの頭の中には、アベノミクスなる「張り子の虎」の様な実体のない経済の維持とオリンピック開催があるだけで、コロナ禍で苦吟する国民などただのひとりも入っていない。
 安倍さんは「10万円支給」が緊急経済対策だと言う。だが、諸外国がそうであるように、この支給は「コロナ感染拡大防止対策」なのだ。感染を拡大させないために国民が外出自粛することに伴う国民の精神的・金銭的負担に充てるものなのだ。アベノミクスなるものを維持するためのものなのでは断じてないのだ。このことひとつをとっても安倍さんの頭の中にあるものが分かるだろう。そう、経済=アベノミクス維持なのだ!

 もっとも、記者会見での記者諸氏の質問も、誰に忖度しているのか、迫力がないことこの上もない。トランプ大統領と打打発止(ちょうちょうはっし)と渡り合い、時には大統領を激怒させるまで追求するアメリカの記者が頼もしく見えるのは自分だけか。政権を監視し、政権を批判することを放棄したマスコミは国民にとって不幸である。

政府が国民の命と生活を守ることを放棄したとき

2020/04/13

 北海道が2度目の緊急事態宣言をし、札幌市が再び小・中・高の休校要請をすることになった。やっと新学期が始まったばかりなのに、一体何をやっているのかと思ってしまう。

 

 コロナ禍については、政府の初動の遅れ(水際対策の怠慢)、クルーズ船対応の過ち、PCR検査の不備、感染拡大への対処の不備・怠慢など現在のコロナ感染拡大の大きな原因となっている。

 突然の全国一斉休校要請に始まり、例のアベノマスクの配布、中途半端、全くザルな「緊急事態宣言」の発令など、この政権が真剣にコロナ感染対策をしているとは思えない。

 さらにはGDPの20%にあたる108兆円の「緊急経済対策」なるものを超ドヤ顔で発表して見せたが、この中の実際にGDPを押し上げる「真水(まみず)」部分が、せいぜい16.7兆円程度、GDPのわずか3%に過ぎないことが暴露され、しかも、対策の目玉であるはずの「現金給付30万円」なるものが、どんな手続きで、いつ、誰に、どんな方法で支給するのか誰も理解できない代物であることが明らかになるにつれて国民の不安と不信が募る有様だった。

 諸外国が直ちに一律で国民に相当な金額を支給し、外出禁止のための国民の理解を得やすかったのに比べて、日本政府の現金支給策は、なんともお粗末な、国民を馬鹿にしたやり方であることは明らかだ。

 誰もが分かってきたのは、この政府は感染拡大を押さえ、なおかつ国民の生活を守ることが大事なのではなく、ほぼ全部を国民に丸投げし、ウイルス禍の後に(一体いつなのかは分からないが)やってくるであろう「経済のV字回復」の夢想とオリンピック開催しか念頭にないのであろう。「経済の安倍」、「オリンピックの安倍」の名を残すだけに政権はしがみついているのであろう。

 「接触者を7割、8割減らせ」といくら号令されても、今や国民の多くは過大な「自己責任」を課されたとしか思えないし、完全に政府の責任放棄だと実感している。

 あまりにも遅すぎるが、今からでもできるのはPCR検査を希望者全員に実施すること、全国一律に一人当たり20万円を支給し、全国一斉に外出禁止を徹底することだ。「希望者全員に検査したら医療崩壊が起こってしまう」などど政権担当者とその取り巻き官僚たちが声高に言うが、それを解決するためにあなたたちは高いお金をもらっているのだろう!「20万円なんて払えない、26兆円も借金することになる」とおっしゃるが、これまで平気で1000兆円もの借金(国債)をしてきたのだろう、いまさら何を言ってるのか!お魚券、お肉券、旅行券、グルメ券などと、今必要でないものにカネを使う余裕があるならばできるはずだ!国民には何もしないで、出勤を7割減らせ、人と会うな、は通る話ではない。国民の命と生活がかかっているのだ。

マスク2枚もだ、ありがたく思え

2020/04/02

 「補償を伴わない自粛要請」が批判の的になっている。
 なるほど、自粛は「要請」なのだから、それを受け入れるかどうかは各自の勝手か、ならば補償など要らぬ訳だ。アベとその忖度官僚の考えそうなことだ。

 中国に次いで感染が早期に確認された日本が、なぜこれほどまでにコロナ対応が遅いのか。国家の危機に際して政権者に必要なのは、「いち早く」「かつわかりやすく」「目に見えるような」対策を取ることだ。あのトランプですら、コロナ感染の広まりに気づいた後で、それを実践して見せた。しかし、アベとその取り巻き連中は、「異様に遅く」「抽象的・情緒的に」「さっぱり分からない」言辞を弄するだけだ。その挙げ句、マスクからも分かるどや顔のアベから出てきたのが「全世帯への2枚のマスク配布」とは、笑止!

 なるほど彼らは、「困っている人たちのために」と低金利・無金利での融資なるものを打ち出した。客足が遠のき、売り上げ減で倒産の縁にある中小零細企業主にとっては飛びつかざるを得ない。しかし、「貸してやるから必ず返せよ」が融資の正体だ。となれば。自己責任でこのコロナ禍を乗り切れ、と言っているに過ぎないではないか。

 彼らの頭の中にあるのは、コロナ禍に苦しむ国民大衆ではなく、第一に来年に延長されたオリンピックのための費用を確保すること、第二に、支持基盤である大企業をコロナ禍の損失から守るための費用を確保すること、第三に、このコロナ禍を絶好の政治ショーに利用することに他ならない。誰もがくつろぐ土曜日の夕方に、愚にもつかない「決意表明」を繰り返すだけの姿に、情けなさと共に怒りがこみ上げてくる。

 国は真剣に立ち向かわないこのコロナ禍を「自己責任・自己負担」で対処しなければならない国民大衆の一体誰が、アベの唱える「世界の真ん中で輝く日本」に同調できるのか。

 また、アベだけではない。すべての野党の皆さんにも呆れてものが言えない。なぜ共同して国民救済のための具体的提案ができないのだ。民主党政権崩壊以来、政治に愛想を尽かした国民大衆も今なら支持できるかもしれないのに。マスク2枚が美談に見えるようになったら野党もおしまいだ。

「世界の真ん中で輝く」日本?

2020/03/26

 コロナ禍はまだまだ続くだろう。
 欧米の感染拡大で、日本政府の初動の酷さが隠されてしまっている感がある。感染者数が増えないのは単にウイルス検査を故意にセイブしているに過ぎないのだが、我が国民は寛大なので、基本的に「国民丸投げ」の「コロナ対策」を受け入れてしまっている。

 アメリカが総額220兆円の「コロナ対策予算」を成立させるそうだ。国家予算を超え、GDPの10%になる大型の予算だ。使い道が気になるが、おそらくは企業支援にほとんど回るのだろうが、やれ、一人当たり10万円を検討とか、やれ現金より商品券だとか、なんともみみっちいおカネの話を、しかも一体いつになるか分からない話を小出しにしている日本よりはまだまともに見えてしまう。例によって「僕、やってます」感を出していたいあのヒトの指示だろう。

 コロナ禍にどう向かうか、ワクチンも治療薬もない状態での治療は確かに難しい。だが、国民の多くjの心配は、「自分や周りが罹っていないのか」という不安だろう。少し熱が出た、咳が続く、熱が出た程度では検査は拒まれてしまう。まずは、自由に検査を受けさせるべきだ。

「感染者が多いと医療崩壊になる」としたり顔で言う専門家がいるが、要は、感染しても重篤ならないから病院に来るな、検査はするな、といういうことだ。専門家が聞いて呆れる。この方々は国民の不安などどうでもいいのだ。検査をしてその後どう対処するのか考えるのが専門家の仕事だろうに。

 依然として昨今の「教育の放棄」については話題にすらならない。長い休校で、ゲーム三昧、スマホ三昧、宿題くらいで教育が成り立っていると言えるのか!オリンピックの延長を取り上げる前に、なぜ国にとって最も大事な教育を論議しないのだ! なぜ教育関係者は発言しないのだ! なぜマスコミは取り上げないのだ!

 カミュは『ペスト』で、ペストの発生から終焉までの人間の言動を描いたが、危機に際した時にその人の本質が分かる。教育をぶん投げ、コロナ禍でその日の生活に事欠き、雇用に苦しむ国民に即座に手を差し伸べない国が「世界の真ん中で輝く」ことなど絶対ないだろう。

現状は教育放棄だ!

2020/03/18

 コロナ禍の日本、もちろん感染拡大を抑え、感染者の治療に努力するのは当然だし、落ち込む景気をどうするか、休業補償をどうするかは重要であるのは言うまでもない。

 しかし、どうしても解せないのは一斉休校中の小学生、中学生、高校生の教育・学習をどうするかについて一顧だにされないことだ。

 どうも大人の都合だけで、子供たちの教育を押っ放り出している現状に我慢がならない。今の状態は日本という国が教育を放棄しているということだ。「今はそれどころではない」とでも思っているのであろうか。もしそうであるならば、先進国を名乗る資格すらないし、「教育改革」などまともに取り上げる資格すらないように思う。

 家庭に子供を押し込んで、ゲーム三昧、スマホ三昧、宿題ドッチャリが果たして教育か? じゃあ、どうすれば? その前に、休校中の教育をどうするかなど考えずに休校にしてしまったの? マスコミを含めて、休校中どうするかの問題提起があったのか? 

 まだまだ休校は続く。まず、教育放棄の現状を認識し、国、社会、学校、家庭、専門家、教育機関の総力を上げて議論し、方策を講ずるべきだ。我ら予備校屋も全面的に協力したい。

カミュの『ペスト』が売れているそうです。

2020/03/02

 コロナ禍はいつ終焉に向かうのか誰も見当すらつかない。
 コロナ感染の拡大が、「嘘、高慢、誤魔化し、はぐらかし、ねつ造、そして隠蔽」の政権の末期と重なったことが悔やまれる。

 習近平の国賓待遇での訪日を忖度し、政権唯一の成果である「インバウンド」の増加の中心である中国からの観光客の入り込みを優先して初期の「水際対策」を放り出したのが最初の過ち。
 クルーズ船内に乗客・船員を詰め込んだまま感染の温床としてしまったのが第2の過ち。専門家の意見を一顧だにせず、社会の混乱などそっちのけで、「私、やっています」を演じた全国一斉休校を要請したのが第3の過ち。マスク不足、消毒液不足などの混乱に率先して手を打たなかったのが第4の過ち。
 そして、最大の過ちというよりは、政権の本質を露わにしたのが「ウイルス検査」の意識的な制限に他ならない。現に、北大の西浦教授は、まともに検査していたら感染者数は公式発表の10倍になるだろうと予測している。

 ウイルス検査制限策を選んだ政権の狙いはオリンピック開催以外にないだろう。意図的に感染者数を少なくし、「日本は安全です、感染者はいないです」を打ち出したいのだ。福島原発を「アンダー・コントロール」=「制御している」などと嘘八百を並べてオリンピックを誘致したアベ政権のやりそうなことだ。

 この政権には「国民大衆」など眼中にない。
 オリンピック開催と憲法改悪の政治的的野心のために政権を維持することしか関心はないのだ。しかも、このためなら国民生活の混乱など取るに足らないばかりか、政権を批判する良心的マスコミにすら「恫喝」や「規制」を加えるのだ。「こんな時期だから政権を批判しないでまとまろう」という一部の阿倍シンパと「ネトウヨ」が加勢を始める。まるで戦時下の大政翼賛会の再来ではないのか!すでに日本は「独裁国家」へと変質を始めたのか!

 中国・習近平共産党政権も「嘘、高慢、誤魔化し、はぐらかし、ねつ造、そして隠蔽」では日本の政権に負けてはいない。武漢から始まったウイルス拡散について、国内外に向かって一言の反省も謝罪もない。武漢を強権的に封鎖し、市民生活を崩壊のどん底につき落としたにもかかわらず、食料・物資は十分だと強弁し、腰巾着のWHOの報道官をも使って、さもコロナウイルス感染が縮小しているかのように演出している。

 ところで、アルベール・カミュの『ペスト』は、戦後間もなくの作品だが、確かに今の状況と似ている。最初はペストに無自覚、やがて混乱、裏切、密告、相互不信、現実逃避、離別そしてペストと戦うための連帯、やがてペストは終焉に向かう。今のコロナウイルス危機と重ねて読む人が増えているそうだ。主人公の医師リウーが「市民が死滅させられる危険がないかのごとくふるまうべきではない」と役人を強く批判するが、日本と中国の政権者に聞かせてやりたい。

 『ペスト』を読んだのは大学時代だった。あれからもう何十年も経った。鮮明な記憶はないが、部分的に思い出すことがある。自称カミュ派と自称サルトル派の論争に加わった。そういう時代だった。
 カミュは、ペストとの戦いに勝利した人間を祝福はしない。カミュはペストは避けられない「不条理」の「悪」であって、この「悪」には終わりがないからだと言う。カミュの言う「悪」は細菌やウイルスだけではない。カミュが体験したナチズムもそうだ。人はその「不条理」から逃れることはできない。無自覚にペストに感染した人間は、無自覚にほかに感染者を作る。ここで、自らが「不条理」な存在となる。ナチズムの拡大もそれと変わりはない。

 ペストもナチズムも強権政治も「悪」は消えることがあるが、それはいたるところに潜んでいていつかまた姿を現す。人が忘れた頃、教訓とその時の不幸を思い出させるかのように。しかし、「不条理」な「悪」から逃れられない人間、それ自身が「不条理」な存在となる人間をカミュは愛す。カミュは、人は、絶え間ないあらゆる「不条理」という「悪」に、警戒心をもって、理性と人間性と静かな抵抗・批判・反抗・連帯感をもって立ち向かう他はない、と言っているように思えた。『ペスト』の医師リウーのように。

中国と日本政府には憤りしかない!

2020/03/02

 パンデミック化している新型コロナウイルス感染症、世界中で3千名以上がお亡くなりになった。その大部分が中国で、2912名の死亡が公表されている。

 中国は武漢を封鎖するという強権発動で、感染者が減少しているとのことだ。もし、本当だとすれば、発生当初の隠蔽工作、情報統制で対応が後手後手に回ったのが悔やまれるし、憤りを覚える。数多くの国民大衆の犠牲を経なければ対策できないのではとても「人民の国家・政府」を名乗る資格はない。

 日本の政権も似たようなものだ。今回のウイルス禍で何か具体的なことをやったのだろうか。感染が広がった1月30日になってようやく対策本部なるものを立ち上げたものの、小泉、萩生田、林などの閣僚は地元の新年会などで堂々と欠席する有様。どだい、彼らに真面目な対策など取れるはずがない。

 「日本の感染者数が諸外国に比べて少ない」などと脳天気な発言から始まったアベ総理の記者会見。
 情報隠蔽と、無策で感染を広げてきた不始末を何ら詫びることなく、臆面もなくウイルス感染の広まりが大したことになっていないように強弁するこのお方の眼には、感染に苦しみ、感染の危機におびえる国民大衆は一人も映っていない。
 わざわざ土曜日の夕方に一体何を言うかと思えば、「一斉休校」ときた。このお方は「教育改革」などと声高に言うものの、実際は教育などに全く関心がないことが分かる。休校期間中の教育・学習について一顧だにしないのだ。一ヶ月もの間の子供の教育については一切関知しないのだ。勝手にやっていろというわけだ。教育を放棄する国・政権とは一体何だ!

 要は、政府は子供を守れないから、親がなんとかしろということなのだ。ついでに会社もごちゃごちゃ言わずに協力しろということなのだ。
 「いやいや、政府だってやりますよ、予備費が2700億円あるから、これを子供の面倒で働けなくなる親や会社や学童保育を支援します。2700億円ですよ!気前がいいでしょ!!」 冗談ではない!わずか国民一人あたり2500円だ、パートの休みで失う報酬がこれで賄えると、会社が被る損失をこれでカバーできると、本当にお思いか?これを”どや顔”で胸張って言うアベ倍総理は精神がまともなのだろうか。ついでに、アベ総理がお嫌いな韓国は、1兆8千億円のウイルス対策費を出すのだそうだ。恥ずかしくないか?アメリカの言いなりに要りもしない戦闘機やミサイルを買うのは平気なお方なのだが。

 かくて、学校に行けなくなった子供が学童保育などにあふれる。この人手不足、施設だって広いわけじゃない。まさか、学校は感染の危険があるが、学童保育なら感染の危険はないとでも! なるほど、そこで感染しても政府の責任ではないという逃げ道まで準備したとは!

 政権が恐れるのは、感染者数が増えオリンピックが中止に追い込まれること、訪日外国人者数が減ることなのだ。「幸い、感染しても致死率は低く、自然に治癒するケースが多い。だとすれば、検査を規制して感染者数を押さえ込もう」、おそらく政権はそう考えたことだろう。韓国では誰でも希望者は感染チェックができる。すでに1万5千件の検査を行ったそうだ。結果的に感染者数は3700人を超えた。対して、日本は検査数が1500件だ。もし韓国並みに検査していたら、数千人の感染が判明していたかもしれないのだ。
 アベ総理は、「誰でも希望者は自由に検査を受けられる、検査時間も短縮する」と、例によって根拠なくぶち上げたが、国会での政権の答弁を聞く限り、そうはならないことが分かる。相変わらず「息を吐くように」嘘をつくお方だ。

政権が何もしない限り、対策も責任も国民に丸投げする限り、自分たちの健康と安全を自分たちで守るしかない。東日本大震災、とりわけ福島原発事故で無知・無能な対策しかできなかった「民主党政権」も酷かったが、それを散々揶揄してきたアベ政権のウイルス対策はそれ以下だ。こんな政権には一刻も早く見切りをつけるしかない。カミュの『ペスト』を思い出しながら、強くそう思った。

 <追記>
 ウイルスをどうする、保護者の休業保証をどうする、はもちろん大事なことだが、マスコミも含めてほとんだ論じられないのが、長い休みの間の「子供たちの教育」をどうするかだろう。宿題を出したからいい、ですむ問題ではない。今の事態は、国や社会が教育を放棄しているということなのだ。何か間違っていないか。

中国も日本も政府の対応は間違っている!

2020/02/20

 新型コロナウイルスの国内感染が拡大しつつある。函館近郊の男性の感染が確認された。パンデミックの予兆が見られとても心配だ。

 情報統制と隠蔽で初動を誤った中国にも、腰の引けた「水際対策」で国内感染を防げなかった日本政府にも言いたいことは山ほどあるが、今は全力を挙げてウイルスと対峙すべきだ。いつ収束するのか見当もつかないが、批判はそれからだ。

オリンピック一色に染め上げられる日本

2020/1/19

 自分はオリンピック反対論者だ。このことについてはこれまでも散々書いてきた。
 ナチスドイツの格好の宣伝・国威発揚の舞台となった1936年「ベルリン・オリンピック」の時に、実質的に崩壊した「近代」オリンピック=アマチュアリズム五輪は、旧ソ連はじめとする社会主義国の「国家丸抱え方式」、欧米主導のプロ選手のオリンピック参加解禁を経て、完全に終焉してといってよい。今や、オリンピックは回を追うごとに露骨なまでの商業主義が跋扈する。

 欧米のプロスポーツの開催時期とアメリカのテレビ局(三大ネットワーク)の視聴率を「忖度」し、くそ熱い炎天下に選手を晒してまで開催するオリンピックとは一体何だ?

 「この時期の天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」と驚くような嘘と、招致演説でのアベに至っては「政権者たる私が安全を保証します。状況はコントロールされています」と福島原発についてのペテンで誘致した東京オリンピックとは一体何だ!

 今、政権者は全マスコミを総動員し日本全体をオリンピックムード一色に塗りつぶし、「桜疑惑」、「IR疑惑」、増税やアベノミクス破綻による景気低迷を覆い隠し、そのために政権延命に躍起になっている。世界的に知られた日本人のオリンピック好きを最大限に利用しようとしているのだ。

 われら国民もいい加減にオリンピック信仰をやめたほうがよい。もっとも、これからは巨額の開催費用に開催国を募るのが難しくなりそうだ。なのに、札幌冬季オリンピックの再現を望む声が強くなっているそうだ。溜息しか出ない。

改定「日米安保条約」60周年に寄せて

2020/1/19

 改定日米安保条約締結から60年、奇しくも改定時の総理がアベ氏の祖父である岸信介、そのせいもあってアベ氏は高揚した気分で安保の意義をぶち上げた。

 1960年の改定時の反安保運動を知る国民は極めて少なく、1970年の安保自動延長反対運動を担った世代は高齢化し、国民の多くは安保を当然のものとして受け止めているか、あるいはその存在すら気にすることなく60周年を迎えた。

 日本の終戦処理に当たったアメリカは、朝鮮戦争を契機に日本の再軍備を認めたものの、一貫して軍事大国化をけん制してきた。安保はアメリカにとって「瓶の蓋」、つまり、日本の軍事力強化を抑制するものと認識されてきた。だが、今や逆に、アメリカは世界で唯一忠実な同盟国であるアベ日本を、その軍備増強を積極的に容認しながら、アメリカの世界核・軍事戦略の主要なパートナーに仕立て上げようとしている。

 一方、日本はどうか。国民の多くは「いざというときにアメリカは日本を守ってくれるはずだ。だから基地の提供はやむを得ない。」と好意的に受け止めてきた。しかし、安保条約にはそんな取り決めは全くない。仮に、日本が中国や北朝鮮から攻撃を受けた場合、アメリカに日本防衛の義務があり、反撃のために軍事力を行使しなければならないとは書かれてなどいない。これは条約文を読めば誰でも分かるはずだ。だが、歴代政府は、「大衆は愚かで、騙せる」という認識で、嘘っぱちの「アメリカ=救世軍」論を刷り込み続けてきた。「安保があって、アメリカ軍があるから日本は攻められないのだ、攻められても守られるのだ」と根拠なく信じ込まされてきた。アメリカ政府やアメリカ国民が聞いたら呆れ驚くはずだ。

 アメリカは圧倒的な軍事力を背景に「世界の警察官」を自任してきたが、イラク侵攻以降、政治的・軍事的成果の少なさに比べ、ますます膨れ上がる軍事費に悲鳴を上げ、単独での軍事行動から手を引きつつあった。欧州各国もアメリカとの共同軍事行動をとることに懐疑的であった。ところが、一人だけ忠実な部下がいた。アベ日本だ。トランプから”買え”と言われれば言い値で巨額な軍備を買い揃え、”来い”と言われれば憲法の制約も何のその、中東まで自衛隊を出す有様だ。安保に基づく「日米地位協定」により、世界で唯一アメリカ軍基地に「治外法権」を認め、基地の移転費用を負担し、巨額なカネを辺野古建設に注ぎ込む。今の何倍もの基地費用の要求にもおそらく断りはしないだろう。かくて、世界から「忠犬」だの「属国」だのと揶揄され、「美しい日本を取り戻す」どころの話ではなくなってきた。

 安保反対運動など全く消えた今、憲法さえ踏みにじるように進む日本の軍事大国化と日米共同軍事行動の是非を問うのはあまりにも虚しいことかもしれない。だが、ほとんど丸腰の自衛隊を送り出し、自衛官たちを命の危険に晒しながらも「戦後初めて海外で戦争する」ことだけに嬉々としている史上最も無能な政権を許しておくほど国民は愚かではないと思う。

「グローバルな時代」の真実

2020/1/6

 雪がなく穏やかな正月だった。センター試験が近いので、どこかに緊張感がある何時もの正月だが、少しはのんびりさせてもらった。

 昨年末近くになっての共通テストの大迷走は多くの受験生・高校生を振りまわし続けた。国家が主催する大学入試の不始末の責任を、例によってこの政権ではだれも取ることはない。「入試改革」というが、改革すべきなのはアベさん以下の政府・文科省だろう。

 大学入試改革の目的は「グローバルな時代、AIの時代」の人材育成だそうだ。この前提を疑う人はとても少ないように思う。欧米より遅れて、明治維新以降の富国強兵政策の下で誕生した日本の大学は初めから「国家」のための大学だった。後進国の多くがそうであるように、大学の多くが「国立」大学であることからもそれは分かる。国が作って、国の金で運用している大学だから、学生はみな国のために尽くせ、と。

 「グローバルな時代」とは、カネ、モノ、情報、人が自由に世界を往来する時代を言うらしい。無限な可能性を持った時代になるらしい。果たしてそうか?ドローンを操作して国境をいくつも超えて自由に他国の人間を殺戮する時代である。自由と安全を求めてやってきた難民・移民を暴力的に排除する時代である。世界中の人間を何回も殺す核兵器を持つ国が、そうでない国や人々を従えて世界の運命を左右するのが「グローバルな時代」の真実に他ならない。

 「グローバルな時代」然り、「AIの時代」然り、言葉の本質を正すことなく理想化するのはやめたほうがよいのだ。あいまいなまま「入試改革」のやり方、入試方法だけの議論に陥るのはやめたほうがよい。センター試験はもちろん、それに先立つ共通一次試験の是非についても検証は済んでいない。つまりはすべては押し隠されたまま政権の都合で、そのレガシー(政治的遺産・成果)のためにだけ進められる入試改革はこの際中止して国民の広範な議論を待つべきなのだ。

「共通テスト」記述式の延期

2019/12/12

 「共通テスト」の記述式導入が延期になった。先月の「英語民間試験導入」延期に続いて「大学入試改革」を目論んだ政府・文科省にとっては手酷い敗北となった。あとは「これは敗北ではない」と閣議決定するだけかもしれない。

 改革すべきは制度ではなく教育の中身であり、国の文教政策である。吉野博士のノーベル賞受賞に沸いているが、博士は民間企業の研究員であって国の補助は受けていない。国は国立大学の文系部門への予算を大幅に削り、理系部門に対しては軍事研究などへは手厚いが、ほとんどの部門で予算を削減してきた。つい最近も京大のiPS部門へのわずか年間10億円足らずの予算の廃止を打ち出したばかりだ。(これを伝達した男女二人の役人が京都の不倫旅行を楽しんだのではないかという疑惑報道のおまけがついた)

 ノーベル賞を出せば良いというものではないが、基礎研究を軽視する国の文教政策はこれからノーベル賞受賞者を生むことはないだろう。未来に投資し、未来の繁栄を図るというごく当たり前の考えを国は全く持たない。欧米は大学への研究助成を官民挙げて増やす傾向があるのに対して、日本はそれとは逆行しているのだ。

 「大学入試改革」は「グローバル化社会の到来、AI時代の到来」に備える人材の育成を謳ってはいるが、それは大企業の要請に叶うものに他ならない。教育の充実など一顧だにしていないのは、「共通テスト」を巡る拙速さとドタバタさを見れば明らかだ。生徒の将来に関わる大事な入試であるなどという思いはどこにもない。採点を民間丸投げするなど真面目に教育を考える者のやることではない!

 「改革」を急いだのは大企業の要請もあったろうが、現アベ政権が任期中に「明治以来の大教育改革」という政治的レガシー(政治遺産)を残すことを執拗に狙ったからだろう。憲法も、領土も、拉致も、何一つレガシーがなく政権を終えそうなアベにとっては文科省のケツを叩けば何とかなりそうな「入試改革」だけはやりたかったろう。だが、受験生・保護者を犠牲にする入試改革などあってはならないのだ。

 いったんは頓挫した「入試改革」だが、教育課程改訂を伴って2024年度には再度「英語外部試験」導入と「全科目記述式」導入の「共通テスト」を実施する画が進んでいる。実施されれば現中学1年生から対象となる。杜撰(ずさん)な内容ではないのか、再び高校現場や生徒を混乱させることにならないのか、しっかり見極める必要がある。今回の「改革騒動」は、「グローバル化社会の到来、AI時代の到来」に相応しい改革だという歓迎論が当初巻き起こったことも拍車をかけたのだから、今度こそ国民の多くを巻き込む形での検討が必要だろう。

「トリクルダウン」の破綻

2019/12/05

 「トリクルダウン」なのだそうだ。
 容器に水を入れていくとしよう。やがて満タンになると水がしたたり落ちてくる。それをコップに受けて飲み干し、「あー、おいしかった」と満足する。

 トリクルダウンとは「徐々にあふれ落ちる」という意味だが、「アベノミクス」なる経済政策はこのトリクルダウンを想定したのだそうだ。「容器」は富める者の財産や利益、コップに入れて飲んでいるのは我ら庶民である。大企業や富裕層を積極的に国家が支援し、経済活動を活性化させる。すると、富が低所得層に向かって次第に流れ落ち始め、国家も国民全体も利益を得る」という「新自由主義」経済理論または仮説である。

 円安を誘導して自動車などの輸出企業を儲けさせ、金をマーケットにジャブジャブ投じて株価を上げることによって富裕層と大企業を富ませ、法人税減税を行って大企業の負担を軽減したのは「容器」を大きくしたかったからだ。

 だが、容器は大きくなったかもしれないが、水はしたたり落ちることはなかった。ほんの少し落ちる水を容器の管理人(大企業の社員)に飲ませたら、あとは出口を閉じてまた容器を大きくし始める。こうして7年の歳月が流れ、庶民は空のコップを持ったまま、渇水状態の日々を送ってきた。しかも、容器の税金とは逆に、そのコップにかかる税金さえ上げられてしまった。富裕層、大企業ははますます富み、庶民はますます窮すことになったのがこの7年間の「アベノミクス」の成果なのだ。

 アベ某は言う。「アベノミクスは道半ば」であり、さらに「アベノミクスのエンジンを再点灯させる」のだそうだ。
 「トルクルダウン」が仮説に止まっているのは、世界で成功例がひとつもないからである。トリクルダウン、すなわち富裕層・大企業から低所得層にしたたり落ちる水(おカネ)など一滴もなかったのである。トリクルダウンの後に来るのは、消費低迷による経済の停滞と貧富の差の拡大、財政規律の破綻、マーケットに大量に流れたマネーが引き起こす悪性インフレである。

 もういい加減に誤りと嘘で塗り固められたアベノミクスなる「新自由主義」経済の実態に気付いてもいいのではないか。「桜を見る会」でいい気になっている御仁たちに自分たちの生活を、将来を託すことを止めてもいいのではないだろうか。

「男らしくない!」は死語か?

2019/11/28

 「男らしくない!」「卑怯者!」「嘘をつくな!」
 こんな教育を受けて育ったのが我ら団塊の世代以前。「男らしくない!」とか「卑怯だ!」言われるシュンとなった。「嘘をつく」奴が信頼を得られないのは当たり前だった。しかし、とりわけ「男らしくない」は、今ではもう死語と化した感がある。

 だからだろうか、わが国の政治家諸氏、とりわけ政権者たるアベ某は「美しい日本を取り戻す」と言っている割には、実に「男らしくない、卑怯で、よく嘘をつく」人だと思う。「息を吐くように嘘をつく」とまで言われているようだ。政治家としてよりも、人としてどうか疑わしい。教育改革に熱心だそうだが、この方の打ち出す改革など有り難いはずがない。「共通テスト」、「英語民間試験」を巡る混乱が如実に示している。

 「桜を見る会」およびその前夜祭の疑惑に関するアベ某の釈明は、彼が”国民の父”たる宰相でもなく、やはりただの嘘つきに過ぎないことを示した。モリカケ疑惑、獣医学部新設疑惑など、官僚を動員した隠蔽工作と真っ赤な嘘の連発で乗り切ってきたが、さすがに今回はアウトだろう。政治資金規正法、公職選挙法、税金の不当流用など叩けば凄まじい埃が舞うだろう。今回をアウトにしなければ、マスコミも野党ももはや無用の長物だろう。日本の”良心”が正念場に立たされている。

三島由紀夫の死から半世紀近く

2019/11/19

 函館は今月7日夜半過ぎに初雪を見た。8日は24節季の”立冬”、道理で寒くなるわけだ。22日の”小雪(しょうせつ)”、12月7日の”大雪(たいせつ)”を経ていよいよ12月22日の”冬至”を迎える。長く、厳しい冬が始まる。

「 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。」 --三島由紀夫の檄文から

 11月の今頃になると大好きだった作家・三島由紀夫を思い出してしまう。
 1970年11月25日、三島由紀夫は彼を慕う4名の若者と東京・市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地に乗り込み、バルコニーから集まった自衛隊員に上記の檄文を撒き、「昭和維新」のクーデタへの決起を訴え、その後総監室で割腹自殺を遂げた。

 時は、「70年安保」が安保反対派の敗北に終わり、学生運動・労働運動が急速に萎み始めた頃で、三島が期待した「革命前夜」状況での自衛隊の治安出動もなく、そこから一気に昭和維新=クーデターへ進むことはなかった。

 失望した三島は、直接自衛隊員にクーデター決起を促そうとしたが、バルコニーでの演説は上空を飛び交うマスコミのヘリコプターと自衛隊員の野次にかき消せられ、思いを伝えることは出来なかった。

 自分がテレビのニュースで知ったのは当日の正午過ぎだったかと思う。すぐに、三島は死ぬな、と思った。三島の美学は「敗北の生」を恥とするからだ。自分は、三島の文学をこよなく愛していたが、天皇親政を説く彼の政治思想とは真逆にあった。実は、学生運動側=新左翼もまた本来敵であるはずの三島を妙に買っていて、いくつかの大学には「三島由紀夫追悼」の垂れ幕が下ろされていた。自分は三島の死が報道された後のことはあまり覚えていない。あまりにもショックが大きすぎた。

 三島の死後、彼の”辞世の句”が2首公開された。

 「益荒男(ますらお)が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜」

 「散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」

 文学者たる三島にしては直接的で露骨すぎるという批判があったが、自分はそうは思わない。秀吉やら家康やらの辞世の句も知ってはいるが、死というものを生々しく感じることが出来たのは唯一三島のそれだった。

 類い希な文学者である三島の憤死は、我々からそれ以降の三島文学を奪った。今でも残念で仕方がない。「維新」を名乗る政党・団体が生まれ、右翼思想を半端にかじる輩や「改革」を安直に語る輩もいるが、三島のように時代を真剣に生き、命をかけて自らの思想を貫こうとするだけのものはなかろう。目指すものは違っても、時代が変わっても、三島が自分たちに問うているのは”潔さ”と”覚悟”なような気がしてならないが、今の時代は案外それを拒むのかもしれない。

 

2024年に持ち越すな!

2019/11/13

 英語認定試験導入が2024年まで延期された。第1回受験生の現高2生始め大方の関係者は安堵したことだろう。だが、2024年に欠陥が持ち越されただけで解決したわけではない。しかも、計画では2024年からは、共通テストの英語は全て民間委託の英語認定試験にとって替わる。現中1がその第1回受験生となる。それだけではない、記述式が理科、地歴公民でも導入され、国語の解答ボリュームが増える。政府=文科省は「入試改革」そのものを断念してはいない。

 野党は、国会で英語認定試験導入の政治責任の追及と記述式導入の中止を求めて元気が良いようだ。だが、彼らもまた今の今まで基本的には沈黙しただけだった。それに比べれば、明確な反対理由を上げて英語認定試験に反対し、共通テストの撤廃を迫った東京の高校生の方が数段勝っている。野党は入試制度を政治利用するのではなく、まずは英語認定試験と共通テストの撤廃を勝ち取り、入試制度改革そのものの問題点を抉り出すべきだろう。同時に、この機会に”共通一次試験”、”センター試験”と続いた入試制度改革の是非を検証すべきであろう。

 入試制度をいじる前にやるべきなのは、「グローバル化された時代に相応しいナントカ」と言うならば、そして「思考力・判断力・表現力」を必要とするのならば、大学の予算を下げ続けるのではなく、教育振興のためのカネを借金しても捻出すべきだろう。だが、借金など不要だ。アメリカの言いなりになって使いもしない、役にも立たない兵器を何兆円も買うのではなく、大企業の減税の穴埋めに「社会保障の充実」などと嘘をついて消費税を引き上げるのではなく、国家百年のため、国民の教育水準の向上のために惜しみなく教育予算を投ずることが先決だろう。恥ずかしいことに、日本の教育費は先進国の40番目、「グローバル世界」はもちろん2045年にも到来する”シンギュラリティー(AIが人間の知能を超える特異点)”にはとても耐えられるような状態ではないのだ。入試制度を政権の都合と産業界の都合でいじることなどどうでもいいことなのだ。教育にお金をかけ、教育内容を充実させることこそ問われていることなのではないのか。

季節を愛でる余裕もなく

2019/11/11

 函館に初雪があったそうな。そろそろかなと思いつつも聞かされるまで知らなかった。そういえば、10月の雪虫にも気付かなかった。日本の四季を賛美しながら、今年は季節を愛でる余裕がなかったのかと自省しきり。

  -- おきあかす 秋のわかれの袖の露 霜こそむすべ冬や来ぬらむ

新古今和歌集の藤原俊成(としなり)の歌。

「起きたまま夜を明かしたのであろうか。もう秋とはお別れで、悲しい気持ちになって涙が袖を濡らす。この涙がきっと霜となって結んでいる。もう冬が来たのだろうか。」

  -- ふればかく うさのみまさる世を知らで 荒れたる庭につもる初雪

新古今和歌集の紫式部の歌

 「ずいぶん年月が経った。年月と共に辛さだけが多くなる世の中だが、それを知らずに、荒れ果てた庭に初雪が積もっている。」

 さすがは紫式部、”うさのみまさる世”と”荒れ果てた庭”の対比、”辛い自分”と”汚れなき初雪”の対比が面白い。

 古代人は季節に自分を見る、現代人はこうしたことが出来なくなったのだなあ、とつくづく思う。雪虫も初雪も知らずにいた自分を恥ながら。

イングランドのメダル問題が示すもの

2019/11/06

 イングランドの「メダル拒否」問題は、日本国内よりも海外で大きく取り上げられ、批判の声が強いようだ。日本人は比較的寛大だから、「まあ、悔しかったんでメダルを外しただけじゃないのかな」とか「そこまで目くじらを立てなくても」程度で済ませてしまっているようだ。

 イングランドの選手たちは優勝した南アフリカに敬意を表するかどうかの意識・判断など全くなく、なすところなく敗れた衝撃と悲しさだけで一杯になってしまったのだろう。どうやらE.ジョーンズ監督は、「勝ち方」は一所懸命教えたが、「負け方」は一切教えなかったらしい。

 ラグビーを単なる一般のスポーツだと考え、競技中の面白さと勝ち負けだけに割り切ってしまったら、メダルを下げようが外そうがゴロつこうがこんなに問題になることなどないだろう。だが、ラグビーは「紳士的なスポーツ」であらねばならないと思っている伝統的なコアなファンにとっては、ゲームを戦う前からその精神は生きねばならないし、ゲームの最中もノーサイド(試合終了)後もそうであらねばならない。勝者も敗者も共に健闘を称え合い、ゲームが無事終了したことを喜ばねばならないのだ。

 日本人は、剣道、柔道はもちろん野球は野球「道」、相撲は相撲「道」などスポーツの精神性を重んじてきた。勝ち方、負け方にすら心を砕いてきた。真の勝者は、「心・技・体」に優れ人格が高潔であらねばならない。これが日本人の思うスポーツ道なのだ。日本では今回のメダル騒動がさほど騒がれないのは、ラグビーをラグビー「道」としては捉えていなかったからだろう。

 騎士道の精神を持ち、ラグビーを貴族の子弟教育の一環とみなしてきたラグビー発祥の国である英国=イングランドこそ、いわばラグビーを「ラグビー道」として実践することが必要とされてきたはずだ。ラグビーをしたり見たりしてきた多くが「紳士たれ!」の「ラグビー精神」に惹かれれてきたのではなかったろうか。

 だが、ラグビーのルーツであるイングランドは、オールブラックスとの戦いでは”ハカ”に敵対するかのようなV字陣を組んでプレッシャーをかけてみたり、このほどの「メダル」問題を生んだ。明らかにラグビーは変質し始めた。他の多くのスポーツ同様にラグビーもまた勝ち負けだけを競うそれになったのかもしれない。ラグビーの原点であるイングランドの振る舞いがそれを示しているような気がしてならない。プロ化が進めばそれだけ勝つと言うことが優先される。ラグビーだけがそこから免れ得るわけではない。そうであって欲しくないと願ってはいるが。

教育立国を目指せ!

2019/11/01

 「2020年大学入試改革」の超目玉であった「英語4技能検定=英語認定試験」導入の中止・延期が決まった。実施は2024年以降になるようだ。政府=文科省・財界一体となった「上からの」入試改革は実施前に頓挫した。

 「2020年入試改革」は、計画当初から疑問だらけであった。”学問・研究の自由=大学の自主性の尊重”など一顧だにせず、「グローバル化された世界に通用する人材」=「国家と産業界に奉仕する人材」を大学・教育界、受験生に強要するのが「入試改革」の本質だ。何が何でも政治的レガシー(遺産)を残したい政権者たる安倍総理は、その任期中に「教育改革」の痕跡を残したいが故に極めて拙速に「共通テスト」の導入に踏み切った。「4技能検定」の導入こそ「グローバル時代」の大学入試改革のシンボルであった。その導入の中止=延期は入試改革のデタラメさを白日の下に曝け出したと言って良いだろう。

 受験生こそ最大の被害者である。現に高校2年生は6つある「英語認定試験」のどれを受ければ良いのかについて悩み、受験受付日の迷走に当惑させられ、すでに英検などの資格を有していても再度受験しなければならない制度欠陥に憤り、「共通テスト」そのものへの不信を募らせていた。

 高校=教育現場でも受験生同様に苦悩が続いていたと思う。「共通テスト」、「英語4技能検定」に向けてどこをどう変えれば良いのか、どう対策したら良いのか、極めて制限された情報の下での生徒指導のご苦労は並大抵ではなかったかと思う。

 大学もまた助成金を縦に恭順を迫る政府=文科省に対して不承不承ながら「入試改革」を受けいれた。当初「英語4技能検定」導入に反対を表明していた東大がその良い例であった。せめてもの抵抗が、多くの国立大学での「英語4技能検定」導入の初年度実質見送りであったと思う。

 現政権になってから、国から大学への予算配分は減少が続いている。”科学立国”、技術立国”を標榜しながらカネは出さない。G7の中でも最低の水準に止まっている。グローバル化の時代を言うならば、入試制度をいじるのではなく、人を育てるための教育を充実させることを優先すべきだ。”教育立国”こそ目指すべきものではないだろうか。アメリカの言いなりになって、時代遅れの、使いもしない武器を、国民の血税を使ってを1兆円数千億円規模でアメリカから買う前にやるべきは”教育”であり”防災”であるべきだ。

 受験生始め関係者を振り回した挙げ句の中止・延期だが、総理、文科相はじめ、恐らく今回も誰も責任を取ることはないだろう。入試改革の前に必要なのは彼ら自身の改革だが、それは期待できないだろう。

共通テストは止めるべきだ

2019/10/25

 日本シリーズは前評判通りソフトバンクの圧勝だった。セ・パ交流戦でのパリーグの強さから、更にはこのところの日本シリーズでのパ・リーグチームの優勝回数からもパ・リーグの優位は明らかだった。やっとの思いで5年ぶりにリーグ優勝した巨人と、リーグ成績2位ながら質の高いパ・リーグで首位争いをしてきたソフトバンクでは全ての点で明らかにモノが違っていた。

 セ・リーグは、DH制の導入で大きく変わるかどうかは分からないが、巨人が「勝つ野球」にこだわってきたせいか「せこい野球」が目立って仕方がない。ピッチャーは思いきり投げる、バッターは思いきり振る、ランナーは思いきり走るダイナミックな、面白い野球を目指さない限り--甲子園野球の延長でなく大リーグ的なベースボールを目指さない限り、セ・リーグはパ・リーグを超えることが中々難しいのではないだろうか。4番バッターにバントをさせる野球など見たくもない。

 共通テストを巡る混乱は受験生にとっては迷惑千万だ。「入試改革」の売り物の”英語4技能検定=英語認定試験”だが、受験者が最も多い英検が迷走している。受付日を含めて受験の詳細さえきちんと決められずにいるのだ。パソコンを利用した方式への批判が多い。英作文解答のキーボード操作、マイクに向かってのスピーキングテスト、高い受験料、英検会場のない地方受験生の交通費・宿泊費負担、英語教育が公私に渡って進む中央と地方の格差。受験の大前提であるはずの「公平・公正」などどこにもない!

 鳴り物入りの国語と数学の「記述式」は、一度解いてみれば分かるが、これで何を判断しようとしているのかさっぱり分からないのだ。国語は完全な解答誘導式で、「思考力・判断力・表現力」など全く不要の「本文抜き出し型」になった。数学は、解答に至るプロセスなしは省略して最後の数式だけを記入することになった。実質的には今のマーク式と大きな変化はない。

 国語然り、数学然り、要は「50万人の受験生の記述答案を短期間で採点するのは不可能」という理由が先行したのだ。しかも、採点は民間企業ベネッセに丸投げすることになった。ここでも、英語認定試験と同じく「公平・公正」さもなく、受験生ではなく実施する側の都合が優先したのだ。

 自分は受験屋だから、いかなる受験制度でも生徒の必勝を期すが、この共通テストは廃止した方が良い。試験制度をいじる前に、大学・高校・中学・小学の教育のあり方を検討した方が良い。教育・研究の最高学府たる大学の予算を削減する一方なのに、「グローバルな時代に備える」と高言する方々の唱える「入試改革」など、その実効性、実現性の不備を見ても受験生にとって百害あって一利無しだ。

消費税は一体どこに消えたのか

2019/10/23

 消費税が10%に引き上げられた。お上は、軽減税率やポイント還元などを実施して「増税感」を薄めようとしているが、国民の警戒心と家計の防衛意識はとても高くなっている。

 いくら「お上」が増税分を「社会保障制度」の充実や「幼稚園の無償化」など国民生活の向上のためにに使うんだと強弁しても、国民はとっくに見抜き始めている。そんなモノには使っていないだろう!と。なにしろ消費税導入以来の増税分400兆円の全部が法人税の減税分300兆円!と高額所得者の減税分275兆円に消えたのだから。

 では、法人税を大幅にまけてもらった大企業はその分をどうしているか?製品開発に回して国際競争力のある製品を生み日本経済の発展に尽くしているのか? 否!最近、世界を席巻するほどの製品などちっとも出ていない。減税分は、ほぼ全部が株価を維持するための「内部留保」に回されているだけなのだ。

 しかも、大企業は研究開発減税などの企業優遇措置を受け、払っている税金はソニーが4.5%、シャープが2.9%、ソフトバンク(単体)は何とゼロなのだ!かのトヨタ自動車は「研究開発減税」で毎年1000億円をまけてもらい、さらには、輸出車の消費税還付金で約4000億円を受け取っているのだ。

 明らかに、消費税は企業と金持ちを太らせ、逆に国民を痩せ細らせているのだ。なぜ、多くの人はこの事実に怒らないのだろうか,不思議で仕方がない。政権にすり寄り消費税を8%に据え置いてもらった新聞社は、当然にも何も語ることができない。トランプ大統領と毅然と対峙するアメリカの新聞・マスコミが良く見えて仕方がない。批判精神・反権力意識を欠いた日本の新聞・マスコミは3流、4流まで堕ちた。

 相変わらずマスコミ・テレビは、ポイント還元カードの上手な使い方を得意満面に報道しているだけ。野党は力を結集して対抗することなどそっちのけで、足の引っ張り合いに終始している。旧民主党勢力に至っては、公約を破って前回の消費税増税を認めた「戦犯」が未だに幅をきかせ、当然にも10%への増税に為す術を知らない。どの政党にも期待できない国民の苛立ちと諦めが大量の無党派層と選挙ボイコットを生み、あるいは、れいわ新選組、N国党への投票行動を生んだ。野党はこの責任の大半を負うべきだ。

 税金を全てなくせとは言わない。だが、とうとう2桁の大台に乗った消費税はこれで終わりではない。政治家、役人の中には最終的には25%は必要だとうそぶく連中がいる。社会保障制度も教育もそっちのけで、大企業と金持ちだけをさらに豊かにして一体どうしようというのだ。給料から税金を取られ、売上から税金を取られ、さらに25%の消費税を払え?冗談ではない!

 税金を払う国民は、取り立てる「お上」をしっかり監視すべきだ。カネがどこに回っているのか、果たして自分たちのために使われているのかどうかを。税金を上げるしか能がない政府など御免被りたい。

オリンピック、やはり賛成ですか?

2019/10/18

 東京オリンピックのマラソンと競歩が札幌での開催になったそうだ。ドーハの猛暑の中の世界陸上は、競技開始が深夜であったにも関わらず、女子マラソンでは気温と湿度のあまりの高さに大量の途中棄権が出て、猛暑・高湿度での競技開催が批判の嵐となった。慌てたIOCが、猛暑の東京の夏でのマラソンを日本や東京の意向を考慮することなく強権的に札幌開催を決めたのだ。IOCには開催国の意向も選手の意見も関係ない。「お・も・て・な・し」か何か分からないが、IOCのご機嫌を取って必死に誘致した日本にIOCが遠慮する理由などない。また、日本に「じゃあ、辞めるぞ」と啖呵を切る者などだれもいない。迷惑するのは、選手、高いチケット代を払わされた国民だ。

 自分は今のオリンピックには反対である。かつて、何度も次のような内容を書いた。

 自分は「現代」オリンピックの廃止論者である。ナチスドイツの格好の宣伝・国威発揚の舞台となった1936年「ベルリン・オリンピック」の時に、実は「近代」オリンピックは死滅したのだと思う。それでも、その後しばらくは、近代オリンピックの父クーベルタン男爵の提唱したアマチュアリズムは形の上では継承されたものの、旧ソ連はじめとする社会主義国の「国家丸抱え方式」が果たしてアマチュアリズムと言えるのかが疑問視された。これに対抗して欧米主導のプロ選手のオリンピック参加待望論が台頭し、1980年のサマランチのIOC会長就任を契機に、ついに1984年の冬期サラエボ五輪、ロス五輪でのプロ参加の是認となった。ここで、「近代」オリンピック=アマチュアリズム五輪は完全に終焉してといってよい。以降、オリンピックは回を追うごとに露骨なまでの商業主義が跋扈する。

 サッカーの欧州選手権の日程やアメリカ大リーグのプレーオフやフットボールシーズン開幕に気を遣い、アメリカのテレビ局(三大ネットワーク)の視聴率を「忖度」し、実はスポーツに最も相応しい秋の開催を主張することなく、40度近い酷暑と70%を超える湿度の東京の炎天下に選手を晒してまで開催する必要などどこにもない!
 オリンピックがスポーツの祭典などとは現実から見れば絵空事に過ぎない。欧州のサッカー、アメリカの野球の方がオリンピックよりも優先されているではないか!

 開催国のその後の不況もそうだが、いいことなど一つもない。国民が喜ぶから? スポーツの振興? レガシー? インフラ整備? 経済活性化? 戦後の日本ならいざ知らず、オリンピックを開かねばそれができないというわけではない。オリンピック開催は各国も懐疑的で、これから開催したいと思う国はなかなか出てこないだろう。東京の次はパリそしてロスだそうだ。その後はないらしい。税金をたらふく食い、一握りの奴らだけがうまい汁を吸うオリンピックは、スポーツに名を借りた独占的・排他的ビジネスだ。少なくとも日本はもうやめるべきだ。今からでも遅くない。1000億円払えばキャンセルできるそうだ。アベちゃんが欲しがっている1兆数千億円のアメリカお下がりの兵器に比べればお安いものだ。この馬鹿げた協奏曲ならぬ狂奏曲をやめることができるならただみたいなものだ。その代わり、オリンピック誘致で潤った方々にもそれ相応の負担をしてもらおうじゃないか。こんなことを言うと大顰蹙(ひんしゅく)のブーイングがあるかもしれないが。

今こそ防災・救助体制を最優先に

2019/10/16

 「万全の体制」だそうだ。9月の台風15号をめぐる政府の怠慢が指摘された際に、武田良太防災担当相は「関係閣僚会議を開くかどうかより、政府の防災体制が機能しているかが一番のポイント」と説明した上で、「台風15号では、できる限りのベストを尽くしたし、今回も万全の態勢だ」と強調した。

 河川の氾濫であれだけの被害--亡くなった方70名以上、1万軒以上の家屋弊害、いつ回復するか分からない道路、鉄道、家屋を失い店舗を壊され途方に暮れる住民--これが「防災体制が機能していること」であり「ベスト」であり「万全の態勢」の結果なら政府に防災を語る資格はないし防災大臣など不要だ。

 気象庁は「命を守るための最善の行動をとってください」を繰り返し、テレビは「史上最大級の~」を繰り返し危機を煽るが、そう言われても国民は「ベスト」な「万全の態勢」などどうやっても取れるはずがない。数百万人に発せられた避難勧告だが、一体どこへ逃げればいいのだ。警察、消防、自衛隊の懸命な救助活動には感謝だが、政府=「お上」の国民の命を守る必死さは何も伝わってはこない。

 何度も「史上最大級の~」を聞くが、被害現場が何度も報道するだけの過熱報道、いつも「対策は正しい」と強弁するだけの「お上」に反省の弁はなく、次の「最大級」にどう備えるか、どう対策するかは語られない。かくて、国民は無責任な「防災態勢」のまま次の災害を迎えることになる。

 使われもしないイージス・アショア、どこに何の目的でレーダー網を潜って飛ばせたいのか分からないステルス型戦闘機の購入代金1兆数千億円もアメリカに支払うのだそうだ。このカネをまずは凍結したらどうだ。それを直ちに日本の防災計画に回してはどうだ。自然災害は必ず起こる、しかも近年は大型化する傾向がはっきりしている。災害から国民の命を守るための制度、態勢をハード、ソフト両面で強化すべきだ。災害大国日本の防災・救助対策こそ喫緊の課題だ。

我らの海を守るべきだ

2019/09/30

 ラグビーが好きな者にとって、ワールドカップ期間中は興奮させられることが多い。ラグビーは力の差がはっきり出やすく、ニュージーランド、イングランド、ウェールズ、アイルランド、オーストラリア辺りで優勝が決まりそうだが、日本がアイルランドを破ったことで、「これは、ひょっとしたら日本を含めて意外なチームが勝つかもしれない」という楽しみが増えた。

 日本がラグビーで盛り上がっている裏で進んでいるのが、「福島原発汚染水」の海洋投棄だ。高濃度セシウムやストロンチウムなどを含んだ100万立方メートルもの汚染水が貯蔵され、事故を起こした原発の敷地に貯蔵され、毎日100トンも増え続けているのだ。政府=東電は、2年以内に敷地内の貯蔵限界を超える放射能汚染水を、最も金と手間のかからない海洋投棄で解決しようとしている。

 だが、この汚染水にはALPS(多核種除去設備)という浄化装置では除去できない”トリチウム(三重水素)”が多量に含まれ、海洋汚染という新たな問題を生むのだ。
 トリチウム水は全く普通の水と変わらず、ヒトが体内に取り入れても直ぐに体外に排出されてしまう。しかし、体内に取り込まれた時から内部被爆は始まっているのだ。また、血液、体液を通しての細胞の代謝反応で、DNAの構成成分として水素であるトリチウムは普通の水素(軽水素)の代わりに取り込まれ(トリチウムも水素)、軽水素のように安定していないトリチウムが、半減期(約12.3年)でβ崩壊する時にDNAの鎖を切ってしまうと言われている。これがガンなどの遺伝リスクにつながる危険性も指摘されている。

 政府=東電はこの内部被曝と発がんリスクの可能性を否定し、またしても「安全神話」を振りまき始めているが、事が起これば「想定外」であると強弁し責任を回避する彼らを信頼することが果たして信用できようか。3.11原発事故で実証済みではないのか!

 まずは、敷地を確保して貯蔵を続けることだ。もちろん、原発推進をしてきた政府=電力会社の責任で。その間に、トリチウムの合理的な除去法を全力で研究・開発すべきだ。金はかかるかもしれないが、1兆2千億円の戦闘機、8千億円といわれるイージスアショに払うカネはあるのだ。8千億円で済ませるとした東京オリンピックだって4兆円はかかっているらしいのだ。かけがえのない海洋を守るために必要なカネを政府=東電は出すべきだ。そして、あらゆる原発を即時停止すべきだ。

 ところで、関西電力幹部が原発のある福井県高浜町の元助役から多額の金品を受け取っていたそうだ。その元助役は原発関連業者とつながっていたそうだ。原発に群がって甘い汁を吸う奴らの腐敗は度しがたいな。

こんなものなのか

2019/09/21

 テレビニュースを見て唖然とした。ラグビーの対ロシア戦で、客席に日本チームのジャージを着てにやにやしている御仁がいた。アベ総理ではないか。あれっ? 未だ電気の来ない千葉県には一度も顔を見せずに、こんなところで一体何をしているんだ? それに、13億円もの大金をポンと千葉県に出すんだそうではないですか。さては、アメリカからF35Aステルス戦闘機105機を1兆2千億円出して買うことを決めたので、金銭感覚が狂ったのか。イージスアショアは6千億円とも8千億円とも言われ、アメリカの言い値で導入するんだそうだ。それに比して、僅か13億円で千葉県民の窮状が何とかなると考えられるのがこの方のすごいところだ。あなたの国民ですよ、あなたが守るべき方々ですよ、我らはこんな方を、選挙の度に勝たせ、ずっと総理にしてきたのだ。ジャージー&ラグビー観戦が悪い訳じゃない。やることをやってからじゃないか、組閣にはしゃぎ、ジャージーではしゃぐだけがあなたの大事なお仕事なのか!

被災地千葉県を思う

2019/09/18

 プロ野球は大団円を迎えた。セ・リーグは巨人が、パリーグは西武とソフトバンクが優勝しそうだが、どのチームも決め手がなく最後までもつれるかもしれない。贔屓にしている日本ハムは3位以内は厳しい。今シーズンは一時期を除いて下位に低迷した。投打共に牽引役の選手が出なかったのが残念だ。栗山監督にとっても辛いシーズンだった。来季の指揮はどうなるだろうか。

 台風15号が襲った千葉県は未だに電気が使えない地域があり、完全復旧は今月27日となった。被災から実に20日近くも経ってだ。屋根を飛ばされた家が多数あり、かろうじて雨を塞ぐはずのブルーシートを張る作業自体が遅々として進まない状態だ。長期間に渡ってライフラインを絶たれた被災者は本当にお気の毒で、一日も早く元の生活に戻ることが出来るように願って止まない。

 にしても、東電の無策・無能ぶりには怒りしかない。あの福島原発事故の時に聞かされた「想定外」を今回もまた聞かされた。現場では東電の作業員たちは必死に頑張っていると思うが、社長以下エリート幹部たちは一体何をやっているのだろうか。「想定外」は免罪の言葉ではなく、当事者能力、危機管理能力の欠落を宣言する言葉だ。今度こそ幹部連中全員には責任を取ってもらいたい。福島原発事故では逃げ果せたろうが、今回はそうさせてはならない。

 今回の台風で、千葉県では街路樹と並んで多くの電柱が倒れ、電力復旧工事の妨げとなった。台風が多い日本では早くから”無電柱化”の必要性が指摘されてきた。だが、日本は先進国で最も”無電柱化”が遅れている国だ。東京は8%、今、マスコミ、ネトウヨが叩いている韓国ソウル市は40%以上だ。日本は、地方では無電柱化はほとんど進んでいない。
 日本の技術力を持ってすれば直ぐにでもできそうなものだが、それをしてこなかったのは東電始め電力独占企業を中核とする「利権村」の存在だ。電柱の敷設、保守を担う下請け・関連企業はその工事を独占し、また東電など幹部の天下り先となってきた。原発事故の時に問題となった「ゲンパツ村」と同じ利権構造があるのだ。

 さらに責任が問われるのは政府だ。台風の最中、大被害の予測が出ている中で彼らは何をしたのか。内閣改造の大セレモニーだ。燕尾服で威張っている暇があるなら、やるべき事は住民の命と暮らしを守ることなのではないか。入閣予定者のひとりくらい「今、内閣改造なんか止めて、まずは全力で被災地支援・復旧に取り組みましょう」と言えよ。小泉シンジローがそう言うのかと思ったら、そうではなく燕尾服でちゃかりはしゃいでいた。
 「シンジロ-環境大臣が被災地を視察します」を画面にわざわざ掲げてシンジローを持ち上げたマスコミよ、君らの仕事は一体なんだ!被災地を横目に「新しい時代の国づくりを力強く進めていくための布陣」と強弁したアベ総理をまず批判すべきではないのか!「被災地の現状を具に見てきました。あなたのいう国作りとは、10日間も住民を不安の中に置くことなのか、内閣改造のお祭り騒ぎをこの時にやらなければならないものなのか、政府を挙げて被災地援助・復旧に当たるべきなのではないか」と。

 アベノミクスなどと偉そうに言うが、実体は低金利と国債の乱発でジャブジャブと金をまき散らし「円安」を誘導して輸出企業を肥えさせ、意図的に株価を上げ、法人税減税・富裕層減税で大企業と富裕層を儲けさせ、消費税増税という大衆収奪でその穴を埋め、「成長戦略」とはいうがあらゆる分野で見るべき成果はなく、とうとう最後は「カジノ誘致」だ。要は「ばくち」で稼がねばならない下品な国に貶めて、何が「美しい日本を取り戻す」だ。総理を辞める前に、災害大国日本を守るために出来ることは全てやったらどうだ。世界で最も災害に強い国にしたらどうだ。無駄なイージスアショアだとか、F35の大量導入でアメリカにへつらうカネを防災に投入したらどうだ。ならば「歴史に名を刻む」総理として記憶してやろうじゃないか。

消費税って、すんなり上げていいのか

2019/09/09

 こんなに暑かったかな、函館の9月は。彼岸頃までは「残暑厳しい函館」になりそうだ。

 マスコミは盛んに日韓問題を取り上げる。特にテレビはここが稼ぎ時とばかりに連日、日韓、日韓、日韓だ。「タマネギ男」のことはご丁寧な解説を競って行うが、それだけのエネルギーがあったら、甘利某、小渕某のカネの問題、「モリカケ」問題などもっとやれたろうにと思ってしまう。第一、10月1日からの消費税の10%への増税という大問題は一体どこに行ってしまったのか、韓国の法相の方がそんなに大事なのか、「果たして8%でしょうか、それとも10%でしょうか」などクイズをやっている場合だろうか。日本のマスコミのいい加減さは今に始まったことではないが。

 消費税が導入されたのは1989年、竹下内閣の時だった。税率は3%、その後1997年に5%、2014年に8%と増税され、本年10から10%となることが決まった。増税分は「社会保障の財源」というもっともらしい説明があり、「日本の他に比べて消費税は安すぎる」、「社会保障費が足りなすぎる」として増税を正当化するが、嘘八百、ほとんど詐欺に近い。

 消費税増税とともに施行されたのが法人税の減税だ。1989年に42%から40%に下げたのを皮切りに、37.5%→34.5%→30%→25.5%→23.9%→23.4%→23.2%と約4割分が減税されてきた。この結果、消費税増税分の累計分350兆円に対して、大企業法人税の累計減税分が280兆年となり、実に消費税増税分の80%が大企業の減税分に回ったのだ。今、大企業の金庫には当面使い道のない現金が数百兆円お休みになっているのだ。

 増税派からは「日本の法人税は諸外国よりまだ高い」、「法人税減額によって企業を活性化する」、「やがて法人税の安い国に企業が逃げる」などのほとんど実証されていない反論が出るが、消費税80%分が大企業の懐に入った事実は紛れもないことなのだ。第一、法人税を下げたからといって、日本企業が何か画期的な製品を開発できたか?

 経営の神様と言われた故松下幸之助は日本の税率の高さを嘆き、「国民が一生懸命働いて稼いだお金だから、それを使う喜び、楽しみがもっとあってよい。これだけ税金をとれば、徳川時代だったら、一揆が起っているのではないか」と語り、『日本を無税国家-税金のいらない国にしよう』と語ったことがあった。その通りである。「れいわ~組」に加わるつもりはないが、思い切って消費税をゼロにしてはどうか、貯まっている大企業の金庫のカネに重税を課してはどうか、いやならば何か素晴らしい製品開発をせよ、何か社会貢献をせよ、と。

 ところで、松下幸之助が創立した「松下政経塾」からは多くの政治家が出たが、その多くが増税派になったのは何という皮肉であろうか。

決勝を前に

2019/08/21

 今朝、我が家の窓を開けた時に流れ込んだ風は秋の気配がした。もう函館は夏日になることはないだろう。最低気温が15度を割った時が受験シーズンの始まりだと決めている。来月にはセンター試験の願書配布が始まる。受験の季節が近い。

 高校球児の憧れは甲子園だ。地方大会を勝ち抜き甲子園に向かう。そのためなら辛い練習もものともしないのが高校球児だ。そのひたむきさ、真剣さが感動を呼び、甲子園大会はプロ野球を超える人気を集めている。だが、その高校野球は投手受難時代でもある。根性論や指導者・監督の温情や采配だけで乗り切ることはもはや困難だ。

 一つは地方大会、甲子園大会が行われる夏の異常な暑さだ。一昔前とは比べようもない猛暑の中での試合では、野手よりも投手への負担が強くなる。暑さが否応なしに体力を奪い続ける中での投球は過酷以外の何物でもない。

 今一つは、金属バットの導入以来進むバッティングの向上だろう。木製バットに比べて反発係数が大きい金属バットは、より強い打球とより遠くへの打球を生む。加えて、スポーツ科学の進歩は投球よりも打撃に傾き、また筋トレなどバットを振るための身体改造が、根元より先に部分が重い木製バットに比べ、振り回すのに有利な重量が均質な金属バットに適合した。かくて、プロでも困難な広い甲子園球場でのホームランの量産につながった。

 これに対して、投手はかつてのように直球とカーブだけでは打者を押さえることは出来ず、スライダー、チェンジアップなどの変化球を多用せざるを得ない。肩、肘、手首、腰などにかかる負担は想像以上のものだろう。これに、”現代っ子”の体のひ弱さが加わった時、投手の体が悲鳴を上げるのは当たり前のことだ。

 自分は木製バットに戻すべきだと思う。あるいは、金属バットを改良し反発力を木製バット並みに落とすべきだと思う。また、ひとりの投手の球数を例えば100球程度とし、3連投はさせないなどのルールが必要だ。異論はあろうが、球種制限も必要だと思う。また、猛暑を避けての大会が望ましいが、夏休みを利用して開催される甲子園大会を秋にずらすのは、高校生が長期間勉学を離れることとの兼ね合いが難しい。だが、検討に値するのではないか。

 スポーツには”気合い”とか”根性”が付き物だが、気合いと根性だけで問題を解決することはできない。だから、大船渡の佐々木君の投球回避の可否を監督と本人だけの問題として論じてはならないし、「自分なら投げさせた、いや、投げさせない」といったレベルの問題に収斂させても何も解決しないだろう。この機会に大いに論議してはどうだろう。

8月6日に思う

2019/08/06

 今日は8月6日、ヒロシマに原爆が投下されてから74年目を迎えた。多くの民間人を含む14万人が新型爆弾「リトルボーイ」の犠牲になり、その後も原爆後遺症で実に多くの人達が苦しめられてきた。アメリカはナガサキにも落とし7万人が犠牲になった。

 アメリカ大統領だったバラク・オバマがヒロシマにやってきたのは3年前の5月だった。ノーベル平和賞に輝く彼は、ヒロシマでこう演説を始めた。

「71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました。閃光(せんこう)と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことを示したのです。」

 自分は思わず我が耳を疑った。この平和賞男は自らの国が降らせた原爆を、まるで自然災害のように平然と語ったのだ。謝罪もなければ、自国の非を認めることもない。「一体、お前は何をしにヒロシマに来たのだ!」

 さらに自分は我が目を疑った。どのテレビ局かは覚えていないが、日本国民の実に92%がオバマの広島訪問を評価したというのだ。「嘘だ!」と思わず叫んでしまった。

 自分は紛れもない日本人だから、日本を愛し、日本人を好む。しかし、一つの流れに一瞬で飲み込まれてしまう日本人を時に疑問にも思う。

 安倍政権が韓国への貿易規制を始めた。国民の素朴なナショナリズムに依拠し、明らかに参院選での支持拡大を狙った安倍得意のプロパガンダだ。しかし、これまたある世論調査では日本人の95%が評価したという。オバマの広島訪問と同じくまた一つの流れに大多数が乗っていく。恐らく残りの5%は「反日」、「非国民」のレッテルが貼られるのだろう。安倍サンはこれでまた政権維持の材料を得て、大喜びであろう。ただし、領土問題、拉致問題など外交問題がいつも宙ぶらりんであるように、彼に解決案など一つもないのだが。

 世論は自然に出来るのではない。
 政権が自己に都合の良い事実、数字、時にはねつ造や情報操作によって小さな流れを作り、巧妙な誘導によって国民の多くがそれに乗って出来る多数世論、逆に、主として排外主義的な感情やデマに誘導されて国民側に出来る大きな世論、この場合は政権がそれに乗ってコントロール不能になるケースがしばしばだ。我らは、先の戦争でこの両方を経験したし、ドイツのナチズムもまたそうだった。

 世論の一方的な流れが出来ようとする時、我らに必要なのは冷静さ、ありったけの知性ではないか。マスコミ・報道さえもがネトウヨ的な「迎合体質」に変質しつつある今、まさにそのことが問われているのではないだろうか。

日韓問題に思う

2019/08/02

 日韓の最近の慰安婦問題、徴用工問題は日本側の貿易規制という「強権」発動で新しい局面を迎えた。先の大戦の最中の問題が戦後75年が経った今、解決どころか対立が激化していることに大方の国民は違和感を覚えているはずだ。

 自分は反日でも反韓でもないが、徴用工問題を始めとする日韓の戦後処理に関しては、法的には明らかに韓国側に無理があり、政治的には日本側に非があるように思う。

 実は、日韓は戦争をしたわけではなく韓国は日本の植民地だったので、敗戦国が勝戦国に対して行う「戦後賠償」というものはなかった。だが、アメリカの介入もあって、1965年に「日韓基本条約」、「日韓請求権協定」を結び、日韓の国交回復、韓国への経済協力、請求権問題の完全かつ最終的な解決をしたとが取り決められた。日本は韓国に対して当時の韓国の国家予算の2年半分の資金の提供を行い、韓国がその資金で浦項総合製鉄、昭陽江ダム、京釜高速道路などのインフラの整備をし最貧国から脱出することに成功したのだ。

 日本の韓国統治時代の個人への賠償については、日本側が「日本が個別に処理する」ことを主張したが、韓国側は「韓国政府が処理」するとしてこれを拒否、日本はその分の資金提供を行った。だが、韓国はその金を個人への賠償ではなく他に回してしまったのだ。
 韓国側は「国と国との間の賠償問題は解決した」が「個人への日本側からの賠償問題は別だ」と主張しているが、これは明らかに無理筋だ。すでにその金は日本から韓国政府に渡っているからだ。だが、このことを韓国は自国民に説明をしなかったし、日本もまた国内への説明責任を果たしたわけではなかった。このことが今に続く「戦後賠償問題」の発端である。

 では、条約・協定を結び、資金提供をした日本はなぜ無理難題を押しつける韓国に対して「弱腰」ないしは「寛大」であったのか?
 それは、韓国の戦後復興、その多くは日本からの資金提供に依ったが、その利権に日本の政権党と一部野党、大財閥が群がったからだ。なにしろ韓国国家予算の2年分以上の「おいしい」国家プロジェクトだったのだから。日本統治時代の中枢にいた韓国側関係者の多くがそのまま残っていたのだから、利権の構造は容易く出来たのではなかろうか。日韓の利権構造は今も続く。

 さらに、日韓はアメリカを軸とした軍事同盟を結んだ。中国、ロシア、北朝鮮を敵と見なしている軍事同盟は時に「日韓融和」を生み、賠償問題は大きくはならなかった。だが、時の韓国政権が弱体すると反日感情を煽り、排外主義による政権への求心力を得るために賠償問題が利用されてきた。徴用工問題などはその典型であろう。日韓の相互反発と相互瞞着、その狭間で賠償問題は政治的に利用されてきた。

 問題はこれからである。法的に韓国に無理があるといったがこれを主張するのは当然として、韓国側にも言い分はある。お互い言いっぱなしからは何も生まれない。果てしない対立の後に忍び寄るのは戦争の影だ。
 日本が韓国への輸出規制をしたが、当然韓国も報復をするだろう。もし、韓国が日本への観光客の渡航制限をしたら、東京だけでなく地方都市は悲鳴を上げるだろう。韓国は日本依存からロシア、中国へ方向転換を図るだろう、政治的にも日本外しにかかるだろう。「地球儀を俯瞰する外交」などと粋がってはいるが、北方領土問題も拉致問題も1ミリだって解決することができない自称「外交の安倍」さんでは「日韓問題」の解決はもう無理だろう。

 我ら国民は、ネトウヨやら体制べったりのマスコミの反韓キャンペーンに踊らされることなく、貿易規制などの強硬手段には拍手喝采するのではなく、せめて「困ったことだ、なんとかならないのか」くらいの気持ちは必要なのではないか。日米間軍事同盟と横たわる利権構造、その中で真実を押し隠し、国民の素朴なナショナリズムを政治的に利用しようとする悪質な輩こそ日韓問題の諸悪の根源なのだ。

暑い夏が到来!

2019/07/27

 暑い夏がやってきた。今のところ少し蒸し暑いが、明日から30度を超えるかもしれない日が続く。

 吉本興業関連が連日に渡ってテレビで取り上げられ、「俺は辞める」はずだった芸人が謝罪してみたり、「大崎(会長)辞めるなら俺も辞める」、「散々世話になって何を偉そうに批判している」から、引退したはずの島田紳助までが「参戦」し大混乱の様相を呈している。

 テレビは視聴率さえ稼げれば良いのでこの騒動は大歓迎だろうし、混乱を煽ってさえいるように思う。
 しかし、問題は実に単純で、雇っている芸人の不始末を、発覚した時点で雇い主である吉本興業の首脳部がきちんと謝罪をし、芸人を追放の上自らも職を辞すという、一般社会ではごく普通のことをやらなかったことだと思う。いくら宮迫、亮2名が「涙の記者会見」をしようが、芸能界追放を含む処分は当たり前だし、どんなに吉本興業が偉かろうが、トップもまた責任を取るのは当然なのだ。それを叩けば良いだけであって、何も「北海道派」やら「東京派」の芸人を引っ張り出し、「関西派」の大御所のあーだ、こーだなどはどうでも良いことだ。テレビが面白おかしく膨らますことについては、ただただその低劣さに呆れるだけだ。

 大船渡の事だが、世論は総じて監督に対して批判的だ。監督は甲子園を目指す球児の夢を壊したのではないか、試合の進め方がおかしいのではないかということだ。普段高校野球に関心にない人達もいきり立っているようだ。

 

 自分は、もし監督なら投げさせたと思う。それも先発で。あの大震災・大津波の大船渡で、励まし合いながら甲子園を目指してきたチームにとって、佐々木投手の将来は気にしつつも、当の佐々木君だってどうあっても「勝ちたい」はずだ。ただ一人の生徒のために、高校球児たちの夢を犠牲にしていいというのは無理がある。佐々木君が特段投げられない故障があるなら別だが、そうではなかったようだから。

 監督は苦しんだはずだ。大リーグを含むプロのスカウトの注視の中、大観衆を前に、テレビ放映が特別に組まれる中、佐々木君で勝ったとしても、故障云々が批判され、負けたら負けたで佐々木君の実力を疑問視され、将来の活躍が危ぶまれる事態に。招待有望な投手であるがゆえに監督にかかるプレッシャーは想像するに余りある。

 それでも、監督の岩手県大会の試合の進め方に疑問は残る。佐々木君を第4戦で完投させ129球、準決勝も完投させ194球だ。これを見る限り明らかに「勝ちにいった」ようだ。だが、佐々木君を酷使したことには違いない。だが、決勝は「勝ちにはいかなかった」否「負けにいった」のだ。チームの勝利よりも佐々木君の将来を選んだのだ。エースが1球も投げない、しかも4番バッターだ。先発させた投手は県大会での投球は初めてだった。当然にもチームは大敗した。投球回避は「英断」かもしれないが、監督のこのチグハグさ、矛盾が大いなる疑問なのだ。

 いずれにせよ、戦いは終わった。監督も、佐々木君も、チームメイトも疲れ、傷付いたと思う。大船渡高校に批判電話をかける、直接乗り込むは論外だ。これ以上、戦った者たちを「腹いせ」に攻撃するのは止めよう。
 これから批判し検討すべきなのは、今の高校野球の過密日程とスポーツ根性論ではないか。

参院選が終わって

2019/07/22

 投票率が49%を下回った。戦後2番目の低さだそうだ。半数以上が棄権する選挙で、政権への信任も不信任もないだろう。そもそも国民の過半数は政治や政治家そのものを信頼していないか、選挙当日のお遊び以下としか捉えていないのは明らかだ。
 近年、投票率が高かったのは、民主党政権が誕生した2009年衆院選で約70%だった。だが、民主党政権が普天間問題、子供手当問題で迷走を続けた挙げ句、公約違反の消費税増税を巡って分裂し政権を失って以来、投票率は低迷を続けるようになった。「一度は自民党以外にやらせたい」として民主党を政権党に押し上げた国民の多くは、「裏切られた思い」を抱いて民主党はもちろん、選挙と政治への関心を急速に失った。この先何度選挙をやっても投票率が上がる事などなく、政権の変更はないかに見える。

 アメリカもまた、民主党であれ共和党であれ、これまでアメリカを牛耳ってきた東部の政治エリートを中心とした既成政治家にうんざりし始めている。
 繁栄の恩恵を受けることの少ない白人中・下層階級の素朴な反エリート意識、排外感情につけ込んで大統領の座を仕留めたトランプ。
 また、民主党予備選挙で絶対優勢だった政治エリートの代表者と言ってよいヒラリー・クリントンを土壇場まで追い詰めたバーニー・サンダースは、「民主社会主義者」を自称し、政策的は多分にアメリカが嫌ってきた社会主義的なそれであり、若者や進歩的文化人の個人献金と草の根運動に支えられ最後まで選挙戦を盛り上げた。

 イギリスもまた、労働党の万年ヒラ議員であったジェレミー・コービンが、あれよあれよという間に労働党の党首となり、先の総選挙で保守党を過半数割れに追い込んだ。
 彼は、保守党とほとんど政策的な差のない「中道」政党に堕していた労働党を急進的な政策を掲げる「左翼」政党へと回帰させたのだ。

 日本の政治がこれからどちらに向かうのかは分からない。大きな変化や混乱を嫌い、基本において保守的な国民性が、トランプ、サンダース、コービンを欲するかどうかも分からない。だが、有権者の半数以下のそのまた半分に支えられる、いわば1/4政権がこのまま存続しえるほど日本は「政治を必要としていない」安定している国なのだろうか。

異常過ぎる「京アニ」放火事件

2019/07/20

 ホームページを大改装した。ほぼ3週間、最近はやりのhtmlのレイアウトをするFlexBoxの勉強から始まり、CSSなる便利なんだか、不便なんだか訳のわからないスタイルデザインの言語を唸りながらいじくってやっと公開に踏み切った。

 固より美的センスはなし、批判、苦笑、嘲笑は覚悟のうえ、心配なのは第一ゼミナールらしさが伝わるかどうか。これからも、ちょくちょく手を入れながら「手作りホームページ」を公開していきたい。

 恐ろしい事件が起こったものだ。34名の方が犠牲となった。多くは火災に伴う一酸化炭素中毒によるものらしい。一体何が起こったのか、なぜ自分はこんな恐ろしい火災に巻き込まれているのか、何一つ分からずに亡くなっていった方々を思うと気の毒で仕方がない。青葉真司なる容疑者は重い火傷を負って治療中だがかなり重篤だそうだ。正直、このまま死なせてなるものか、この異常過ぎる事件については、彼の話をぜひとも聞かねばなるまい。その上で然るべき償いを受けてもらわねば、亡くなった方もその遺族も浮かばれまい。

川崎市登戸事件に思う

2019/05/29

 つい2日前、北海道佐呂間町では最高気温が39度を超えた。オホーツク海に面したこの町には学生時代に深夜の鈍行で一度、北海道に住むようになってからはオートバイで一度お邪魔したことがあった。ホタテがとてもおいしかった記憶がある。道東のこの町が40度に迫る気温を、しかも5月に記憶するとは夢にも思わなかった。

 何とも残虐、凄惨な事件が起こったものだ。わずか十数秒の間に19名が刃物で刺され,うち二人が亡くなった。刺されたのはスクールバスを待っていた小学生がほとんどだった。さぞ怖かっただろう、さぞ痛かっただろう、目の前で一体何が起こっているかも知らずに無慈悲に刺されたショックは計り知れないものだったことだろう。

 亡くなった女児はまだ11歳だ。楽しい盛り、夢見る盛りの女の子だ。余りにも気の毒で、気の毒で、申し訳ない気持ちになってしまう。もう一人の方は外務省の第一線で働く男性だった。最初に刺されたそうだ。近くの官舎にはご家族がおありだ。家族のため、社会のためまだたくさんやりたいことがあっただろうと思う。無念だ、残念だ。本当に申し訳なく思う。事件があった社会の一員としてそう思う。

 犯人は自殺してしまった。これから事件を巡る状況が明らかになって様々な意見、感想が出るであろうが、今は「死ぬなら一人で死ね、他人を巻き込むな」という声が支配的だ。精神分析の専門家、社会学者からは、「孤独、社会への憎悪、生い立ちの不幸さ」などが指摘され、2008年の「秋葉原無差別殺傷事件」や2007年のアメリカの「バージニア工科大学銃乱射事件」などとの類似性が示された。海外メディアは、世界で最も安全な国であるはずの日本で起こったことへの驚きを伝えた。

 これからマスコミも学者たちもこぞって犯人の過去を追求するだろう。どんな環境で育ったのか、親兄弟・親戚・隣人との関係はどうだったのか、小中学生時代はどうだったのか、職場ではどうだったのか、何か過去に特別な出来事がなかったのか、などなど。そして、そのいくつかと今回の事件を結びつけようとするだろう。

 

 「人は過去とのつながりの中で生きている」という説が正しければ当然なことだと思う。これまで同種の事件が起こる度にそれは繰り返し行われてきたが、果たしてそうなのだろうか。自分はこの説には懐疑的だ。自分は「人は過去とではなく未来とのつながりの中で今を生きている」と思っているからだ。例え、過去がどうであれ、どんなに不幸で悲惨であったとしても、また、今がどんなに悲惨な状況であったとしても、それだけでこのような事件には至らない。いささかなりとも未来とのつながりを持つ時、あるいはつながりを感じていられている限り、人は他人も自分も傷つけることはないのだと思う。

 未来と自分のつながりの全てを全て絶たれた時、あるいはつながりの予感すらなくなった時に、あのような事件を起こすことで自分の全てを精算しようとするのではないだろうか。それは実は未来とのつながりをあきらめたのではなく、恐ろしいやり方で未来とのつながりを確固たるものにしようとするからなのだ。

 自分の名を、例え凶悪犯としであれ未来永劫に渡って社会に刻み込み、傷付いた子供達が、未来に渡って果てしなく心身共に後遺症に悩むことを通して、事件以前にはできなかった自分と未来を結びつけることに成功し、しかも自殺することでその結びつきが確固たるものとなり、しかも、社会からの執拗な糾弾とその後の死刑までの恐怖を回避することができると計算したのだと思う。だとしたら、この犯人にとって余りにも都合の良い、してやったりの事件であったのではないだろうか。

 だから、犯人を「悪のヒーロー」のごとく祭り上げて、連日、これでもか、これでもかとマスコミで取り上げ、犯人の過去を調べ上げ、学者を総動員して原因を探るなどは止めた方が良いと思う。それはまさしく犯人の思うつぼだからだ。悲しみのどん底にあるはずの遺族、被害者のためにもこの事件を取り上げないことだ。そして、したり顔で、「二度とこのような事件を起こさないためには、こうすべきだ、あーすべきだ。」などと聲高に語らないことだ。この社会の至る所に未来を感じ得ない状況、そういう人達が存在すること、しかも、いつか我らもその立場にいるかもしれない可能性を否定できないということを思うべきだ。例え過去が、今が幸せであろうが、そうなりえることを。

 真言宗徒である自分は人を憎んではいけないのだが、他人を殺傷することで、しかも、いささかも自分を損ねることなく自分を完結させた犯人の狡猾さ、卑怯さ、残忍さを心から憎む。

AIと教育

2019/05/21

 桜の期間が終わって3週間、函館は清々しい一番良い季節に入った。これから約2ヶ月間は気持ちの良い時が過ごせそうだ。

 2045年は大変な年になるのではと言われ始めて久しい。シンギュラリティー(技術的特異点)の到来だ。AI(人工知能)が人類の知能を上回り、世界に多大な変化が生じるだろうと言うことだ。AIを積んだ対戦ロボットがチェスの世界名人を破り、並み居る将棋の高段者、囲碁の強豪を打ち破ったことは記憶に新しい。情報通信分野は当然として家庭用電化製品、医療、さらには軍事分野でも実用化が進もうとしている。自動運転車から始まり、医療用ロボットが外科医に代わって難病の手術をし、無人戦闘機・爆撃機はもちろんロボット兵士が戦場を駆け回る光景が現実になりつつある。

 今は亡き天才物理学者ホーキング博士はシンギュラリティーは人類の悲劇だと断じた。実際、現在ある職種の半分は消滅し、人はそこから追われるだろうと言われている。AIが人間に代わって世界のご主人様になるかもしれないという声も聞こえてきた。

 他方、AIに批判的な人達、特に教育の世界では人間の優位性を声高に唱える人が多い。「AIなんかに教育なんてできない」というのが根底になるようだ。「教育は人を育てることで、機械に代わりは務まらない」と言うわけだ。確かに、まだAI化にも至っていないネット授業にも嫌悪感を持つ人は多い。

 これとは対照的に、教育分野でのAI活用を積極的に考える人も少なからず多い。AIを積んだ授業ロボットがかなりのレベルで英会話レッスンをする、数学の学習を生徒個々に組み立てるなどはもう実用化されている。夢の「翻訳こんにゃく」もかなりの程度まで進化している。数年後にはスマホに「通訳・翻訳アプリ」を入れて、言葉の壁を感じることなく世界中どこでも自由に旅することができるだろう。夢は膨らむばかりであろう。新しい技術、システムが現れた時に、ヒトは興奮し期待するか、恐れて不快感を抱くかどちらかである。

 自分はAIに賛成も反対もない。科学技術は、特にIT時代になってからはハード、ソフト共に一般大衆の賛否にかかわらず、それ自身が勝手に膨れ上がっている。「教育の花園」に入り込むな、と言ったところで土足でズカズカとやってくるのは間違いない。また、「AIなんかに教育なんてできない」と言ったところで、下手くそな先生がやるよりも生徒個々の実情に応じたプログラムを自在に作成し、活用して極めて効率的、かつ生徒の興味を損ねないように「先生ロボット」が指導してくれるはずだ。これはこれで見てみたい景色ではある。

 では、AIの時代に教育の世界にはヒトはもはや指導者ないしは教師として存在し得ないのであろうか? 自分は分からない。2045年までは生き長らえることはあり得ないからだ、と逃げて言っているかなのではない。AIというモンスターを今の知識だけでは想像だにできないからである。確かなのは、AIないしはその装置はツールであるということだ。教える自信がない、指導研究はほとんどやらない、適当にやっていても問題ないだろうという教師、指導者は間違いなく消滅するだろう。生徒が好きだ、生徒の未来のために自分は生きたいと考え、必要ならどんなツールでも、それが例えAIであっても使いこなしていこうという者だけが残る、ある意味では理想的な教育界になっているかもしれない。自分は、今もこれからもAIの行く末を見つめ続けたいと思う。

基地問題に思う

2019/03/25

 なかなか春が来ない。北大の卒業式辺りに雪が降ることが多いのだが、今年もそうだった。だが、あまりの雪の多さと寒さには閉口してしまった。本州も「花冷え」だったらしい。

 ところで、一度でも沖縄のあの青く澄んだ海を見、我が物顔に居座る米軍基地を見たならば、普天間であろうが辺野古であろうが、これ以上の基地の存続など真っ平御免と思うのではないだろうか。だが、普天間基地の移転先である辺野古では海への土砂の投入が強行されている。県民投票での”辺野古NO”の圧倒的な民意などどこにも届いてはいないかのようだ。

 確かに1972年に沖縄は施政権がアメリカから日本に返還された。通貨がドルから円に、車両の右側通行が左側通行に変わったが、基地はそのまま残った。アメリカの世界戦略、とりわけ核・軍事戦略に編み込まれれたまま沖縄は「本土復帰」を果たしたのだった。返還後、アメリカにとって沖縄の重要性はさらに増した。

 アメリカは沖縄を離しはしない。施政権が日本にあるかどうかなど一顧だにしない。日米安保条約と日米地位協定という最悪の超法規を武器に、都合の良いところに基地を作り、中国、ロシア、朝鮮半島、東南アジアに睨みを利かせ、戦地に兵力を送り出していく。無論、日本や沖縄のためなのではない。アメリカ自身のためだ。施政権を返還して一番喜んだのはアメリカだ。なぜなら、県民のことなど考える必要がなくなったからだ。基地移転など基地問題は日本政府の仕事になり、アメリカが自ら手を汚すことがなくなったからだ。アメリカは日本政府のケツをひっぱたくだけでいい。日米安保条約と日米地位協定がそれを保証している。

 沖縄の基地問題は最終的には、アメリカに何もかも従属した日本をどうするのかに行きつくだろう。現在のアベ政権はアメリカ従属を維持しているが、本質はネオファシストだけに核保有を含めた対米「自立」を志向せざるを得ないだろう。
 一方、各種選挙で敗走を続ける左翼陣営は、政府の対米従属を批判しながらも、己の対米自立政策に親中国、親ロシア、親北朝鮮のレッテル=「反日」を張られることを恐れ、おそらく何もできないだろうし、その対米自立政策自体に有効性があるわけでもない。ここに、現代日本の抱える最大の悲劇がある。

 私は最近夢想する。薩摩藩による琉球侵攻、明治政府による琉球処分=強制併合以前の琉球への回帰を。琉球独立論に与しようとは思わない。だが、日本からも中国からも自立したかつての琉球の誇りを、我々は尊重しなければならない。基地を沖縄に押し付けながら、沖縄観光だけに現(うつつ)を抜かすのであればあまりにも「本土人」は情けなくはないか?

 

「新共通テスト」対策だけでは

2019/02/05

 自分の誕生日は2月12日。もう大分年齢も進み、誕生日を心待ちにすることなどなくなってしまった。そのうち誕生日そのものを忘れてしまいそうだ。

 2020年度入試改革の目玉は英語4技能検定の導入であろう。英検の受験者が増えていることから、大学入試を意識した”英語熱”が次第に高まってきているように思う。

 英語を勉強することはとても良いことだとは思う。実用英語=「使える英語」を意識することも良いことだと思う。だが、「新共通テスト」試行テストの英語問題程度のレベルでそれを達成出来るわけではない。「使える英語」とは、英語で商談する、プレゼンをする、ディベートをする、喧嘩腰の折衝をする、映画の感想・批評をするなどだ。こんなのは、必要に迫られて、職を賭けて、生活を賭けて、プライドを賭けて死ぬ気で対処しない限り出来るはずがない。にもかかわらず、腰の引いた「使える英語」が全面に押し出され、これまで国公立大学や私大入試で出題される程度の、少し硬めの英文の評論文や小説などを唾棄する傾向が見られ始めている事は論外である。

 自分は「グローバリゼーション」と言う名の「アメリカ化」には賛成できない。政治、経済、軍事、文化のすべてをアメリカのパワーの下に編み込んでいくのがアメリカ化だ。悔しいが、自分たちの社会はすでにグローバリゼーションにどっぷり浸かっている事実がある。今や、人・物・金・情報に国境はない。英語が世界言語となっているのは紛れもない事実だ。大学、会社、官庁、地域社会のどこでも英語を使えることが、そこで生きていくためには必要なことになった。

 だからといって、すぐに英検1級を目指せか、TOEICで800点超えを目指せとかではない。「新共通テスト」の英語程度はそんなに意気込まなくても十分に対策できるはずだ。「キョーイチ」以前の「知識偏重の難問奇問」入試を経験してきた我々世代ですら英語で「戦う」ことをやってこられたのだから。

 ふやけた「使える英語」の喧伝に右往左往することはない。それよりは、単語、熟語、文法、構文を習得し、抽象的な英文評論が読め、英文小説が読め、英語の記述式大学入試問題をそれなりにこなせる程度の素養を身につけるべきだと思う。それが出来れば、例え「グローバリゼーション」の環境に投げ出されても十二分に生きてやっていけると思う。

 我が第一ゼミナールは「新共通テスト」はもちろん、どんな入試制度の下でも英語で戦える生徒、だから「グローバリゼーション」でも戦える生徒をさらに育てていきたいと思う。

領土問題に寄せて

2019/01/20

 受験の季節が始まった。19日、20日のセンター試験を皮切りに、2月には私大入試が本格化し25日には国公立大学前期日程入試、3月に入って前期日程合格発表、直ちに後期日程入試と続き最終決着は3月後半。我が校の受験生諸君の健闘を切に祈る。

 領土問題は難しい。どの国だって妥協などしたくないからだ。もし領土問題に解決があるとすれば、当事国同士が解決条件で折り合うか、物騒な話だが戦争で決着するときだけだろう。

 沖縄返還は、アメリカが別に好意で返してくれたわけではない。戦後に沖縄を占領したアメリカが、沖縄全土で巻き起こる反米・反基地運動、施政権返還要求運動の高まりに対して、施政権を日本に返還する代わりに沖縄を丸ごとアメリカの核軍事戦略に編み込むことで一気に解決しようとしたものだった。だから、アメリカは未だに沖縄に居座り、アメリカの軍事行動の最前線基地となっている。普天間の代わりに辺野古に基地を、などはかつての沖縄返還で取ったアメリカの振る舞いを彷彿させるではないか。アメリカ十分な見返りなのだ。

 北方領土については、ソ連の時代から今に至るまでロシア側は一度たりとも、また一島たりとも返すなどと言ってはいない。日本政府は旧ソ連による不当な占領を叫び、四島を返せ、少なくとも歯舞、色丹島だけでも返せと言い募り、ロシアの「返すような素振り」に飛び付いて国民に期待を抱かせようとするが、ロシアは1ミリたりとも島を離そうとはしないだろう。いくら不当だと叫んだところで、戦争の結果占領した土地をおいそれと返すわけがない。それが領土問題というものだ。まさか、ロシアが「我々は不当に占拠していました。すみませんでした。島をお返しします」などという訳がない。もし返すとすれば(ほとんどあり得ない話だが)、沖縄に対するアメリカがそうであったように、ほんの少しの餌を日本に与えて、恐らくそれの何倍もの見返りを要求するだろう。現に、何も返していないのに、総理たるアベ氏は、「ウラジミール!」などと猫なで声を出し28回も会った挙げ句、3千億ものカネをみすみすロシアに提供する約束をしただけだった。ひょっとしたら、これからその何倍、何十倍もの「経済協力」を差し出すことになるかもしれない。実に馬鹿げた話だ。

 我々は、四島は我々のものだと言い続けるほかはない。戦争でも仕掛けない限り、四島返還に見合う条件を我々が飲めるまでそうすることが最善だと思う。こちらから持ち出す話ではない。我々は、日露平和条約を匂わせ、あからさまに条件を吊り上げるロシアにも、また、領土問題を政権浮揚に政治利用するアベ氏を始めとする我が国政治家どもにも付き合うなどしてはならないのだ。

3.11を風化させない

2018/09/11

 2011年3月11日、東日本大震災。死者・行方不明者は1万8,434人、建築物の全壊・半壊は40万2,699戸、避難者は40万人以上に達した。だが、この大震災による悲劇は地震・津波による被害にとどまらなかった。福島第一原子力発電所1 - 4号機がメルトダウン(炉心溶融)や建屋爆発事故などが続けて発生し、チェルノブイリ原発事故と同じレベル7に分類される重大事故を引き起こした。繰り返された「原発安全神話」など木っ端微塵に吹き飛んだ。

 双葉町元町長・井戸川克隆氏によれば、津波の少し前、3月3日、3月3日に地震・津波のあることを日本政府は知っていたそうだ。だが政府、東京電力、東北電力、日本電源はそれぞれの思惑から公表することを止めただ。事実だとすれば、彼らは地震・津波・原発事故の加害者、協力者ということになろう。否、犯罪者である!

 あれから7年半、3.11の悲劇を想い出すはずの自然災害が続いた。地震そして台風で、多くの人も建物も大きな被害を受けた。そして、今度は北海道が。40名の方々がお亡くなり建物も道路も壊され、全域に渡る停電が起こった。交通機関、水道、およそ生活に関わる全てが機能を止めた。巨大発電所への一極集中がもたらす恐怖をまざまざと見せつけられた。これが原発だったらと、誰もが3.11を想起したはずだった。

 にもかかわらず、停電の最中に起こったのは、原発待望論であった。ホリエモンなどのカネ亡者、経済効率一辺倒の自称合理主義者、電気の便利さだけを強調する一部国民が声を上げ始めた。だから、原発があれば停電を防げたのだと!

 政府はと言えば、あの安倍ネオファシスト・単純軍国主義者は、ドンキホーテよろしく仮想敵のために惜しげもなく防衛費を膨らませたにも関わらず、北海道には震災対策費として僅かに5億円だけを出し、例によって「災害対策に全力を挙げる」と、これまでどの災害時においてもまともに取り組んだことのない嘘八百を並べてロシアに逃亡した。もちろん、将来起こりうるであろう泊(とまり)原発事故の危険性など一顧だにしなかった。

 日本は、知られているだけでも2000もの活断層があり、この10倍もの見えない活断層の存在が予想されている。いつ、どこで、大きな地震が起こっても不思議ではない。にもかかわらず、北から南まで54基の原発が存在し7基が稼働し、残りが再稼働を待っている。その多くは知られている活断層のすぐ近くに立地している。この狭い国土、地震大国に世界で3番目に多い原発が置かれている事実を、そして地震、台風の度に福島原発事故の再現があっても不思議でないことを直視すれば、どうして出てくる答えが「原発再稼働、原発推進」になるのだ!

 

 原発がなくても暑い夏を乗り切り、格段の支障はなかった。稼働している7基を止めても大きな影響などない。政権者の一声でそれは可能だ。すでにドイツがそれを実現している。恐れるのは、有力視されている原発村の負託を受けている安倍政権の長期化により、原発がさらに推進されることだ。心ある国民諸氏よ、電気の便利さ、地元への恩恵だけで安直に原発を認める事なかれ!

 思想が左であれ、右であれ、真ん中であれ、今こそ原発を否定する勇気を持とう!

ヒグマさんも生きたい

2018/09/05

 こんなに台風が多い年は記憶にない。ほぼ毎週のように日本列島を脅かしている。自分は仏教・真言宗徒だから、天変地異には天のご意思があって、我らに何かを警告しているのだと受け止めてしまう。迷信だ、被災者への冒涜だなどの批判は甘んじて受けるが、己の言動に傲慢さがないか、不誠実はないか、優しさや寛大さを欠いていないかという自戒の念を自然に持ってしまう。また、亡くなられた方への哀悼、被害を受けられた方々への同情の気持ちは人一倍強いと思っている。

 ところで、今年の北海道では、人里へのヒグマの出現が多く報道されている。人家の近くに突然現れたらさぞかし驚いてしまうだろう。頻繁になれば恐怖が募るだろう。農作物への被害が出ているという。何頭かのヒグマが駆除という名のもとに射殺されている。ヒトはヒグマとこんな関わり方しかできないのだろうか。

 昨年11月に愛犬を突然の病で亡くしてしまった。可哀想で可哀想で泣いた。今でも何かの折に思い出しては泣いてしまう。トイプードルだったが、言葉がない、話せないだけで意思も感情もヒトと同じように持っていた。ヒトが動物の上の存在だとは少しも思わなかった。

 ヒグマは人を驚かそう、襲おうと思って山を下りてはこない。本来は臆病な動物なのだ。ヒトが本来ヒグマの聖地だった山・森林を開発し、狭くなって食べ物がなくなった。ヒグマはただ生きるために、食べ物を漁っているうちに里にたどり着いただけだ。そこにはヒトが無自覚に捨てた食べ物、雑に置いた食べ屑がある。一度味を覚えたらまたやってくる。すべては生きたい一心からだ。

 ヒトにも言い分がある。自分たちだって生活がある、その土地で生きなければならないのだ、と。さらに進んで、ヒグマの分際でヒトを脅かすなんてとんでもない、駆除あるのみ、と。

 ヒトもヒグマも同じなのだ。共に生きていかなければならないのだ。一方が他方の犠牲になって生きていくのではない。共に生きるのだ。だが、どうやって。それは第一にヒグマと遭遇が予想される地域のヒトの仕事であり、第二に北海道全体が取り組むべき仕事である。前提となるのはヒトの知恵だと思う。

 まず、食べ物の管理をしっかりやること。食べ残し、食べ屑をヒグマが手を付けられないように処置すること。
 次に、ヒトとヒグマの生活圏をはっきり分ける電気柵を設けること。電気柵の手前は雑草などを除去し、安全柵を設けることでヒトの感電を防ぐべきだ。ヒグマは一度感電したら二度と近付きはしない。
 さらに、単独で行動しない、音声、音楽などでヒグマにヒトの存在を知らせること。襲われた場合に備えて、反撃する道具を携行する(かつてアイヌは鉈や小刀を携行した)。ヒグマと隣接しながら暮らす地域にはそれなりの覚悟と準備が必要だ。

 しかし、より抜本的には、ヒグマが生息する山に、餌となるドングリが不足しないようにブナ、コナラ、ミズナラが育つようにすることと、ヒトとヒグマの緩衝地域となる里山を復活させることではないだろうか。ヒグマとの共存は頗る環境問題でもある。

 かつてヒグマはその毛皮のために乱獲され、今はヒトの乱開発でヒグマの居場所が狭められ生存が困難になりつつある。ヒグマは鑑賞されるのでも、駆除されるのでもなく、その本来の聖地である山奥でヒトに邪魔されることなくその生を全うすべきだ。ヒトの安全のため、ヒグマの生存のため今こそヒトが行動する時だ。

オリンピック、賛成ですか?

2018/08/06

 高気圧と低気圧がごちゃごちゃに入り乱れ、北海道の直ぐ南に停滞前線が横たわり、台風13語の接近もあって、函館はここ3日ほど曇り空で時々雨が降り、日中気温も23度前後。本州の最高気温の高さがいつも以上に別世界の出来事に感じてしまう。

 これだけ天災が続き被災地の方々が難儀している時に、2011年の震災・津波・原発事故の大災害からの普及が遅々として進まない中で、政治家や経済界はともかくマスコミがこぞって東京オリンピックを喧伝していることに誰も違和感を覚えないのだろうか?

 東京がオリンピック開催地に立候補したときの費用の試算は3千億円だった。今、経費は10倍の3兆円に膨れ上がった。見栄と利権が次から次とカネを引き出そうとした結果だ。一握りの者だけが甘い汁を啜り、多数の者がおこぼれにすら与れず、ただその後始末だけに翻弄される。

 オリンピック招致演説でアベ某はあまり上手でない英語でこう言った。「状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」と、統御されている=「アンダーコントロール」を胸を張って言い放ったのだ。だが、福島原発では多くのタンクのあちこちから汚染水が漏れている。汚染された水が港湾に流れ出る事態が続いている。アンダーコントロールなど彼得意の真っ赤な嘘で、現実は制御不能=「アウト・オブ・コントロール」なのだ。

 サッカーの欧州選手権の日程やアメリカの野球やフットボールシーズンに気を遣い、アメリカのテレビ局の視聴率を「忖度」し、秋の開催を主張することなく、40度近い酷暑と70%近い湿度の東京の炎天下に選手を晒してまで開催する必要などどこにもない!

 オリンピックがスポーツの祭典などとは現実から見れば絵空事に過ぎない。欧州のサッカー、アメリカの野球の方がオリンピックよりも優先されているではないか!

 オリンピックの経済効果上げる人たちがいる。オリンピック関連事業および雇用の創出、外国からの観光客の流入で景気が良くなるのだそうだ。なるほど、しばらくはそうだろう。5兆円ほどの経済効果があるのだそうだ。仮にその数字を認めよう。だが2本のGDPはおよそ500兆円だ。そのわずか1%の5兆円を生むのにこれだけ大騒ぎをするものなのか? 過去のオリンピック開催国が、オリンピック以後数年で景気が悪化する現実をどう説明するのだ? 3兆円かけるならば、まず天災で苦しむ人々と地域の普及を優先せよ! 二度と被害を受けないような対策をせよ!

 マスコミが動員され、オリンピック開催は国民総意であるかのような幻想が醸成されている。かつての国家総動員のような気持ち悪さ、不気味さがある。アベ某とその取り巻きどもが2年後の夏にも権力の座に居座っているならば、この日本は二度と「美しい国」にはならないように思うのは自分だけか。

あれから7年以上経って

2018/07/13

 少し前までは梅雨前線が北海道付近に貼り付いて雨が続き、今度は低気圧が梅雨前線を東西に分断するように北海道を覆っている。とにかく寒い、7月の気候ではない。この時期に、いくら北海道といえども早朝、深夜は暖房のお世話になりたい気がするほどだ。

 しかし、天に向かって文句を吐いても仕方がない。まして、広島県や岡山県など西日本の集中豪雨で200人もの方々がお亡くなるほどの悲惨さを思えば、まことにお気の毒でこちらの7月の暑さ、寒さを取り上げること自体許しがたいことだと思われてくる。

 災害の度に「危機管理」が叫ばれる。この際、クライシス・マネージメントなどとカタカナ言葉を使うことであからさまに権威を誇張する自称「専門家」諸氏の見解など聞く必要もないのだが、災害時の危機管理は専門家ではない我々こそが意識して然るべきものなのだと思う。

 残念なことに、この国の政権者達は、繰り返されるこれまでの豪雨被害の教訓を学習しなかったのか、それとも、その被害に呻吟する大衆・人民など関心の外にあるのか、迫り来る大雨にもかかわらず、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ、果てはそれをSNSで発信して大はしゃぎしている有様だ。その輪の中心には、もちろん拳を振り上げて「国民の生命・財産を守る」と宣うアベ閣下、さらには今回の被災地選出の国会議員もちゃっかりいたというから、選挙民たちはすっかりなめられているとしか言いようがない。もちろん、彼らが「危機管理」のお役に立つなどとは誰も信じちゃいない。

 かくなる上は、「自分の身は自分で守る」ことを第一に考えなくてはなるまい。なにしろ、日本は地震の国だ。7年前にあれほどの地震と津波を経験した。おまけに、この地震多い国では老朽化した原発すら稼働しているのだ。これに台風、大雨、強風が加わり、火事の心配もある。いざというときに、自分や家族、関係者はどうすべきかを、まずは自分の頭で整理し、避難と対策をより具体的に立てねばなるまい。

 それでも税金をきちんと納めている以上は、その使い道のひとつとして、「災害の危機管理」を政権者達に命じなくてはならない。まずは「飲んでいる場合ではないぞ!」なのだ。  災害の最中ならいざ知らず、二日酔いが覚め、自分の安全が確保されてから、飛行機の上から被災地を眺め、ほんのわずかだけ被災地に足を入れ、「まさに時間との戦いなのであります」などと一体どの口が言わされているのだ、と地元民に嘲笑されるようではもはや辞めてもらうしかないのだ。

 ともあれ、今の政権者達に危機「管理」の「管理」能力、「管理」意識がない以上は、自分の身は自分で守ること以外にはあるまい。これがあの7年前の危機を経験したにもかかわらず、2018年の現実なのだ。

受験屋の最後の戦い

2018/06/18

 近頃日が長くなってきたなあと思っていたら、あと3日で夏至だった。道理でと思ったが、夏至を意識しないほど仕事に忙殺されていた。1週間が終わるのがあまりにも早い。

 あと二年に迫った大学入試改革だが、早稲田大学が2021年度入試の方針を公表し受験関係者に衝撃を与えている。全学部に「新共通テスト」と英語の外部試験を課し、各学部がAP(入学者受け入れ方針)に基づく独自試験を行う。政経学部の場合は、英語・国語の長文を読み通させた後で、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性主体性・多様性・協働性)」という「学力の三要素」を踏まえた設問を解く、というものだ。ほぼ文科省の入試改革方針に沿った入試になるが、他の私大もほぼ同じ内容になるだろう。国公立大学がどうなるかはまだ不明だが、これまでの東大の後期日程試験、京大のユニーク入試などだ参考になると思われる。受験生にとっては対策が取りづらく、間違いなく難化するだろう。

 難化するからと言われて引っ込むわけにはいかないのが受験屋の受験屋たる所以(ゆえん)。入試改革の是非とは別に、受験屋の立場から見ると(勝手に思うだけだが)、文科省から受験業界に売られた喧嘩だ。一昔前に「ゆとり教育」が文科省から打ち出された際には、「このままでは日本は馬鹿になる」と文科省を批判し、それには多くの賛意が集まったから、塾。予備校は少子化は進む不利な条件下でもそれなりの生徒を確保し、文科省から「売られた喧嘩」(勝手にそう言わせてもらう)に受験業界あはひとまず勝ったのだと思う。今度の入試改革は一面では文科省から仕掛けた「遺恨試合(かたき討ち)」だと言えば、少なくともテレビのワイドショー的な話題にはならないだろうか。

 今度の文科省はなかなか手強い。文科省が入試改革の中核に据えた「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性主体性・多様性・協働性)」という「学力の三要素」は、「無理言うなよ、まず、お前ら(官僚・政治家。大学関係者)」自体が持ってんのかあ」と言ってやりたくなるほどの傲慢・尊大な無理筋だからだ。英語力を高めるくらいなら、受験屋にとってはお安い御用だが、「学力の三要素」の完全な対策となると「知識・技能」はともかくあとの二つは前代未聞・前人未踏の領域だからだ。しかも、2年後には喧嘩が始まる。

 だが、売られた喧嘩(くどいが、勝手にそう言っている)は買うし、喧嘩する以上は勝たせてもらわねばならない。確かに函館は「受験後進国」だが、中央と地方の受験格差と経済力による受験格差を助長する今回の入試改革を、手を咥えて黙って見ているわけにはいかない。自分の36年間に及ぶ受験屋人生の最後の戦いと思ってこの入試改革に臨みたい。無論、勝つこと以外は考えていない。

美しい日本を取り戻す?

2018/04/21

 自分は真言宗徒であるが、先日、機会があって禅宗・曹洞宗の総本山である福井県の永平寺にお参りをさせてもらった。二度目の参拝だったが、まだ雪が残る境内の空気の清涼さに思わず深呼吸してしまった。修行僧に法堂(はっとう)、仏殿、承陽伝(じょうようでん)などを案内していただき、仏殿では僧達の勤行の様子をお見せいただいた。ここでは、二百数十名の修行僧達が、僧堂の僅か畳一枚の上で座禅・食事・就寝を行っている。ここでは、24時間の全てが修行という毎日だ。どっぷり俗界に浸かった毎日の自分がとてつもなく不浄なものに見えてしまう。仏殿で般若心経を上げさせてもらい、本尊の釈迦牟尼仏(お釈迦様)の御前で反省・自省の念を抱いた次第だ。

 「美しい日本を取り戻す」とした安倍政権だが、「モリカケ」疑惑、公文書隠蔽さらにはセクハラ官僚スキャンダルなど多くの独裁政権がそうだったように、「美しさ」とは間逆な醜悪な末期的色彩を強めている。今や、政党支持、政策云々が何であれ、多くの国民の政権の腐敗と堕落への憤りは頂点に達しようとしている。

 与党内の及び腰の「安倍降ろし」と野党の非力さ・不甲斐なさに助けられて命脈を保ってはいるものの、北朝鮮への「圧力一辺倒」路線の破綻に加え日米関税問題で盟友のトランプにも見捨てられてしまった今、安倍政権は間違いなく崩壊に向かっている。

 だが、「三振してもまだ打席を離れようとしない」と例えられるほど権力に執着するアベは、政権延命工作を仕掛けるかもしれない。しかし、それを許すことは、日本の政治、経済、社会の総体を破壊する道、戦争への道を突き進むことになるだろう。かつてのファシストたちがそうであったように。

 日本は世界でも稀有な外国からの侵略を受けたことがない国だ。逆に、海外に派兵した場合は、七世紀の「白村江(はくすきのえ)の戦い」がそうであったように、秀吉の朝鮮出兵がそうであったように、そして、太平洋戦争・日中戦争がそうであったようにことごとくが手酷い敗北を被ってきた。日本は外に軍隊を出してはいけないのだ。

 「特定秘密保護法」「安保関連法」「共謀罪」など憲法すら踏みにじる”戦争法”を制定し、憚ることなく集団的自衛権を掲げ拡大解釈することにより自衛隊の海外派兵を目論む安倍政権は、まちがいなくネオ・ファシスト政権である。歴史の教訓を一顧だにしないアベ政権のこれ以上の存続は、日本国民の最大の不幸である。

報道の自由ランキング劣悪の我が日本

2018/04/05

 4月になった。長く、つらい冬だったと改めて思う。比較的冬が温暖な函館だったから、余計そう思う。道外では、早くも桜が散り始めたという。なーに、ここまで来たら焦ることはない。厳しい冬に耐え、やがて見事に咲く北国の桜を、いつも以上に愛でたいと心から思う。

 国際NGOとして「国境なき記者団」という組織がある。パリに本部を置くNGOだが、取材のため拘禁されているジャーナリストの救出活動、その家族の支援活動の他、世界各国のメディア規制の動きへの監視・警告を行っている。このNGOは、毎年「世界報道自由ランキング」を発行しているのだが、それによれば、昨年度、日本は180ヵ国中72位だった。

 民主党政権下で11位だったのが、第二次安倍政権下で順位は急降下し、53位、59位、61位、72位とランクを落とした。ちなみに、第1位はノルウェーで、上位を北欧が独占する。主要な国では、ドイツ16位、フランス39位、イギリス40位、アメリカ43位だ。

 日本が先進国で突出して低いのは、特定秘密保護法や共謀罪など、表現の自由を規制する法律の制定が大きい。また、政府高官の記者への高圧的な態度や恫喝、「知らぬ存ぜぬ」、果ては明らかな「嘘」、報道機関への圧力強化などが指摘されている。

 一方では、報道側から政権側へのすり寄り、迎合により報道の自由を「自主制限」しているようにもお思える。別に仲良くしなければならない理由はないと思うのだが、政権側、それもトップたる総理と、報道側トップとの度重なる会食が明らかになっている。ご馳走されたかどうかは別にして、飲食を共にしている相手を、翌日の報道で批判するのは中々難しいだろう。

 最近、朝日新聞がすっぱ抜いた財務省の改ざん文書の存在を巡って、忘れかけていた森友問題が再びクローズアップされたが、報道機関として久しぶりのヒットであった。だが、昨年成立したきな臭い法律への検証、原発存続の可否、アベノミクスなる経済政策への評価、辺野古移設、日本の軍事力の強化、その他現政権が打ち出す政策、政権運営への批判的記事はほとんどお目にかかることはない。報道から政権批判を取って残るのは一体何だろう?

 新聞始め報道の責務は、時の政権が何であれ、それが右翼政権であれ、左翼であれ、中道であれ、政権の真実を暴き出し、検証し、報道することで世論を喚起することだろう。その全てを指して「報道の自由」と言うのだと思う。政権側からの規制に対しては毅然と立ち向かうこともまた報道の使命だろう。況んや、自ら政権の批判を控える、あるいは迎合するなど報道の「死」に等しい。北朝鮮のランクは180位だと言う。日本がこのランクまで下降しないという保障などどこにもないことを、報道側も国民も知るべきだと思う。

受験屋風情が

2018/02/26

  昨年末から、手強い「女の子」に振り回されっぱなしだ。「男の子」のせいで暑い夏が続いてきたが、それに取って代わった「女の子」もなかなかしたたかだ。「男の子」はスペイン語でエルニーニョ、「女の子」はラニーニャだ。昨今の寒波・大雪の最大の原因はラニーニャ現象だと言われている。春先まで続くと聞かされれば、雪かきで痛めた腰が疼き、デコボコ道路のノロノロ運転にうんざりしてしまう。「春よ来い、早く来い」と切実に思う。

 2月25日の国立大学前期日程入試が終了し、今年の大学受験シーズンは大団円を迎えようとしている。センター試験が好調だったので、大いに期待している。
 すでに大半が合格発表を終えた私大入試、国公立大AO入試・推薦入試では望外の大快挙だった。国公立大では札医大・医学科、千葉大・文学部、北大・看護、山形大・理学部に合格し、防衛医大・医学科、国際教養大にも合格を得た。、私大では早稲田、慶応、明治、青山、立教。法政、中央、同志社。立命館に複数名合格を果たした。我が校生徒諸君の努力・精進・頑張りに心から敬意を表したい。

 受験屋風情が何を言っても始まらないが、2020年度からの大学入試改革のいい加減さに開いた口が塞がらない。そもそも高校の教育課程を変えずに、「暗記中心の試験から、思考力、判断力、表現力を重視する」入試に変えようということひとつを取っても、いかに急造で、現場の意向を反映しない入試改革だと言って良いだろう。さらに、記述試験の採点を受験業者に外注し、鳴り物入りの英語4技能検定も外部業者試験だ。受験生の将来に関わる入試を業者に丸投げしようというのだから呆れてしまうほかはない。GTEC、英検のための高校英語になることを誰も疑問に思わないのだろうか。

 「応用力重視」と言えば聞こえはいいが、要は、暗記した知識を組み合わせて判断し表現をすることになるから難易度は格段に高くなるはずだ。結局、こうしたことを指導できる態勢を整え、それを十分に受け止め、吸収できる生徒がいる「進学校」がますます有利になるのは自明だ。中高一貫校を多く抱える東京などと地方の受験格差はますます拡大するだろう。

 入試改革一般に反対するわけではない。だが、共通一次試験導入から約40年、1990年からは大学入試センター試験と名称が変わったが、お題目であった「受験地獄と大学序列化の解消」が出来た訳ではなく、明らかなのは受験生の低学力化だ。このことの反省もなく突き進む大学入試改革の将来に危惧を抱き、むしろ「共通一次試験以前の大学入試に戻れ」と叫びたくなるのは、自分のノスタルジーだけであろうか。

国技・大相撲の終焉

2018/01/07

 穏やかな正月だった。雪が降らず、気温もこの時期にしては厳しくなかった。センター試験本番もこうであって欲しいと切に願う。

 服装といい、態度といい、何もしゃべらない不気味さといい、貴乃花親方はヒール役を探すマスコミにとっては願ったり叶ったりだったろう。

 しかし、明らかに悪いのは貴之岩に因縁を付けて散々痛めつけた日馬富士であり、ろくに止めもせず暴力を黙認した白鵬を始めとするモンゴル力士達だ。まずはこれを糾弾し断固たる処分をするはずが、八角理事長-池之坊評議員会議長らは、日馬富士に引退勧告、白鵬、鶴竜には減給というチョウ甘処分でお茶を濁したのだった。池之坊某が散々喧伝する「公益法人」が常識ある組織なら、例え功労者であろうが何であろうが、「暴力根絶」を掲げる限り、当事者は相撲界からの永久追放であって然るべきであろう。

 にもかわらず、厳罰に処したのはいわば被害者側の貴乃花親方の方だった。評議員会議長の池之坊某が、前代未聞の「「理事解任=二階級降格」の理由を力説してみせた。「理事としての報告義務違反、非協力」と並んで「特に上司でありかつ先輩でもある八角理事長が何度携帯電話に電話しても全く応答がなく、折り返しの電話もないというのは著しく礼を欠いていたのではないか」、つまり相撲は国技であり相撲道は礼に始まり礼に終わる」からだと。ならば、池之坊議長よ、八角理事長よ、頭を10針も縫う怪我を負わすのは、「礼」を欠くどころか人にあるまじき蛮行と断言して良いのではないのか! それに貴乃花が報告義務を怠ったというのなら、暴力現場にいたモンゴル力士一行にこそ報告義務が先ずあるのではないのか!頬被りして逃げた彼らにこそ2階級降格が相応しいのではないのか! 明らかに、協会主流派はモンゴル勢に加担・擁護し、それに批判的な貴乃花とその一派の追い落としを画策したのだ。

 神事に連なる国技としての大相撲から見ると、白鵬の張り手、かち上げは明らかに美しくない。しかし、ルール違反ではないから、勝敗を競う格闘技スポーツとしての大相撲では全く問題はない。言葉も生活も習慣も何もかも日本とは異なるモンゴルからやってきた力士とその予備軍にとっては、「勝つこと=番付順位を上げること」が第一であり、やがては朝青龍のように故郷から尊敬される横綱・大関になることが全てなのだ。そこに国技=大相撲の意識はほとんどない。そして、朝青龍、白鵬を頂点に、彼ら「モンゴル軍団」は日本大相撲を席巻したのだ。

 恐らく大相撲は「国技」という名を残しつつ、格闘技スポーツへと大きく舵を切ったのだと思う。それは、「神も仏も信じない」という現代の風潮の中で、神事に由来する国技・大相撲の終焉であり、オリンピックのメダル獲得を頂点に、「勝敗こそ全て」の時代に相応しい「新しい」大相撲という名の格闘スポーツの誕生を意味するのかもしれない。かつての柔道がそうであったように。

 この国技・大相撲の崩壊は、栃錦・若乃花の取組をラジオの前でドキドキしながら聴き、大鵬・柏戸の力相撲をテレビで拳を握りながら観戦した世代としては残念な限りである。今にして思えば、あの若乃花・貴乃花兄弟横綱時代が国技・大相撲の最後の始まりだったかもしれない。

自分だけか?

2017/11/07

「アベノミクス」を掲げ、その成果を盛んに喧伝してきた第二次アベ政権の5年間で何が起こったのか?

<増税の部>
消費税を5%から8%に 所得税、住民税、相続税、固定資産税を増額
<減税の部>
大企業の法人税

つまるところ、大衆からは収奪し、その分大企業に回したということか。

<国民への新たな負担>
年金支給額
配偶者控除の廃止
生活保護費の削減
国民年金の引き上げ
介護保険料の引き上

児童扶養手当の削減 電力料金、高速道路料金の値上げ

 これだけ国民に負担を強いたのに、「円安誘導」で起こった株高で、海外のハゲタカどもに100兆円をプレゼント、ない袖は触れないはずなのに、「地球儀を俯瞰する外交」とか「積極的平和主義」とかをぶち上げて海外に70兆円をプレゼント。
 円安誘導による輸出の増加で、関連企業とその社員は潤ったかもしれないが、残ったのは乱発した借金=国債の山また山、200兆円が積まれてとうとう1000兆円を超えてしまった。

 これが、アベ某が聲髙に成果をぶち上げるアベノミクスの実態だ。雇用は確かに増えたが、非正規雇用が突出した。残業代はまともに出ない。「女性が輝く社会」と言うのに、どうして過半数が非正規雇用なのだ、どうして年収が200万に満たないのだ、どうして、地方のデパートには客がいないのだ、そもそもどうして地方からデパートが撤退するのか、アベノミクスで説明してもらおうじゃないか。

 トランプに先立って娘のイバンカが来日した。ハリウッドスター並みの大歓迎だ。アベ某は、イバンカ基金に57兆円、高級料亭で大接待、マスコミはファッションがどうのこうの、学歴・職歴がどうのこうの...あきれかえってしまう。しかもただの娘ではない、大統領補佐官というアメリカ政府の一員なのだ。ならば、なぜトランプの反環境政策、人種差別を問いたださないのだ。なぜ対北朝鮮の言動を問題にしないのだ。なぜ、馬鹿騒ぎで終わってしまうのだ。

 そのトランプがやってきた。日本は平和だ。ヨーロッパとは違って反トランプのデモなどなかった。アベ某は「国難」と言ったはずなのに、ゴルフするか? 鉄板焼きか? 嫁同士は銀座の宝石店で真珠漁りして、トランプ嫁に150万円の真珠のプレゼントか? 

 なんかこの国は、上から下まで狂い始めていないか? 自分だけか、こう思うのは?

秋深し、雑感

2017/10/24

 寒くなってきた。朝晩の暖房が欠かせなくなった。雪虫を見かけることも多くなった。ここ、北の国では秋と冬が短い期間で入れ替わる。

 選挙が終わった。誰もが疑問を感じた解散理由の「国難突破」。政権者は勝手に解散時期を決めるから、普通は政権与党が勝つはずだし、その通りになった。にしても、「国難」とはな...。

 北朝鮮の核開発・ミサイル実験が危機でないとは言わない。彼らを擁護・支持する気もない。小国が超大国から凄まれたときに、ヘイコラするか、徹底的に逆らい通すか、彼の国は極めて危険な後者を選んだのだと思う。そして、隣国である日本は、その超大国の肩を持って、否、超大国と共に小国を懲らしめることを国民に強いようとしたのが今回の選挙だろう。当然、そのために必要な海外派兵・交戦権を可能にする憲法改定をも正当化しようとしたのだろう。そして、最初のすったもんだはあったが、政権者の目論見通り、政権与党は大勝利した。日本は北朝鮮「征伐」だけでなく、アメリカに見倣って「世界の警察官」面をして、晴れて合法化された自衛隊・国防軍に日の丸を掲げて、米軍と並びながら世界に出て行くのだろう。果たして、政権与党に票を入れた方々はこの事を真面目に考えていたのだろうか? 自分は、この国の少し先に見えるものが怖くてならない。

 もうひとつの「国難」は消費税だという。消費税を2%分増税するのだと言う。これで得られるはずの5兆円分を全世代にばらまくのだという。特に、教育の無償化に使うのだという。これが「国難」なのだそうだ。我が政権者の用語はよく分からない。何しろ、「云々」を「でんでん」と読んでしまう極めて優秀な方だから。

 しかし、教育無償化それ自体は、有権者からは好感を持って迎えられた。何しろ、大学の授業料さえもタダにしようというのだから。反対する理由がないではないか、何やら、数年前の民主党政権の「子供手当」を彷彿とさせ、いや、それ以上の大判振る舞い。しかも、これを消費税でまかなうと言う。電卓叩いても絶対に出てこない数字を怪しむこともなく、「さすがはアベさん、自民党さん」という声が沸き上がった。

 ここまで来ると、野党がどうもがこうと、「緑のたぬき」のテーマソング「小池にはまって さあ、たいへん」が流れようと政権与党の勝利間違いなしとなった。「タダほど高いものはない」の格言などどこかに消えてなくなってしまった。そして、いわゆる改憲勢力が2/3をはるかに超える議席を得た。

 今、とても憂鬱である。我が生徒を目の前にして、この子らを戦争に向かわせてはならないと思う反面、多くの国民を巻き込みながら奔流となりつつあるこの時代の流れに抗う(あらがう ×あがらう)には余りにも無力であることを恥じてしまう。もう待ったなしなのにと思いながら。

北朝鮮問題に寄せて

2017/10/18

 日増しに寒くなる。朝は、教室にも短時間だが暖房が入った。雪虫を目撃したという生徒が多くなってきた。冬が近い。

 総選挙だが、報道機関はアベ与党の圧勝を予測している。小池「ジャンヌダルク」が率いる政党が大躍進するはずが、実は極悪王妃「マリー・アントワネット」の選別、差別、奢りの産物だったことが分かると、急激にしぼんでしまった。「マリー」のご威光にすがった哀れな民進党のおっさん達が、「騙された」とか「合流すべきではなかった」と嘆いても後の祭り。政治信条を投げ捨ててまで当選にこだわった、政治信念など全くない無節操な輩には落選の鉄槌が待っている。

 にしても、開票後のアベの高笑いが、今から聞こえるようで実に憂鬱だ。ジャイアンの手下のスネ夫、いや、虎の威を借る狐=アベ某は、狂人としか言いようがないトランプの背後から首を覗かせ、「圧力、圧力」を聲高に繰り返し、アメリカの軍事行動をも積極的に支援、否、共に行動することを強調している。

 「圧力」とは宣戦布告そのもの、少なくとも開戦の恫喝であるのは世界の常識だ。かつて、アメリカは日本に経済制裁を含む様々な「圧力」をかけ、最後は日本の石油輸入を完全に止めた。後のなくなった日本は、真珠湾奇襲を手始めにアメリカとの戦争に突入、あの悲惨な第二次世界大戦の結末を迎えるに至った。歴史は繰り返すという、しかも、悲惨な歴史は、二回目はさらに悲惨な歴史を生むという。今が、その時に近づいていることをどうして否定できようか。

 会社が倒産するとき、多くの社員はその日が来るまでほとんど無警戒だそうだ。質素倹約、無理な売上げ目標、生産の手抜きなどの兆候が少しずつ出始めるが、ほとんど危機感を持たないそうだ。社員の多くが、「ひょっとしたら」と思い始めた頃、会社は倒産を迎えるのだそうだ。今、国民の多くは、「まさか、日本が戦争になんか」と思っているかもしれない。

 朝鮮半島は、朝鮮人民の意思ではなく、アメリカ、中国、ソ連など外国の利害のために南北に分裂させられ、同胞同士が殺戮し合う戦争を強いられ、南北分断が固定され、現在に至っている。この分断をどうするかは基本的には朝鮮人民の問題であって、アメリカはもちろん日本、中国などがしゃしゃり出ること自体が問題なのだ。

 北朝鮮が核武装することは言語道断だ。その技術、資金があれば、どれほど北朝鮮の農業はじめ産業が振興し、人民の暮らしが良くなることか! だが、そのことが、現に核武装しているアメリカなどが、「俺の核武装はいいんだが、お前はダメだ」との言い分が通ることにはならない。北朝鮮の核武装化は、主としてアメリカの軍事的圧力と執拗な経済制裁と、北朝鮮の支援国家だった中国との確執によって、北朝鮮の孤立化がいっそう深刻になった中から生まれた。宣戦布告に等しい「圧力、圧力」によって、この先、北朝鮮がかつての日本と同じ選択をしない保障はどこにもない。

 度重なる北朝鮮のミサイル発射、そして我が政府のマスコミを動員した「危機煽り」によって醸成された国民の不安・危機感を最大限に利用し、「国難突破」なる時代錯誤のスローガンを掲げる我が国首相アベ。これを、何の疑問もなく支持し、後押しすることの危険性をこの選挙を通して自覚することを強く望んでいる。

総理は国の父?

2017/10/06

 もしアベさんが日本国の父だとすれば、ずいぶん稼ぎが悪い割には、借金はするは、道楽はするは、そのくせ偉そうなことを言うはで、子供である国民はこの家(国)から家出したい気持ちなってしまう。

 なにしろ、この親父の稼ぎは年間50万円(50兆円)、借金はその2倍の100万円(100兆円)だ。これまでの借金の総額は1000万円(1000兆円)、普通だったら、もっと稼ぐことを考え、借金は出来るだけ減らそうとするだろう。なのに、この親父は、しょっちゅう銀行(日銀)に出かけては、もっと金を出せという。ついでに、勤め先に出かけて、金曜日は働かねえぞ、残業なんかしねえぞ、でも給料は上げろよ、と凄んでみせる。

 それに、どうも、お隣の家(北朝鮮)には悪ガキがいて、いつ何時何をされるか分からないからと妄想して、戸締まりを丈夫にし、悪ガキがあまりにもひどいから、遠くの親戚(アメリカ)と組んで殴りに行こうかと考えているらしいのだ。ついでに、隣の家をばらばらに壊してやろうかなとも考えている節がある。「危機だあ」って毎日叫ぶけど、家族は、なんか問題をずらしてないか、なんか隠してないかと訝っている。でも、親父は「我が家の危機の突破」に金がかかるから、借金だあとわめき散らし、子供にはもっと稼げ、ウチにカネを入れろよ(消費税増税)って言ってノルマ(10%)まで課す有様だ。
 町内の人たちにも一緒に殴りに行かないか、って誘っているようだ。でも、先日、町内会(国連)で、それをがなり立てたら、みんないなくなってひとりで拳を振り上げていたな。

 家族は、そこまでしなくても良いよ、と親父に言うものの、親父は、子供たちを大学に上げてやるから(教育無償化)ぐたぐた言うな、カネは親戚筋からかき集める(消費税)から心配すんな。なんなら、一筆とっておく(憲法改正)から、と一杯機嫌でぶち上げる。
 おばあちゃんとおじいちゃんが、わしらの病院代はどうなるんだい?って食ってかかるが、親父は、平然と、借金の使い道を検討中だ、まあ待てとなだめにかかる。

 あれっ、仲間に貸したカネの金利(法人税)を下げちゃうの? 心配すんな、おまえらが稼いで、穴埋めすればいいんだよ(消費税増税)、あの仲間たちには何かと世話になっているからな。
 それに、親父よう、ウチが持っていた土地、カケさんとモリさんにただで上げちゃうの? 小さいことでがたがた言うな、カケは俺の昔からのダチで、モリさんは嫁のサークル仲間なんだよ、それに、後で良いことあんだよ。あまり大きな声出すなよ。
 で、親父よ、借金は誰が返すんだい? さあな、多分子供と孫じゃないか、俺は知らないよ。それよりも、もっと借りなきゃな、それに、おまえたちにばんばん稼いでもらうからよ。だから、大学にタダでいかせんじゃねえか。ついでに、お隣に殴り込みかけるから手伝えよ。
 あっ、そうそう、「緑のたぬき」、いっぱいスーパーで買ってきたから、一緒に食おうぜ。120億円当たる抽選券付きだよ。マエハラ君が、そう言ってたよ。当たれば良いな。

 ところで、大谷君、本当にトランプの国に行っちゃうのか?

これって、ブレかなあ

2017/10/06

前回、一旦終了宣言した塾長日記ですが、OB・OG?保護者様から「止めるな」というメールががんがん届きました。
「威勢の良い塾長の話で元気になります。」、「ユニークな内容が無くなるのは寂しい」etc,etc
 それで、再開します!月に一回程度は更新することにします。お騒がせしました。

最後の塾長日記

2017/09/20

 塾長日記を公開するようになって20年近い歳月が流れた。受験屋風情が、時には政権者に噛み付き、時には受験業界を批判し、スポーツ、音楽、芸能界などに関して拙い論評をしてきた。日記と称しながら、週刊、月刊どころか季刊にまでなってしまった。話題がないというわけではないのだが、あまりにも仕事が多忙で、書き始めたのはいいが、そのまま中断することが多くなり、時機を逸して公開することが憚(はばか)れてしまった。加えて、ツイッター、最近になってブログも始めてしまい、なかなか日記に手をかけることができなくなってしまった。そういう訳で、今回を持って一旦終了することにした。
 最後の日記ということになったが、私の心情を素直に書き連ねたいと思う。

 生業としている大学受験に関してだが、函館の現状に強い危機感を持っている。とにかく難関大学に入らない。東大、京大、東工大、一橋大などの超難関大学は合格者がまず出ない。北大ですら理系は壊滅状態、文理合わせてほんの数名が受かるだけ。医学部志望者は多いのだが、推薦入試、AO入試で若干名が合格するものの、一般入試ではまず受からない。にもかかわらず、生徒も保護者もあまり危機感を持っているようには思えない。これが大学を目指すものの態度か、と思わず唸ってしまうほどの不勉強ぶり。 高校生になってすぐに準備をするならいざ知らず、3年生の部活終了を待って北大だ、医学部だ、獣医学部だ、早稲田だ、慶応だと言われても間に合うわけがない。なぜ、ここまで何もしなかったのだ、と呆れてしまうが、これが函館の高校生の偽らざる現状だ。おまけに、東京や首都圏などが大学入試に存分にお金をかけるのに対して、函館はあれだけ高校入試にお金をかけて塾通いをさせていたにもかかわらず、大学入試となるとほとんどかけようとしない。勉強はしない、お金はかけない、では到底戦えるわけがない。もちろんお金を出すことがそのまま合格につながるわけではない。それなりの大学を目指すなら、とにかく勉強をして欲しい。

 2020年度から大学入試改革と称して現行センター試験に替わる新共通テストが始まる。グローバリゼーションにふさわしい大学にするために、大学入試も一新するのだそうだ。この改革を主張したアベ総理が「云々」を「でんでん」と読んでいる始末だから、この入試改革って何だ?と茶々を入れたくなるのだが、それはさておき、そもそも大学入試って国全体がひとかたまりになってやるものなのか? 国の顔色をうかがいながら入試を行い、国のご意向に従って大学をいじらねばならないものなのか? 大学の自治、自立こそ大学の存立の基礎なのではないか? 何もかもが、グローバリゼーションに踊る必要があるのか? 国が目指す大学は完全に理系偏重になっている。軍事研究すらターゲットになっている。文学部、教育学部始め文系は彼方に追いやられようとしている。要は、産業に貢献し、国家に貢献する大学に改変しようとしているのだ。グローバリゼーションの名の下に! これに対して、なぜ今の大学は怒らないのか? なぜ学生は黙っているのだ!

 北朝鮮のミサイル発射、核兵器化は論外だが、我が国政権者のアベ某は、トランプの尻馬に乗って、「全ての選択肢がテーブルの上にあることを言葉と行動で示すトランプ氏の姿勢を高く評価」するのだそうだ。つまり、アメリカが北朝鮮に軍事行動を起こすなら日本は支持しますよ、ということなのだ。支持するからには、2年前にほとんど反対なく成立した安保法でいっそう強化された「日米軍事同盟」が発動され、日本が戦争に突入するのは当然となる。しかも、アメリカの思惑は、「アメリカ人の血は流さない」だから、日本と韓国の軍隊・国民の血が流れることを意味するのだ。誰がこんな事態になることをアベに許した? 我ら国民か? 冗談ではない、そんな軍事行動など誰も望んでなどいない! しかし、反対勢力が分裂し、脆弱なのをあざ笑いながら、モリ・カケの不始末のもみ消しを目論みつつ、アベ某は解散・総選挙に打って出ようとしている。ここでのアベ一派の大勝は、アベに軍事行動への全権委任を意味してしまうだろう。日本の自衛隊がアメリカと共に北朝鮮を踏みにじり、中国・ロシアその他の国に日の丸を見せつけるのが「軍事少年」時代からのアベの夢なのだ。国民各位よ、確かに経済・景気も大事だ。だが、今こそ、勇気を持って、アベ政権にノーと言って欲しい。

 「アメリカの軍事行動に与しない」という政党・個人であれば誰でもいいから投票して欲しい。Anyone but アベ!

 少し毒があった日記だったかもしれないが、最後に少し吠えさせてもらった。これからは、ツイッターとブログでお話をさせていただこうと思う。それでは、さようなら。

 

東京五輪はやめよう!

2017/08/01

 8月になった。昨日あたりから、函館でもセミの鳴き声が聞こえてくる。真夏だなあと思うが、受験屋の悲しさで、このところ日が短くなってきた、冬至までどんどん夕暮れが早くなって、受験の季節の始まりだなあ、などと一人で緊張したりする。校舎は、夏期講習の真っ最中だというのに。

 テレビ、新聞に2020年東京オリンピックが登場しない日はない。誰が決めたか分からないが、何でもかんでもオリンピック優先、共謀罪もオリンピックの安全のためとかという理由で委員会審議をすっぽかして成立、予算を回さなければならない所があるのに、オリンピックにつぎ込む。ついでにオリンピックまでに憲法改正もやっちゃおう、に至っては呆れてものが言えない。豊洲移転問題だって、オリンピックのために急いで移転しなければならないという。あれだけ騒いだ汚染水、汚染土壌問題はどこへ消えたのだ。東北、九州の震災からの復興は待ったなしなのに、人手も、資材もカネと共にオリンピックに回ってしまう。アベノミクスとやらで東京は豊かになったらしいが、誰も信じていない「トリクルダウン理論」、要は、金持ちが豊かになれば下々の者にもおこぼれがありますよ、という世界でただの一度も実現したことのない絵空事を振りかざし、「地方の隅々まで、暖かい風を届ける」という真っ赤な嘘をまき散らす。で、この函館では、誰に聞いてもトリクルダウンなど起こらず景気はさっぱりだという。それなのに、「東京」オリンピックだそうだ。これ以上東京一極集中をしてどうしようというのだろう。

 マスコミの劣化が指摘されている。そりゃそうだろう、新聞社の幹部連中がアベさんと毎度楽しく豪勢な飲み食いをして、誰が払っているか分からないが、ゴチになって政権批判を書くわけにはいかないよな。で、オリンピックも同じ。誰もオリンピックの批判を書かない、報道しない、代わりに、マスコミはメダルの予想に明け暮れる。国別のメダルの取り合いについては、五輪憲章にすら禁止の規定があるのにだ。これでも、オリンピックに反対するのは「非国民」か?

 それにだ、なんでこのくそ暑い真夏に開催しなければならないのだ? 昔は10月、スポーツの秋だったろう。何でも、アメリカやヨーロッパが放映権収入が一番見込めるプロスポーツの開催時期である秋を避けたいからなのだそうだ。オリンピックは完全に下に見られている。なのに、国際オリンピックで多数を占める欧米の委員たちは、開催を巡って利権をほしいままにしている。可哀想なのは、炎天下で走らされる選手たちと観客だ。

 オリンピックには反対である。開催国のその後の不況もそうだが、いいことなど一つもない。スポーツの振興? レガシー? インフラ整備? 経済活性化? 戦後のに日本じゃないんだから、オリンピックでなければできないというわけじゃない。それに、これから開催したいと思う国はなかなか出てこないだろう。東京の次は、パリそしてロスだそうだ。その後はないらしい。カネを食い、一握りの奴らだけがうまい汁を吸うオリンピックの真実に気付くのは当たり前だ。少なくとも日本はもうやめよう。今からでも遅くない。1000億円払えばキャンセルできるそうだ。まだ他にも必要かもしれないが、この馬鹿げた協奏曲ならぬ狂奏曲をやめることができるなら安いものだ。その代わり、オリンピック誘致で潤った方々にもそれ相応の負担をしてもらおうじゃないか。こんなことを言うと大顰蹙(ひんしゅく)かな?

空海さんの学校

2017/06/19

 学習塾を経営している者の少なからず多くが理想としているのが、吉田松陰とその私塾である松下村塾だ。久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など幕末、明治維新の英雄を輩出した松下村塾は、先生が教えるだけの一方通行の教育ではなく、松陰とその弟子達は、お互いに自由に議論し、教え合い、学び合いを旨としていたそうで、さしずめ「コーチング型」学習塾の源流と言えるかもしれない。

 松陰自身は、「知行合一」の陽明学者であったせいで、その行動は鮮烈を極めた。松陰を崇める方からはお叱りを受けるかもしれないが、かなり「狂っている」、「よく分からない」お方といったほうがいいかもしれない。東北の海防調査を計画したが、所属する長州藩の通行手形が降りず死罪覚悟の「脱藩」をした。黒船に盗んだ小舟で横づけし、乗り込みを図り追い返された。こうして、牢屋を経験すること実に5回に及んだ。心配して反省を求める弟子達に激高、絶交を言い渡したりもした。最後は安政の大獄に連座し、29歳の若さで処刑されてしまった。

 こんな松陰だが、地位、門閥に関係なく、若者を師弟の区別なく育てることに努めたが、弟子達には、常々「諸君、狂いたまえ」と説いたそうだ。現状に満足することなく、常識や慣習に挑むことの大切さを、身をもって実践したのだからすごいとしか言い様がない。教育者が憧れる一人ではある。

 自分は、若いときはかなり松陰先生を尊敬していた。身を縛られるようにして時代を生きることへの反発がそうさせたように思う。今は、真言宗に帰依しているせいもあって、教育者としての空海さんに惹かれている。

 空海さんの起こした「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」は、829年、京都の左京・九条の邸宅に設立した我が国最初の民間教育機関であった。地位、貴賎に関わらず、向学心も持つらゆる人々に開かれた学校だった。綜芸はあらゆる学問,種智は仏の智を意味しているが、授業料は一切なく、目指したのは社会に貢献する人材の育成であった。空海死後、運営費用の問題もあって綜芸種智院は閉鎖されてしまったが、その精神は受け継がれ、江戸時代になって「寺子屋」、「私塾」となって結実した。

 寺子屋の数は全国で1万を超えたと言われ、庶民の多くがここで「読み・書き」を学んだ。当時世界で最も識字率の高かった日本の教育を支えたのは実にこの寺子屋であった。また「私塾」も多く作られ、鳴滝塾(長崎・シーボルト)、適塾(大阪・緒方洪庵)、洗心洞塾(大阪・大塩平八郎)、梅花塾(大阪・篠崎小竹)などからは有能な門下生が輩出された。江戸末期の、かの松下村塾もそのひとつである。

 

 もちろん公的教育には立派な目的・使命がある。一方では、私教育もまたそれに劣らず重大な使命・目的がなければならない。第一ゼミナールを起こしてから35年の歳月が流れた。ノブレス・オブリージュの旗を一層高く掲げて行きたいと願っている。権力の威光を借り、権力に寄り添い、大衆を欺きながら作られるかの獣医学部など、果たして私教育の存在意義を理解しているのであろうか。

阿修羅像に思う

2017/02/09

 学生時代、札幌にいながら、「カップルで見たら別れが待っている」という都市伝説を信じたわけではないが、”雪まつり”には余り縁がなかった。北大の寮から混み合う市電に乗って、酷寒の札幌の夜の大通公園まで出かけるには多少の”気合い”が必要だったからではなかったか。要は無精なのだ。札幌を離れてからは、専らテレビのニュース番組で雪まつり光景を見て、大雪像のあまりの見事さに感心している。

 今年は、大通り8丁目会場に、興福寺中金堂の大雪像が鎮座している。夜になるとプロジェクションマッピングで、興福寺の国宝「阿修羅像」が投影され話題になっている。

 

 興福寺に安置されている実際の阿修羅像はとても人気があって、思わず「可愛い~」とおっしゃる女の方々が大勢いらっしゃるんだそうだ。自分はさすがに「可愛い」ではなかったが、数多く見た仏像の中で明らかに少年を想わせる阿修羅像には、表情の異なる3つのお顔のせいもあって、少なからず戸惑いを覚えた。

 古代のインドの神話になるが、阿修羅=アスラは最強の神であるインドラに娘を奪われ戦いを挑むが敗れて天から追放されてしまう。

仏教に取り込まれてから、アスラは阿修羅と言われることが多くなったが、お釈迦様の守護神である帝釈天=インドラとやはり戦ってばかりいた。この戦場が”修羅場”と言われるのだが、古代インド同様に常に敗北し、六道の修羅界に鬼神として追放されてしまう。あの少年が?である。ただし、その後は仏の教えに目覚め、八部衆に加えられ、釈迦如来様をお守りするようになる。3つのお顔のうち正面は仏教に目覚めたお顔、左のお顔は後悔と反抗を、右のお顔は憂いと懺悔を表すと言われる。少年阿修羅に、果たしてそのような苦難の歴史を背負い込むことができたのであろうか、少年にして反抗への後悔と懺悔、そして仏教への帰依に至る葛藤を続けざるをえなかったのか、阿修羅像と向かい合い自分はやはり戸惑ってしまった。

 奈良・興福寺は、710年に藤原不比等により創建された。薬師寺とともに南都六宗・法相宗の中心寺院である。度々火災に見舞われ、都度再建されてきたが、明治の廃仏毀釈で崩壊の危機にも見舞われた。現在、境内に3つある金堂の中核である”中金堂”は大修復工事を経て平成30年に再建されることになっている。また、阿修羅像に会いに行きたいが、今度は何を感じさせ、思わせてくれるのだろうか。

新年最初の塾長日記

2017/01/10

 年が改まった。『塾長日記』と名付けたものの、良くて月に1回、下手すれば季節ごとの追加になってしまった。書きたいことは山ほどあれど、電話、面談、打ち合わせ、教科指導など途中での度重なる中断で中々うまくいかない。まあ、これは半分以上は言い訳だ。

 センター試験が3日後に迫った。校舎がいつも以上に静かだ。ほぼ全員がセンター試験過去問に取り組んでいる。理科と地歴公民はかなり有効だと思うし、国語、英語、数学も時間の配分、解く順序など確認は大事だ。それに、誘導式のセンター試験のためのいわゆる「センター脳」を作っておかなければならない。直前の「本番レベル最終模試」の成績に気を良くはしているが、今は、本番まで健康を損ねることなく、「普段着」での受験で追われるように気を使い、そして、お祈りしたい。

 さて、トランプが掲げる「アメリカ第一主義」に世界第一の自動車メーカーであるトヨタが早速屈服したようだ。トランプがクレームを付けたメキシコでのトヨタ新工場建設、どこに何を作ろうが勝手だと思うのだが、トヨタはそうは思わないらしい。アメリカに1兆円を投資するのだそうだ。メキシコ新工場お目こぼしの見返りかどうか分からないが、実に情けなく不愉快な気分になった。
 かの安倍マリオも、まだ大統領に就任もしていないトランプの下に猪の一番に駆けつけ揉み手した。ついでに、訳もわからない真珠湾訪問でオバマにへいこらする。大遅刻のプーチンに温泉まで準備して、これまた揉み手する。マリオにしても、トヨタにしても、政治、経済の我が国トップの腰抜けぶりに、「日出処の天子、書を没する処の天子に致す」と言ってのけた聖徳太子と比較してしまうのは自分だけか?

 グローバリズムの正体が垣間見える気がする。グローバリズムとは超大国の下での世界再編だ。このままでは、日本はアメリカへの従属を益々深め、アメリカの思惑に沿って、北方領土がらみのロシアとはなあなあの関係を、中国とは政治的・軍事的には一層の緊張関係を作らざるを得ないだろう。謳い文句の「ヒト・モノ・カネ・情報の自由往来」が無秩序=無政府的に進むものでは決してない。

 とはいえ、我が受験生は大学進学とその後の就職で否応なしに「グローバリズム」の世界に入り込むことになる。体制=大勢に無条件に迎合することなく、自分の意志、学識、良心に従って文字通り「独立自尊」を貫き、自分の夢の実現に向かって進んで欲しいと心から願っている。

 

電子書籍は歴史物だらけ

2016/10/20

 歳をとると「歴史もの」に惹かれるという。自分も例外ではなく、電子書籍の端末は歴史小説が幅を利かせるようになった。『のぼうの城』、『壬生義士伝』、『村上海賊の娘』は一気に読んでしまった。多少手当たり次第の感はあるが、短期間でかなりの数の歴史物を読み楽しませてもらった。中でも『天を衝く』(高橋克彦著)は秀逸で、わくわくしながら読んだ。「秀吉に喧嘩を売った男・九戸政実(くのへまさざね)」が副題だ。どうも自分は反主流派とか無頼に惹かれる傾向があるようだ。

 NHKの大河ドラマ『真田丸』が面白い。それも、主役を演ずる堺雅人ファンには申し訳ないが、真田信繁(幸村)よりも父親の昌幸が素晴らしく良い。演ずる草刈正雄ってこんなに上手かったかと思うくらいだ。まあ、脚本が三谷幸喜だからかなとも思うが、知略に長け、腕っぷしが強く、家来からの信頼も厚く、家族・女衆に見せる優しさが好ましく、いわば「男の中の男」といった感じの繁幸が前面に出ていた。しかし、武田に始まって北条、上杉、織田、徳川、豊臣と臣従関係を取り結ぶのだが、最後は失意の中、追放先の九度山で息を引き取る。智略・武略に長けててはいるものの、運が悪いのか、はたまた決断ミスなのか、戦略・戦術が裏目裏目に出てしまうところがなんとも歯がゆい。所詮は武闘派なのであろうか。何か自分にも通じるようなところが...。

 さて、話は変わるが、アメリカのシンクタンク『The Pew Global Attitudes Project』の調査によると、「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない?」に対して、日本人の38%がYesと答え、アメリカの28%、中国の9%を超え、日本は世界で最も「弱者に冷たい国」ということが示されている。さらに、生活保護費がGDPに占める割合は、OECD加盟国平均が2.4%に対して、アメリカ3.7%、イギリス4.1%、ドイツ2.0%、フランス2.0%だが、日本は最低の0.3%に過ぎない。アメリカには悪いが、アメリカはそんなに寛大な国ではない。今だに人種差別はあるし、経済格差は日本の比ではないし、「優勝劣敗」思想が跋扈するお国柄だと思っている。そのアメリカにすら引けを取るような日本の悲しい現実がある。

 しかし、社会的弱者、経済弱者への謂われのない批判・罵倒がネット右翼のみならず政治家から公然と出、年金始め社会保障費の削減が当然のように語られ始めている。一方では、-「夢」なのか「感動」なのかを今一度味わいたい人が多いのか-東京五輪に向けて3兆円もの天こ盛りの予算を組んでいるらしい。何かおかしくないか?

 社会が寛大でなくなった時、人から寛大さが失われた時、その社会はあるいはその人は、果たして信頼に足る存在であり続けられるのだろうか? 弱者をはじき飛ばすことが当たり前だと思っている日本は、かの総理が言う「美しい日本」でもなんでもない、取り戻すべきは「強い日本」ではなく「寛大な日本」だと思う。

 ところで、「意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」とは、ナチスドイツの最高幹部だったゲーリングの言葉だ。

 「テロとの断固たる戦い」、「中国の脅威」、「積極的平和主義」と叫びながら、憲法9条を更に拡大解釈し、集団的自衛権を法制化し、海外に武装自衛隊を派遣し、さらには憲法そのもを根底から変えようとする現在の流れに、そして、それに危惧を抱くものに「反日」のレッテルが貼られるような日本の現実に、「繰り返される歴史」の危機を感じるのは自分だけだろうか?

 寛大でない社会はまた単純な言葉と力で物事を解決しようとする社会だ。願わくは、心ある国民が、この悲しい忌まわしい現実を直視し、Noという声を上げてくれんことを。

今、燃えている

2016/07/06

 東京大学、かつて憧れ、とうとう入学が叶わなかった大学を本気で目指そうと思う。いや、流石に自分ではない。この第一ゼミナールである。人口30万弱の町で、毎年ほんの数名だけが東大に合格する現状は、一言で言えば、実に情けない。田舎だから仕方がないとは思わない。卑しくも受験屋としては「~だから」と言い訳をしたくはない。本年9月1日から「東大特進ゼミ」を開講する。対象は、小学4年生から高校2年生とし、学年別でなく、あくまでも個別に東大合格対策を進めたいと思う。目標は、5年以内に10名以上の東大合格者を育てたい。石田清の30余年の受験屋人生の最後の戦いだと思っている。

 ところで、バングラデッシュの首都ダッカで、イスラム・テロリストによるむごい殺戮があった。日本人7名の尊い命が失われた。大志を抱いて、かの国の発展のために活躍していた方々だけに残念でならない。心からお悔やみ申し上げ、真言宗徒の一人として御成仏をお祈りしたい。

 言うまでもないが、テロリズムにもテロリストにも同調するつもりは全くない。非戦闘員たる民間人を犠牲にする行動に正義など断じてない。だが、日本人はたまたま居合わせて犠牲になったのではない。標的になったのである。なぜか?

 昨年1月、我が国総理は、エジプトで「イスラム国」対策のために、イラクやレバノンに2億ドルを支援することを約束した。難民支援、人道支援という名目が付けられてはいたが、「イスラム国の脅威を食い止めるため」、「イスラム国と闘う周辺各国に」とわざわざ強調した。総理はあまり常識のない方なので、戦争状態では、例え難民支援、人道支援でも後方支援として利敵行為とみなされることを知らなかったかもしれない。彼は、事実上、「イスラム国」に宣戦布告をしたのだ。

 その後、イスラム国で湯川遥菜、後藤健二さんが処刑されたが、残念ながら総理=政府は人名救済のための実効策を取ることはなかった。「テロには断じて屈しない」という総理の言辞があまりにも非情に聞こえたのは自分だけか? 今も、シリアでフリージャーナリストの安田純平さんが反政府ゲリラに拘束されているが、日本政府は完全に見捨ててしまった。「テロとの戦い」の犠牲はやむを得ないということなのだろう。

 宣戦布告をし、「断固たる戦い」をぶち上げた以上、これから起こることの責任はだれが負うのだ?いやしくも戦いであるからには、戦う覚悟、戦いの準備、当然起こる犠牲の覚悟が必要だろう。だが、しかし、一体誰がこんなことに同意したというのか? 国民は一度だって問われたこともないし、だから、覚悟も準備などしていない。だとすれば、残忍なテロリストの前に無防備・無垢な国民を曝け出すだけではないのか!? 総理が、戦前の軍国主義に憧れていることは承知しているし、日本の戦後を決定づけたポツダム宣言も読まないのに「戦後レジームからの脱却」を滔々と話すことも承知しているが、少なくとも、見通しもないのにいい気になって「戦い」を叫ぶ、この無責任極まる男に大事な生命など預けたくはない。(ついでに、この無責任総理は、国民の了解を得ることもなしに、株高を演出するために大事な年金基金の50%を株につぎ込んで、含み損を膨らませて、ケロッとしている。)

 恐らく、日本人が標的になるのはこれが最後ではないだろう。今も世界のどこかで、ひょっとしたらこの日本のどこかで密かに狙われているかもしれない。我が総理はそれを持っていて、それを口実に、十分な議論もなく制定された安保法の適用と軍備・警備力の増強、日米軍事同盟のさらなる深化を進めるのではないかという危惧を捨て去ることはできない。

 本来日本と無縁な事情で始められたアラブと西欧の戦いに日本がしゃしゃり出る云われはない。国際貢献とは、一方に加担し戦争を激化させることではない。黙って見ている、乞われたら仲裁に入るが一方に与しない、これまで通りの平等な経済援助をしその国の発展に寄与する、これこそが長年に渡って積み上げてきた日本に相応しい国際貢献であろう。勇ましく戦いをぶち上げ、国民の生命・財産を守るなどと大声を張り上げるが、結果は、国民の生命を危うくするだけの現政権は大いに疑問だし、御免蒙りたい。

保守」の自分

2016/06/13

 多分、自分は保守だと思う。日本の伝統や風土に根差した文化がとても好きだ。だから、経済、政治はおろか、文化・教育まで土足で入り込んできてアメリカナイズを迫るTPPなどとんでもないと思ってしまう。

 地震国日本にも関わらず、大量に作られ、生活の安全を脅かし、自然を侵食する原発は即座に撤廃すべきだと思う。
 原発を落とし無垢な市民を虐殺した当の国の大統領が、一片の謝罪も反省もなく、「雲ひとつない晴れた朝、空から死が舞い降り、世界を変えた。」などと己の美辞麗句に酔いしれる様を「歴史的」などとは微塵も思わない。

 「日本を守ってやっている」と強弁するが、実はアメリカの世界軍事戦略に編み込んだ沖縄の米軍基地を、そして、あの美しい沖縄の海を汚す米軍基地を、長年にわたって、罪もない婦女子に狼藉を働く元凶の米軍基地を好ましいとは決して思えない。まして、そのアメリカの言いなりになっている我が国の歴代政権を支持する気には到底なれない。

 自分の経済政策の失敗を、他国の経済環境のせいにして強弁し、各国首脳のひんしゅくを買ったり、「新しい判断」などと言って公約違反を誤魔化す首相に拍手する気などさらさらない。日本は、卑怯であること最大の恥にしてきた。

 おそらく、これまでの国家の権力者が制定した法や決め事の中で最も秀逸なのは、聖徳太子が制定した「十七条の憲法」ではなかろうか。全文はかなり長く、各条の初めの部分だけを取り上げることが多いのだが、それでも真に素晴らしく、日本人の心が生きているように思う。

 「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し~」
 これが日本人の共同体における基本的な思いであろう。「テロとの断固たる戦い」などと粋がって一方に加担し、軍隊を差し向けようとするのではなく、まずは黙って見ている、依頼があった時には躊躇なく仲裁するのが良策ではなかろうか。

 「二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。~」
 自分のように真言宗に帰依している者にとっては至極自然なのだが、無神論者ばかりの今の時代、何か己の信じるものを求めることが必要ではなかろうか。己を絶対化し、傍若無人に振る舞う政治家諸氏こそ肝に銘じていい条文だと思う。

 役人に対しても、とにかく民衆のために働け、民衆を酷使してはいけない、悪いことしたら処罰する、などと良いことが書かれている。

 各条文とも秀逸なのだが、次の条文は今の時代だからこそ光を放っている気がする。

 「九に曰く、信は是義の本なり。~」
 しかし、「信無くば立たず」などと、どこかの国の首相になどに言って欲しくない。

 「 十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。~」
 自戒としている。古来、「不瞋恚(ふしんに)」と言って、過大に怒ることなく、寛容の精神を持つことを美徳としてきたのが我が日本人だった。

 つくづく、自分は保守だと思う。ただし、いわゆる右翼ではない。保守の自分は、今のどの政治家も、マスコミも、評論家もとても好きになれない。

珍しく日記が続く

2016/05/27

 歴史は繰り返すという。

 世は上げて「グローバリゼーション」、それ英語だ、やれダンスだと小学生から仕込み始めた。大学入試だって、英語は読む・書く・聞く・話す4機能の全てを盛り込んで近く実施されることになっている。同盟を組んでやる戦争だったら構わないんじゃないか、と簡単に「戦争法案」を可決し実施する。どうも、日本だけの判断で動いているのではなく、どうやら陰に陽に背後からの大きな力が働いているようだ。

 時代は、さかのぼって明治維新。明治新政府は国作りの根幹として「富国強兵」を進めた。一方では、西洋の科学技術導入のための翻訳の隆盛、果ては鹿鳴館を作り盛んにダンスに興じる「文明開化=脱亜入欧」。

 何か似ている、いや、やはり歴史が繰り返される思いがする。
 明治維新の立役者は薩長の尊皇開国の若き獅子たちや坂本龍馬となっているが、実は裏で絵を描き、彼らを自由自在に操ったのは世界の大富豪=イギリスのロスチャイルドだったというのは今や定説だ。東インド会社を経営するロスチャイルドは、インド産のアヘンを清国に売りつけ大もうけ、断られると今度は武力で清国をねじ伏せさらにアヘンを売りさばく。これが有名なアヘン戦争だ。食料、雑貨だけではなく武器を世界に向かって盛んに売り歩き、笑いが止まらないほどの財をなしたのがロスチャイルド。

 TPPの向こうにあるのは日本の産業、社会構造の一大変革,「グローバル化」の下での教育改革は国家と産業に奉仕するように大学と教育を転換することだろうし、「中国の脅威」、「テロとの戦い」を大義名分に進む軍備増強・同盟関係の強化は、やはり、誰かが背後で策を練り、誰かが忠実にそれを実行しようとしているのではなかろうか。

 やはり、歴史は形が変わり、役者が変わっても、忠実に繰り返される。実に憂鬱な昨今である。

こんなオリンピックなんか

2016/05/25

 自分は「現代」オリンピックの廃止論者である。ナチスドイツの格好の宣伝・国威発揚の舞台となった1936年「ベルリン・オリンピック」の時に、実は「近代」オリンピックは死滅したのだと思う。それでも、その後しばらくは、近代オリンピックの父クーベルタン男爵の提唱したアマチュアリズムは形の上では継承されたものの、旧ソ連はじめとする社会主義国の「国家丸抱え方式」が果たしてアマチュアリズムと言えるのかが疑問視された。これに対抗して欧米主導のプロ選手のオリンピック参加待望論が台頭し、1980年のサマランチのIOC会長就任を契機に、ついに1984年の冬期サラエボ五輪、ロス五輪でのプロ参加の是認となった。ここで、「近代」オリンピック=アマチュアリズム五輪は完全に終焉してといってよい。以降、オリンピックは回を追うごとに露骨なまでの商業主義が跋扈する。

 新国立競技場、五輪エンブレムのすったもんだ、最近になって露見したオリンピック招致委員会の裏工作のための2億3000万円疑惑など、そこまでしても招致し開催しなければならないのはなぜか? そこには、単にスポーツの祭典ではなく、およそ純粋スポーツとはかけ離れた利権・欲得が蠢いているからだろう。

 「汚染の影響は福島第1原発の港湾内0.3平方キロメートルの範囲内で完全に遮断されている」、だからオリンピックは安全・安心だ、と真っ赤な嘘を世界に向けて公言した我が国総理。オリンピックのためと称し、多額の税金を惜しげもなく海外視察旅行につぎ込んだ石原、猪瀬、舛添の歴代東京都知事。五輪に絡む政治・政治家の劣化・醜悪さは、五輪の劣化そのものでもある。

 2020年の東京五輪招致・開催の経済効果はこうだ、あーだ、と自称専門家がはじき出す数字を見て、豊かになる自分を想像できる人はまずいない。大手ゼネコン、大手不動産屋、大手観光業者など、そしてそれに群がる政治家を別にすればだが。また、東日本大震災の復興に伴う資材不足、人手不足、だから、資材・人手の価格高騰は深刻だが、東京五輪関連の工事がさらに拍車をかけるだろう。熊本大震災の復興に一体いかほどが回されるのだろうか。復興がままならない東日本と九州の方々を犠牲にするオリンピックなど、一体いかほどの意味があるというのだ!

 今からでも遅くない、2020年東京五輪を返上すべきだ。さらに進んで、商業主義に汚染され、利権うごめく五輪そのものを廃止すべきだ。少なくとも我が国は、冬季五輪も含めてこの馬鹿げた招致合戦からは永久に撤退すべきだろう。

熊本大震災に思う

2016/04/25

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」には、使い方によってはある種の長閑(のどか)さ、楽観さが感じられるが、反面、極めて無責任な、逃避的な態度でもある。

 我々は、1995年阪神淡路大震災、2004年新潟沖大地震災、2011年東日本大震災、そして今回の熊本大震災とこの20年余の間に、4つの大震災を経験し、多くの犠牲者を出してきた。自治体、自衛隊、警察、消防がそれぞれの立場で救援活動をし出来るだけ多くの命を救い、まだ可能な限りのご遺体の回収に努めた。避難場所・食料・水なども遅れや不足も指摘されたが、また、被災者の健康管理も問題とされたが、災害発生時点といては、緊急的には、おそらくはできる限りのことをしてきたように思える。何よりも、忍耐心があり、控えめで、他人への思いやりもある日本人の気質が、大きなパニックを引き起こすことなく災害に対処出来たのではないだろうか。だが、それを良いことに、国も自治体、関係当局は、救援活動、そして、防災活に対して日頃から十分な計画と対策を取ってきたかと言えば、残念ながらそうではないように思う。

 

 簡単な話、もし、今我々の住んでいる町に震度7クラスの地震が起こったとしよう。まず何をする? どこに逃げる? 何を持って? 飼っているペットはどうするり? 体の不自由な人をどうする? 怪我をしたらどうする? こんな単純だが大事なことに、我々は即座に反応出来るだろうか? また、国や自治体は日頃から即座な対処の情報・指示を我々に伝えているだろうか? おそらくそうではないだろう。

 また、我々の住むむ町、住居が地震、津波、台風などの災害に強い、あるいはどの程度ならば耐えられるかという認識をほぼ全員が持っていない。ここでも、国・自治体からは十分な情報提供はないし、情報すら持ち合わせてないように思える。

 要するに、我々は災害に対してはあまりにも無防備なまま毎日の生活を営んでいるのだ。フランスの報道関係者が不思議そうに日本の報道関係者に尋ねたそうだ。「この断層だらけ、地震だらけの日本の国土によく50もの原発を抱えているのはなぜだ?」と。もっともな疑問だ。我々は、大災害の度に、被災地と被災者に思いを馳せ、心から同情し、寄付活動や現地でのボランティア活動はするけれども、それはとても素晴らしいことには違いはないけれども、上から下まで「喉元過ぎれば熱さを忘れ」、災害など自分の町には起こらないのだということを根拠無く思い、あるいは災害に無自覚に毎日を過ごしているのだ。

 今こそ、真剣に防災を考えるべきだ。まずは原発を止め、二度と運転しない、やがては廃炉にすべきだ。地震大国、津波大国日本に原発は不向きだ。福島の悲劇は、「想定外」だったから起きたのではない。そもそも、大自然に向かってその動きを完全に「想定」できるほど我々は進んではいない。「想定」などとは、浅はかな人間の傲慢以外の何物でもない。この5年間、原発なしで我々はやってこられた。経済活動云々も結構だが、まずは生きなければならない。

 次に、自治体レベルで防災機関を常設し、地域の自然災害への耐性の研究と、災害に強い町づくりの計画・立案、各震災レベルでの避難と復帰までの全プロセスの研究・立案、国その他の機関との合同での防災体制と態勢、必要な予算、人員などおよそ考え得る防災計画の計画・立案を行い、災害発生時には直ちに救済・救援活動の中核として機能出来るような組織とすべきである。愚にもつかないような、出来もしないような公約ではなく、有効で実行可能な防災計画と町づくりを掲げる政治家っていないものか!?

 最後に、我々一人一人が、防災意識を持ち、いざという時には、できるだけ自力で自らを守り、他者と協力して災害に立ち向かう「町内防災団」を考慮する必要があるのではないだろうか。

 災害には、「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」位の用心さと臆病さがあってちょうど良いのだ。

前期日程入試の日に

2016/02/25

 弘法大師空海はまだ生きているという。今も生きて禅定(深い瞑想)を続けているという。「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」(全ての生きとし生けるものが幸せになるまで、私は祈り続けます。)とお祈りを続けているという。ずっと荒唐無稽な作り話だと思ってきた。そもそも、若い時分から、宗教そのものに懐疑的であるというより忌み嫌っていた自分であるから、こんな類いの話は聞く耳など持っていなかった。

 それが、10年と少し前に、たまたま唐招提寺の鑑真和上の乾漆像と出会ったのを機にコペルニクス的な転向をしてしまった。芭蕉がかの像を前にして詠んだ「若葉して 御目の雫 ぬぐはばや」(青々とした柔らかい若葉で、盲目の鑑真上人の御目もとの雫を、ぬぐってさしあげたい )。芭蕉は、朝廷より招かれて、数度の航海を試みる中で、潮水で視力を無くしたにも関わらず、仏教の戒律を立て直すことに奔走し、挙げ句の果てに捨てられた鑑真への同情を詠んだはずだ。だが、自分は芭蕉とは違った思いに囚われたのだ。「鑑真は泣いてなどいない、悲しんでもいない、僧侶の中国最高位を捨て来日したことへの後悔など無い、そのすべてを超えた無私・無心のお顔だ」と感じたのだ。

 それからというもの、あれだけ嫌だった神社仏閣参りがむしろ楽しみになってしまった。旅行の度に、曹洞宗、臨済宗のお寺、浄土真宗、天台宗のお寺に参った。奈良の法隆寺、東大寺、興福寺など、そして式年遷宮の伊勢神宮、出雲大社も参詣した。仏教だけではない、キリスト教の寺院、聖堂にも出かけた。ミラノでは大聖堂の中で聴いた賛美歌に涙を流してしまった。仏像には足を止め、特に不動明王像に魅了された。

 今では、空海に惹かれ真言宗に帰依している。とはいってもどんな宗派でも、例えキリスト教でも受け入れる真言宗であるから、自分も他宗派には寛大だと思っている。高野山の奥の院には大小20万基といわれるお墓があるが、信長、秀吉は言うに及ばず、互いに殺し合った戦国武将の墓が仲良く並んでいる。キリスト者のお墓があり、外国人のお墓も鎮座している。
 その奥の院、「御廟の橋」を渡り、石段を登ると、千年近く燃え続けていると言われる二つの「消えずの火」がある「燈籠堂(とうろうどう)」があり、その地下に弘法大師空海が禅定している御廟ある。何度かお参りし、手を合わせているが、空海さんは、少なくとも自分には、今なおそこにいらっしゃるように思える。

 今日は、国公立大学前期日程入試。朝、我が家の神棚、仏壇に向かい、全員の合格を祈願させて頂いた。

新年に当たっての夢

2016/01/04

 年が改まった。雪のない、寒くもない穏やかな正月を過ごさせてもらった。もっとも、ここが受験屋の悲しさで、我が受験生諸君は年末年始も変わらず頑張ってくれているかなあ、インフルに罹ってはいないだろうな、などと頭の中はいつもと同じ。さすがに、数学を解こうとは思わないが。

 2020年度を目途に大学入試制度が大きく変わろうとしている。センター試験が廃止され、主に推薦入試で考慮される「高校基礎学力テスト」とセンター試験の後継とも言うべき「大学入学希望者学力評価テスト」が、年に複数回実施されるという。これまでのマーク方式から記述式が多く取り入れる他、英語と国語の融合など教科を横断した「合教科・科目型」ないしは「総合型」入試も検討されている。
 特に、単に知識を問うだけでなく、知識を活用しての「問題発見・問題解決型」の問題が考慮されているという。特に英語は、「読む、聞く、書く、話す」の四技能すべてが対象となり、パソコンあるいはタブレットに向かって解答するIBT(インターネット活用によるテスト)が導入されることが取りざたされている。
 予定では、現在の小学6年生からこの新テストの洗礼を受けることになっている。

 さて、この新テストは、構想が公表された当時は詳細が不明なこともあって、実施に疑問の声が多く、構想そのものに懐疑的な声が多く聞かれたように思うが、この所概ね好意的な意見が多数になってきている。曰く、「安倍内閣はロクなことをしてこなかったが、この新テストだけはまともじゃないか」などと。
 ビジネスの世界では盛んに取り上げられる「問題発見・解決能力」などのフレーズが教育現場には新鮮だったのか、あるいは、英語重視の姿勢が「グローバルな時代」に真にふさわしいと受け止められたかは分からないが、この新テストは、ともかく徐々に各方面に浸透し始めている感がある。

 自分は、共通一次試験が導入された時も、それがセンター試験に変わった時も、試験制度の変更には反対であった。共通一次試験導入の理由は、それまでの大学入試には「難問や奇問」が多い、だった。背景には、一握りのエリート予備軍が独占していた大学の裾野を広げよう、いわば「大学の大衆化=質の高い労働力の確保」という目論見があったはずだ。この間に大学の進学率は二倍以上になり、制度変更の目的は多分達成された。だが、「まともに勉強しなくても」推薦入試でポンポン合格者が生まれ、数Ⅲ・物理を履修しなくても工学部に進学できるなど、大学入学者の全体としての劣化は明らかだった。大学の研究・教育の質の低下につながるだろう。大学の研究キョーイチ(共通一次試験)の時にすでに大学の将来を憂慮する声はあった。自分もそうだった。

 「人、物、金、情報」はすでに自由に国境を越え、グローバリゼーションと言う名の、実は「アメリカンスタンダード」が我が物顔に世界中を闊歩し始めた。TPP発効により、ますます各国のアメリカ化は進むであろう。2020年度の新テスト導入は、一面ではこの動きと連動しているはずだ。新テストに好意的な評価もまたグローバリゼーション歓迎から生まれている。

 この新テストは日本の大学のあり方を根本から変えるだろう。自分には、あの明治の「富国強兵」戦略を担う国家エリートの教育を狙った帝国大学が重なって見える。事実、新テスト構想は、大学をグローバル大学、職業訓練大学、地域貢献大学に三分化する構想と一体をなしている。新テストをクリアする力を持った一握りの受験生だけが、最高位のグローバル大学に進学しうる。新大学からは文学、哲学、芸術、教育などの文系分野に重きはない。「富」を生まないからだ。大学は、国家の富のためにこそ貢献すべきだ。これこそ新テスト導入の根幹をなしている。

 また、この新テストは、今でも明らかな中央と地方の学力の格差、富裕層とそうでない層との学力の格差を押し広げるだろう。一握りのエリート予備軍は、中央から、富裕層から生み出されるに違いない。予想される問題の記述対策、論文対策、英語対策には多くのカネとヒトとモノ(設備)が必要だ。地方のどこにそれがあるというのだろう。富裕層にとってはおそらく大歓迎に違いない。結果は目に見えている。キョーイチで否定した「難問・奇問」を解くスキルを身につけた一握りのエリートたちと同種の軍団、ただし今度は国家的役割を自覚した者が闊歩するに違いない。冗談ではない、大学は自由な研究と教育の場であって、国家目標の下にあるのではない!

 しかし、自分は受験屋である。例え受験制度がどう変わろうとも、大学がどのようになろうとも、国家の要請とは別の意味で、このグローバル化が避け得ない世界で、自由な意志で己の知識と才能、能力を発揮せんとする若者を、まずはその一歩たる大学受験から生み出したいと思っている。それも、今後30年で人口の半減が言われ始めたこの北海道函館の街から挑戦したいと思っている。「サムライの心を持って英語を話す」という表現が妥当かどうかは分からないが、「アメリカンスタンダード」に流されない強い意識を持った真の国際人をこの手で育てたいと願う。

あくまでも沖縄の海は美しい

2015/11/06

 雪虫が舞ってから3週間近くなったろうか、初雪近ということで大慌てで冬タイヤに交換した人が多かったのだが、このところポカポカ陽気が続き、少しは秋を愛でる気持ちになっている。

 この度、東進の主催する月間向上得点マラソンで、我が第一ゼミナールグループの函館ラ・サール学園前校が全国第一位になるという大変名誉な結果を頂いた。向上得点は、生徒が講座を受講した後の確認テスト(復習テスト)、修了判定テスト(実力テスト)に合格した場合、あるいは、英単語や英熟語の完全習得、数学計算演習などの単元に合格した場合に、その程度に応じて付与される得点で、その多寡が生徒の勉強の度合いを示す指標となっているものだ。だから、函館ラ・サール学園前校の生徒は、10月度は東進にある全国千校余りの校舎の中で最もよく勉強したことになったのだ。寮生が多く、他の東進生のように自宅受講などができない中での全国のトップなのだから、本当に素晴らしいことだと思う。生徒の頑張りに心から敬意を表したい。

 一度だけ沖縄に行ったことがある。やはり澄み切った海の美しさに感動した。沖縄の海の美しさにはサンゴが関係しているらしい。サンゴ礁が砕けてできた白い砂浜が遠方まで続き、光が反射して海が透き通って見えるのだそうだ。さらに、サンゴは光合成で水中の二酸化炭素を吸って酸素を放出し、同時にミネラルも放出することで海が浄化されているのだそうだ。あの海は何時間眺めていても飽きることはないほどの美しさと穏やかさを持っている。気高いと言ってもいいくらいだ。

 その美しい海に、こともあろうに米軍の基地が作られようとしている。杭が情け容赦もなく珊瑚礁に打ち込まれていく。穏やかさが喧噪に変わっていこうとしている。気高さが殺伐さに打ち消されようとしている。それも、「本土」の手によって。

 17世紀初頭に、薩摩藩が3千の兵で琉球に侵攻し、薩摩の属国にしたのが最初の「琉球処分」、それから三百年後に明治政府が廃藩置県により薩摩から取り上げたのが二番目の「琉球処分」、1972年に米軍統治下の沖縄を本土復帰させたのが三番目の「琉球処分」、琉球=沖縄は自らの積極的な意思とは無関係に、「本土」の思惑でその運命を余儀なくされてきた。1945年3月の米軍による沖縄攻撃は凄惨を極めた。「本土」決戦の時間稼ぎのための防波堤とされた沖縄に米軍が殺到し、約10万人の民間人を含む約20万人が犠牲となった。そればかりではない、沖縄を占領した米軍は、住人を銃で威嚇し追い払いそこに広大な基地をいくつも作った。「沖縄に基地があるのではない、基地の中に沖縄あるのだ」とさえ言われてきた。

 そして、アメリカの世界戦略に編み込まれる中での「本土復帰」を向かえる。基地の撤廃・軽減が言われたが、ほとんど実現されることなく、今度は普天間の「危険度」を理由に海兵隊の最新基地を辺野古に作るという。ここでも沖縄県民の意思は無視される。三番目の「琉球処分」は、今なお、否、これからも続こうとしている。

安達君のこと

2015/08/08

 安達君は松岡修造ばりに熱い男だ。志が高く、いつも夢を追ってそれを叶える男だ。青学時代、帰省しては後輩に学生生活を語り、目指すことの大切さを語ってきた。社会人になってからも、忙しい合間を縫って、2,3年ごとに後輩のための講演を引き受けてくれる。「夢の力」を本当に熱く語ってくれる。「夢を持ちなさい、そして、その夢を持ち続けなさい、必ず夢は実現します。」と。自分も生徒たちも中からこみ上げてくる不思議な力を感じる。今回も素晴らしい講演だった。

 安達君は今年36歳だ。青学に進んだものの「超就職氷河期」でシュウカツは大変だったと思う。だが、用意周到な彼は、足で100以上の企業を回り、大人気企業の電通はじめいくつかの企業から内定を得た。彼が選んだのは松下電器(現在のパナソニック)だった。海外に飛び出したい、そして、「世界一のビジネスマン」になりたいという彼らしい選択だった。 

 入社当初から海外出張を繰り返し、韓国だけでも110回にも及んだ。その後、かねてからの希望である海外勤務を果たし、フランクフルトで2年、パリで1年間、とにかくパナソニック製品を売りまくった。その間、オーストラリアでMBA(経営管理学修士号)を取得した。彼はとても勤勉な男である。

 一流の営業マンとして成功した彼が次に目指したのは「経営」だった。「世界一のビジネスマン」から「世界一のエグゼクティブ」への新たな夢を抱き、大いに惜しまれながらパナソニック社を去った。次の戦場は、かのユニクロを展開するファーストリレイリングだった。彼は、わずか1年半で、会長直轄の「事業経営支援部」のリーダーとなった。ニューヨーク、モスクワ、パリ、相変わらず彼は世界を飛び回る。得意の英語を駆使して。

 安達君の言行はたくさんの後輩たちに勇気を与え、彼に続く人材を生み出している。受験屋などというしがない仕事をしている自分だが、教え子たちが各分野で活躍する姿を見聞きするのは望外の幸せである。今度会ったときの安達君はどんな夢を語ってくれるだろうか。

高野山にお参り

2015/06/01

 ずいぶん長い間ご無沙汰してしまった。何度か書きかけたのだが、受験の忙しさと募集の慌ただしさで中断し、載せることができなかった。ま、言い訳だが。

 良い季節になった。北海道の今の季節は何もかもが素晴らしい。春の実感にほんの少しの初夏の気配、気分が高揚するでもなく何か穏やかになれそうな感じがとても良い。

 先日、開基1200年で賑わう高野山に出かけた。真言宗徒ではあるが、聖地である高野山=金剛峯寺参りは初めてだった。我が受験生のために合格祈願をしようと思い立ったのだ。
 高野山の中心となる壇場伽藍では、金堂の秘仏で今回初めて開帳となる薬師如来像にお会い出来た。これ以降開帳予定はないそうだから、良い時に来たものだ。また、根本大塔では、宗祖たる弘法大師空海の手による立体曼荼羅の世界=宇宙の迫力・迫真に驚嘆し、言葉も発せず、涙がこぼれそうになった。当日は、お大師様がご入定(にゅうじょう)なさった日であったので、法会が盛大に執り行われていたせいもあり、人、人、また人であった。

 有名な奥之院にも参拝した。手を合わせて「一の橋」を渡り、約2キロ先の「御廟の橋」に至る、ここから先はお大師様の御廟の霊域とされ、写真撮影、私語、飲食、帽子すべてが禁止、往きも戻りも合掌しなければならない。正面に灯籠堂があり、この日は法会の読経が続いていた。お堂を巡ると裏手が、今なお空海が生きて、一切衆生のために修行していると信じられている御廟がある。「南無大師遍照金剛」と合掌し祈願する。

 かつての無神論者も受験界に身を置き、切った張ったを繰り返すうちに、人智を越えたものを実感するようになった。今では、神棚、仏壇に頭(こうべ)を垂れる毎日である。

 さて、物騒な時代に入ったものだ。どうこじつけても憲法前文、第九条からは交戦権はもちろん戦争支援などあり得るはずもない。戦後レジーム(体制)からの脱却を目指すアベ総理が、戦後の出発点とも言える「ポツダム宣言」を読んだこともないことが暴露されたが、このような浅はかな人間が自衛隊の最高司令官となって「戦う」体制を作るというのだから、国民もずいぶん嘗められたものだ。

 70年安保以来、大学生は「物わかりのいい」体制派になった感がある。どうだろう、今進められている「戦争ができる日本」の是非をよく議論して、少しは元気を見せて欲しい。自称、他称「左翼」に限らず、心ある国民の冷静な判断に期待したい。

これからも難問かな

2015/02/01

 北海道の北東に低気圧が居座り、道東は猛吹雪が続く。函館に限れば今のところ暖冬だが、何しろ北海道の冬だ。まだ分からない。

 今年のセンター試験の新課程数学ⅡBはきつかった。「7倍角」も驚きだが、ベクトルその他も厳しかった。二次試験の数学対策をしっかりやっている受験生は乗り切っただろうが、センター試験の標準問題対策だけを意識した、とりわけ文系受験生には過酷だった。
 英語は、コミュニケーションに関わる出題が印象に残った。英数共に、5年後のセンター試験廃止=新テスト施行をにらんだ試みに思える。新テスト、とりわけ、発展問題の「大学入学希望者学力評価テスト」は、成績を段階的に評価するため、優劣を明確につけるかなり難しい内容になるのではないか。我ら、予備校と大学を目指す高校生は心してかかるべきだ。

 さて、「イスラム国」は、邦人二人を殺害し、日本人の更なる殺害まで予告してみせた。二人の長きに渡る死の恐怖、ご家族の心労と無念さはいかほどであったろうか。この虐殺はいかなる理由があろうと正当化されるものではない。

 二人の自己責任であるとし、殺害に冷淡な人もいるようだが、冗談ではない。渡航の目的が取材であろうが、観光であろうが、ビジネスであろうが、およそ日本国民は政府によって海外での安全を保護されることは「外務省設置法」にも明記されている。目的で左右されることなどないのだ。「救出に最善を尽くす」のは当然だ。

 むしろ責めを負うべきは、我が国政府の長たる安倍首相の言動だろう。安倍氏が日本の最高指導者であることを残念に思う。早くから、湯川氏や後藤氏の人質の事実、身代金交渉のなり行きの詳細を知りつつ、イスラエルの旗の前で「テロリスト=イスラム国」との戦いを強調し、エジプトのカイロでは、「イスラム国と戦う国」への2億ドルの援助を宣言する無神経さはまともなことか。二人が殺害されてもなお「テロリストへ罪を償わせる」と公言する無邪気さを恐れる。いくら人道支援を強調しようが、「イスラム国」への報復=宣戦布告ではないとは言わせない。米英の有志連合に加わって、戦争を支援するだけでなく、戦争そのものを始めることなど国民の多くは支持しまい。

 テロを支持する国民などいない。同時に、基本的にはキリスト教徒とイスラム教徒の十何世紀にも及ぶ戦い、オスマン帝国崩壊後の支配地域の分配を巡るイギリスの「三枚舌外交」による現代アラブの混乱に、「テロとの戦い」のスローガンの下積極的に加われという国民もいない。黙って見ている、どちらにも与しない、これこそ「積極的平和主義」であると知るべきだ。

 お二人のご冥福を心からお祈りする。

新年雑感

2015/01/02

 年が改まった。お陰様で、穏やかな正月を過ごさせていただいている。 冬至から10日ほど経って、日の長さを少し感じるようになった。これから夏至までの半年間は長くなる一方だと、心が軽やかになるが、北国の寒さはこれからだと思い直してしまう。それにだ、センター試験がすぐあるじゃないか、私大入試、前期日程入試、それに・・・。

若い頃は、誰もそうかもしれないが、神社仏閣、仏像の類はご勘弁を、だった。神も仏も全否定だった。姿も形もなく、おまけに罪だ、罰だと言われると無性に反発したものだ。
50代になった頃、鑑真和上の乾漆像と対面した。かの芭蕉は、「若葉して 御眼の雫 ぬぐはばや」と、度重なる日本への船旅で盲目となった鑑真和上を詠んだ。慈愛に満ちた素晴らしい句だ。だが、自分はそうは思わなかった。鑑真像に悲しさはない、涙も見られない。中国随一の高僧を捨てた後悔もない。あるのは、怒りも悲しみもあらゆる負の感情を飲み込んだ、穏やかさと深い満足だと思った。思わず合掌した。何かが、自分の中で変わっていく気がした。

 かつての無神論者は、今では弘法大師空海の世界に憧れる。我が受験生のためにお祈りをしようと思うようになった。毎朝、神棚、仏壇に向かって般若心経と幾つかのご真言を唱えるようになった。年をとっただけとは思えないのだが。

 さて、教育の世界も大きく変わろうとしている。グローバル化の是非を問うこともなく、大学そのものが再編されようとしている。グローバリゼーションの世に役に立たない大学はやがて捨てられよう。効率、コストパフォーマンスが全面に押し出され、研究・教育が国家目標、ある政権の下で生き長らえざるを得ない状況は、果たして「改革」という名の進歩なのか? 受験屋風情の「田作の歯ぎしり」と思われようが、このにわかに「きな臭く」なりつつある社会で、少しは吠えてみたいと思う。

学力低下を憂う

2014/10/27

 我が日本ハムファイターズのCSでの驚異的な粘りには心から感服した。特に、ファイナル第6戦の0-4からの逆転勝利には鳥肌が立った。来年こそ、リーグ優勝と日本シリーズ優勝を期待したい。大谷、頑張れ!

 さて、センター試験の廃止=「大学入学希望者学力評価テスト」と「高校基礎学力テスト」の新規導入が本決まりの気配だ。自分は、しがない受験屋風情だが、今度のお上のやることには大反対である。

 「大学入学希望者学力評価テスト」(以下「評価テスト」と略す)は、現行のセンター試験に代わるテストで、結果を1点刻みの点数で示すのではなく、A,B,C、Dなど一定幅の段階評価とし、大学ごとの2次試験は面接や論文を重視するようにしなさい、ということらしい。「高校基礎学力テスト」(以下「基礎テスト」と略す)は高校での学習定着度をみるテストで、現在の高認試験(旧大検)程度の難易度にして、大学の一般入試には直接利用しないが、試験結果は推薦入試やアドミッション・オフィス(AO)入試の資料にしなさい、ということらしい。また、この二つのテストは、高2の秋、冬、高3の秋、冬の各2回ずつ実施し、得点の高い方を採用することになるらしい。

 おそらくは、アメリカのSATやACTという年間複数回受験できる統一テストと、大学独自のAO入試を夢想しているのだろうが、我々は、アメリカの試験制度を猿まねして大失敗した例を間近に見ている。アメリカの司法試験制度をほぼ猿まねしてスタートした司法医試験制度のさんざんたる失敗がそうだ。法科大学院の乱立、授業レベルの低さなどが原因で当初80-90%程度の合格率をと意気込んだものの、現在では20%台と低迷し、法科大学院の閉鎖、廃校の危機を抱えている。救済措置であった法科大学院を経ない試験による合格者が急増し、法科大学院の意義そのものに疑問が生じている。さらに、日本が、お上が想定したアメリカ型の「起訴社会」にはなっていない(日本人は争うことが嫌いだ)ことから弁護士の需要が増えず、急増した司法医試験合格者の多くは行き場がない有様なのだ。お上が「改革」を言うとき、まず失敗するものとみてよい。

 ところで、「基礎テスト」程度で受験生を受け入れる大学はいかなる大学か?無論、その大学に入学生をきちんと指導し、高度な知識を持たせて卒業させられえるシステムと能力・技術・教授陣がいるなら話は別だが、まず聞いたことはない。現在の推薦・AO入試合格者よりも程度が悪い生徒を大量に大学が引き受けて一体何をしようというのか?

 また、「評価テスト」だが、難易度は現行センター試験と変わらないらしい。ただし、1点刻みで評価する現行方式ではなくA,B,C,Dなど一定枠での評価することでいくつかの問題点が生まれる。まず、東大、京大、医学部など難関大学受験者のほぼ全員が段階Aに入り、ここでの差はつかないから、2次試験勝負となろう。それでは、難問・奇問が多いからという理由で導入された共通一次試験=センター試験は一体何だったんだ?また、面接、小論文を重視しろと言うが、企業の就職面接試験ですら問題を抱えているのに、大学の教授たちが果たして何千人もの受験生を限られた時間で人物評価できるのだろうか?そもそも、無口、口べたな受験生は正当に学問的な能力を評価してもらえるのだろうか?一体に理系受験生は文章表現が下手だが、小論文で公正、公平に判断することは現実的なのだろうか?

 さらに、この段階評価は新たな大学格差を生むだろう--Aレベル大学、Bレベル大学、・・・・、最低レベル大学! まさか、文科省はこれを狙っているのではあるまい?

 そして、複数回の受験だ。なるほど一回の試験のミスを次の試験でカバーできるメリットはあるだろう。だが、高2の秋からの受験となると、高1の早い時期から受験対策が必要となり、大都市の「中高一貫」高校が圧倒的に優位になり地域間の格差がますます拡大するだろう。また、高校の部活、生徒会、ボランティアなどの行事、活動は明らかに停滞するだろう。もっとも、高校生にとにかく勉強させたい、部活などどうでもいいというのが趣旨ならば、何もセンター試験をいじることはなかろう。やろうと思えば他にいくらでも方策はあると思うからだ。

 今回の「改革」で予備校が繁盛するという批判もあるようだが、おそらくそうはならないだろうし、つくづく余計なお世話だと思う。この「改革」に伴う推薦枠、OA入試枠の拡大と易化は予備校・学習塾の役割を「Aランク大学」対策だけに限定してしまうだろう。旧大検レベルの「基礎テスト」に予備校など不要だからである。それはそれで良いし、予備校=悪者のレッテルを貼り続けてきた人は大喜びするだろうが、大学入学者の劣化こそ問題にされるべきだろう。

 自分は、センター試験すら反対である。1979年の共通一次の導入以来、何か一つでも良いことがあったか?寡聞にして、日本の高校生、大学生の質が向上した話など聞いたためしがない。生物はやったが、物理は習っていない。数Ⅲなしで工学部に入学する、などなど仰天の連続だ。お上が余計なことに口を挟まず、各大学が独自の入試をやればいいのだ。有る大学は難問を課しても良いし、別の大学はそれこそ面接だけで決めたっていいのだ。要は、それぞれの大学がどんな学生を求めるのか、それをはっきりした上で、それに相応しい入学テストを行えば良いのだ。

 だが、多分、お上が決めた「評価テスト」、「基礎テスト」導入の流れは変わらないし、センター試験そのものの廃止もない。例えそうであっても、受験屋である自分は、受験生がある限り、彼らの学力の向上のために全力を尽くすだけである。

 

大沼は緑の中

2014/06/23

 大沼はすべて緑の中にあった。目に染みるほど緑、また緑だった。
5月初旬に来たときは、あいにくの雨模様で駒ヶ岳が遠くに見えていたが、今回は間近で楽しむことが出来た。麓の緑と中腹の赤っぽい山肌、頂上付近の黒っぽさがよく似合う。

冷夏の予想

2014/06/19

 あと二日で夏至。NHKばりに言えば「6月21日は、二十四節気の一つ「夏至」です。一年のうちで最も昼が長い日で、きょうを境に次第に日脚が短くなっていきます。」といったところだ。この日から15日ごとの「小暑」、「大暑」を経て「立秋」となり暦の上では秋、もちろん8月8日で秋はないだろうから、次の「処暑」続く「白露」でやっと実際の秋を実感することになる。

 今年は「冷夏」との声が聞かれる。「エルニーニョ現象」のせいだという。遠く離れた太平洋赤道域付近から南米のペルー沿岸にかけての海面水温が高くなり、その状態が1年程度続く現象をいうのだが、これが日本の気候に与える影響が大きいのだそうだ。太平洋赤道域の東側の海面水温は上昇する、太平洋熱帯域の西側では海面水温が低下して対流活動が衰える。このせいで、太平洋高気圧の日本付近への張り出しが弱くなり、日本の夏の天候は低温、多雨、寡照となる傾向が生まれるのだそうだ。
 地球規模のスケールの大きな話ではあるが、5年前にもこのエルニーニョを原因とした冷夏を経験している。8月の平均気温が平年を0.8度ほど下回っただけなのだが、立派に冷夏の基準を満たし、それまで余りにも暑い夏が続いていたこともあって、冷夏の実感が強かったと見える。

 冷夏で得する人、損する人という区分けは不遜な感じはするが、比較的はっきりするだろう。我ら受験屋および受験生は冷夏歓迎派の筆頭だろう。猛暑と受験勉強ほど合わないものはない。エアコンが普及しているとはいえ、一歩もエアコン完備の勉強部屋から出ないというわけにはいくまい。まして、北海道はエアコンと無縁な建物がほとんど、しかも大のエアコン嫌いだって多い。自然の涼しさの中で勉強できるのはこの上なく効率が上がることは間違いない。

 だが、5年前は、米や野菜が低温、日照不足、大雨で育たず、豪雨、台風が頻発し各地で大きな被害が出た。今年もその再現が言われている。やはり、冷夏は困りものだ。だが、人がいかに願おうと、自然はその思惑などお構いなしに自己主張する。せめて、自然を超克したかのような傲慢さなど微塵も持たず、自然に抱かれ、自然の恵みで生かされている思いを持つことが必要なのではないだろうか。

お山にも春が

2014/05/12

 休みで時間がとれるときには、東山山中の鏑射寺函館別院に参詣することが多い。3週間前に来たときには木蓮の花が満開だったが、今回は山桜がほぼ満開になっていた。木々の葉もだいぶ多くなり、木洩れ陽が心地よかった。小川の清涼な水音にしばし足を止めて聞き入ってしまった。

大覚寺にて

2014/05/08

 ゴールデンウイーク真最中の大覚寺は不思議なくらい静寂だった。同じ嵯峨野でも、JR嵯峨嵐山駅を出て左に進む天龍寺、渡月橋に多くの観光客が向かい、もちろんトロッコ列車、保津峡は大盛況なのだ。お陰で、大覚寺では急かされることもなくゆったり時間を過ごすことができた。

 大覚寺には三つの顔があるように思える。
一つは政治の顔。創建された平安時代初期には嵯峨天皇の離宮であった。鎌倉時代には、院政の御所となり、南北朝時代を経て南朝最後の天皇・後亀山天皇からから北朝の後小松天皇に「三種の神器」を引き継いだのも大覚寺だった。
 一方、嵯峨天皇の盟友であり師でもあった弘法大師空海が、離宮に五代明王を御堂に安置し修法を行ったことから真言宗の布教の拠点となった。以後、真言宗大覚寺派の本山として現在に至っている。

三つ目は、文学・芸術の顔。「滝の音は絶えて久しくなりぬれど なこそ流れてなお聞こえけれ」は、嵯峨離宮の滝殿の石組み跡で歌人・藤原公任(きんとう)が詠んだものだ。さらに、狩野山楽が襖絵「四季耕作図」を描き、狩野永徳もまた「松に山鳥図」を描いた。「四季耕作図」は何故かアメリカに渡り、大覚寺で見られるのは複製である。

 数年前、縁あって真言宗に惹かれ、真言宗ゆかりの寺院を訪ねることが多くなった。空海も舟遊びをしたという境内の大沢の池の畔に佇み、しばし千数百年の昔に思いを馳せた。嵯峨天皇と空海はここで何を語り合ったのだろうか。

明芳寺にて合格祈願

2014/04/20

 久しぶりに東山明の方の明芳寺をお参りした。本山は兵庫県三田の鏑射(かぶらい)寺、真言宗のお寺だ。明芳寺には数年前まで見事な不動明王像があったが、今は本山に移り、これまた見事な毘沙門天像が鎮座している。参道には、七つの観音様を祀るお堂が並んでいる。ひとつひとつをお参りし、本堂の前で不動明王と毘沙門天のご真言を唱える。我が校生徒の学力伸長、合格を祈願した次第だ。東山にはまだ雪が残るが、春の気配がした

春はいずこに?

2014/03/21

 変な3月だ。少しだけ降る雪を見て、ああ、なごり雪だなあ、なるほど心なしか風も優しいなどと思ったのも束の間、その後真冬並みの寒さに逆戻り。これを2度ほど繰り返した後、今日もまた吹雪に。一体いつになったら春を実感できるのだろうか。

 わが校の生徒たちには一足先に春がやってきた。合格のご挨拶にお見えになる保護者様と生徒の喜び溢れる様子に、この仕事をして本当に良かったと実感する。もっともこの時以外は苦闘の日々だが。

 ところで、あまりにも前政権がひどく、選挙で棚ぼた式に大勝利で政権をつかんだ現政権だが、露骨なまでの「右旋回」を始めた。反中国、反韓国・北朝鮮の国民的感情が醸成されつつあるのいいことに、集団的自衛権なる戦争準備を急ピッチで進め始めた。憲法9条の拡大解釈には政権党ですら反対があるにも関わらず、野党の弱腰を見込み、かつまたアベノミクスとやらの景気回復で国民にもまた反対し難い雰囲気があるのを見越し、閣議決定・国会議決を極めて強権的に推し進めている。

 沖縄滞在中に思った。太平洋戦争末期に、ここで当時の県民の4人に1人が犠牲になったが、一体誰のために?時の日本軍事政権は、本土決戦の準備のための時間稼ぎに、沖縄県民を犠牲にし、沖縄を焦土と化してしまったのだ。それでも沖縄の人たちは一様に優しかった。戦争の悲惨さと辛さを知る人ならではの優しさだった。

 政権党が進める集団的自衛権は、間違いなく沖縄の米軍基地を固定化するか、やがて国防軍となるであろう自衛隊がその肩代わりをするかのどっちかだろう。もちろん、本土もまた戦争の準備が、最初は徐々にやがて誰も止められない勢いで進められるだろう。アベ軍事坊ちゃん政権に鉄槌を、と思う人は少なからずいるであろう。富裕層、東京、大企業だけの見せかけの景気回復に騙されて、いつか来た道を歩まされるのだけはご免だ。

年の終わりに

2013/12/28

 ノブレス・オブリージュ(優れた者が負うべき義務)を掲げて31年の歳月が流れた。「ミーイズム」、「利己主義」、「唯金主義」が肯定的に語られることが多くなってきたこの時代に、ノブレス・オブリージュを声高に語ることは、時代錯誤やエリート主義とのそしりを免れないことでもあった。

 一介の受験屋に過ぎない自分が、学力の伸長=希望大学合格に留まらず、生徒に対して、やがて社会のリーダーとなるべき気概、組織成員を幸せにする義務、他者への寛大な精神を啓蒙することは、大いなる越権であったかもしれない。だが、幸い生徒の多くは「塾長の過激思想」を寛大に受け入れてくれたように思っている。大学を卒業し社会人となった我が学舎の卒業生の多くが、「社会貢献」を堂々と語ってくれることに望外の幸せを覚えてしまう。受験屋稼業の生涯現役を誓い、己なりのノブレス・オブリージュを果たす決意である。

 さて、この何年間、生活保護受給者、年越し派遣村などへのバッシングがあり、さらに、現政権下での特定秘密保護法、国家安全保障会議設置法の改訂、集団的自衛権の拡張解釈、果ては憲法改訂論の跋扈など、一方では社会的弱者の排除、他方では権力者の基盤強化への賛意など、ドイツ・ナチス党の台頭の時代に近似した状況が生まれつつある。弱者の差別と権力者への迎合こそ国家・社会の危機であることを今こそ自覚すべきではないか。

 ともあれ、今年も、生徒、保護者各位のご理解とご協力、高校関係者の温かいご支援、OB諸氏の激励に支えられて終えられそうである。心から感謝したい。年明けにはセンター試験が待っている。さらに、私大入試、前期日程入試と受験生には息もつけないほどの激戦が続く。負けてなぞいられない。春には合格の二文字が躍っていることを確信している。

本当に怒っている!

2013/12/03

 11月前半の初雪の後函館はいったんは白い世界となったのだが、その後たまに降るものの長くは続かず、今ではすっかり解けて少しぼんやりした師走を迎えたような気がする。

 特定秘密保護法はさしたる抵抗もなく衆院を通過した。愚かしいまでの政権運営の破綻で二つの国政選挙で国民から鉄槌を食らい、どん底まで突き落とされた民主党は何一つ見せ場を作ることもなく「恥を知れ」と罵るだけで法案通過を見送ったのだった。
 元々自民党の友軍である維新の会とみんなの党は与党にすり寄って法案修正なるものを得てどうにか存在をアピールし、他の野党もほとんど為すところなく法案の衆院の通過を許したのだった。与党幹事長たる石破某に至っては、「反対のデモはテロ行為」とうそぶき、余裕を持って恫喝してみせた。

 腰砕けの野党もそうだが、許しがたいのは我が三流・四流マスコミだろう。かつて異常なまでの反小沢一郎キャンペーンを張って、彼を政界の片隅に追いやったあの勢いを今回の法案に対しては見せることはなかった。「国民の知る権利」の侵害だ、新聞記者が逮捕される、と泣きを見せるのがせいぜいだった。もし彼らが真に「言論への許しがたい弾圧」だと思うなら、なぜ、社運を賭けた一大反対キャンペーンを張り、世論をして法案を破棄せしめるだけの一大国民運動を盛り上げようとしなかったのか! おそらくこの法案の成立とともに、日本のマスコミは最終的な死を迎えることになるだろう。だが、それは国民には大いなる不幸である!

 たかだか受験屋風情がその本分を離れてこの特定秘密保護法成立に危機感を抱くのは、この法律の本質は、同時に衆院を通過した国家安全保障会議設置法(日本版のNSC設置法)と並んで、日本をファシズムに導く悪法に他ならないからだ。
 軍事、外交、治安のほぼすべてを国民の知らないところで進め、干渉したものは遠慮なく弾圧していく、これは想像しただけでも震えが来る。戦犯たる祖父・岸信介に憧れる軍国お坊ちゃん=安倍首相が目指すのはアメリカを背後に従えた東アジアの覇者への道であろう。反中国、反北朝鮮、反韓国の機運は静かに我が国民の間にも浸透しつつある。ファシズムは為政者だけが進め得るのではなく、国民の暗黙の、時には公然たる支持があって始めてなしえるものだ。かつて合法的に政権を奪取しドイツ版ファシズムへの道をひた走ったヒットラーとナチスを想起せよ! 特定秘密保護法と国家安全保障会議設置法の衆院通過に断固抗議する!

伊豆大島の災害に思う

2013/10/19

 台風26号は、伊豆大島で19名の命を奪いその2倍もの行方不明者を生んだ。台風は自然にとってはごく普通の「熱交換」に過ぎないが、我らにとってはまさに猛威であろう。我らは、絶えず自然の”神秘”を解明しようとし、時には自然を利用し、時には自然と闘い、その過程において自然をあらかた克服したように錯覚してきたのではないだろうか。

 大島の町長が住民に避難勧告・命令を出さなかったことが非難されている。しかも台風が接近し異常な大雨が予測されている中で、副町長ともども出張で島を離れていたことも併せて攻撃され、避難マニュアルのあいまいさ、認識の甘さが一斉に指摘された。住民の生命・安全を真っ先に守らねばならない長として、この批判に関わらず慚愧に耐えない思いであろう。だが、一人を批判して済むほど伊豆大島で起こった出来事は軽くはない。

 オリンピック誘致成功で浮かれることに水を差すつもりはない。束の間の株高で思わぬ大金を手にして喜ぶ風潮をけなすつもりもない。だが、我々の命と生活の安全に関わる具体的な議論も、お金も棚に上げてのそれであれば話は別だ。自然はいつだって”想定外”である。自然に畏敬の念を持ちつつ、災害対策を何よりも優先して、技術も人力も財力も集中する必要があるのではないだろうか。

 閑話休題。伊勢神宮にお参りして本当によかったと思う。多少なりとも傲慢な自分が、少しは謙虚になれそうな気がする。無論、我が校の受験生の合格をご祈願させていただいた。

ヒトは自然を克服したか

2013/09/03

 無力だと常に思うこと。どうあがいても自然には到底叶わないと思うこと。

 工学の末席を汚すに過ぎなかった自分に言う資格があるかどうか分からないが、いわゆるゲリラ豪雨、竜巻、台風、地震、そして原発事故、一体何を持って人間の優位性を主張できようか。
 自然災害の原因はわかっても、例えば、地震発生のメカニズムは分かっても、地震を防ぐことはできない。竜巻、台風もまた同じ。災害が起こった時どうするか、その後の我らの生活をどうするのか、繰り返し災害は起こっても、そして「教訓化」はその都度叫ばれても、何か前進したことがあったろうか。
 確かに福島の原発事故は「自然災害」ではない。だが、原発の原理たる「放射性物質の核分裂」は、人間が自然を最大限利用する、いや、自然を制御しそれを超えるという、自然に対する人間の愚かなまでの傲慢さの結果ではなかったろうか。

 決して真面目な学生ではなかったが、初めて原発の理論を知った時、その単純ながらもほとんど無限ともいえるエネルギーが得られる可能性に驚くと同時に、ほとんど同時に生まれるほとんど制御不可能な放射性物質及び核燃料の「ゴミ」への無邪気なばかりの楽観に驚かざるを得なかった。「人は未来永劫に原発を制御できない」、多分、原発創世記にそう思った人はどれだけいただろうか。

 時代は巡って、今、福島。
 昨年、時の権力者たる野田何某が原発の収束宣言をした時の驚きと憤りを思い出す。そして、新しい政権でもそれは変わらないばかりか、原発推進が威丈高に語られ始めた。福島原発事故は本質ではなく何かちょっとした間違い、多分それは東京電力という企業の怠慢だったからだ、それに、想定外の地震と津波のせいだ、ちゃんとやったら多分大丈夫だ。なるほど、だが自然はいつでも想定外だし、技術は常に後手であり、何より、放射能というパンドラの箱から出た「悪」を閉じ込められることができないことは、今も続き、間違いもなくこれからも続く福島原発の「汚染水」を巡る大混乱をみれば明らかだ。

 ヒトは自然には到底敵わない。経済効率云々など主張することすらおこがましい。せめて、これを自然の優位を認め、自然に首(こうべ)を垂れて我らが進むべき道を探るべきではなかろうか。

夢のちから

2013/07/26

 我が第一ゼミナールOB会の会長である安達史紀(ふみのり)君を講師に迎えての講演会は大盛況だった。浪人生に加え夏期講習中の現役高校生も参加し、二階大教室は立錐の余地もないほどだった。
 北海道のベストイレブンになるほど打ち込んだサッカー三昧の有斗高校時代、そして当然ともいえる大学受験の失敗、猛勉強で知られる第一ゼミナールでの「カルチャーショック」寸前の浪人生活、その猛勉強の甲斐あっての青山学院大学・経営学部への合格、超が三つもつくほどの就職氷河期での松下電器産業(現パナソニック)への入社、「国際企業戦士」としてドイツ勤務とパリ勤務、そのひとつひとつを実に丁寧にしかも熱く語ってくれた。

 自分は、安達君を「石田学校の優等生」と呼んでいるが、「世界一のプロフェッショナルになって社会に貢献したいのです。」と言い切り、それに向かって努力を欠かさない彼は、自分をはるかに超える「優等生」に違いない。講演の最後に、「志を強く持てば、夢の力は君たちを導き、君たちの夢はは必ず実現する」と力説し、グローバルな時代を、よりグローバルな精神で駆け抜けていけと後輩たちを激励してくれた。この講演を聴いた後輩たちが第2、第3の安達君となって国内外で活躍する日がとても楽しみだ。

 さて、受験の天王山=夏、高校生は学園祭やら帰省やらでこのところかなり学習量が落ちている。全国の東進の中でも最も勉強する東進のひとつと言われる函館杉並校とラ・サール学園前校だ。天王山の戦いに必ず勝利するため、これからギリギリとネジを締め上げていきたい。

天王山で

2013/07/11

 この夏、我ら受験屋が好んで使う決め言葉といえば、「夏休みは受験の天王山」であろうか。夏休みの勉強次第で来年の大学入試の合否が決まる、といった意味なのだが、「天王山」は勝敗や運命の重大な分かれ目という意味で広く使われている。もっとも、近頃の「今でしょ!」に少し負けている気がするが・・・。

 

 この天王山だが、生徒の多くが意外と何なのかが分からない。「天皇の山」とか、「天の山(”う”はないらしい)」とか言って、それで納得している生徒もいた。関係あるはずの日本史選択の生徒の中にも「?・・・?」がいて、本人の名誉のために言うが、これで日本史の成績はかなり良いのだ。

 天王山は、京都府南部,大阪府との境にあたる標高270メートルほどの丘陵だ。古来、淀川水運や山陽道などの水陸交通の重要地点であったが、一躍有名になったのは、京都・本能寺で織田信長を討った明智光秀とその仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉が戦った”山崎の戦い”であろう。1582年のこの戦いでは、天王山を制圧した者が勝者となり、天下を取ることになるとして「天下分け目の天王山」と言われた。
 敗走する光秀は、落ち武者狩りの土民に竹槍に刺されて絶命したといわれているが、力尽きて切腹して果てたとも言われている。一方、勝者秀吉は、「清洲会議」を経て信長の後継者として天下統一に向かった。いつの時代も勝者と敗者の落差はとてつもなく大きい。

 さて、受験の天王山の夏だが、わがシニアクラス・浪人生たちは、一日12時間学習に挑戦することになる。東進の学習バロメータである「向上得点」で、全国900校舎のベスト10の常連ではあるが、高く高く掲げた志望大学合格にはまだまだ不十分だ。日焼けして逞しくなるのではないが、逞しい学力を獲て、勝利を予感する秋を迎えて欲しい。また、このところ、これまた向上得点で全国ベスト10に入るなど伸長著しい高校生にも「天王山」を戦い抜いて欲しいと切に願う。

 ところで、日ハムの大谷選手のプロ第一号ホームランは本当に見事だった。うーん、「二刀流」、また迷いが出てしまう。