塾長日記

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されど沖縄
2010/12/15

 先週、浪人クラスの三者懇談を3日間の日程で行い、受験予定大学を決定した。師走のお忙しい中、貴重なお時間を割いていただいた保護者各位に心から感謝申し上げたい。また、保護者の方々のご賛同を得て、ほぼ全生徒が志望通りに受験することになったことで一安心もしたが、いよいよこれからだという思いをいっそう強くした。受験の季節はもう始まっている。

 仙谷官房長官は、東大生の時代に、当時の新左翼集団「フロント」のメンバーとして東大闘争や反戦闘争に関わったと聞く。当時(1960年代後半から70年代初め)は、日米安保と沖縄返還を巡って国内が騒然とした時代であった。ベトナム戦争の最中、沖縄の米軍基地からは、北ベトナムへ爆撃のため連日のように米軍機が飛び立っていた。核兵器の存在も当然視された沖縄、ベトナム戦争の中核拠点でもある沖縄がそのままの状態で日本に返還されることに対して、仙谷さんらは当然反対運動を続けた。

 それから40年近い歳月が流れ、仙谷さんは官房長官となった。そして、12月13日の記者会見で「沖縄の方々もそういう観点から、誠に申し訳ないが、こういうこと(基地負担)について甘受していただく」と言い放った。米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設する日米合意を押し進めるという「闘争宣言」であった。

 若い頃の言動と今のそれとの違いをあげつらうつもりはない。「いつお前は断りもなく”反安保”、”反日米同盟”から転向したのだ。」などと迫るのはなおさらだ。「君子豹変す」ともいうではないか。まして、40年も前のことではないか。もっとも、この無節操ぶりに対して彼の人間性は大いに問われるだろうが。

 だが、仙谷さんがどうあれ、40年前に実現した「アメリカの核戦略に従属した」沖縄返還の本質は変わることなく、否、中国、北朝鮮との軍事的、政治的緊張を背景に、沖縄にとってさらに過酷な状態が続くのは自明だ。にもかかわらず、かつての「進歩的」知識人、ジャーナリストがなし崩し的に日米同盟支持派に転向し、民主党の「やり方のまずさ」を指摘しつつ、日米同盟を積極的に後押しする現実は噴飯ものだが、その彼等が同じ穴のムジナの仙谷官房長官を批判するのは滑稽以外の何ものでもない。政党も、マスコミも、「知識人」も先を競うように日米同盟を唱える現状で、どうして沖縄の基地問題の解決がありえようか!

 我らにとって必要なのは、基地を海外に移す、移さない、沖縄県外に移す、移さないに収れんさせるのではなく、戦争の現実的な危機すら漂い始めた今、日米安保=日米同盟の是非、そしてあの40年前の沖縄返還の問題が何であったのかを、各自が真剣に考えることではないだろうか。

<追記>仙谷官房長官が「基地負担を沖縄は甘受すべき」という発言を撤回するそうだ。この変節漢の発言に振り回されることは癪だが、三流の政府を抱える国民は実に不幸だ。

雪虫飛んで、やはり雪
2010/11/19

 今年も、雪虫が飛んで初雪の降る頃を予測し、事実函館でも僅かであるが何度か雪が降った。本州に住んでいた頃は雪虫など見たこともなく、まして「初雪の予報官」であるなど知る由もなかったが、秋から冬の境目に飛ぶ雪虫の話題に加わることが「北海道人」として楽しみになっている。今年も初めて雪虫が飛んだ日から2週間ほどたった頃、函館は初雪が降った。

 雪虫は、アブラムシの仲間で、正式にはトドノネオオワタムシと言う。トドノネとはトドマツの根のことで、ここに雌の子虫を産卵し、育った成虫が「綿」をつけて雪虫になる。そして、トドマツの木からヤチダモの木に移り子虫を生むのだが、この移動の様子がかすかに舞う雪に似ていることから雪虫というのだ。我々が見る雪虫はすべてメスだ。寿命はたった1週間。淡い雪が直ぐ溶けてしまうのに似ている。今年の雪はどうだろう。大雪になるのだろうか。そこまでは雪虫は答えてくれない。

 先日、出入りの業者の方が、憤慨しながらこう言うのだ。
「今しがた、出先でたまたま国会中継を見ていましたが、まるで子供の喧嘩ですね。言った、言わない、謝れ、謝らない、辞めろ、辞めないばっかりで、あの人たちって、円高とか、不況とか関係ないんですかね。呆れましたよ。」

 来春大学卒業する学生の就職状況は悲惨を極めている。理系と国立大女子が特に落ち込んでいるのだという。就職のめどが立ったのは半分を少し超えた程度だ。最高学府で学んだ学生の半数近くを路頭に迷わせるような国家が健全であるはずはない。小学生以下と言われるほど次元の低い国会討論からいったい何が生まれるのだろうか。

偉大なり、白鵬は
2010/11/16

 白鵬について書かねばならない。双葉山の69連勝を越えることは出来なかった。白鵬に勝てるとすれば稀勢の里かと思っていたが、その通りになったのは誠に残念なことだ。70連勝を阻止された双葉山はその後3連敗したという。大仕事の後の脱力感と戦い、白鵬には今日から新たに69連勝を目指して欲しい。酷な望みと知りながら。

 その白鵬に対して、双葉山を「角聖」としてとどめておきたいという狭い根性の持ち主がいて、負けて良かった思っているらしい。白鵬がモンゴル出身だからというのが本音らしいと聞いては呆れるよりは怒りが先に立つ。日本人以上に日本の伝統や精神を重んじ、双葉山を尊敬し研究を怠らない白鵬に何の不足があろう。白鵬よ、遠慮無く双葉山を越えよ!

 ところで、組織のリーダーに必要なものは何だろうか? 恐らく組織の代表者としての堂々さ、ひいては胆力ではないだろうか。
 先の日中、日露、日米首脳会談の冒頭部分の様子をテレビで見て、心からがっかりしてしまった。我が国宰相のえへらえへらした様子はどうだ。また、両国首脳が握手する際にオバマもメドベージェフも胡錦濤も相手の顔をまっすぐ見て手を差し伸べるのに対して、我がえへらへら宰相は視線を斜め下に外しながら握手に臨むのだった。とりわけ日中首脳会談においては、厳しさをたたえた胡錦濤の堂々とした様子が余計目立ってしまった。
 薄笑いの後、メモを取り出し、ありきたりの挨拶をメモを二者会談で読み上げるほど惨めな宰相を、いったいいつまでリーダーとしてこの先戴かねばならないのだろうか。

ゆめぴりか販売を前に
2010/10/13

 朝晩めっきり寒くなってきた。教室で授業する時には依然半袖シャツだが、そのまま外出するのは少し気が引ける。冬装束のお年寄りも目立ち始めたからである。仕様がないからスーツの上着を携えることにしている。長袖に替わる頃、函館も秋が深まり冬の声が少し聞こえ始める。

 昨年発売されてから、すっかり北海道産米の「ゆめぴりか」のファンになった。若干小粒なものの、おいしい米の条件である適度な粘りと甘みが感じられる。故郷秋田の米からすっかり離れてしまっている。ニセコ近くの蘭越まで買い付けに出かけるほどだ。
 その「ゆめぴりか」だが、どうも今年はゆめぴりか「もどき」を押しつけられそうだ。それというのも、うまさの基準であるタンパク質含有量を6.8%以下に定めた「ゆめぴりか」だったが、今年は7.9%以下でかまわないと大幅緩和したからだ。セルロース値が低く粘りけは十分だし、食味試験でも6.8%未満と比べても遜色ないとホクレンが判断したからだという。これで、冷夏の影響で品不足に泣いた昨年に比べて14倍の「ゆめぴりか」が出荷できるという。あきれた話である。

 おいしい米とブランド米は違う。もし、7.9%基準でも大丈夫なら、ゆめぴりかではなく別ブランドにすべきだろう。「こしひかり」を超えるブランドを作るなら、絶対に基準をゆるめてはいけない。産地が、「おいしさが変わらない」ことを理由に基準を変更した瞬間にそのブランドへの信頼は消える。昨年とは違って猛暑のため6.8%未満を満たす「ゆめぴりか」が少ないことが背景にあるという。いいではないか。ブランドは希少価値でもある。堂々と高値で売り出せばいい。日本一の高級米=「ゆめぴりか」が定着する時、7.9%基準米も、それよりは安価でかつうまさでは引けを取らない米として人気を得るだろう。ホクレンおよび「ゆめぴりか」関係者に言いたい。今は大変かもしれないが、ゆめぴりかブランドを守り、確立することから新潟県を凌ぐ日本最大、最良の米産地・北海道が生まれるのだということを。

 かく思いつつ、10月15日以降の「ゆめぴりか」をはじめとする道産米の販売を心待ちにしている。

ノーベル賞が北大から
2010/10/07

 母校北大工学部の鈴木彰先生がノーベル化学賞を受賞することになった。自分は、ただただ末席を汚していた身であり、高邁な理論に触れたかどうかも定かではないが、心から祝福したい。同時に化学賞を受賞する根岸英一氏が、厳しい日本の受験競争を「若者の訓練に貢献する」と評価したそうだが、受験屋としては大いに頷けるところだ。

 さて、プロ野球パリーグは日本ハムが4位に終わり、ポストシーズン(CSと日本シリーズ)進出はならなかった。あまりにもシーズン最初の借金が多すぎて、やっと返済した時にシーズンが終わったというところだ。前半芳しくなかったエースのダルビッシュ、リリーフの武田久がもう少しきちんと投げていたら、など例によって「れば、たら」は尽きないが、最後まで期待させてくれ楽しませてくれたこのチームには感謝だ。ダルビッシュと建山が大リーグに挑戦することが決まり、来シーズンへの不安材料は多いが、来年も楽しませてもらおうと思ったいる。

 寒くなった。教室では先月後半までエアコンが入っていたのに、今度は朝晩暖房が必要になってきた。北海道は、短い秋の後、一気に冬になる。

尖閣諸島の問題について
2010/09/29

 白鵬の連続4場所全勝優勝は実に見事だった。連勝記録も62まで伸び、角聖・双葉山の69連勝が視界に入ってきた。来場所が期待される。

 尖閣諸島での中国漁船の衝突で逮捕された中国人船長の釈放を含む日本政府の対応の是非を巡り、基本的には批判の声が高まっている。曰く、「弱腰だ」、「稚拙だ」、「楽観的すぎる」。海外メディアも一斉に対中国での日本の「敗北」を報道し、日本国内での政府批判を後押しした。政府が「船長の釈放は検察の判断であり、わしゃ知らん」と他人事のような態度を取っていることがさらなる批判を招いている。

 報道だけを見れば、確かに政府の対応は稚拙ではあったろう。もう少し強気に出た方が良かった感もあるだろう。しかし、多分、今の日本にあれ以上のことは出来ないだろう。この問題で散々現政権を批判している旧政権側が当事者であったとしても、基本的には違いがなかったろう。
 それは、領土問題や自国の危機に際し、戦闘行為を辞さない覚悟で臨む中国政府並びに中国国民とは異なって、日本政府および日本国民にはそういう覚悟はないからである。こぶしを振り上げた「ジャイアン」の前では、とりあえず「のび太」はすくむしかない。「強気」の先にあるかもしれない外交的・軍事的な緊張に誰も堪えられないだろう。
 また、尖閣諸島は「日米安保」適用の範囲内だと強調して、訪米中の首相、外相を喜ばせたアメリカ政府は、その言葉とは裏腹に、この問題で日本のために動く気配も見せず、逆に日本に中国への「弱腰」を強いた感もあって、正直日本政府はどうすることも出来なかったのだと思う。

 沖縄の辺野古移転問題でも、政府の無策・無展望が問題となり、内閣が倒れる原因のひとつにもなった。しかし、誰が政権を担当してもアメリカに翻意させることは出来ないだろう。この基地問題の解決には、気の遠くなるようなおびただしいカネを負担することを条件に、アメリカに基地政策、軍事戦略を転換してもらうか、あるいは、日米安保条約=日米同盟を破棄するかのいずれかだと思う。しかし、そのどちらも現状では非現実的である。この問題についても、政府・国民ともに覚悟がないからである。

 即時的な賛成、反対、憤慨はともあれ、政府以上にわれら「国民」が腹を括って臨まねばならない時が来つつあるように思われてならない。

おめでとう、白鵬関
2010/09/19

 9月になって、朝晩だけだがようやく秋が感じられるようになった。日中はまだまだ気温が高く、教室のエアコンのお世話になりっぱなしだ。函館だけではないとはいえ、長くとてつもなく暑い夏だった。

 悪いことばかりが続いた大相撲。久しぶりの快挙だ。横綱白鵬の54連勝はまさに偉業だ。大相撲ファンの一人として、心から祝福し、敬意を表したい。
 自分は「巨人、大鵬、卵焼き」世代なので、当然にも偉大な横綱・大鵬の熱烈なファンではあったが、寄り切りだけが目立ち、決まり手に「投げ」がないことだけが不満だった。 北の湖も強かったが、どうも可愛げがなく、なかなか好きになれなかった。「ほんとうの相撲ファンなら北の湖を評価すべきだ」という友人といつも言い争いをしていた。
 53連勝のウルフ・千代の富士の強さは際だっていたし、鍛えられた筋肉質の身体と抜群の運動神経が生み出す「投げ」も見事だった。しかし、どこかに無理が感じられ、大鵬に見られた安心感のなさが気になっていた。もっともそれが千代の富士の魅力の一つではあったのだが。
 貴乃花は自分が大鵬以来最も夢中になれた力士だった。「投げ」も「寄り」も自然で美しく、強さの他「品の良さ」も感じられた。しかし、一種の「相撲馬鹿」で、兄、母との反目、私生活のスキャンダルが晩節を汚したのは残念なことだった。
 辞めた朝青龍はとにかく強さが際だっていた。土俵内外での「品格のなさ」が批判されはしたが、古典的大相撲ではなくプロ・スポーツとしての「スモウ」の初代チャンピオンとして認定できると思う。現代スポーツの構成条件である「速さ」を体現できたし、エンターテナーとしてもゴシップ・メーカーとしても一流だった。早すぎる引退が残念だ。

 そして、白鵬。強さは勿論、柔軟さ、美しさ、上品さを兼ね備えた、おそらく大鵬以来の欠点が感じられない横綱だ。白鵬の成功は、二つの意味で注目に値する。一つは、モンゴルを中心とした外国出身力士抜きには日本の大相撲は存続し得ないこと。二つ目は、白鵬のこの偉業が、大相撲最後の偉業となるかもしれないことを予感させられることだ。白鵬は今日から双葉山の69連勝を目指すことになるが、今回は千代の富士の記録を抜くだけにして、改めて69連勝越えを達成して欲しい願いがどこかにある。白鵬以外に夢を託せない気がして、少しでも先延ばししたい気がして。

<追記>
大関・琴光喜の解雇処分は誤りだ。
前理事長はじめ協会幹部は軽い処分をちらつかせ、琴光喜に「白状」させた訳だから一種の「司法取引」的なものがあったと見ていい。それに琴光喜は恐喝された被害者でもある。いったん十両または幕下に落とした上で再起させるべきだ。彼を「生け贄」にして、協会が「無傷で」生き残るのは許されない。

暑さの中で
2010/08/10

 最高気温が30度を超える日が4日続いた。3年ぶりだそうだ。そう聞いても3年前の暑さがどうだったか思い出せない。特に今年は湿気が多いこともあって、函館始まって以来の猛暑だと頭から信じ込んでしまっている。今日も日中は暑そうだ。

 先日、北海道にとってセンセーショナルなニュースが飛び込んできた。4月に実施された全国学力テストで、我が北海道の小学6年生は国語・算数の平均点数で沖縄県に抜かれ全国最下位に沈んだというのだ。中学3年生は全国第43位ということで、こちらは多少なりとも前回よりは改善されたという。近年北海道の地方都市の大学進学状況が芳しくないこととも関係していそうだ。この機会に、教育関係者、保護者、生徒だけでなく地域全体で危機を共有しながら,「低学力問題」の大論争を巻き起こすべきだろう。

 ところで、我が街・函館の未来は「優秀な頭脳をつくること」にかかっているという趣旨の発言をし、この「塾長日記」でも公開しているが、ありがたいことに他業種の方々からも賛同の声をいただいている。自分はただの受験屋ではあるが、頭脳作りをこつこつ手がけていきたいと思っている。

七宮参詣
2010/07/25

父が4月に亡くなったため、毎春恒例の青森県下の七宮参詣を控えていたが、49日と新盆(函館のお盆は7月)が明けるのを待って、昨24日に「合格祈願」の参詣をした。
 西暦792年、蝦夷鎮護の祈願所として創建され、坂上田村麻呂の伝説も残っている青森市・大星神社を始め北斗七星形に並ぶ青森県下七つの神社をお参りした。
 「あれ?塾長って無神論者でなかったんですか?」
 「とんでもない。受験生がいる限り合格祈願をするんだよ。唯一の例外。」

 写真は、左は七宮3番目の神社の猿賀神社境内に咲き誇る蓮の花、中央は5番目の岩木山神社で日光東照宮と同時期の創建、右は七宮最後の乳井神社だ。創建以来1200年という。

 さて、本日から夏期講習。函館にしては珍しいほどの暑さが続くが、集中力を切らさずに、最大限の成果を上げて欲しい。

(補足)青森県下の七宮

横内妙見宮(大星神社・青森市)、浪岡八幡宮(青森市)、猿賀深沙宮(猿賀神社・)、弘前熊野宮(熊野奥照神社・弘前市)、岩城山(岩木山神社・弘前市)、村市毘沙門天宮(鹿嶋神社・西目屋村)、乳井毘沙門天宮(乳井神社・弘前市)

坂上田村麻呂にゆかりのある七つの神社が北斗七星の形をなして配列されている。

バッシングから何が
2010/07/22

 函館は今日は30°になるかもしれない。7月からこんな暑さが続くのは珍しい。文字通りの「夏期」講習がもうすぐ始まる。特に受験生は暑さに負けずに頑張って欲しい。

 大相撲名古屋場所は、テレビで見る限りだがめっきり観戦のお客さんの数が減った。懸賞の幟は本数が少なくなって、結びの数番だけ肩身が狭そうにひっそりと土俵を回っている。大関魁皇が休場したこともあって、話題は白鵬の連勝記録以外に見いだせないほど活気のない名古屋場所となった。

 野球賭博問題がくすぶり続ける中、貴乃花親方の暴力団との会食疑惑、松ヶ根親方の暴力団からの相撲部屋借り疑惑が取りざたされた。あの貴乃花に限ってあり得ないのか、それともあの貴乃花さえもなのか、大相撲は崩壊の危機を迎えたと言って良い。

 暴力団との交際に賛成する者も、野球賭博に染まることをよしとする者も、大麻に手を出せと勧める者も誰一人いない。大相撲のファンならなおさらだ。しかし、事件関係力士や親方、疑惑の当事者をバッシングすることが大相撲の未来を保障するのだろうか。日本相撲協会の理事会が外部理事中心で構成されることがどれほどの意味を持つのだろうか。煽り立てるマスコミは、例によって大相撲の将来にはまったく関心がない。

 スポーツの前提は公開制、平等性だ。だが、大相撲はスポーツなのであろうか?それとも、歌舞伎や狂言と同じ伝統芸能なのだろうか?
 もし、我らが大相撲をスポーツだと見なせば、おそらく親方制度、部屋別総当たり制、横綱−大関などの階級制はすべて廃止であろう。考えられるのは、柔道のような国別、個人別対戦を前提にしたものか、野球、サッカーなどチーム別対抗に個人戦を加えたものになるのだろうか。「ワザアリ」、「ユウコウ」が生まれ、体重別対戦も考えられよう。少なくとも現在の大相撲のイメージは一掃され、大相撲からSUMOへの転換が始まるだろう。 しかし、本来スポーツでないものがスポーツとして公開制と平等性を持った時の行く着く先はどこだろうか。現在の柔道が、本来の「柔(やわら)」という日本古来の武道ではなく、スポーツであるJUDOに転換し、「一本」の魅力を喪失したようにはならないのだろうか。今大相撲をバッシングする人たちは、遠い先を考えているのだろうか。
 大相撲ブームであった栃若時代はラジオで、大鵬全盛時代はテレビで観戦したかなりの大相撲ファンである自分は、「スポーツとしての大相撲」など見たくない。丸裸で相撲に取り組む力士にこれ以上オープンになることは望まないし、横綱と序の口力士がタメ語で話す光景を平等だとは思わない。

 大麻を吸った、賭博をした、暴力団と付き合った、誰かを殴ったなどの違法があれば、通常の社会人と同様に処罰すればいい。やれ大相撲の体質がどうのこうのまでの過剰反応は「角を矯めて牛を殺す」ことにならないか。なんでもかんでも透明にして、清らかにして、さて何が残るのだろうか。
 稀代の名大関・琴光喜を永久追放するほど日本相撲協会は清らかなのだろうか、それをけしかけた我らには一点の曇りもないのだろうか。琴光喜の処罰は裁判に任せればよいのであって、まして彼は恐喝事件の被害者ではないか。もし、相撲道に照らしての処分が必要であるならば、貴乃花親方がいみじくも主張したように、十両まで降格させた上での出直しではなかったのか。ほとんどマスコミの情報と扇動による情け容赦ないバッシングと「一方向に流れる」世論の社会が果たして健全なのか、考えることが多くなった。

サッカーと大相撲
2010/07/05

 函館は今日の日中最高気温は29度と予想されている。実際朝からすでに気温が高く、愛犬ポポとの散歩を終えると汗ぐっしょりになってしまった。暑さと寒さとどちらが好きかと聞かれると、即座に夏の暑さを選ぶのだが、東京や大阪の暑さとなるとまた別物で、できれば夏に出かけることは避けたい。すっかり北海道人になってしまったらしい。

 サッカーのワールドカップはベスト4が出そろった。さすがに強豪が残り、どこが勝ってもおかしくないが、個人的にはドイツが最有力か。
 さて、決勝トーナメント1回戦で敗れた我が日本チームだが、よくやったという声が多く聞こえてくる。よくやったかどうかは、サッカー、少なくともワールドカップに代表される国際試合をどう見るのかにかかっている。スポーツ、ないしは娯楽という点で見れば、格上の2チームに勝って、この2週間、国内を大いに盛り上げてくれたのだから、よくやったというべきだろう。しかし、他国の多くのチームがそうであるように、スポーツの原点である「戦い」という立場で見れば、紛れもなく完敗であろう。守り重視であろうがなかろうが、点が取れなければ勝てない。強豪オランダに1点しか取られなかったとしても、負けは負け。非情に聞こえるかもしれないが、サッカーを強くするということは、負けたチームに喝采を送らないことだ。「胸を張って日本に帰る」などというきれい事を許す限り、日本チームは永遠に強くなれない。
 サッカーの強豪には、国の威信とか、選手のプライドとかを超える何かがある。飢餓感、戦闘心というような何かどろっとしたものが、チーム・選手だけでなく、応援する者にも。実際、オウンゴールした選手を殺してしまった国があったが、サッカーにはそんな狂気すらつきまとっている。皮肉でも何でもないが、日本人にそんなものがないことを実は喜ぶべきかもしれない。

 さて、大相撲の「野球賭博」の話だが、大嶽親方、大関・琴光喜が解雇され、花札をしたとして横綱・白鵬が謝罪するおまけまで付いた。野球賭博は犯罪であり、まして暴力団が絡んでいる以上、関係者は無傷ではいられないだろう。だが、これが、武蔵川理事長はじめ協会幹部が総辞職するならば、そして名古屋場所開催を中止するならば、ある意味納得は出来るが、幹部連中の処分は謹慎、それも協会の管理責任の問題としてではなく、自分が親方をしている部屋に、賭博に関わった力士がいたためとあっては、開いた口がふさがらない。「膿を出し切る」決意を述べた武蔵川だが、自分は膿ではないらしい。貴乃花理事が、自分を支持している大嶽、時津風、琴光喜に厳罰が下ったことへの責任と、一方では「トカゲのしっぽ切り」のような処分に抗議して、理事のみならず協会からの退職を届けたというが、相変わらずの「プッツーン」はともかく、唯一筋が通っているように思える。名古屋場所の開催を前提にした処分で、日本相撲協会は何も変わることはないだろう。
 ところで、改めて番付表を眺めてみると、出身地にモンゴルを始めなんとカタカナが多いことか!かつては、「飛行機に乗せてやるから」、「思い切りご飯を食べさせてやるから」を期待して大相撲の世界に飛び込んだ少年が多かった。今の日本にこんなことで釣られる若者はいない。ハングリーさを失った時代に、日本の大相撲を背負って立つ若者をどう集め、どう育てていくのか、今回の大量処分がそれにつながる気配すらないのが残念なことだ。

受験屋の妄想
2010/06/17

 函館は久しぶりの雨だった。薄曇の日が続いた寒い春ではあったが、雨は少なく農作物への影響が心配されていただけに、少しは恵みの雨となっただろうか。

 めったに行くことのないデパートだが、たまたま立ち寄る機会があった。デパート関係者には失礼な物言いだが、平日のせいもあったろうが、お客のあまりの少なさに驚かされた。特に紳士服売り場は自分以外に客の姿を見ることはなかった。 景気の良し悪しはデパートの客数でわかるという。してみれば、函館の景気は想像以上に悪いのだろう。実際、バブル崩壊、拓銀破綻以降、東京などが景気を持ち直した時も含めて、函館の景気がいいという話を聞くことはなかった。一体いつまでこうなのだろうか。観光と造船と北洋漁業の往時の賑わいが本当にはるか遠くから聞こえてくる。

 しがない受験屋稼業ではあるが、いやしくも教育に関係している以上、生徒の将来を、生徒の故郷の将来を考えずにはいられない。いや、だからこそこの稼業を続けられてきたかもしれない。
 わが街を良くする、活性化する、できれば景気を良くしたい、誰もがそう思い、さまざまな提案が行われる。いわく、企業の誘致、またいわく、大学の新設・学部増設。多分悪くはない。しかし、何かそこには他人に依存したものがないだろうか? それに、そこには「人」の観点が抜け落ちてはいないだろうか。街を支えるのは人であるのに。

 大事なのは、他所からあわてて「お金」を得ることではなく、大人も街も今はじっと辛抱して、次世代の街の担い手を、街の強力な支援者を育てることではないだろうか。もし、函館から毎年30名が東大に進学できるとしよう。だから、北大は100名以上、医学部だって50名は数えられるだろう。大学を終えたこの子達のある者は函館に戻り、ある者は東京で、海外で活躍をするだろう。10年、20年経った時、函館の内外に張り巡らされたこの子達のネットワークが函館を動かす知恵と実行力を生み出するだろう。また、函館の教育水準の高さは、企業進出、新産業の拠点として絶対的な強みともなるだろう。東大30名(人口1万人につき1名)に代表される一大教育拠点の創造は、市全体の強い意思一致と、ハードを整備するよりははるかに少ないお金の拠出で可能である。もっとも、受験屋の妄想と見えて、「教育立市」を掲げる人を政治家も含めて見たことも聞いたこともない。

東京から戻って
2010/06/01

 先週、東進の「全国大会」に出席のため上京し、「運営エリア部門・最優秀賞」、「VOD推進部門・優秀賞」の表彰を受けた。受賞は校舎にとってとても名誉であり、励みになるのは言うまでもないが、生徒の学力の増強、志望大学合格に結び付かなければ全く無意味である。今回の受賞は、生徒のためにさらに一層頑張れ、という叱咤激励だと受け止め、職員一同気を引き締めた次第である。

 さて、東京から戻って、函館のこの時期の気候の素晴らしさに打たれた。空港空港から一歩外に出た瞬間に伝わる空気の清々しさはどうだろう!元々の北海道人ではないが、この土地で生活し、仕事をさせていただいていることに心から感謝したい気になった。これから2ヶ月間、函館は他のどこよりも美しい!

 ところで、現政権が崩壊寸前だ。8ヶ月前に8割近い支持を得た政権だけにその転落は衝撃的であるが、「政治とカネ」問題は常に政権の屋台骨を揺さぶっていたし、鳩山首相の「白樺派」的ヒューマニズムに基づく種々の発言は、最初は苦笑混じりで受け入れられたが、次第にその軽さと非現実性が鼻につき始めていた。普天間基地問題では、宰相としての器の大小さえもが取りざたされ、身内からも公然と退陣の声が出始めた。「世間知らずの優等生お坊ちゃん」が率いる政権が間もなく終焉を迎えるだろうことは誰の目にも明らかになった。

 政権を作るも壊すも、主権者たる「国民」が納得すればそれで構わないことだ。支持率10%台の政権が崩壊したとしても、それが不当だという声はどこにも届かないだろう。。
 だが、政治を語る際の「内閣支持率」が、テレビ番組を語る際の「視聴率」とほとんど変わらない感覚で受け入れられている現実は正常なのだろうか? 政治が、あるいは民主主義なるものが「多数派」に主導されることの是非はともかくとして、普天間基地問題のように、いやしくも我らの安全の根幹に関わることを、「公約違反」、「軽い」、「根回しがない」など、それ自身は基地問題の本質と関わらないところで「判断」してしまう愚を我らは犯してはいないだろうか? 特に、常に「視聴率」アップを狙うマスコミが明らかに導いている「内閣支持率」低下は、普天間基地問題を真っ当に取り上げた結果なのだろうか?
 マスコミは、普天間基地問題を「安保なき基地問題」ないしは「日米同盟を前提とした基地問題」に矮小させることに成功した。事実、彼らはただの1回もこの問題に根本的に関わっている日米安保の是非を、そして日米同盟の是非を取り上げることはしなかった。彼らが腐心したのは、普天間基地の移設に関わる「ストーリー性」と「役者」たる首相の資質をあげつらうことであった。「役者・鳩山主演による基地移設ストーリーが国民受けしないこと」、言い換えれば政治的「視聴率」である「内閣支持率」を下げることだけが狙いであったろう。もっとも、役者・鳩山とその脇役たちも「安保なき基地問題」ないしは「日米同盟を前提とした基地問題」の意識はマスコミと同じだった。違いはマスコミよりも脚本がまずかったことと、なによりも役者が大根過ぎたことだったことだ。さらに、かつて「反安保」であったはずの評論家諸氏も、脚本と役者の評論に終始し、結果として「内閣支持率」低迷の役割を担った。

 政権は潰え去るが、普天間基地問題は残る。嘉手納基地は手つかずだ。我ら「国民」が賢明であろうとすれば、マスコミが自在に操る「支持率」に踊らされるのではなく、普天間問題を日米安保・日米同盟の是非と切り離さずに論ずることであろう。1960年安保、1970年安保以来忘れ去られてきた日米安保を、この機会に一大論点として取り上げるべきだと思う。40年前の「アメリカの核戦略に従属した」沖縄返還が、いまなお解決されることなく放置され、さらに深刻な事態に立ち入っている事実を、我らは直視するのでなければならない。

ホームページのリニューアル
2010/05/15

久しぶりにホームページをリニューアルした。函館山からの夜景写真の復活を望む声が案外多く、今回それに応えることになった。全体に明るい感じにし、読んでもらえる、見てもらえる構成に努めたが、果たしてどうだろうか。まだ工事中があるのは平にご容赦を。

 今年の春の函館の大学進学状況は「悲惨」の一言だろうか。なにしろ、東大現役合格がわずか1名、北大も減らしたし、医学部には推薦を除く一般入試では、合格者数は伸びることができない。受験に関わるものとして看過できる状況ではない。

 我々受験屋は高校さんからはまず嫌われる。ある高校では、新入生始め在籍生、保護者に対して、「塾、予備校は必要がない」を通り越して「塾、予備校に頼るのは弊害だ」という批判が繰り返し行われる。何もそこまで、と思うし、第一、心配するほど高校生は塾、予備校に通ってはいない。実際、函館の高校生で塾、予備校を利用しているのは東京の三分の一程度である。それでも一部の高校さんから「恐れられる」のは、受験屋冥利に尽きるのだろうか。

 我々受験屋が高校や先生方を目の敵にすることは全くあり得ない。それぞれの立場で受験に関わっていけばよいと考えるからだ。できれば、函館の受験の活性化のために協力し合えればとは思うが、それぞれの事情もあるから、ケースバイケースで良いのではないかと思う。ただ、これだけ函館の受験状況が悪いと、受験屋がその本来の使命を達成するために、多少出しゃばっていかねばならないなあとは思い始めている。無論、高校の邪魔をしようなどとは毛頭考えてはいない。すべては受験生と保護者様のためである。

国民が本当に偉くなるには?
2010/04/19

 政権発足時に70%近かった鳩山内閣の支持率が激減し、とうとう30%を下回ったという。「政治とカネ」+「普天間基地」が原因という見方が強い。
 「政治とカネ」については、以前からルールをきちんと定めた上で解決を図るべきだと思ってきた。まず、国会での追及はくだらないからやめた方がよい。日本の国会には残念ながら警察・検察を上回る調査機能はない。せいぜい「新聞報道によれば...」などというのが関の山だ。政権攻撃の道具と化すことと醜い言い訳の連続が何の解決になるというのだ。国会がやるべきことはまだ他にある。
 議員本人または秘書や秘書相当の者が逮捕されたら、いったん議員資格を剥奪することにする。不正を裁くのは裁判所で十分だ。無罪が確定しない限り立候補は出来ない。有罪が確定したら、刑が明けてから最低10年間は立候補禁止、ただし、無罪が確定したら定数外で議員に復職させる。これまでどの政党にも、どの議員にも「自浄能力」などはなかったし、だから、これからだってないと思って間違いない。ならば、ルールを定めて怪しい奴はとりあえず排除して、その代わり「政治とカネ」で国政を停滞するアホなことだけはやめにするがいい。

 普天間については、無論米軍基地などはいかなる理由があろうとも無用だから、さっさとアメリカから返してもらう。嘉手納基地も同様だ。「そうなったらアメリカは日本を守りませんよ」と恫喝されても怯むことはない。「日米同盟が壊れてしまう」、まことに結構ではないか。これで戦後初めて日本は自前の外交・軍事が可能になる。それとも、自信がない?
 まず、マスコミの皆さんに言いたい。皆さんは、ハトヤマがどうの、こうのと政権のお粗末さはあげつらうが、沖縄の基地を返さない、普天間の県外・国外移設を拒むアメリカを一遍でも批判したことがあるか?君たちは、かつては日米安保に疑義を唱え、日米同盟の深化に反対の立場ではなかったのか?普天間問題で、君たちが主張しているのはあくまでも「日米同盟」維持だ。これを変節漢という。
 政権与党に言いたい。君たちは、この問題でアメリカとまさか一戦交えずに解決できると思っていたわけではないだろうな。普天間だけを独立して解決できるなどと思っていなかっただろうな。日米関係を壊さずに、穏便に返してもらう、基地を別に移してなどと目論んでいたとしたら、もはや君たちは政治家ではない。無論戦争ではないが、当然アメリカと事を構えることは当たり前であるような大問題だからだ。ことの重大性を自らはもちろん、国民に知らしめた上で君たちは「交渉」すべきではなかったのか?

 多分、この政権は持たない。外交には「裏」があるから、ひょっとしたらあっと驚く普天間解決があれば別だが。政権崩壊は、それはそれとして仕方がないと思う。だが、問題は別にある。次の政権を担うのが誰であれ、まず我ら国民がそれぞれ応分な覚悟をすることだ。普天間を始め沖縄の基地を何とかしたいと思ったら、現「日米同盟」を維持することは考えないことだ。沖縄の基地を失うアメリカが自動的に日本を守ることは考えにくいが、アメリカの戦略上、中国、北朝鮮との対抗上、その必要があると思えばそうするだろう。いやしくも政治家ならばその判断は問われるだろうが、国民レベルでは少なくとも、「沖縄の基地問題を日本に都合良く解決するためには、これまでのアメリカに依拠した外交と軍事とは違う、ある意味危険かもしれない道を選ぶ」という覚悟は絶対に必要だ。

 わが国民は、わずか7ヶ月で政権の支持率を半分以下にした。もちろんけしからんというのではないが、借金だらけの国の財政の中で「あれも寄こせ、これも寄こせ」が果たして妥当なのかどうか、「普天間を何とかしたいが、日米同盟は維持したい」が通る話なのかどうか、自分たちが誘導した「低支持率」を背景に、正義面して国民を煽るしか脳がない変節漢たるマスコミの言い分に乗ることなく、今度こそ「国民」は政権選択以前にきちんと腹を括る必要があるだろう。

 「二流の政治家を持つ国民は三流であり、マスコミは四流である」という。何も国民であることがそのまま絶対に偉いわけではない。

二人のK君
2010/04/05

 K君が第一ゼミナールに来てくれた。4年ぶりのことだ。4年前は、大学合格発表が一段落した時で、実は、第一志望大学には合格できず、日大・文理学部に進学することを報告してくれた時だ。大学に行ったら好きな英語を頑張りたい、と言ってくれたが、会心の笑みはなかった。
 そして4年。K君の今度の報告は、北大・大学院への進学だった。他大学の大学院入試に合格するには様々な障害があったろう。K君は、受験を決めた時から、1日に10時間以上も勉強したそうだ。北大では英文学を研究したいと言う。学費、生活費はアルバイトでまかなうとも言う。4年前と見た目はほとんど変わらないK君だが、信念を貫いた強さと、今度は会心の笑みが顔にはっきり浮かんでいた。我が母校で、K君、がんばれ!

 もうひとりのK君は、この4月から新潟大学3年生に編入することになった。このK君も、2年前は希望大学ではなく神奈川大学・工学部に進学した。学費、生活費のすべてを自分で稼ぎながらの学生生活であったが、猛勉強の甲斐あって、途中から授業料免除の優等生となった。これだけでも大変なことなのに、さらに勉強を重ね、新潟大学への編入試験に合格したのだ。
 K君は、「浪人時代に、塾長が、これからは英語と経営学だ、と言ったことがいつも心の中にあって、もう一度挑戦してみたかった」と言う。K君ならきっとこれからもやれる。今度は大学院合格の話だろうか、社会人になる話だろうか、とても楽しみだ。K君、がんばれ!

久しぶりに更新
2010/03/16

 塾長日記は更新されることが少なくなり、OBからお叱りを受ける始末だ。確かに「日」記ではなく、「月」記状態なので、お叱り、ご心配はもっともで、中には、今流行のツイッターやブログ形式のお薦めもあったが、ここは頑固に「日記」を守り、更新を心がけていきたいと思う。

 まず、スポーツの話から。
 とうとう朝青龍が引退した。これだけ好き嫌いが分かれる横綱は珍しかった。一言で言えば、朝青龍は「B級グルメ」力士だ。彼を放逐した日本相撲協会もまたそうだ。パンではなくお揚げで包んだハンバーガーがあるそうだ。朝青龍をどう評価するかは、この「稲荷バーガー」をどう評価するに似ている。マクドナルド派の多くはおそらく食することもなく、その邪道性を攻撃するだろうし、逆に、「稲荷バーガー」派は、マクドナルドの変化のない味と食感にうんざりしてしまうだろう。大相撲を神聖な国技と見なせば、朝青龍はまちがいなく邪道の横綱だし、大相撲をスポーツ、娯楽の対象と見なせば偉大なヒーローに違いない。朝青龍をどう見るかは、彼自身の評価だけにとどまらず、大相撲の現代における評価の問題であろう。

 基本的には若・貴時代の終焉と共に、国技・大相撲は終焉したと思う。横綱はじめ上位陣の多くがモンゴルを始めとする外国人に占められ、しかもこれが一時的でなく、この先も続くであろう時、国技の強調に何の意味があるであろう。部屋制の廃止、階級別のリーグ戦方式の導入と上位者による日本選手権、世界選手権の実施など、大相撲はプロスポーツとして再興されるべきではないだろうか。

 次は、政治の話になってしまうが、と言ってもどこそこの政党がどうのこうのという話ではない。
 どうも、最近気に食わないのが、普天間問題を巡る各方面の対応だ。まず、評論家やマスコミのコメンテーターの皆さんにお聞きしたい。皆さんのお話を聞いていると、盛んに出てくるのが「日米同盟」、確か皆さんの多くは日米安保=日米同盟に反対ないしは懐疑的ではなかったのか?いつの間にか、日米同盟堅持の立場に変身してしまい、日米関係の悪化を憂いているのが、さっぱり訳がわからない。さもしささえ感じてしまう。

 おまけだが、旧政権側が民主党マニフェスト実施の際の「財源」問題を盛んに取り上げ、現政権側も辻褄合わせに躍起だが、これも何かおかしい。今、日本が抱えている900兆円を超える国の借金を作ってきたのは、何十年にも渡って政権を担ってきた旧政府・旧与党の方々であったはず。よくも「財源」問題を臆面もなく持ち出せるなあ、と感心しきり。現政権側としては、旧政権側に向かって、「これだけたくさんの借金を重ねてきたお前らにガタガタ言われる筋合いなどない」と、すごんで見せてもいいのではないだろうか。「正義の味方」マスコミも、この問題では旧政権側を免罪して全く取り上げもせず、旧政権側と一緒になって「財源」うんぬんと攻撃するのも不思議で仕方がない。

 さては、お前は現政権派か?と言われそうだが、当方は無党派に分類されると思う。ただ、これも不思議だなあと思うのは、確かに国民主権=選挙民主主義下では国民は絶対の存在だが、だからといって、自分たちが選んだ現政府にもかかわらず、半年で支持率を半分にまで下げてしまう我が日本国民のせっかちさ。「政治とカネ」問題で、「オザワがどうの」、「ハトヤマの金銭感覚がどうの」をやめろとは言わないし、「子供手当だけでなく保育所を作れ」に面と向かって反対はしないが、税収1年分の30倍もの国の借金地獄の現状を、そして、海外における日本の経済力、製品力、信用力低下の現状を、支持率を上げ下げするだけでなく、我らは多少冷静に、政治家ではなく我らの問題として考えてもいい頃に来ているのではないだろうか、そう思えてならない。

ハイチの悲劇
2010/02/04

 二月になった。センター試験が終わり、国公立大学の願書受付が閉め切られた。私立大学入試が始まり、来月末まで長い受験の季節が続く。この冬の寒さは、「地球温暖化」を疑ってしまうほど厳しく、受験生にはいささか気の毒ではあるが、彼らにとっても春は近い。準備は十分にしてきたので、万全の体調で試験に臨ませてやりたい気持ちでいっぱいだ。

 ハイチの大地震で、死者が20万人を超えたと伝えられている。今も倒壊家屋の下に埋まっている遺体が多数あり、死者数がさらに増えるのは確実だ。救助に必要な食料、住居、医療のすべてが決定的に不足している。支援の食糧が武装グループに襲撃され、地震の混乱にまぎれて刑務所から服役囚が逃走するなど治安も悪化している。
 ハイチとは先住民のことばで「山がちの国」を意味するそうだが、平地は国土のわずか17%に過ぎない。国民の75%は農民だが、生産性がきわめて低く食糧を自給できないでいる。ラテンアメリカで初の国家を樹立し、アメリカ大陸で二番目の国家であり、世界初の黒人による共和制国家という輝かしい歴史を持つハイチだが、西半球で最も貧しい国と言われている。1804年、フランスから独立を勝ち取った国ではあるが、それ以来200年にわたって国内の混乱が続いている。今回の地震はこの貧しい混沌のをさらなる貧困と混迷に突き落とすに違いない。なぜだろうか、災害はもっとも弱い国と、弱い人々を襲う。
 アメリカやヨーロッパの政府は、支援の規模はともかくいち早く救助活動を開始したが、例によって日本は一番後から重い腰を上げた。やれ、安全の確保が問題だ、やれ法の整備が不完全だ、やれ、何とかだと、いつも非生産的なごたくを並べるしかない我が国の「災害援助」にはうんざりを通り越して無力感と嫌悪感を抱いてしまう。国内はもちろん国外の災害時の救助活動の規範を早急に定めるべきだ。地震被害、台風被害を繰り返し克服した日本の教訓と技術が今こそ生かされるべきだ。

K君のこと
2010/01/06

 K君、昨年末の君からの電話は本当にうれしかった。国立新潟大学への編入試験合格は実に快挙だ。君は電話の向こうで泣いていたようだったが、実は自分もそうだった。

 君が我が第一ゼミナール・大学浪人クラスに入学したのは一昨年の四月だった。道内の国立高専を卒業したあと、本州の民間企業に就職し、それなりの報酬を得て社会人として活躍していた君は、高専時代から抱いていた大学進学の夢を叶えんとして、すっぱり会社を辞め、函館にやってきたのだった。
 第一ゼミナールの近くにアパートを借り、炊事、洗濯、掃除、買い物、何でも一人でこなしながら受験勉強に勤しんだのだった。もちろん、費用の全てはそれまでの自分の蓄えから賄った。他の受験生の何倍もの負担があったにもかかわらず、君は一度も休むことなく、遅れることなく予備校の授業を受けた。
 英単語を覚えるのは相当につらかったようだ。日本史もなかなか覚えきれないようだった。数学、国語、理科、どれもこれも遠ざかってから五年以上の歳月が経っていた。必死の形相で取り組む君だったがしばらくの間は遅々として進まなかった。あきらめる=挫折の予感もあったが、君はけっしてそうはならなかった。君の意志の強さと勉強の取り組みの量は他の生徒を圧倒していた。
 君のすごさはそれだけではなかった。年齢がかなり離れていたにもかかわらず、偉ぶることはなく、年下のタメ語すらにこにこと受け止めるほどだった。そのことで返って君はある種の尊敬を集めていたのだ。

 だが、入学試験は時に残酷だ。センター試験でも、国立二次でも思うような結果が得られず、君は首都圏の私大にひとつだけ合格しただけだった。学費の問題を考えると進学は困難に思えた。にもかかわらず、君は落胆していたはずなのに誰にもそのことを表すことなく、その私大進学を決め、やはり自分の蓄えで入学金などを納付し、丁重にご挨拶をしてくれて函館を発った。

 一年が経って、君から電話があり、その私大で成績優秀により授業料免除となったうれしい報告があった。進学後も浪人時代と同じ態度で勉強に取り組んだ君は、自活するためのたくさんのバイトをこなさければいけなかったにもかかわらず、ほんの数名だけに与えられる特待生になったのだ。K君、君の勤勉さ、誠実さは、少し遅れたけれどもちゃんと認められたのだ!
 そして、また一年経って、今度は新潟大学への編入試験合格の報せだ。K君を褒めてあげた。塾長にまず報せたかったという君の声に、涙を堪えきれなかった。本当におめでとう!君は紛れもなく我が第一ゼミナールの忠実な門下生にして、誇りだ。新潟でも君が活躍することを心から願っている。
 

就職超氷河期
2009/11/28

 就職超氷河期で喘ぐ大学生が多い。来年春に卒業する4年生の約4割がいまだに企業からの内定が得られないと聞く。特に女子大生が厳しいらしい。就職のために大学進学するのではないのだが、せっかく卒業するのに引き受けてくれる企業がないのはあまりにも気の毒だ。

 同じ大卒でも、現在60〜65才の「団塊の世代」のように、全く苦労せずに「大手企業」に就職できる時代があった。他方、今30才前後の世代は就職超氷河期といわれた時代に出くわしてしまった。昨春卒業した学生はかなり楽に就職し、今春卒業した学生はからくも難を免れ、現4年生は昨年秋のリーマンブラザーズ破綻以降の世界的不況の影響で何度目かの就職超氷河期を迎えてしまった。わずか2年の違いでこうなのだ。就職の是非は時の運に振り回される。

 ところで、ある大学の就職担当者から聞いた話だが、就職難は必ずしも企業側の都合と言うことではないらしい。学生側が、「絶対に商社に就職したい」、「広告代理店で働きたい、それ以外は考えていない」、「銀行でなければいやだ」と、かなり絞り込みを行うらしいのだ。勿論、募集枠はかなり狭くなっているので、全員を受け入れることなど到底不可能だ。かくて、内定をもらえない学生が溢れてしまうと言うのだ。もし、どこでも構わないというのであれば、まだまだ就職できる企業は残っているのだそうだ。もったいない話ではある。

 世界を駆け回る商社マンに憧れる気持ちはよくわかるし、華やかな広告代理店のオフィス、高給が保証される大手金融機関が悪いわけはない。だが、その昔、とある大手メーカーで働いた身から、あえて言わせてもらえば、大企業でなければならない理由など一つもないぞ、と。同じ商社でも、例え規模は小さくても、レアメタルを追って世界中にビジネスチャンスを求め成長を続ける商社だってある。大手出版社が振り向きもしなかった作品を出版し大成功をおさめた零細出版社もある。それに反して、アメリカ発の不況に際して、派遣労働者の首を切るは、ワークシェアリングなる事実上の労働時間短縮を従業員に強いるはで、何一つ生産的な手を打てないにもかかわらず、「君は我が社のために何をしてくれる?君のコミュニケーション能力は?」と就職希望者にしたり顔で迫る大企業がそんないいいのか?と問いたい。
 例え規模は小さくても、しっかりした理念と未来を向いた戦略・戦術を持った企業で、例え口べたでも、誠意を持った、努力を惜しまない学生を望むなら、そして、入社後は貴重な戦力として大事にしてくれそうな企業なら、大企業を蹴ってでも赴くべきではないのか?

 良い企業に入って、あるいは、安定した公務員になって、という考えを否定はしない。しかし、そうでなくても自分を生かせる道はあるし、それに今気がついていないだけかもしれない。自分が思っても見なかった企業がひょっとしたらそれかもしれない。学生諸君、どうぞ希望を捨てないで、もう一度柔軟に自分と取り巻く状況を見つめ直して欲しい。

名監督の道を進むか、原辰徳
2009/09/25

 プロ野球・読売巨人軍監督の原辰徳を6年前までずっと評価しないできた。現役時代の彼は、確かにスタープレーヤーではあったが、チャンスに弱く、よく負け試合でホームランを打っていた。「史上最弱の4番バッター」などとひどい陰口をたたいたりもした。展覧試合で逆転ホームランを打つなど、ここぞと言うときには期待通りに打ってくれた長嶋茂雄や「世界ホームラン王」王貞治と比べられるのだから可哀想な気もしていたが。
 現役引退後の野球解説者としても、また、巨人のヘッドコーチとしての原の「野球理論」もお粗末だと思っていた。現楽天監督の野村克哉にいつも嘲笑されていたし、「ヘッドレス」、「真空ヘッド」のヘッドコーチなどと揶揄されていた。また、われら団塊の世代から見れば、何を考えているかわからない「宇宙人世代」であったことも「偏見」の一因になったかもしれない。
 そんな原を見直し始めたのは、2003年にいったん監督を辞めた(解雇された)後に、テレビで野球解説をするようになってからだ。選手の良いところを取り上げ、励ますことが多い解説スタイルに好感が持て、なによりも謙虚さが随所に感じられ実に心地よかった。2002年の日本一監督が翌年に更迭されるという天国と地獄を体験したことが、彼をとても懐の広い人間に変えたのかもしれない。ああ、また彼に監督をやらせてあげたいなあ、と心底思うようになった。
 それから3年、原はジャイアンツに戻ってきた。監督として以前と違ったのは試合中に見せる笑顔と落ち着いた様だった。監督になった最初の年・2002年でも桑田、河原両投手、清水外野手を再生させ、チームをリーグと日本シリーズの優勝に導くなど、選手起用には非凡なものを見せていたが、一から育てた選手を活躍させた点で大きく異なっている。投手では、越智、山口、東野、野手では亀井に松本、それに...。FAで巨大戦力にはなっていたが、機動力と若さが欠けていたチームが全く別に生まれ変わったかのような印象すら抱かせた。打ち合い、投げ合い、どんなゲームにも対応する柔軟で力強い戦力を有するチームにすることに原は成功したと言える。WBC優勝の采配を振るったことが大きな自信になったことは言うまでもあるまい。
 リーグ優勝はしたが、クライマックスシーズで勝たない限り日本シリーズには進めず、昨年の屈辱を晴らすことはできない。気になるのは、時折、選手起用にせっかちさが見られることだ。どっしり構えているときよりも悪い方向に進むことが多いように思えてならない。それはさておき、、願わくは、日本シリーズの相手が日本ハムであるように。

津軽の三不動尊
2009/09/07

 9月になった。新型インフルエンザはこの函館にやすやすと上陸し、市内の高校の学級閉鎖が聞かれるようになった。しかし、国内の死亡者数が10名になり、9月または10月が感染拡大のピークだと言われている割には、危機感が募っている様には見えない。目に見えない敵・ウイルスとの戦いの当事者意識の希薄さの方に危機感を覚えてしまう。医学への信頼、関係当局への信頼からか、自分だけは大丈夫という根拠無き自信からか。
 フランスが生んだ「不条理」の作家たるカミュの『ペスト』は、蔓延するペストに冷静に対処する医師ルナール・リウーについて次のように語った。「彼は善意の証言者にふさわしいような、ある種の控え目さを守った。しかし、同時にまた、公明な心の掟に従って、彼は断乎として犠牲者の側に与し、人々、同じ市民たる人々と一体になって、彼らが共通にもっている唯一の確実なもの、すなわち愛と苦痛と追放とを味わおうとした」と。
 政権が変わったが、お金の配分が大事なのはわかるが、それ以上に人間の命を守ることをまず第一に考えて欲しい。次期総理の第一声は「新型インフルエンザとの総力戦」であるべきではなかったのか?

 9月6日に青森県の三つのお不動様を参詣した。「津軽の三不動尊」とは、「長谷沢の東光山・五輪寺」、「古懸山・国上寺(こがけさん・こくしょうじ)」と「中野の黒龍山」に奉られた不動明王像を指す。中国天台宗の開祖・智嶺の高弟である円智上人が609年に一本の木から3体の不動尊を彫刻したという。自分は特定の宗教を持ったり宗派に属してはいないが、受験生を守り、受験を成功させたい一心で手を合わせるようにしている。10年以上前から縁あって春と秋に「津軽の北斗七星」参詣をしているが、数年前から「津軽の三不動尊」参詣を秋にするようになった。
 住職のご厚意で古懸山の不動尊をご開帳していただいているが、昨年までは怖さしか感じられなかった。なにしろ燃えさかる炎を背にし、右手に剣を持ち、かっと見開いた眼である。しかし、今年は違った。あまりにも穏やかなのである。時に威厳と恐怖のお不動様に戻るものの、やがて高貴で知的で慈愛あるお姿が浮かぶ。昨年までより多少は落ち着きが出たからだろうか、それとも、法悦なのであろうか、なんとも不思議な体験を1時間以上もさせていただいた。

写真は、中野・黒龍山と古懸山の不動明王である。

恒例の京都墓参
2009/07/23

 山口県の豪雨災害で、県内の犠牲者の数が9人になった。このうち、防府市の特別養護老人ホーム「ライフケア高砂」では高齢の入所者5人が死亡したほか、2人が行方不明となっている。犠牲になられた方々に心から哀悼の意を表したい。
 それにしても台風、地震、豪雨などの自然災害では、なぜこうも「社会的弱者」の犠牲が多いのだろうか。日本だけではなく世界中がそうだ。「備えあれば憂いなし」は恵まれた人だけに限られたことなのだろうか。

 昨日、暑さと大雨の京都から函館に戻った。毎年恒例の墓参りだが、こんなに雨に祟られたのは初めてだ。お寺とお墓に向かう時だけ晴れたのは、ご先祖様のお守りだろう。

 写真のうち、庭園が見えるのが京都・八坂神社の東北にある高台寺(臨済宗建仁寺派)である。豊臣秀吉の没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね)によって、1606年に開創された。ねねもまたこの寺に眠る。

 もう一枚は、東山区の三十三間堂(天台宗)である。1165年に後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音である。湛慶をはじめ慶派、院派、円派など、当時の主要な仏師たちが総出で造像した1001体が、約120Mに渡って居並ぶ。ただの一体も他と同じ像はない。もちろん動かないのであるが、何か話せ、何か懺悔しろと言われているような気がしてならない。

日記でなく「月記」か?
2009/07/15

7月も半ばとなった。13日、14日に浪人クラスの三者懇談を行い在籍全生徒および保護者の方々と前期の総括をすることができた。忙しい中時間を割いてくれた保護者の方々に心から感謝申し上げたい。

 北大が2011年度入試から、学部の枠を超えて「文系」「理系」の単位で学生を募集する「総合入試」を導入するそうだ。前期日程の全12学部が対象となり、募集定員の45%がこの募集枠となり、残りの55%は現行通りの募集単位になるという。総合入試で入学した学生は1年間、他の入試で選抜された学生と一緒に文系、理系ごとに「総合教育部」に所属、1年間教養科目などを学んだ後、本人の希望や成績と、定員の状況を考慮して、二年時から学部移行をすると言う。また、文系から理系、理系から文系への移行もできるという。

 古い話で恐縮だが、自分が受験し進学した当時の北大は、募集単位が文類、理類、医学部進学課程、歯学部進学課程、水産類の5つであり、文類と理類は1年半後に本人希望と成績で「学部・学科移行」するようになっていた。卒業してしばらく経って募集単位が細分化され、現在は学部別募集を基本に23の募集単位になっている。我らが時代は、4年間のうち前半で一般教養を学び、後半で専門を学ぶ「アメリカ型」をモデルに募集単位が「大まか」であったたのに対し、一般教養よりは高度な専門性を、という社会的な要求、時代背景があって、大学入学とともに専門教育を始めるべきだ、ということから募集単位の細分化が図られてきたのだ。
 
 自分は、懐古的な理由ではなく、募集単位の細分化に一貫して反対であった。高校時代(+浪人時代)に自分の専門を決めるというのは大変な冒険であり、また、自分をただちに狭い分野に固定してしまうことが望ましいこととは思えないからである。大学入学後1〜2年かけて学んだこと、見聞きしたこと、体験したことに踏まえ自分の進む道を決めることが望ましいと思うからだ。文系、理系の区別さえ廃止すべきだと思っている。特に、明らかに精神的部分での幼稚化が進み、情報社会と言われながら大学や専門分野への関心、知識が希薄になっている受験生の現状を考えるとなおさら、専攻=学部・学科の選択は入学後しばらくしてからの方が望ましいと思っている。

 だから、今回の北大の決定は大歓迎だが、問題はその中途半端ぶりである。早くから専攻を義務づけられた学生とそうでない生徒が同居することに何ら積極的な意味はない。まして、受験生が旧方式での受験か「総合入試」で受験すべきかを迷わす理由は全くない。自分は文系、理系の区別のない一括募集方式を支持するが、せめて文系、理系の二単位での募集か、せいぜいかつての5つの募集単位とすべきである。そこに至る過渡的措置というなら、それは受験生、学生にとってではなく大学側の都合だけを考えた結果にしか映らない。即時「総合入試一本化」をお願いしたい。

企業って、そんなに偉い?
2009/05/26

 今年の大学浪人クラスがスタートして1ヶ月、受けた模試が2回、まずは順調に立ち上がったと思う。第一ゼミナールに入ると、まず最初に「仕込まれる」のは、挨拶と下足だ。下足の方はすぐにうまくいくが、中にはシャイな生徒もいて、「おはようございます」、「こんにちは」、「さようなら」がなかなか言えない。まず全員ができるまでが1ヶ月。これが過ぎると、浪人クラスは、受験勉強一色に塗りつぶされる。

 来春就職予定の大学4年生と大学院生の就職が厳しいようだ。これまで好調だった理系も雲行きが危うくなったこともあって、全体の4割ほどしか内定、内々定をもらっていないと聞く。特に女子が大変らしい。しかも、いわゆる大手企業はすでに採用を終えたというから、学生の焦る気持ちは十分にわかる。
 50社近く応募して、すべて撥ねられ、すっかり自信をなくした学生を知っている。親元にかかってくる電話は、元気がなく、時には涙声らしい。あと1,2年早く生まれていたら...と、親子共々嘆くが、こればかりは仕様がない。

 それにしても、最近の企業の求人姿勢には首を傾げざるを得ない。面接試験でまず尋ねられるのは、「あなたは、この会社に何をしてくれますか?」だ。学生は、予め模範解答を準備してるので、あまりまごつくことはないらしいのだが、考えてみれば、会社なんて外部から見ればよくわからないだらけなのに、その会社でできることを言えと言うのは無理というもの。自社のぐうたら社員に問うならいざ知らず、学生に問うこと自体に何の意味があるというのだ。なんとなく気に入って、なんとなく良さそうで、それで志願してみたで十分ではないか。それじゃだめというなら、逆に訊ねるが、そんなに企業様って偉いのか?
 さらに重視されるのが、「コミュニケーション能力」なんたら、かんたらがあるのかどうかだ。企業に不祥事があった時に、幹部連中が記者会見で謝罪したり言い訳したりするのをよく見るが、コミュニケーション能力に長けているようには思えないことがしばしばだ。あの曖昧さ、理不尽さ! 学生に問う前に、まず己に問うてみるべきだ。無口な人間が、口から先に生まれてきたような人間の下にあると判断する会社なら、こちらから願い下げだ。無口だが、責任感が強く、いざとなったら身を捨ててまでも組織、同僚、部下を守る気骨を持った人間を見る術を一体企業は持っているのだろうか?もっとも、内部留保をしこたましているにもかかわらず、「100年に一度の経済危機」をがなり立て、内定取り消し、契約社員追放、ワークシェアリング導入をいとも簡単にやってのけるのが「企業様」だ。学生は、そこに蹴られたからといって、自分の全存在が全否定されたなどと決して思わないことだ。
 
大学生にとって就職は、大学入試と並んで人生の一大事だ。入試は本人の努力で何とかなる面もあるが、就職は卒業期の経済状況に大きく振り回されるだけに始末が悪い。しかし、学生諸君に言いたい。企業に媚びを売る必要などない代わりに、大学生になったら、まず社会人としての常識を身につけること、何か一つ専門的な知識を身につけること、英語をしっかり頑張ることだ。その上で、就職に際しては自分のありのままを「売り込む」がいい。そして、大企業への就職=偉いことでも、高人格の証でもなんでもないことなのだから、例え「中小零細」だったとしても、少なくとも大企業の歯車の一つにならなくて済んだ、この会社で自分を精一杯生かし、やがては大企業に負けない企業に成長させてやろう、という気概もって頑張って欲しい。

K君のこと
2009/04/07

K君、先ほどの君の電話はとてもうれしかった。
在籍する神奈川大学の学年を代表する特待生になったのだから!
君は一昨年の4月に、高専を卒業し勤めていた会社を辞めて我が第一ゼミナールの門を叩いたのだった。本当はそのまま勤めていたほうが良かったのになあという気持ちを持ちつつも、どうしても大学進学したいという君の熱意に動かされ1年間お付き合いすることになったのだった。
君は受講料も、講習料もすべて自分の貯金から出し、生活費もすべて働いて貯めてたお金を当てたのだった。だから、どうしても大学生にしてあげたかった。
しかも、君はずいぶん年下の浪人クラス生に混じっていたにもかかわらず、誰とも分け隔てなく交わり、周囲への配慮を忘れることはなかった。挨拶、下足整理や校舎の美化などいつも率先してやってくれた。君なら、良い大学生になれるった信じていたよ。そして、大学を出た後も立派な指導者になれるって心から信じられたよ。
実は、少し落ち込んでいたときだったので、君の電話を聞いてうれしいだけでなく、君を指導した自分が少しばかり情けないなあって思って、不覚にも涙を流してしまった。
Kよう、君は大学の入学金も授業料も全部自分で出し、生活費はアルバイトで賄い、この一年間、他の人の何倍も勉強したのだった。完全に自分を超えたよ、K!
特待生になったら授業料は楽になるだろうから、身体を壊すようなアルバイトは少しは控えろよ。でも、来年も聞きたいな。「塾長、また特待生になりました」って。がんばれ、K!

センター試験終了
2009/02/04

 センター試験が終わり、国公立大学の二次試験の願書提出も締め切られた。昨年に比べて難化したセンター試験に悲喜こもごもだが、第一ゼミナールでは幸いなことに「喜」の方が多く、まずは成功だったと思う。国公立大学にかなり自信を持って出願した生徒が多かった。センター出願方式の私立大学合格の目途も相当に立ったと思っている。しかし、例え「悲」であっても、二次試験の頑張り次第では逆転合格の可能性が残っているし、私立大学の一般入試はこれからだ。良くても悪くても試験は終わってもないと分からない。最後まで励まし続けてあげようと思う。

 アメリカの新大統領就任の興奮と熱気には驚かされる。支持率68%を誇る他国の大統領にけちをつけるつもりはないし、お祝い気分に水を差すつもりもないが、どうも自分には世の中の考えやムードが一方向に流れる時、そこに危うさを感じる困った性癖がある。

 バラク・フセイン・オバマは確かに「黒人初の」大統領」に違いないが、「黒人の」大統領として見ることはやめた方が良いと思う。彼は、黒人の代表ではない。コロンビア大学からハーバード大学・大学院に進み弁護士となり、上院議員となり、同じく弁護士の妻と合わせて年収1億円を稼ぐ「白人も羨む」エリートである。
 今回の大統領選挙で、彼はインターネットを駆使した1万円以下の小口献金、連日の資金パーティーなどで600億円以上の選挙資金を集め、対立候補を圧倒した。そのうち400億円をかけて全米7局のゴールデンタイムを買い上げ、投票広告番組を流し続けた。オバマの勝因のひとつは、他候補を寄せ付けない「カネの力」である。

 オバマの勝因のもうひとつは、あまりにもブッシュ前大統領が不人気だったことだ。アメリカにとって、対立候補だったマケインやH・クリントンは、ブッシュ同様に中央政界に巣食う「政治プロ」に見えた。レーガン政権からブッシュ政権へと続く「豊かな国」アメリカの惨めな凋落、数千人のアメリカ兵とおびただしい数の現地市民の犠牲にもかかわらず、解決の糸口さえ見えないイラクとアフガニスタンでの「テロとの戦い」。これらのことごとくをとにかく「チェンジ」しなければならないと思い始めたアメリ国民の心情にオバマはすり寄ることが出来た。リンカーンばりの理想とケネディーばりの演説の巧みさにアメリカ国民は久々に新鮮さと現状からの脱却の予感を感じ取った。今回ばかりはWASP(白人・アングロサクソン系・新教徒)の大統領はこりごりだった。

 経済再建に意欲満々のオバマだが、巨額の資金援助で、GMなど自動車メーカーや銀行の救済に乗り出したとしても、「超格差社会」アメリカの土台に手をつけることは叶うまい。アメリカでは、わずか400人の最富裕層が150兆円もの資産を持っている。実に、底辺を構成する1億5千万人分の財産に匹敵する。世界で最も医療が進んでいるアメリカで、実に最底辺の3千万人が無保険状態でその恩恵を被ることはない。富が極端に偏在する「超金権国家」アメリカは、そのいびつさ故に絶えず経済危機に晒され続けざるを得ない。国家再建を語るをオバマはこの構造事態をどうするつもりなのか、選挙戦を通して具体的に語られることはなかった。オバマは国家の再建にアメリカ国民の決起を呼びかけたが、彼を除く黒人のほとんど全てが、ヒスパニック系住民のほぼ全部が「自由と権利と生活」を謳歌できる保証はどこにも見いだせない。オバマ大統領の就任以降も企業の解雇が後を絶たないが、その大多数は黒人などのマイノリティーである。

 イラクから早期に「名誉ある」撤退を掲げたオバマだが、「強いアメリカ」を標榜する彼は、ブッシュ同様にテロとの戦いを軍事行動で達成しようとしている。イラクから引き揚げた軍隊をアフガニスタンに集中しすることで「テロとの本来の決戦」を図り、場合によっては「テロリストが潜む」パキスタンへの越境攻撃も辞そうとしない。しかも、同盟国である日本に多大な貢献を強いることを隠そうとはしていない。だが、アメリカ軍の撤退が簡単に許すほどイラク国内の治安は安泰ではない。アメリカ軍撤退は事実上の内戦をさらに激化させるだろう。また、アフガニスタンでタリバン勢力に軍事的に勝利できるかどうかは疑問だ。これまでの軍事作戦の不調ぶりを見れば分かる。アメリカ軍の即時全面撤退に加え、中東におけるイスラエルの覇権主義とそれを支持するアメリカの中東政策が根本的に変わらない限りテロリズムが消滅することはない。だが、オバマにそのインセンティブはない。

 「黒人」であるが故にオバマを贔屓目に見ようというのは間違いなく人種差別である。人種にかかわらず、アメリカ国家の最高権力者であり、核のボタンを握り、アメリカはおろか世界の命運を左右するアメリカの大統領は、その思想、行動の全てが監視と批判の対象であることを我らは忘れてはならない。オバマもその一人に過ぎないのである。

年の終わりに当たって
2008/12/28

 慌ただしい年の瀬となった。冬期講習真っ最中の我が予備校には、センター試験を間近に控えた「嵐の前」にもかかわらず、静けさとは異なって不釣り合いなほどの明るさと、活気がある。十分な学習を重ねたせいと思いたい。

 凄い一年であった。一方では「通り魔殺傷事件」、「小児殺人事件」が頻発し、他方ではアメリカ発「世界経済恐慌」があった。かろうじて持ちこたえられていた「日常性」が音を立てて崩れていった感があった。特に、6月の秋葉原事件の衝撃は今なお大きい。

 我らが希望だとか、夢だとか、憧れだとか、およそ未来につながることの全てを奪われてしまった時、あるいはそれらを持つ意志を捨ててしまった時に、我らに出来るのは自ら命を絶つか、犯罪者となるかのいずれかである。「無差別殺傷事件」はこの二つを同時に叶えてしまう。違うのは犯人が自ら命を絶つのではなく予想される極刑を選んだことだけだ。秋葉原事件の犯人・加藤某もまた未来との関わりを全く持たない、あるいは持てなくなった人間であったに違いない。識者の多くが犯人の生い立ちから「秋葉原事件」を説明しようとする。描きたいのは、高校入学後のエリート路線からの転落と格差社会の敗者となった姿だ。小泉「改革路線」の犠牲者だと断言する者もいた。だが、これらの分析は、日常性を維持したい人間が非日常性に臨んだときの自己合理化と日常性回帰への保証を得るための分析に過ぎない。加藤某は間違いなく我らが生み出した人間である。このことが意味するのは極めて重い。一見合理的な我らの日常性の綻びは、初めは怖ず怖ずと、次第に大胆になっていくかもしれない。多数の加藤某とその何倍もの犠牲者が胎む我らの社会の異常さを、だから非日常性の「日常化」を、識者のではなく自らの感覚と言葉で思い語る時期が来ていると思う。

写真は、12月23日の第一ゼミナール主催の「東進センター最終プレ」の受験光景。会場となった函館市民会館は早朝から受験生の熱気に包まれた。

再び就職難か
2008/10/21

 来春就職予定の大卒内定者数が5年ぶりに減ったそうだ。
 日本経済新聞の記事によると、2009年度採用状況は、主要企業の大卒採用内定者数(2009年春入社予定)は今春入社した人数に比べて1.4%減で5年ぶりのマイナスになった。さらに、主要企業からは、米金融危機の影響による業績悪化の懸念から2010年春入社の採用計画については全体の7.6%が「採用を減らす」との回答があったそうだ。とりわけ、証券、保険、不動産関係の落ち込みが大きい。

 就職は景気変動に密接に関係している。日本経済が右肩上がりに成長した1960年代後半から70年代前半は、大学生にとって「超」売り手市場」、4年生の冬に超大手の採用枠がまだ残っていたほどだった。続く1973年の「第一次オイルショック」、さらには「第二次オイルショック」で日本経済が縮小に向かうと、今度はたちまち就職難の時代が続いた。そして迎えたバブル経済の1980年代後半から90年代前半。学生にとって就職に困らない幸せな数年間があり、バブル崩壊とともに始まった「失われた10年間」は、就職「超氷河期」ともいわれ、就職できない学生がやむなくフリーター生活を余儀なくされた。ところが21世紀になって、「平成ミニバブル」ともいわれる景気の回復によってまたもや学生の就職「売り手市場」となった。
 だが、アメリカの金融不安に発した世界同時株安は日本の実体経済をも揺るがし始め、守りに入った各企業は「聖域」である大卒採用の手控えに動き始めた。学生には気の毒だが、就職状況の善し悪しは「生まれた時代」で決まるだけだ。つまりは「運」ということだ。ひょっとしたらここしばらくは学生にとって厳しい時代になるかもしれない。

 ところで、慰めでも何でもないが、来年以降就職難が予想されるとはいえ、全員が就職できないわけではなく、大部分はそれなりに収まりがつくだろうということと、就職が楽な時代の大卒が、その後もずっと楽であったわけではない。我ら団塊の世代が就職した1960年代後半から70年代初頭は、学生が企業に飛ぶように売れた時代だったが、企業戦士ともてはやされ散々働かされたあげく、役職がついた50代になってからは非情なリストラの嵐に見舞われたのだった。それとは逆に、バブル崩壊後の就職難時代に、やっと就職できた零細企業で大事にされながら生き生きと働くことができ、いまや特殊技術を持つその会社は全国はもちろん世界進出さえ果たした例を知っている。

 確かに就職は人生において大事な契機ではあろうが、それですべてが決まるわけではない。アメリカの名門証券会社リーマンブラザーズ社の倒産を見るまでもなく、今日の一流企業が明日には存在しないかもしれない時代だ。自分の部署が知らない間に外国の会社に身売りされるということも珍しくない時代だ。なによりも、一流企業への就職が直ちに一流の人間の証になるわけでもないことを知るべきであろう。大学生はいたずらに就職不安を増長させることなく、まずは自分の人格を磨くことを心がけて欲しい。その上で、「使える英語」の習得と、ひとつだけでもいいから専門分野の知識を深めていって欲しいと思う。願わくは、「寄らば大樹の陰」ではなく、若木から大樹を育てる気概を持って欲しい。

「一本」へのこだわり
2008/08/15

 北京オリンピックは中盤に入った。競泳平泳ぎの北島が期待通りに2冠に輝いた。「チョー、気持ちいい」から4年、ただ早い、強いだけではなく、自分の果たす役割、責任を十分に心得た競技者・北島が見られた。彼はいい指導者になるだろう。

 男子柔道が総崩れだ。金メダル1個もさることながら、初戦、敗者復活戦での敗退が目立っている。「朽ち木倒し」などレスリングじみた技で倒される光景が目につく。アテネの王者たちが揃って破れ、敗北の涙を見せた。

 44年前の東京オリンピックで、日本の神永選手がオランダのへーシンクに破れた時から急速に柔道の国際化が進んだ。国際化は世界各国が日本柔道を「コピー・アンド・ペースト」することから始まった。しばらくの間、「一本勝ち」は共通の美学であり続けた。皮肉なことに、体力で劣る日本にとって、「柔よく剛を征す」の精神からは好ましくないはずの「体重別クラス」は、柔道日本を維持するために都合よく働いた。

 だが、競技人口だけを見ると日本は約20万人まで減り続け、例えばフランスは60万人強となった。国際柔道界での日本の影響力は減り続け、替わってヨーロッパ各国の発言力が増した。約半世紀かかって国際化がたどり着いたのは、日本柔道の維持・発展ではなく、完全な「スポーツ化」であった。柔道にレスリングが融合したJUDOの誕生だった。
 相手に組み手を十分に与えない、腰を引くなどというのは本来の柔道から見ると「卑怯」なことであったが、「一本」を防ぎながら「効果」、「有効」のポイントねらうJUDOでは極めて合理的なファイティング・ポーズとなった。苛立った日本人選手が強引に「一本」狙いに行くところを返されることが多くなり、組み手争いで「反則」を犯しポイントを奪われるようになった。
 JUDO競技の中で、日本だけが異質な柔道をし続け、まず男子が時代に取り残された。鈴木桂治はじめ前回オリンピックのメダリストたちが次々と散っていったのは大きな驚きではない。それにしても、柔道のルーツである日本が、日本が望んだ国際化の故に柔道を衰退させるのはこれまた皮肉そのものである。金メダル二個の女子柔道に水を差すようだが、一本勝ちへのこだわりがまだ通用しているのは、男子に比べ競技人口が少ないことが原因だ。それが次の世界大会、オリンピックで可能かどうかは分からない。

 谷亮子は、アテネでの勝利以降「柔道家」から「JUDO選手」への転身を図った。結果は銅メダルで、積極的に一本を取りに行かなかった谷の闘争心の欠落が問題にされたが、そうではない。よりJUDO化が進む軽量級で生き残るために、谷はJUDOを受け入れただけだ。もし、そうでなかったら谷は北京まで来られなかったかもしれない。銅メダルをかけた試合での一本勝ちは「柔道家」としての谷のせめてもの一本であったろう。

 日本は明らかに岐路に立たされている。「一本」のこだわりを捨て、遅ればせながらJUDOを全面的に受け入れるか、はたまた「一本」の美学=柔道を貫くか。願わくは後者だが、かつて井上康生が見せたような「内また」を国際舞台で再び見ることが出来るには、JUDOにたどり着いたのと同じくらいの時間が必要かもしれない。

スピード社製の水着の意味するもの
2008/06/11

 「泳ぐのは僕だ。」北島康介のTシャツには英語、日本語、中国語でこう書かれていた。その北島がジャパン・オープン2008でイギリスのスピード社のLR(レーザーレーサー)水着を着用して、2つの日本新記録と1つの世界記録を更新した。今年になって更新された競泳の18の世界新記録のうち17の記録がスピード社製水着を着用した選手によって達成されている。LRを着用しないで記録に立ち向かっていくのは難しいように思える。

 水泳競技の記録は、「人間」と「水の強い抵抗」との戦いから生まれた。抵抗に打ち勝って進むための強い筋肉をつくり、より早く進むために水泳技術を工夫することに「人間としての限界」が現れた頃、「科学」の力を借りたのは水泳も例外ではなかった。スポーツ科学は、肉体と技術をより高いレベルにするために合理的、効率的なトレーニング理論と実践を提供し、再び人間は「記録」を更新し始めた。
 科学が次に提供したのは、新しい道具・装備であった。とりわけ水泳に必要なのは、抵抗を出来るだけ少なくするための水着の改良であった。スピード社のLRは軽量、撥水性に加え、選手の体を締め付けるアイデアで、他社製の水着に勝った。胸囲で5センチ、太ももで2センチ、尻で2センチも体を締め付け、姿勢を維持する効果があるLRは、外人選手に比べ体力で劣る日本人選手には最適に見える。かくて、日本のオリンピック選手のほぼ全員がミズノなど日本製水着を蹴って、LRの着用に踏み出そうとしている。むろん北島も例外ではないだろう。テクニック派の彼にとって、ライバルであるスタミナ派のハンセンを倒す格好の武器を手に入れられるからである。

 スポーツと科学の蜜月はおそらく途絶えることなく続くはずだ。少なくとも我らがスポーツに「記録」を期待する限りは。ところで誰がどう撃っても弾道修正しながら矢が的の中央に向かう(実現できるかどうかは疑問だが)アーチェリー競技は、我らはもはやスポーツとは呼ばないだろう。競技規則ぎりぎりに,足首・手首・首だけを出した超撥水性、超軽量、超締め付け型の新型の「LR」に、これまた特殊製法によるキャップとゴーグルを身につけた選手が記録を出し尽くした後に、規則の改定が前提だが、目だけを出し全身「LR」づくめの水着を身につけた選手がスタート台に立つのは異常な光景としか写らないだろう。しかし、記録更新のみが期待される限り、その時代は到来するかもしれない。
 我らは、科学をスポーツに無原則に取り入れ、数字=記録の評価をスポーツそれ自身の評価とすることを当たり前のように受け止めてきた。それと引き替えに我らが捨て去ったのは、人と人が素のままに競う、古代オリンピックに代表される「格闘技としてのスポーツ」だったのかもしれない。

今年も七宮参詣
2008/05/01

 青森県の「北斗七星」伝説について以前書いた。「宗教っ気」がない自分であるが、こと大学受験に関しては別人のように神仏を敬う。毎年、春と秋、青森県内の七つの神社に参詣し、我が第一ゼミナール生の大学合格祈願をする。今年でもう10年にもなる。ただただ頭を垂れ、手を合わせ、生徒の頑張りと来春の合格を祈るばかりだ。

 「津軽富士とも言われる岩木山周辺にある「七神社」は、征夷大将軍・坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が創建したと伝えられてる。その七神社を結ぶと、巨大な北斗七星が現れる。七神社とは、大星神社、浪岡八幡宮、猿賀神社、高岡神社(熊野奥照神社の説もある)、岩木山神社、鹿嶋神社、乳井神社である。

 八世紀の終わり頃、桓武天皇は、坂上田村麿を征夷大将軍に任じ、蝦夷(えぞ)征伐のため陸奥(みちのく)へと攻め入ませた。しかし、八甲田山の女酉長・阿屋須(おやす)と弟の頓慶(とんけい)の反撃に遭い、田村麿は大いに苦戦したという。田村麿はある夜「我、勝利に導きたまえ」と北天に悪鬼退散の祈願をして寝たそうだ。その夜、夢枕に北斗七星が現れて七枚の鬼面を田村麿に授けたそうだ。この面をつけた田村麿は、反撃に転じ阿屋須と頓慶をとうとう打ち取ったそうだ。
 蝦夷地を平定した田村麿は、七枚の鬼面を妙見社に奉納し崇めたという。妙見社は七神社のひとつ、現在の大星神社である。こうして、次々に七つの神社が上空高くから見ると北斗七星の形に見えるように配置されたという。」

写真は、一番目に参詣した大星神社境内の垂れ柳、三番目に参詣した猿賀神社、六番目に参詣した鹿嶋神社。

美しすぎた井上康生の「内また」
2008/04/30

 柔道の井上康生選手の三大会連続五輪出場の夢は叶わなかった。4月29日、日本武道館、全日本選手権準々決勝において、劣勢と判断した井上は右足を高く跳ね上げた。彼の必殺技「内また」だ。だが、起死回生のはずの内または相手選手にすかされ、彼は倒され、最後は押さえ込まれて一本負けを喫してしまった。シドニー五輪での金メダル獲得から8年、井上康生の時代は終わった。

 4年前のアテネ五輪での予想外の大惨敗。それから4年間、大怪我によるブランクもあったが、彼は勝てなくなった。「内また」を恐れる相手選手は例外なく腰を引き、井上が満足に組むことを許さない戦法に終始した。業を煮やした井上が強引にかけた技は空を切り、返されることが多くなった。仕掛けのタイミングをはずし、積極性に欠けていると「警告」を受け減点されることが多くなった。ちゃんと組ませてくれないもどかしさ、内またの不発、思いもよらない相手の反撃。試合中の井上は明らかに苛立っていた。優勝できなくなった選手にささやかれる引退の二文字。それでも井上は北京を目指した。国民的英雄であることの重さに耐えきれなくなっていた井上が、目指したのは国民的英雄としての復活であった。4月の全日本選抜柔道体重別選手権大会で見事に優勝したが、8年前の技の大きさと切れ、何よりも力強さを感じることはできなかった。「内また」封じの戦法を打ち破る戦い方に工夫があったわけでもなかった。鈴木、棟田、石井ら強豪勢がそろう今回の全日本選手権の敗退の予感があった。そして、迎えた全日本選手権、井上はこれらライバルと戦う前に早々と姿を消した。
 
 もはや井上の「内また」を見ることはないだろう。試合の相手は「内また」がくるとわかっていても逃げられない。井上は、右足で跳ね上げた後、もう1度、跳ね上げる。彼独特の二段階の「内また」を食った相手は驚くほど高く空中に舞ってから落ちてくる。とにかく美しい。彼の内またには、「自分を見に来てくれる人をいつも感動させたい。」という井上の思いのすべてが凝縮させられている。どんな天才でもいつかは身を引くときが来る。まだ29歳の井上が引退するのは多分早すぎる。一分でも一秒でも早く相手を倒すことを求め、細かくポイントを稼いで勝つことなど最初から眼中にない井上の柔道そのものが引退を早めたのであろう。惜しいが、その井上の柔道に我らは喝采を送り続けたのであった。

われらの安全
2008/03/18

 本年度の大学入試は、まだ後期日程入試の合格発表はあるものの大団円を迎えようとしている。わが第一ゼミナールは、北大・医学部合格を筆頭に、国公立大学入試で大健闘し、私立大学入試では、早慶上智・明青立法中合格者数が47名と過去最多となった。生徒諸君の努力を褒め称えたいし、陰に陽にご協力いただいた保護者の方々に心から感謝する次第である。

 さて、受験シーズンの真っ最中に起こった「中国製毒ギョーザ事件」であるが、日本、中国の責任のなすりあいの様相を呈し、犯人の特定など真相はいまだに明らかになっていない。
 私たちの日常生活はそれほど安全ではない。繰り返しやってくる地震、台風などの自然の猛威の前では、私たちはほとんどなす術がない。一見平和そうに見える東京湾でのイージス艦と漁船の衝突。漁船を操る親子の行方は洋と知れず、国民を守るはずの自衛艦によって一家の生活は奈落の底に突き落とされてしまった。
 食もまたそうであった。価格が安く、てっとり早く調理できる冷凍保存食品は、忙しい現代社会において食生活に欠かすことができないものとなった。私たちは冷凍食品の安全性を目や鼻で確認できない。安全性の頼りは製造・販売に当たる会社のブランドだけである。だが、当の会社はコストダウンのために国内で自社生産することなく、主として中国に生産を外注する。かくて食の安全は、国内の会社ではなく、私たちの全く知らない外国の製造所が担うことになった。私たちは食の手軽さと安価と引き換えに、食の安全、すなわち生命の保証を危ういものにしてしまったのである。

 「毒ギョーザ事件」以降一気に始まった中国製食品のボイコットは、問題の根本的な解決ではなく、緊急避難に過ぎない。日本の食料自給率はわずか40%に過ぎない。フランス130%、アメリカ120%に比べようもないが、韓国の50%をも下回る低率である。食の60%を海外に依存する日本にとって「毒ギョーザ事件」は、我々の生活の安全を見直す契機でなければならない。

気持ちを落ち着かせる
2008/02/05

 「入試の2月」になった。すでにいくつかの大学で入学試験が実施され、合格発表も始まった。我が第一ゼミナールの生徒の多くは、いよいよ今週末から東京に乗り込み、難関私大に挑む。彼らには輝かしい春がもうすぐ訪れるはずだ。

 入試の何がいやだといえば、入試までの絶え間なくやってくる不安と緊張感だろう。中には全く平常心を失わない実にうらやましい人もいるが、大方の受験生はそうではないだろう。見事合格するまで落ち着かない毎日が続く。

 塾長も外見に似ず?試験前(社会人になってからは研究発表前)にやってくるあのドキドキと胸を締め付けられる気分と必死に戦っていた。勝つこともあったが、時には敗北(だから浪人したんだろう)もあった。だから、受験生の気持ちは痛いほどわかる。

 そんな体験をする間に、特効薬とまではいかないが、少しでも不安を鎮め緊張を和らげる方法として、「腹式呼吸」と「イメージ作り」が有効なことが分かった。実は、普段の教室での授業でもこの方法を実践している。もっとも生徒で気づくのはいないと思っているが。

 まず、腹式呼吸だが、禅の修行僧が行うようなかなり習得が難しい方法ではなく、お手軽なやり方がある。実は、ただ仰向けに寝るだけなのだ。できれば畳の上がいいが、ベッドでも布団でも構わない。知らずに腹式呼吸になっているので、そのまま気が済むまで仰向けになっていればよい。何も考えない方がよいが、受験への思いを無理に振り払うこともない。要は自然にしていればよい。眼はつぶってもいいし、見開いたままでもよい。呼吸は鼻からでも口からでもよい。なんともいい加減な感じだが、これがいいのだ。そのまま眠ってもいいが、くれぐれもうたた寝から風邪をひくことがないように注意しよう。

 受験会場で試験問題が配付された後に、極度に緊張感が走ったり不安に襲われた時だが、大きく深呼吸するのはもっての外で(胸式呼吸になっている)やはり腹式呼吸に限る。まず、へそを少し突き出す感じで椅子に腰かける。目をつぶり、5〜7秒で鼻から息を吸う。そのまま5秒程度息をとめたままにし、今度は5〜7秒で口から息を吐く。これを気の済むまで続ける。5分もやれば「空気酔い」な感じになるが、不安や緊張はかなり軽減されているはずだ。もちろん、普段に心を落ち着けたい時にも使える。慣れれば立ったままでもできるようになる。

 これだけでも十分だが、同時に「イメージ作り」を組み合わせれば最強だ。「イメージ作り」というのは、目をつぶったままで行うのだが、目の前50cm〜1m程度に、テレビ画面、パソコンのモニター画面、映画のスクリーンのどれでもいいから思い浮かべることから始まる。見慣れた画面のどれかに決めておくとよい。今度はそこに今まで一番楽しかったこと、うれしかったこと、おかしかった映像や光景を映し出す。最初は画面やスクリーンを作ることが難しく、映像を流すのも大変だが、何回かやっているうちにできるようになる。もしできなくても一向に構わない。スクリーンを作ろうと、ゆっくり「努力」しているだけで精神を落ち着かせる目的は達成できるからだ。もちろん映像が現れたら言うことはない。塾長は、いつやっているかは企業秘密だが、教室で時々これをやる。今では眼を開いたままでもできるようになっている。

 腹式呼吸もイメージ作りもくれぐれもむきになってやらないように。思い立ったらいつでもできるが、「腹が痛くなった」、「気分が悪くなった」、「頭が痛くなった」などという「被害報告」はないものの、あくまでも自己責任で行うべき、ということは言うまでもない。

空気を読み続ける時代
2008/01/14

 センター試験直前の予備校には独特の雰囲気が漂う。緊張と弛緩、不安と自信、明るさと暗さが混然一体となっている。我ら職員・講師の仕事は程よい緊張感をつくり、緩むことがないようにすること、不安の種は取り除こうとするが、自信過剰はやんわりと戒めること、羽目をはずなない程度の明るさになるように心がけ、暗い面持ちの場合には話をよく聞いて希望を見出せるようにすることだろうと思う。また、センター試験、私大入試、国立大入試終了まで風邪を引かず、まずは万全の体調で臨んで欲しいと心から願う。

 ところで、お笑いタレント・小島よしおの「そんなの関係ねい」が大流行だ。「下手こいた」の落ち込み状態から一気に立ち上がり、拳を固めて「そんなの関係ねい」と激しく数回打ちおろす。そして、意味不明の「オッパッピー」で終わるわずか2分ほどの「芸」が大うけだ。テレビで初めて小島よしおのアクションを見た時は、アホな「芸」を披露させられた学生時代のコンパが思い出され、少なからず共感するものがあった。バカげたことを平気でやってしまうところが学生の「特権」だったろうか。小島自身は早稲田大学出身だそうだ。
 「関係ねい」旋風は瞬く間に日本列島を席捲してしまった。小島よしおが穿く「レインボー海パン」がたちまち売り切れ、先月の忘年会、今年の新年会ではあちらこちらで「関係ねい」が飛び交ったという。幼稚園の子供たちまでが一列になって「関係ねい」だ。
 ひとしきり笑った後で、この「芸」はあとどれくらい持つのかなあという野次馬的関心はともかくとして、まるで反抗期の子供のような「関係ねい」が受け入れられたのはなぜなのかと、ふと考えてみた。小島のネタはすべて人間関係の不調、悩みから来ている。「○○から××と言われた。でも、そんなん関係ねい」だ。「○○が××した。でもそんなの関係ねい」と来る。昨年4月に社会人となり会社勤務を始めたばかりの大卒新入社員の最大の関心事は「人間関係」だそうだ。元々芸人の用語であった「空気を読む」が、いまや「素人」の世界でも最も重要なスキルの一つに祭り上げられてしまった。大人は勿論、大学生、高校生、小中学生も何とか人間関係が円滑であるように「空気を読む」のに必死だ。
 しかし、読む空気も様々だ。清々しい空気ならできるだけ浸っていたいし読むのもさほど苦労はなかろう。だが、様々な利害関係が作る空気は湿った空気、濁った空気、毒のある空気、息苦しくなる空気に違いない。しかし、人はそれでも読み続ける。やがて、たまらなくその場から逃げ出すか、読み疲れてその場に絡めとられてしまう。「そんなの関係ねい」は人間関係に疲れ、空気を読むのに疲れた人間の悲鳴なのかもしれない。

亀田問題に思う
2007/10/23

 平成20年度センター試験は、10月12日に出願が締め切られたが、当日消印有効分を除く出願者数は約52万人になった。このうち高3生が42万人、浪人生が10万人で、それぞれ前年度を6千人、4千人下回った。出願者が60万2千名に達した平成15年度入試から続く出願者の減少は、18歳人口の減少の影響が大きいが、浪人生の急速な減少も関係している。我が第一ゼミナールからは120名が出願し、90日後の勝利を目指す。

 さて、セ・リーグ、パ・リーグとも日本シリーズの出場をかけたクライマックス・シリーズが終わり、10月27日から中日と日本ハムが日本最強決定に臨むことになった。両者ともに、「スモール・ベースボール」のお手本のような、投手を含めて守りがしっかりしたチームだ。今季限りで引退する日本ハムのヒルマン監督も、わが故郷・秋田出身の中日・落合監督もともに選手起用は手堅く、かつ歯切れがよい。打線は強力ではないが、粘り強く、ここ一番の決定力が素晴らしい。日本ハムは札幌、中日は名古屋に熱狂的なファンがいる。似たチーム同士の対決が昨年に引き続き見られるのはとても楽しみだ。

 ボクシングの「亀田問題」だが、当事者の亀田親子とともに親子を後援してきたTBSへの風当たりが強い。TBSの番組内で公然と局側を批判する声が出たり、アナウンサーが「自己批判」して見せたり、TBSは低姿勢だ。亀田家とりわけ長男亀田興毅と親密だった徳光アナが番組の中で亀田家への「肩入れ」を謝ったが、同じく肩入れをしていたはずの「ほっとけない」Mモンタが、素知らぬ顔をしてこの問題を極めて「客観的」に報道し、「ほっといて」いるのが興味深い。
 スポーツはその「非日常性」こそが魅力である。ボクシングの「非日常性」は、ルールの下とは言え、相手を殴ること、そして、出来れば立ち上がれないほどに殴り痛めつけるという「暴力性」に他ならない。また、この担い手たるボクサーには、リング内ではもちろんその外でも「非日常性」の体現者であることが期待される。映画『ロッキー』、漫画『明日のジョー』があれだけ受け入れられたのもそうだし、かつてヘビー級のチャンピオンであったカシアス・クレイ(モハメド・アリ)、マイク・タイソンも十分にリング外で「非日常性」を発揮し、ボクシング・ファンの期待に応え、その数を増やすことに成功したのだった。
 彼らのパーソナリティーが向いていたこともあろうが、「非日常性」はボクシングを興行と考える側が、それを脚本・演出してはじめて可能になったといえよう。タイソンは、リング外でも人を殴り、婦女暴行を働き刑務所を往復したが、彼の世界タイトルマッチでの報酬はその度に沸騰し、何万人もがラスベガスの会場に押し掛け、何千万人もがテレビに釘付けになり、興行主たちの笑いは止まらなかった。
 TBSはじめ亀田一家を盛んに持ち上げてきたのはこの興行側の組織と人間たちに過ぎない。彼らは、ボクシング人気低迷の中、稀代のキャラの持ち主である亀田一家をアンチ・エリートのボクシング・ファミリーに祭り上げることに成功した。だが、彼らの誤算は、大毅選手はじめ亀田兄弟があまりにもボクサーとしての実力がなさ過ぎたことと、「非日常性」の中にルール違反を取り入れてしまったことだろう。タイソンですら、リング内で相手選手の耳を齧り切って反則負けした以降はファン離れが進んだのである。
 大毅選手を堂々と破ったチャンピオン・内藤選手の評判は上々だが、この亀田事件を機にボクシング人気が沸きあがることはないように思える。その意味で、TBSなどの責任は重い。と同時に、「非日常性」が日常茶飯事起きる時代の中で、我らが求める「非日常性」の質もまた変化し始めているのかもしれない。

大相撲は
2007/09/07

 9月になった。暑さはまだ残るものの吹く風には秋が感じられる。受験生にとっては模試の季節の到来である。わがゼミナールでも9月に2回、10月に3回、11月に3回、12月に2回の模試が予定されている。焦らず、弛まずひとつづつこなしていって欲しい。

 朝青龍が治療を理由にモンゴルに帰った。途中のいきさつはともかく、場所後に巡業を休んでモンゴルに帰った状態に戻ったわけだ。朝青龍の「うっちゃり」勝ちだろう。日本相撲協会の権威は確実に地に落ちたといって良いだろう。朝青龍の横綱としての品格を問う声は多いが、これだけではあるまい。大相撲の抱えている問題はあまりにも深い。

 曙、若乃花(おにいちゃん)は、横綱を張っていながら引退後は協会に三下り半を叩きつけ、輪島、双羽黒(北尾)も協会を去った。もちろんそれぞれの事情を抱えてのことだったが、力士の最高位に上り詰め、心・技・体を極めたはずの彼らには、相撲協会は残りの人生をかけるだけの価値がなく、引退後の後進の指導など眼中にはなかったらしい。これが国技・大相撲の実体だ。

 江戸時代にプロ化されて以来、大相撲を支えてきたのは、親方が絶対的な権力を持つ「部屋制度」であり、親方になるための「年寄制度」であったろう。この「株仲間」あるいは「中世ギルド」的な制度は、当時の相撲興行を安定して運営させるために考案された。どんな制度でもそうだが、時代の変遷とともに、制度は利権を握る一握りの人間のためにだけ機能するようになり、そのために時代の変遷が要求する変革から無縁であろうとする。

 国技たる大相撲は間違いなく存亡の危機にある。外国出身力士が、十両以上の関取に占める比率は2割を超え、2横綱、1大関もまたそうである。モンゴルをはじめ外人力の存在なくして日本の大相撲は成立し得ない状況だ。各部屋は、かつて現役時代に人気力士だった親方が営む部屋ですら日本人の弟子を囲うことが困難になっている。連日、「大入り満員御礼」のご祝儀が観客に配られる時代ではない。批判を浴びる朝青龍の行動だが、彼が体を張って勝ち得た横綱の名誉と地位、報酬が、単に「部屋」の利益の調整機関たる協会に身を寄せ続けることに見合うものと彼が見なすかどうかはわからない。彼もまた、これまで協会を去った横綱たちと同じ行動に出る可能性は極めて高い。だが、それだけで「朝青龍問題」が解決するわけではない。

 大相撲が、アメリカの国技たるベースボールが選手の国際化を制度として導入し、スポーツ界最高の報酬を保証することによっ生き延びたように、現在の協会−部屋制度を撤廃した新しい制度のもと、文字通りのプロスポーツとして再出発することの是非と可否を議論する時期にきているように思う。

朝青龍事件に思う
2007/08/08

 あのふてぶてしさはどこへ行ったのであろうか?あの傍若無人ぶりはどこに鳴りを潜めてしまったのであろうか。日本相撲協会の処分を受けて以降の朝青龍は憔悴し切っているという。「3年間に及ぶ「一人横綱」の実績へのあまりにもむごい仕打ちではないか、大相撲人気をかろうじて支えられたのは自分の活躍があったからではないのか」、朝青龍は今回の処分を自分に実際にかかったものとして受け止めてはいないであろう。

 夏巡業を「さぼって」、モンゴルでサッカーに興じた朝青龍に対する日本相撲協会の「二場所連続欠場、減棒三ヶ月、自宅謹慎」の処分は、事前の予想よりも厳しい内容であった。それは朝青龍に対する事実上の絶縁状であり、日本相撲協会は朝青龍が偉大な横綱として来年の初場所に復帰することをもはや考えてはいないであろう。

 若貴騒動、そしてその兄弟の相次ぐ引退以降、大相撲人気はどん底となった。頼りは一人横綱・朝青龍という寂しさだった。朝青龍なしでは大相撲それ自体の存続が危ぶまれた。まして、朝青龍は番付に占める割合がとてつもなく大きくなったモンゴル勢のシンボルでもある。土俵で朝青龍をおびやかすライバルはとうとう現れなかった。かくて、大相撲の救世主として我が物顔に振る舞う土壌ができあがったのであった。

 先代・高砂親方の葬儀に「強行欠席」してモンゴルへ帰っても、自身の結婚式を角界の慣例を破って取り仕切って見せたとしても、協会幹部は基本的に沈黙し朝青龍に媚びて見せた。
 右ひじを痛めて途中休場していながら、モンゴル巡業実現のための署名活動に奔走した件しかり、取り組みで旭鷲山のまげをつかんでの反則負けしたあげく、土俵外で小競り合いした件しかり、取り組みで稀勢の里を投げ飛ばした後の「ひざげり」の件しかり、そして、やはり稀勢の里への「けたぐり」攻撃した件しかり、けいこ中に豊ノ島をプロレス技で病院送りにした件しかり、表面では注意をしつつも、相撲協会も高砂親方も黙認せざるを得なかったのであった。一部ファンは、「暴れん坊ぶりこそが朝青龍らしい」と拍手を送ることすらしたのであった。「品格のない時代」の「品格のないヒーロー」朝青龍の誕生であった。

 だが、さしもの相撲協会も、嘘をつかれて夏巡業をボイコットされ、挙げ句の果てにモンゴルで堂々とサッカーされるに至って、これ以上なめられてたまるかとばかりに「重い処分」に打って出たのであった。ポスト朝青龍に確たる展望を持たない日本相撲協会にとって、この処分は大きな賭であろう。
 若き横綱白鵬が朝青龍以降の角界を盛り上げられるかは未知数である。新大関・琴光喜は32歳、活躍できる年月には限りがある。一番の問題は、将来大関・横綱を目指せる日本人力士が不在であることだろう。先の名古屋場所での新弟子検査に応じた若者はゼロであった。一世を風靡した貴乃花だが、その部屋に関取(十両以上)はなく、新弟子が加わることもない。日本の国技たる大相撲の担い手をモンゴル、ヨーロッパ出身者に求めることの可否は「朝青龍事件」を期に再検討が求められよう。

 皮肉なことに朝青龍不在の夏巡業は大人気だそうだ。ファンはありがたい。この多くのファンが大相撲を完全に見放さない前に、日本相撲協会は大相撲100年の大計を示さねばならないだろう。だが、「汚れたヒーロー」と関わりがないことを、自分たちを処分しないことで宣言し、なりふり構わず自己保身を図った往年の名横綱・北の潮理事長をはじめとする協会幹部にそれができるかは大いに疑問である。

仁和寺の法師
2007/07/25

我が母校・秋田高校は、夏の甲子園出場をかけた秋田県大会決勝で惜敗、20回目の出場を果たせなかった。函館の工業高校も、南北海道大会決勝であの駒大苫小牧に大敗し、甲子園出場の夢が破れてしまった。まことに悔しく残念であるが、選手の健闘に心から拍手を送りたい。

 滋賀県の本家の墓参りのあと、久しぶりに京都に出かけた。京都は思っていた以上に蒸していた。梅雨明けが近く、風が全く止まった街は、「夏の匂い」にむせかえっていた。

 写真は、世界文化遺産のひとつである仁和寺(にんなじ)だ。衣笠山を見上げるこの大伽藍(だいがらん)は、仁和4年(888年)に時の宇多天皇によって完成された。代々、皇子皇孫が門跡を勤める真言宗御室(おむろ)派総本山である。特に、平安時代の中期から鎌倉時代にかけて皇室の尊崇と貴族の庇護を受け、仁和寺は大きく栄えることになったが、1467年に始まった応仁の乱によって仁和寺はほぼ全てが焼失する悲劇に見舞われた。再建がなったの寛永11年(1634年)、徳川幕府3代将軍家光の時代になってからであった。1994年に、「世界遺産」に登録されたのは記憶に新しい。

 ところで、吉田兼好の『徒然草』に登場する「仁和寺の法師」たちは、およそ真言密教の修行僧の厳粛なイメージとは異なっている。
 頭がとてつもなく良いのだが、里芋オタクでわがまま放題に暮らすお坊さん、かわいい稚児を誘惑するために小細工をこらす悪坊主、悪のりして釜を頭にかぶったものの抜けずにひどい目にあう「体育会系」坊主、わざわざ石清水八幡宮詣でをしたものの、肝心要の本殿に参拝しなかった「あわてもの」坊主、ほかにカバちゃん系もいて、仁和寺の法師たちが面白可笑しく描かれている。兼行はさぞかし熱心に取材をしたことだろう。宸殿の縁側に座り、池を配した静寂な北庭を見ながら、さまざまな法師たちを思い出していた。

 本日から夏期講習、1日12時間学習の大号令をかけたが、受験生のがんばりを全力で支えてていきたいと思う。

久しぶりに野球談義
2007/07/16

 アメリカ大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手が、マリナーズ残留を決めた。契約期間が5年とはずいぶん長いが、報酬が109億円と聞いて驚いてしまう。もし、イチローがFA宣言をしていたら200億円も夢ではなかったというからなおさら驚きだ。シアトル市民に愛され、期待されていることを十分に知っているイチローにとって、FA宣言に伴う騒音・騒動は避けたかったのかもしれない。おそらくプロ選手最後の5年間となるだろうが、5年連続200本安打などさらなる活躍を期待したい。

 日本のプロ野球だが、日本ハムが好調だ。とりわけ凄い選手がいるわけではないと思うが、まとまりのとても良いチームだと思う。なによりも伸び伸びしたプレーが気持ちよい。
 楽天の新人・田中投手は期待通り、否、期待以上だ。弱小球団(失礼!)にいながらすでに7勝をあげ、そのうち3勝はソフトバンクからだ。三振奪取も100を超え、沢村賞も夢ではないと思う。日本ハム同様に応援したいと思う。
 対照的に、だめなのがジャイアンツ。この2週間、巨人ファンはいらいらしながら過ごしたのではなかろうか。故障した選手や疲労の投手のせいでもあろうが、原監督の采配には監督としての適性を疑ってしまうものがあった。あまりにも「動きすぎる」のだ。象徴的なのは、15日の広島戦7回裏の一死満塁での二岡交代であろう。前日までのゲームでチャンスで凡退したことが原因だろうが、それでも5番バッター、得点圏打率4割超えの二岡を今シーズン初打席の小関に替える理由などない。結果は最悪で、小関三振、その後豊田が打たれて巨人は負けたのだが、負け以上に巨人が負った傷は大きい。指揮官と選手の間に出来る溝、両者の自信の喪失を抱えながら戦うオールスター前の阪神戦は果たしてどうだろうか。日本を代表する球団の監督として、落ち着いた選手起用を見せて欲しいものだ。

 ところで、台風4号だが、7月の台風としては過去最大規模だそうだ。幸い北海道はあまり被害は出なかったが、本州、四国、九州では大きな被害が出た。やっと、台風が過ぎたと思ったら、今度は新潟で震度6の大地震だ。このふたつの天災で尊い命が失われ、負傷者も多く、家屋の損壊も多かった。「美しい国」を抽象的に語る前に、この地震と台風が不可避の日本の天災への対処がもっと議論されてもいいはずだ。
 

石倉先生逝く
2007/06/15

 敬愛する石倉邦彦(くにひこ)先生がお亡くなりになった。数学をこよなく愛し、片時も数学の書物を離すことなく、嬉々として生徒のための教材作りに励み、汗を滴らせながら教壇で数学を熱く語ったあの石倉先生が、こんなにも早く神に召されるとは!

 石倉先生との出会いは、先生が高校の進路指導部長であった16年前の春だった。浪人クラスの募集要項持ってご挨拶に伺ったのだが、昼食をとりながら(!)数学者・秋山仁(あきやまじん)の著書に向かう先生のお姿にまず驚かされてしまった。私が名乗ると、とても人なつこい笑顔をを見せて、「今、コーヒーを入れるから」と、ドリップ器具を取り出し、煎ったコーヒー豆の香りを楽しむかのように、ゆっくりとお湯を注ぐのであった。入れ立てのコーヒーを勧める時の笑顔に少しだけ恥ずかしさがあって、当時先生はお年は50歳を少し越えられていたが、自分にはとても新鮮に思われた。

 その後何度かお会いする機会があり、その都度先生の数学の造詣の深さに感心させられっぱなしだった。数学を語る先生の笑顔には、あのコーヒーを勧めてくれたときと同じ恥ずかしさが見えたが、輝いたお顔の表情から数学への慈しみの気持ちがいつも伝わってきた。いつしか、この方を私の先生にしようと勝手に思うようになっていた。

 高校を定年退職されてから一年後、先生から、「おい、お前の仕事を手伝うぞ。」と、うれしいお話をいただいた。もちろん異論があるはずもなく、それから7年に渡って共に教鞭をとってきた。先生は、生徒の力量を素早く的確に把握し、原則を守りながらも、時に回り道をする柔軟さを備えていた。演習プリントや宿題プリントなどの教材は常に入試傾向が反映されたものに仕上がっていた。「休まず、遅れず、正確に、誠実に、元気に」いつも背筋を伸ばし、堂々たる受業だった。−−「予備校は文化だ。その担い手である第一ゼミナールを北海道に根付かせるために、将来ある子供たちを大学生にするために俺はいつ死んでも良い。−−自分が勝手に師と仰いだ石倉先生の決意を聞いて、自分はどんなに奮い立ったことか!

 「全道ナンバーワンの数学=受験数学の王道の確立」の志半ばで先生は逝ってしまわれた。絶対に取り乱すまいと思ったが、先生のご遺体、お顔を拝見し不覚にも涙を止めることができなかった。

 自分の机の上に、生前先生からお預かりした「受業のための覚え書き」ノートが置かれている。几帳面な性格そのままの数字、記号、グラフ、そして、計算間違いなどありそうもないそのノートのページを繰ると、思わずこみ上げてくるものがある。ノートのページに先生の優しい笑顔が重なる。悲しみの涙は尽きないが、石倉先生とともに達成しようとしたことを,非力ながら残された我々が成し遂げていこうと、強く思った。かけがえのない我が師のご冥福を心からお祈りする次第だ。

K君のこと
2007/06/14

 昨晩、K君からうれしい電話がありました。就職の報告でした。

 K君は、第一ゼミナール浪人クラスのOBです。浪人時代のK君は、とてもまじめに勉強するのですが、いわゆる「スロー」タイプで、短時間で終える必要がある「英語小テスト」などではなかなか合格できませんでした。スピード勝負のセンター試験も彼には酷なところがあって、第一志望だった国公立は断念せざるを得ませんでした。

 ある私大の情報系に進学したK君は、スローながらも持ち前のまじめさと丁寧さで、大学での実験・レポート提出を精一杯がんばりました。比較的試験時間に余裕がある大学の定期試験も良い成績を上げることができました。「第一ゼミでがんばれたこと、塾長の言うことをなんとしてもやろうとした経験のせいで、大学での実験、レポート、テストを大変だと思ったことはありませんでした。」と、電話の向こうで明るく語ったK君。

 大学を卒業したK君がこの4月に就職した会社は、世界の「トヨタ」でした。入社後、電子関係部門のエンジニヤとしての訓練を受けているそうです。「今は、会社の上司、先輩から言われることでわからないことがたくさんあります。でも、第一ゼミ時代に、わからなくても頑張れた自信があって、元気に頑張っています。」とK君。「1年たったら新車を買う予定です。もちろんんトヨタ車です。」K君の声からは、苦しみながら頑張った人だけが持ち得る控えめな自信が感じられました。

自分のつらかった新入社員時代を思い返しながら、「大変だろうが、頑張れるか?」と聞いてみる。「大丈夫です。つらいとは思いません。」Kよう、本当にがん張ったな。ご苦労様。そして、入社おめでとう。「また電話します。帰省したら顔を出していいですか。」というK君に、そう伝えて目頭が熱くなってしまった。

はしかの流行に思う
2007/05/25

 大学生が「はしか」に集団感染したとして、首都圏の多くの大学が休講に追い込まれている。上智大、創価大、東京工科大、和光大、成蹊大、駒沢大、中央大、日本大が全学または一部学部の休講措置をとった。そして、早稲田大学も全学休講、学内の立ち入り禁止を決めた。約5万5000人に影響が出るという。特に、入学して日が浅い大学一年生は、とてもショックではなかろうか。

 「はしか」は、麻疹(はしか)ウイルスの感染で起こるが、感染力が強く、せき、目の充血、39〜40度の高熱と発疹と続き、気管支炎、肺炎、中耳炎、脳炎などを併発することもある恐ろしい病気で、日本では年間約50人がはしかで亡くなっている。

 子供の病気と思われていたはしかに、大学生始め若者が罹患(りかん)しているのは、15歳〜20歳のかなりの部分が、はしかなどの予防接種を受けていないからといわれている。接種適齢期(満1歳〜2歳)に、接種による副作用での死亡事故が多発したために接種を見合わせたからである。幸い死亡者は出ていないようである。このまま終焉に向かうことを祈る。

 ところで、ウイルスだが、おそらく今世紀はウイルスと人間の存亡を賭けた総力戦になるに違いない。
 人間であれ、動物であれ、それらが密集することにより、個体としてはウイルスへの抵抗力が落ちることが知られている。人が多数集まる都会や多くの鳥が飼育されるせまい鶏小屋は、寄生主がなければ存在できないウイルスにとって「弱った獲物」が大量に集まるまたとない「狩猟場」である。
 さらに悪いことに、あるウイルスに対するワクチンの接種により、他のウイルスへの抵抗力を弱めることが懸念されている。この免疫力の低下は、りわけ新種のウイルにとってはありがたい話となろう。世界の片田舎でのほほんと暮らしていたはずのウイルスが、人と物が短期間に大量に移動できる時代になって、それに付きまとって世界中の都市へと活躍の場が広がる。そこには今まで暮らした田舎よりも美味しい「餌」や「快適な環境」があり容易に増殖し、新種に変われる条件が揃っているのだ!

 対テロだ、集団的自衛権だ、美しい国・日本だ、と議論することを悪いとは思わないが、足下に忍び寄るウイルスとの全面戦争への備えを忘れてはなるまい。

北斗七星伝説
2007/05/07

 青森県には「北斗七星」伝説がある。
津軽富士とも言われる岩木山周辺にある「七神社」は、征夷大将軍・坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が創建したと伝えられてる。その七神社を結ぶと、巨大な北斗七星が現れる。七神社とは、大星神社、浪岡八幡宮、猿賀神社、高岡神社(熊野奥照神社の説もある)、岩木山神社、鹿嶋神社、乳井神社である。

 八世紀の終わり頃、桓武天皇は、坂上田村麿を征夷大将軍に任じ、蝦夷(えぞ)征伐のため陸奥(みちのく)へと攻め入ませた。しかし、八甲田山の女酉長・阿屋須(おやす)と弟の頓慶(とんけい)の反撃に遭い、田村麿は大いに苦戦したという。田村麿はある夜「我、勝利に導きたまえ」と北天に悪鬼退散の祈願をして寝たそうだ。その夜、夢枕に北斗七星が現れて七枚の鬼面を田村麿に授けたそうだ。この面をつけた田村麿は、反撃に転じ阿屋須と頓慶をとうとう打ち取ったそうだ。
 蝦夷地を平定した田村麿は、七枚の鬼面を妙見社に奉納し崇めたという。妙見社は七神社のひとつ、現在の大星神社である。こうして、次々に七つの神社が上空高くから見ると北斗七星の形に見えるように配置されたという。

 今年もゴールデンウィーク期間の5月6日に、受験戦線を戦う我が第一ゼミナールの生徒の成績伸張、合格祈願のため北斗七星参りをした。青森の桜は散り始めてはいたが、来年こそ見事な花を咲かせてみせようと志望大学合格を期すわが生徒たちのために、大いに精進することを固く誓ったのであった。

写真は左が「大星神社」、右が「岩木山神社」

仕事冥利につきる
2007/03/21

 I君が、ひょっこり訪ねてきた。I君は、一昨年の浪人生だ。お世辞にもまじめな生徒ではなく、どの教科にも予習や復習の痕跡は見あたらず、英語の校内小テストなどで合格点をとることはまれで、何度注意したかわからない。
 勉強嫌いの割には志望校は明らかに高望みで、道内受験生の憬れの大学がそれであった。だが、悲しいことにというか、当然というか、彼の成績ではその大学を受けることすら出来ず、結局のところ滑り止めの滑り止めとも言うべき某私大の工学部に合格し、不承不承進学した。

 だが、ここからが違った。1年経った教室で彼が見せてくれたのは、大学の成績票だった。なんと、全科目ともテスト成績80点以上の評価「優」、試験で満点をとった科目もかなりあった。その中に、浪人時代の彼がもっとも嫌った英語が含まれていたことにとりわけ驚いてしまった。

 I君は訥々(とつとつ)と話し始めた。塾長の教えに反し、浪人時代は全く勉強しなかった。大学に入ってから本当にこのまま終わっていいのかと真剣に考えた。何もしないできた自分を奮い立たせ、勉強に励んだ。友達もできるようになった。大学の英語は、第一ゼミナールに比べるととても簡単で、浪人時代はすごいことをやっていたんだなあと思った。大学の先生とは授業のことで本気でやり合うこともある。今はとても充実していて、2年生になってもこの成績を続けたいと思う。すこし経ったら情報関係の国家資格を取ろうと思う。塾長に報告したかった。

 I君には自慢そうな様子はなかった。しきりに浪人時代を恥じる彼だが、自分の限界を超えた彼がかなり大人に見えた。彼の話には重みと確信があった。
Iよう、よく頑張った。お前はすばらしい。お前を弟子に持てて俺はとてもうれしいし、誇りに思う。
I君の顔が輝き、照れくさそうにはにかんだ。
別れを告げるときになって、また報告に来ますと言ったI君。今度はどんなIになって戻ってくるのだろうか。いまからとても楽しみだ。頑張れ、I。

風林火山
2007/01/18

 今年は「風林火山」が話題を集めそうだ。もちろんNHKの大河ドラマ『風林火山』の影響だ。
 このドラマは、甲斐の戦国大名武田信玄の伝説的軍師として知られる山本勘助の生涯を描いたものだ。第2回まで見たが、実際にはない若き勘助の放浪生活が描かれていたりなかなか興味深かった。しばらくの間、武田軍の軍旗「風林火山」が戦場を席捲するはずだ。
 ところで、この風林火山は信玄のオリジナルではなく、古代中国の春秋時代の呉の国の軍師・孫武の教えをまとめた有名な兵法書『孫子・軍争篇』からとったものだ。『孫子』は時代を超えて支持され、皇帝ナポレオンも熱心に研究したそうだ。現代においても政治家や経営者にファンが多い。

「兵は詐(さ)をもって立ち、利をもって動き、分合(ぶんごう)をもって変をなす者なり。
其の疾(はや)きことは風のごとく、
其の徐(しず)かなることは林のごとく、
侵掠(しんりゃく)することは火のごとく、
動かざることは山のごとく、
知りがたきことは陰のごとく、
動くことは雷の震うがごとく、
郷を掠(かす)むるには衆を分ち、
地を廓(ひろ)むるには利を分ち、
権をかけて動く、
先(ま)ず迂直(うちょく)の計を知る者は勝つ、此(こ)れ軍争の法なり。」

「戦いは敵を欺くのが基本で、自陣に有利になるよう行動し、分散と集合を図り臨機応変に立ち回らねばならない。
疾風のように素早く攻撃し、
林のように静かに陣を構え、
火がめらめら燃え上がるように一気に進撃し、
山のようにじっと陣を動かさず、
闇のように自陣の姿を隠し、
雷が轟くようにに突然攻め、
相手陣に攻め込むには自軍を分けて進ませ(どれが本隊かわからせないように)、
占領地を拡大するときはいくつかの拠点に分けて守り、
権謀術数をはりめぐらせ行動する。
迂回路を直進の近道に変える戦法をわきまえている者こそ勝利できる。これこそ戦争勝利の方法なのである。」

肝心の風林火山の部分だけでも心がけたいものだ。

マーフィーの法則
2006/12/28

 いつも思うことだが、我が受験屋渡世に年越しも正月もない。
 もちろん今は冬期講習のまっただ中、夏の講習に比べ一段と真剣さを増した受験生に正月気分がない以上当たり前の話だ。3週間少々にせまったセンター試験、1ヶ月あまりで始まる私大入試、2ヶ月を切った国公立大学入試、そして合格発表。受験の季節が終わる3月末まで平和で穏やかな気持ちに到底なれそうもない。

 マーフィーの法則は、 If anything can go wrong, it will.「失敗する可能性のあるものは必ずそうなる。」から始まる。米国空軍の技師であるエドワード・マーフィーが1949年につぶやいたこのシニカルな警句はいつも自分の頭のどこかを占めている。
 長年、受験指導をしてきて、「なんか心配だけど、ま、いっか。」、「本当はもう少しやっておかないといけないんだが...まあ、いいだろう」で済ませようとする時に、マーフィー氏に叱られることが多い。「トーストのバターを塗った面が下に向いて落ちる確率は、カーペットの値段に比例する。」ならぬ「手抜きした部分が入試に出る確率は、偏差値の高さ(受験生の志望の強さ)に比例する」の強迫観念から逃れることができない。

 今年も4月から始まった浪人クラス生との共同闘争−もちろん入試勝利を目指してだが−だが、マーフィーの警句の重圧のおかげ(!)でやるべきことをやり切ってきたと思う。受験生の熱い思いと懸命な努力が歓喜の叫びに変わる日は近い。その時に、少しだけマーフィーに隠れて受験屋の正月を過ごしたいと思う。

 本年度の塾長日記はこれでお開きとなる。忙しさにかまけて日記ではなく「月記」になっている。来年はできるだけ更新を心がけていきたい。このBBSファンにとって新年が素晴らしい年であることを心から願っています。

談合民族
2006/12/13

 最近話題の「官製談合」を英語でどう表現するのか調べてみたところ、collusive bidding at the initiative of government agencies ということになるらしい。「官庁が主導する裏で結託した入札」という訳だ。そのものずばりの表現で、わかりがいい。福島県知事にはじまり和歌山県知事、宮崎県知事が、談合で逮捕され、北海道深川市の市長もまた逮捕されている。これまでに官製談合で逮捕された自治体の首長は十数名に上る。日本が談合列島と化した感がある。このままでは、フジヤマ、ゲイシャ、ノウキョウ、ゼンガクレンといった国際日本語に「dangou、ダンゴウ」が加わるのも時間の問題だ。(受験生には、ゼンガクレンはわかるまい...?)

 官庁の責任者や担当者が、金銭を受け取ったり、選挙応援目当てに特定の業者だけに公共事業を発注することは断じて許されることではない。しかし、困ったことに、そもそも日本人は「談合民族」なのだ。

 国際日本語の一つに「nemawashi,根回し」というのがある。会議での決定の前に、あらかじめ関係者が協議し意志一致を図り、会議が始まる前に大勢は決している。会議はセレモニーに過ぎない。会議という公式な場ではなく、関係者の協議という私的な場が優先される。協議は、周りから見えないことが多く、密談と化すこともしばしばだ。オープンな場での討論と決定が当たり前の欧米人には理解できない「日本的」意思形成方法だ。もっとも、最近になって、欧米の会社などでは、「ネマワシ」の効用が注目されている。ネマワシは、利害が複雑に絡み合う現代社会での有力な調整方法になっている。

 対立・抗争のただ中から新しい有用なものが生まれる、という欧米的発想は、本来農耕・定住民族である日本人には馴染み辛い。公式な場で、相手と丁々発止と渡り合い、時には力でねじ伏せ、時には数で圧倒する光景を日本人は好まない。談合と根回しこそ、日本人がもっとも得意とする分野である。まして、官公庁優位社会である日本では、「天の声」は利害関係の調整に最適なのだ。

 その「天の声」があまりにも露骨に特定関係者に優位に響くとき、官製談合が「本来の健全さ」を取り戻すべく、「事件」となる。談合が悪いのでもなければ、「天の声」そのものが悪いのではない。「事件」にならなければならないほど根回しが不十分なのか、あるいは、根回し自体がなかったことが問題とされるである。

 どんなに罰則を強めても、おそらく業者による談合や官製談合はなくならない。ますます深く暗いところで周到に根回しが行われ、より陰湿な談合体制が作られていくだろう。日本に公正かつ公平な「開かれた社会」と「開かれた市場」をもたらすために、我らは一体いくつの「事件」とハードルを乗り越えなければならないのだろうか。

佐呂間町の竜巻事故
2006/11/09

 今朝の雷はすごかった。短時間でこれだけ光り、落ちたのは余り記憶にない。我が家の食いしん坊の飼いウサギも餌を食べるのを何度も中断しなければならなかった。
 一昨日(11月7日)から昨日未明にかけての強風もすごかった。窓がきしみ、換気扇の蓋が立て続けに鳴り、不気味で不安な気持ちになった。道東で竜巻による事故が起こったはこの時だった。佐呂間町の若佐地区で竜巻が発生し、近くのトンネル工事を請け負っていた大手ゼネコン「鹿島」などのJV(共同企業体)の鉄骨プレハブ製工事事務所や民家などが倒壊し、建物の下敷きになるなどして工事事務所内にいた9人が死亡。女性1人が重体、22人が重軽傷を負う惨事となった。この地区は、最大幅100メートル、長さ800メートルにわたって家屋は倒壊し、電柱は一斉に倒れ、地域は一瞬にして廃虚と化したそうだ。この竜巻はなんと時速80キロメートルで駆け抜けたそうだ。
 自然のすさまじいエネルギーに驚きあきれ果てるが、なんと自然は無慈悲かとも思う。犠牲となったのが、なぜ、道東の素朴な町なのか、なぜ、善良な工事関係者なのか。「神様は時々出来心で私たちをもてあそばれる」といったのは、W.シェークスピアだったが、それにしても...。
 犠牲者のご冥福をただただお祈りしたい。

 ところで、日米野球だが、5戦全敗の情けなさよりも我が日本の主力選手の出場自体ラッシュに腹立たしさを通り越して、絶望憾を覚えてしまう。いつから君たちはそんなに偉くなったのだ?いつから君たちはファンの期待よりも君たちの個人事情を大切にするようになったのだ?いつから君たちは日本プロ野球の現状を憂うことをやめたのだ?いつから君たちは今のプロ野球を支え、明日のプロ野球選手たちに夢を与えるプライドと責任を捨ててしまったのだ?

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