塾長日記

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今でしょ!
2013/07/01

 「いつやるか?今でしょ!」は、近年まれに見る大ブレイクとなった。現代文の林修先生始め東進の講師の方々が「ネプリーグ」、「金スマ」、「笑っていいとも」などテレビに出ない日が珍しいほどだ。
 予備校の先生というと、高校の勉強方法を批判し、偉そうに独自の受験勉強を語るイメージがあるが、かの東進の講師はありのままの自分をさらけ出し、国語の先生といえども漢字を間違い、数学の先生はといえば誰でも答えられそうな常識問題を間違い、入試のプロなのに決して冷静沈着ではなく、あわてふためき珍回答、無回答ですべったりする。少しだけ頭が良いかもしれないが、少しだけ常識に欠け、結構おもしろい、その辺にいるオヤジ、アニキって感じなのだ。小学生から高齢者まで広く人気を集めているのも分かる気がする。
 その東進の講師の一人、英語の安河内哲也先生を招くことが出来た。予備校の授業、講演、執筆に加え、このところのテレビ出演で、超が三回付くほどの忙しさなので、なかなかお越しいただけないのだが、スケジュールをやりくりしていただいてこの度の「特別公開授業」の実現となった。
 想像していたとおり、明るく爽やかで元気いっぱいの先生の授業は、まさにコンサート並みのライブ感にあふれ、あっという間に90分間が過ぎてしまった。圧巻は、全員起立した上での大声上げての英語長文の音読であった。参加した生徒は、英語の学習方法の斬新さに打たれ、また、英語学習の真の目的に感銘し、この日を境にさらに英語の研鑽に励むことを決意したように思えた。また、予想を超えてお集まりいただいた保護者の方々、高校関係者の方々にも、これぞ東進の英語学習ともいうべきものをご理解していただけたと思う。
 ところで、これは「役得」だが、授業の後の「懇親会?」で、先日放映された「ヤンキーとの対話」やテレビ出演の裏話をお聞きした。中身は?ヒ・ミ・ツ。

嘘は方便?
2013/06/14

 「嘘も方便」という。「方便」とは、仏教用語で、一般大衆を仏教の真の教えに導く為に用いる仮の手段のことだ。日本野球機構(NPB)は嘘をつくことで、何を選手やファンに教え、何の利益をもたらしたのだろうか?

去年、一昨年のプロ野球は、統一球=飛ばないボールを中心に回ったと言って良い。わざわざ飛ばないように規格・製造したから当たり前だが、打者が被害を受け、投手には利益がもたらされた。
 ホームランは、統一球導入前の2010年に年間1605本だったのが、導入初年度の2011年には939本に激減し、翌2012年には、さらに881本まで減った。逆に、投手、とりわけエース級の投手の防御率は飛躍的に向上し、巨人の内海の場合は、2010年に4.38だったのが、統一球導入後は、2011年が1.70、2012年が1.98と半分以下に向上した。統一球は、目論見通り「打低投高」の新しいトレンドを生み出したかに見えた。
 だが、少なくともそれまでのプロ野球ファンから見れば、「打てない」ことは魅力であるはずがなく、統一球を恨めしく眺めざるを得なかった。今年春のWBCでの侍ジャパンの敗北がまた統一球への懐疑となった。「国際規格に近づけ、国際試合に備えたたはずの統一球導入だったのに、日本選手は投打に渡って国際球を使いこなしたとはいえなかった。では、あの統一球は一体何だったのか?」
 こうして迎えた今年のペナントレースは最初から景色が異なった。明らかにボールが飛び始めたのだ。目敏いファンが、もちろん選手自身が「異変」にすぐ気が付いた。ホームラン数が激増し、エース級の投手ですら打ち込まれた。打者の技術の向上?それも確かにあったろうが、多分、それだけでは「打棒復活」は説明できないだろう。
 疑心暗鬼で進むペナントレース、とうとう真実が明らかになった。NPBと製造元のミズノが飛ぶように統一球を密かに改造し、こっそりと公式試合に提供したというのだ。

 「(改造は)前日まで知らなかった」とうそぶくNPBのトップたる加藤コミッショナー。3年前に大反対の声の中、コミッショナーの「強権」で導入した統一球の権威を、だからコミッショナーの権威を守るための「方便」は、隠蔽工作を事務局長の辞任という「トカゲのしっぽ切り」につながっていくだろうが、おそらくそれだけではすむまい。早晩、コミッショナーの辞任もしくは解任、さらには統一球の見直しへと進むに違いない。

 本来「楽しい」はずのプロ野球を、「今のホームランは改造前だったら入っていない」、「この投手が今年打たれているのは改造球だからだ」と、「疑念」を抱きながら観戦するのは、ファンはもちろん選手にとっても不幸なことである。NPB、ミズノ、コミッショナーの権威や利益のための「方便」が、プロ野球全体の不幸につながらないことを切に願う。

うれしいに違いはないのだが
2013/06/06

 先週、和歌山の慶西塾の西川先生のご好意で、先生が運営する大阪と和歌山の東進校舎を見学する機会に恵まれました。改めて感謝申しあげます。
 関西は、梅雨入りしたばかりと聞いてかなり覚悟して出かけたが、湿度が多少高いものの、気温はそれほどでみなく、汗ふき用の何枚ものハンカチ、扇子、多めの半袖Yシャツの「重装備」が少し肩すかしを食った感じ。それでも、函館に戻って、改めてこの時期の北国の清涼な空気に心地よさを感じてしまった。

 このところのスポーツの話題といえば、サッカーと日ハムの大谷選手であろうか。
 まずは、サッカー日本代表がホームでのオーストラリア戦で、ワールドカップ本大会への出場をを決めたことを率直に喜びたい。ゲーム終了間際の本田選手のPKはまさに値千金、全身にのしかかる重圧はいかほどのものであったろうか、ど真ん中に蹴ることの恐怖は想像することが難しい。この26歳の青年の精神力と技術の素晴らしさにただただ驚嘆するだけだ。
 だが、厳戒下の渋谷のあの若者の大騒動、マスコミの大はしゃぎは一体何だろう?まだ予選を通過しただけなのに。
 本田選手は確かに素晴らしかったが、オーストラリア相手に得点機はPKだけだったろうか?4年前のオーストラリアと比べて、そのチームの方が強くなり、日本チームの方が弱くなっているように見えるのは自分だけだろうか。
 何度かの得点決定機が観客、テレビ観戦者のため息とともに終わる。本当に日本のサッカーを世界に冠たる、つまりW杯を抱けるサッカーにするために必要なのは、渋谷の大騒ぎでも、雁首揃えての「喜びの」記者会見でもなく、優勝祝賀とまがうばかりのマスコミの過熱報道でもない、ずばり、「愛のブーイング」であろう。
 日の丸を背負い、日本中を熱狂させるのに今のチーム、選手、監督、戦法は十分なのか、W杯の頂点に立つのに欠けているのは何か、それを明らかにすることなく予選通過ごときで歓喜に浸るのであれば、日本サッカーの先は知れたものだ。本大会出場は祝福すべきだが、あえて苦言を呈したい気分だ。

 ところで、大谷翔平、すごい男がいたものだ。笑顔、爽やかさ、大胆さ、繊細さ、幸運さ、スターになる要素をほとんどすべて持ったこの若者の将来は、日本プロ野球の将来と重なるであろう。大谷を大成できないようでは日本野球界は解体した方が良いほどだ。
 ただし、今の「二刀流」路線には危ういものを感じる。大谷が数年で消え去る選手なら二刀流も良かろう、話題性が十分だからだ。しかし、これから20年間の長きを考えるなら、体力を極限まで酷使する投手と打者の二刀流は破綻が目に見えている。大谷選手の強い意向と聞くが、所属の日本ハムは監督以下いずれを専門とするかできるだけ早く決めた方が良い。個人的には投手だ。もう少し体が大きく(今でも大きいが)強くなれば、あのダルビッシュに負けないほどの凄みを持った投手になれるだろう。伝説の江夏投手以来見ることのできない、オールスター戦での9者連続三振をこの若者に期待したい。

桜咲く!
2013/05/09

 半年ぶりであろうか、遅れに遅れた桜の開花宣言に誘われて五稜郭公園を歩いてみた。公園全体がほのかにピンクに色づいている。時折立ち止まり、まだ二分咲きといった感じの桜を愛でながら、小一時間ほど歩いたのだが、久しぶりの陽気もあってかなり汗ばんだ。

 「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」と、吉田兼好は『徒然草』で述べた。「サクラの花は満開の時だけを、月は影のない満月だけを見るのが最上なのだろうか?」と満開の桜を有り難がる風潮を冷笑した。、続いて「万の事も、始め・終りこそをかしけれ。」と述べ、この世の中のことは、始めと終わりが大切なのだ、と説いた。桜は咲き始めと散り際が雅だと。

 一方、本居宣長は『玉勝間』で、「かの法師(吉田兼好)が言へるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくりみやびにして、まことのみやび心にはあらず」、すなわち、「あの兼好法師がそのように言うようなことは、人々の人情に逆らっている。後生の利口ぶった心が、作り上げた偽りの風流であって、本当の風流心ではない。」と、随分激しく批判している。

 桜の見頃は人によって異なる。それぞれが楽しめればいいはずだが、兼好か宣長かの対立は自分の中でずっと続いていて、今年も多分解決しそうにない。

写真左:薄ピンク色に染まり始めた五稜郭公園。遠くの山々はまだ冠雪している。
写真中(画面サイズによっては右かも):五稜郭タワーを臨む。
写真右(画面サイズによっては下かも):吉田兼好好みであろうか。

「君子」は大変
2013/04/16

 まだまだ暖房と縁が切れないでいるが、日中吹く風に、少しだけ春の優しさを感じることがある。桜の開花は例年よりも遅く5月1日頃らしい。そこから2ヶ月ほどだが、北海道の大好きな清々しい季節がまた堪能できそうだ。

 論語で孔子が次のように言ったとされている。
「君子もとより窮す、小人窮すればここに濫(みだ)る」
 
 孔子一行が、「陳蔡之厄(ちんさいのやく)」という災難に遭ったときに孔子が発したとされている。
 孔子一行が敵に取り囲まれ、身動きがとれず、食物も尽き、七日間飲まず食わずの状況に陥った。この危機の中でも、孔子は普段と全く変わらず、何ら手段を講ずることもなく、楽曲を楽しんでいたという。弟子の子路が、怒りを含んで孔子に尋ねた。

  「君子も窮することがあるのですか」

 そこで、孔子がこう答えた。

  「君子といえども窮することはあるし、君子だからこそ窮することもある。
  それに、君子は絶えず自分を追い込んでいる。だから、君子は窮しても平静な
  自分を保っていられる。だが、小人は窮すれば自暴自棄となって乱れてしまう。
  君子と小人の差はこれだけだ。」

 この言葉を聞いて、子路はじめ弟子たちの動揺は収まり、一行の団結でこの危機を乗り越えたという。

 「危機管理」という言葉が盛んに使われる。大地震、大津波、原発事故、朝鮮半島有事、会社だって、家族だって危機はある。「危機を管理する」ことが右往左往、あの手この手を尽くすことだけではあるまい。特にリーダーたる者にまず問われるのは、危機の中で冷静でいられる胆力、成員を落ち着かせ励ます余裕であろうか。と言いながら、君子のように「もとより窮す」ではなく、紛れもなく「ここに濫る」自分を情け無く思うことがある。

 今週木曜日、今年の浪人クラスが開講する。窮することなく、乱れることなく、全員を志望大学に導こうと強く思う次第だ。

指揮官とオーナーが無能
2013/03/27

書の名人と言われた弘法大師(空海)は、どんな筆であっても立派に書をしたためたという。そこから、「弘法筆を選ばず」は、その道の名人や達人と呼ばれるような人は、使う道具や材料をとやかく言わず、それぞれを見事に使いこなすことができるという例えに用いられている。
 英語では、A bad workman always blames his tools.(下手な職人は、いつも道具に文句をつける)と言う。日本でも欧米でも、本当にいい仕事が出来る人は、道具の善し悪しには左右されないものらしい。

 WBCでの「侍ジャパン」の敗北は残念だったが、イチロー、ダルビッシュ、、松阪、中島などの「大リーグ組」を欠いた戦力での優勝は難しかったような気がする。山本浩二監督の采配、非力なコーチ陣、内川選手の走塁ミス、阿部、稲葉などの貧弱な打線、田中マー君を初めとするぴりっとしない投手陣、などなど敗因はいくつかはすぐに挙げることが出来よう。

 しかし、根本にある敗因は、監督、コーチ、選手ではなく、NPB(日本野球機構)の無能さにあるように思う。とりわけ、WBC使用球への配慮のなさは怒りさえ覚えてしまう。一昨年導入された「統一球」は、遠くに飛ばせないボールで、多くのバッターが被害を被った反面、ピッチャーはずいぶん成績を上げることが出来た。NPBの説明では、「WBC始め国際試合に対処するため」だったはずだが、実は統一球とWBC使用球はまったく異なったボールで、事前に各選手に12球ずつ手渡されたものの、ピッチャーは高い縫い目と滑りやすい革に戸惑い続け、十分な感触を得ないまま本番を迎えざるを得なかったし、無理に投球フォームをいじったあげく故障で戦線を離脱するピッチャーも出た。野手もまた打撃フォームに最後まで悩み続けなければならなかった。日本が目指す「スモールベースボール」は、それ自身大きな問題を孕んではいるが、前提となるのは先制点を与えない、最少失点で抑えるだが、その実現は困難だった。バッターもまた統一球以上に遠くに飛ばすことが出来なかった。

 選手全員が「弘法大師」なら別だが、「弘法も筆の誤り」があったほどだ。戦う前から敗北を予感させる「使用球」へのNPBの無策ぶりを責めるべきで、選手の責任を追及するのは本末転倒だ。しかも、空海上人は「悪意に満ちた」筆を使って書いたのではなく、粗末であっても善意ある筆に見事に応えたということではないのか。「弘法筆を選ばず」を選手に押しつけて、NPBの責任を見過ごしてはいけない。
 指揮官が無能なチームは悲力だが、チームのオーナーが無能なチームは悲劇ですらある。

 東京の桜は満開を過ぎて散り始めているらしい。函館の桜は蕾がまだ堅いままだが、教え子たちの多くが一足先に「春」を迎えた。校舎玄関の合格者掲示が誇らしい。

ハットトリック
2013/03/04

一昨日、イングランド・プレミアリーグのマンチェスターUのMF香川真司が、ノーリッジ戦で欧州移籍後初のハットトリックを達成した。欧州でのハットトリックはアジア人としては初めてだそうだ。中田英寿はすごい選手だったし、中村俊輔も素晴らしかったが、香川も結構やるなあ、楽しみが増えて良かった。

ハットトリック(hat trick)はサッカーで一人の選手が一試合で三点以上得点することを指すが、ハット(帽子)の由来はサッカーではなくて、やはりイギリス発祥のスポーツであるクリケットだそうだ。1つの回の中で3球で3人の打者をアウトにすると、これを達成したボウラー(投手)には、帽子(ハット)が贈られその名誉が讃えられたんだそうだ。恥ずかしながら、大学に入るまで「脱帽」だと思っていた。英語の授業かなんかで初めてクリケットが起源だと知って、へー、と思ったものの、なかなか達成できない一試合三点はやはり「脱帽」だろうと自分のセンスに納得していたものだ。単に負けず嫌いだったか。

WBCが始まったが、我が侍ジャパンは格下と思われていたブラジル戦でリードを許し、やっと逆転で勝ち、次の日の中国戦でも勝ったとはいえ、どうもスッキリした感じはなかった。投手では、田中、杉内、山口がピリッとしないし、打者も遠くに飛ばせない。キューバ戦はどうなってしまうんだろう、心配は尽きない。

そのキューバ戦の6日から国公立大学前期日程入試の合格発表が始まる。我がゼミナール生の勝利を確信している。

楽な試験などない!
2013/02/12

 およそ試験に楽はなく、受験者の合格の日までの重圧は測りがたい。
 中国には隋代から始まる科挙とい試験制度があった。優秀な人材を中央政府と地方政府に登用するための試験制度であるが、国家のエリートたる「進士」に合格(登第と呼ぶらしい)するまで実に過酷な幾多の試験に耐えなければならなかった。

 清代では、県試−府試−院試−歳試−科試と続く予備試験を経て本試験の第一関門である「郷試」にたどりつくが、受験者約10万人に対し合格者は1300人ほどであるという。郷試合格者は「挙人」と称され、早くも尊敬の対象となる。このあと、挙人覆試を経て科挙の事実上の中核試験である「会試」を目指すが、三年ごとに実施されることと、合格者が極めて少ないことからおびただしい数の”浪人”が生まれ受験者は2万人に昇ったという。
 3次・9日間に及ぶ試験を経て合格する者わずか300人程度。試験の最中、発狂する者、心身の疲労で死亡する者が多数出たというから実に過酷な試験であったことだろう。合格者の平均年齢は36歳前後、中には70歳を超えた合格者もいたそうだ。
 合格者は「会試覆試」の後、最終試験である「殿試」に臨むが、進士登第はすでに決まっており、その後の出世の序列を決める試験である。出題は皇帝自らが行い、内政・外交に関わる内容が多かったらしい。この試験の成績次第で、中央政府の官僚に留まれるのか、県知事など地方の官僚に「飛ばされる」のか決まったというから、最後の最後まで気が抜けなかったことだろう。
 科挙は世界一過酷な試験制度であるが、誰もが受験できたわけではなく、10年から20年、30年に渡る試験期間をほぼ勉強だけに専念でき、また、試験対策には優秀な家庭教師を必要としたから、受験者はかなり裕福な家庭の子弟に限られた。子弟が進士になることは一族の誉れであると同時にそれなりの「見返り」が期待できたであろうから、現代日本の「お受験」をはるかに超えた過熱ぶりが見られたことだろう。一族に合格できそうな男の子がいそうもないときは、恵まれない家庭の子供の中から「頭の良さそうな」子供を養子に迎えることも多かったらしい。

 さて、進士の試験の峻烈さには及ばないかもしれないが、我が第一ゼミナールの浪人生、東進生もセンター試験の後、今、私大入試に立ち向かい、今月25日の国公立大学前期日程試験に挑もうとしている。体調を損ねることなく、重圧に負けることなく、合格の日を迎えることができることを確信している。共に戦わん!

さあ、これからが本番だ
2013/01/21

 センター試験が終わった。幸い、天候にも恵まれ、無事終えることができた。受験生の頑張りに、心から敬意を表したい。

 センター試験は実に過酷な試験だ。2日間の緊張もそうだが、受験への長い準備を打ち砕く出題もほぼ毎年のように見られる。今年は、国語と数学TAがそうであろうか。昨年よりもそれぞれ15点以上は平均点を押し下げたように思える。
 国語はこのところ平均点が6割に満たない状態であったから、それからのさらなる下落が予測されるような出題は、多くの受験生をまごつかせたに違いない。数学TAは、この二年間の易化傾向から難化することが予想されてはいたが、よもやここまでと思わせるに十分なほど凝っていた。

 もちろん、難化しても何もなかったかのように得点を重ねる受験生もいる。当校でも、国語、数学TAともほぼ満点という豪の者もいて、何が難しいんですかと涼しい顔をしている。そも一方で、結構勉強したのになあ、と落胆する受験生もいる。両者を分け隔てているのは、俗にいう頭の良し悪しではなく、ほんの少しの差、心の中の何かの差であるかのように思えてならない。自分自身への確たる信頼の差と言い換えて良いかもしれない。そして、それを持たせようとしてきたのが我が第一ゼミナールの30年間だったのだ。

 幸い、我が第一ゼミナールは、大幅な平均点下落予想の中、次の試練である2次試験への挑戦権をしっかり手にしたように思える。仕切り直しの私大入試を挟んで、国公立前期日程試験での大勝利まで受験生と共に奮闘したいと思う。

 センター絶好調の受験生も、少し不本意な受験生も、己自身のこれまでの努力を確信して、勝利の日まで共に戦わん!

忙中閑あり
2013/01/10

 今年の函館は本当に寒い。零下10度を下回ることが多く、雪の量も半端ではない。滑る道路を気にして車はノロノロ運転、移動に普段の倍近くの時間がかかる。先日、亀田八幡宮のどんど焼きに出かけたが、日中は神社に行く道路があまりの渋滞で引き返し、夕方に再び赴いたが、例年2,30分ほどで往復するのに、今回は1時間少しかかってしまった。街全体が冷凍庫に入ってしまったかのようだが、宗谷地方の枝幸郡歌登町では、最低気温が零下31.7度と聞いた。どんな寒さなのか見当もつかないが、熱いお湯を空中に散布すると一瞬で氷の霧になるそうだ。実験としては楽しそうだが、生活している人はさぞご苦労だと同情してしまう。この寒さ、果たしていつまで続くことやら。

 立ち寄った喫茶店のベランダの給餌台に、入れ替わり立ち替わり小鳥がやってくる。雀、コガラ、シジュウカラ、セキレイが、暗黙のルールでもあるのだろうか、きちんと順番を守って給餌台に向かう。餌の少ない冬にもかかわらず、この給餌台のおかげで、皆ころころとしている。紅茶をすすりながらしばらく眺めていると、満腹になったのだろうか、一羽の雀がベランダの隅の雪の陰にやってきて、頭を後ろ向きにして体に埋めこっくりし始めた。おそらく風が当たらない所だと知っているのだろう。実に心地よさげな感じが伝わってきた。程なく、最初の雀にあやかろうと、二羽の雀がやってきて、仲良く寄り添うように寝始めた。携帯カメラのシャッター音に気づいて少しだけ眼を開けるが、また寝始める。口許がすっかり緩んでしまっていることに気づいたのは、二杯目の紅茶がすっかり冷めてしまった頃だった。

船乗りになったHS君
2012/12/19

 とうとう大雪になってしまった。除雪の回数が増え、腰に痛みはまだ来ないものの多少のだるさが感じられる。雪が降って喜ぶのは子供と犬だけ?かもしれないが、北国にいる以上雪と付き合っていかなければならない。冬場の運動不足の解消だあ、成人病対策だあと、気合を入れて来春まで「寒い友達」と過ごすことにしよう。

 卒業生のHS君が来てくれた。彼は、NPO法人の地震調査船の航海士だ。シンガポール方面への航海を終え、休暇をもらって帰郷したのだという。
 彼は我が校での1年間の浪人生活を経て、東京海洋大学に進学した。真面目でおとなしい生徒だった。叱られることも、何かしら注意されることもなく、やるべきことはしっかりやってまずは順当に大学に進学した。校舎や自分に特段打ち解けていた感じはなかったが、大学進学後は毎年欠かさず顔を出してくれ、東京での学生生活や将来の事を少しはにかみながら話してくれるのだった。企業へすぐに就職するのではなく大学院への進学を考えているようなことも話してくれた。彼なら、学者の道も合っていそうだなあと自分は勝手に思い込んでいた。

 4年生になる春に校舎にやってきた彼から聞いたのは、学部を出た後は「特設専攻科」に進学し、「船乗り」になりたいということだった。彼には悪いが、余りのミスマッチに驚き、しばらくの間言葉を失ってしまった。この華奢(きゃしゃ)で物静かな男が、よりによって「オトコ」のイメージの代表とも言うべき「船乗り」になるなんて!
 それから2年、三等航海士の免許を得た彼は船会社に就職し、ここは彼らしいところだが、地震・海底火山の調査船に乗船することになったという訳だ。
 航海士の制服が相当似合いそうな気がするくらいに充分「男らしく」なったHS君を前に、乗船する船のこと、航海士の仕事のこと、将来は船長になる夢のこと、下船後の休暇の長さ、(給料のことも!)などを聞き、これでも高校時代は「船乗り」に憧れたこともある自分も大海原を航海している気分に束の間なれたのだった。

 HS君、今度の航海は来年2月だったかな。二等航海士の試験はいつだったったけ。留守を守ってくれる人はまだいないんだったかな。今度か次の航海が終わったらまた来てくれよ、いっぱい聞かせてくれよな。

沖縄を思う
2012/12/08

 本当に寒くなった。とうとう最高気温が零度を下回った。今日は、校舎の雪かきの作業を何度かしなくてはいけなかった。去年暮れから今年にかけてのあの寒さと豪雪が頭を過ぎる。どうか、少しはご勘弁を。

 岩手・花巻東高の大谷翔平投手が日本ハム・ファイターズに入団か、というニュースが飛び込んできた。北海道民としては嬉しい限りだ。最速160キロの豪腕は、斎藤佑樹や中田に勝るとも劣らない人気と期待を集めそうだ。だが、しかしだ。矛盾しているようだが、「高卒メジャーリーガー」大谷も見てみたい気がする。すぐにメジャーとはいかないだろうが、野茂、松阪を凌ぐピッチングと活躍を期待したい気がする。入団か大リーグ挑戦かは明日発表があるそうだ。ワクワクしながら待ちたい。

 総選挙運動の最中だが、住んでいるところも校舎も大通りに面していないせいか、例の候補者名の絶叫連呼がほとんど聞こえてこない。原発、増税、TPP、景気対策、いずれも大きな問題なのだが、沖縄の辺野古移設やオスプレー配備についてはとんと話題にならないのはなぜだろう。
 辺野古移設は、「最低でも県外に」と約束した当時の鳩山首相を「嘘つき」呼ばわりして退陣させた大問題であったはず。なのに、多分、票にはならないと踏んだのか、選挙の焦点にはならず仕舞いになりそうだ。「世界一危険な米軍基地」と言われる普天間基地に配備されたオスプレーも、いつ事故が起こっても不思議ではなく、おまけに物騒な本格運用が開始されると聞く。超低空飛行の騒音と落下事故に沖縄県民がおののく中、候補者はもちろんマスコミも全く知らんぷりだ。
 尖閣、竹島問題で、やれ国防軍だ、やれ強い日本だ、戦争も辞さず、と進軍ラッパが吹かれ、ナショナリズムに思いを馳せる人たちもいるだろうが、アメリカの核戦略の軛(くびき)にがんじがらめに縛られている沖縄の危機的な現実を少しだけでも考えてみることが必要ではないか? サンフランシスコ平和条約に始まり、日米安保条約の締結と改訂、自動延長を経て日米関係は、「日米軍事同盟」として変質・強化を続けてきた。沖縄のすべての問題の根源はここにある。深くて重いが、避けて通ることはできないはずだ。

塾長、切れたんですか?
2012/11/19

 とうとう初雪となった。雪と言っても、とても遠慮がちに、申し訳なさそうに少しの時間だけ降っただけだったが。今週後半から寒くなりそうだ。今度は遠慮無しの雪になるだろうか。

 小沢一郎の無罪が確定したそうだ。「そうだ」というのは、新聞始めマスコミがほとんど取り上げないからだ。小沢事務所に検察の捜索が入ったときの号外を出してまでの喧噪とはまったく対極をなしている。
 ほぼ全てのマスコミの、フランス革命以来の近代裁判の根本原理である「疑わしきは被告人の利益に」を忘れ去ったかのようなあの異常な「反小沢キャンペーン」は何だったんだろうか。まだ有罪が確定していない彼を、「極悪非道人」に仕立て上げ、ほとんど人格破壊に等しいまで叩き続けたマスコミは、今、反省はおろか、何事もなかったかのように事件そのものを風化させようとしている。
 自分は小沢支持者ではないが、小沢裁判におけるマスコミの対応は、「中立・不偏・不党」などとは全く逆の悪意に満ちたそれだったと思っている。今も尚、マスコミは小沢氏が代表を務める野党第2党の「国民の生活が第一」をほとんど取り上げることなく、わずか国会議員数名の石原新党とそれを吸収合併した橋下「維新」を連日トップで取り上げ、依然としてマスコミが「反小沢」のエセ「不偏・不党」であることを示している有様だ。
そして、石原慎太郎のマスコミのヨイショぶりは、「中立・不偏・不党」とは正反対なのだ。マスコミは、東京都知事を任期途中で投げ出したこと、任期中の功罪の追求をまったくしないこと、かつて国会議員、大臣であった時の功罪を不問にし、石原=橋下「維新」の完全な「宣伝マン」に成り下がっている。新聞始めマスコミは単に大衆に迎合してキャンペーンを張っているのではなく、明らかに何らかの政治的な思惑を持って報道しているのだ。

 3.11の大地震・大津波・原発事故以降の状況を考えれば、マスコミが真に「社会の木鐸」ならば、真に「中立・不偏・不党」ならば、果たして原発の稼働は可なのか否なのかを、震災からの復旧がほとんど進んでなく、帰る家すらない被災地の多数の人が不景気の中呻吟しているこの時期に、消費税増税が果たして妥当かどうかを、オスプレーの配備以来、死と隣り合わせの生活を強いられている沖縄県民の苦悩を、真っ向から取り上げ、政権党、野党、「第3極」を問いただすべきではないのか! しかし、マスコミの代表たる新聞は、その社説で「増税・原発稼働・日米軍事同盟強化」を喧伝し、意に沿わない者の意見をほぼ抹殺しようとしている。何たる腐敗だろうか、何たる堕落だろうか...。いつも思う。三流の政治家、四流のマスコミをもつ国民は不幸だと。

日ハムのファンですか?
2012/11/02

 我が北海道日本ハムファイターズと読売ジャイアンツが日本一をかけて戦う日本シリーズが始まった。5試合終わって日ハムの2勝3敗となった。明日からの東京ドーム対決にわくわくしてしまう。
 途中からではあるが現北海道人の人情としてはファイターズに勝たせたいのだが、子供の頃の憧れであったジャイアンツへの義理もあって、3年前の両チームによる日本シリーズと同様に、何とも複雑な気持ちもわき起こるのだが、やはりまた、大いに楽しみでもある。どちらを応援するというのではなく、ゲームそのものを楽しみたいと思うが、無理か? 出来るだけ第7戦までいって欲しいと思う。
 
 石原慎太郎氏が第3極形成のために「新党」結成に走りだした。都知事の任期を途中で投げ出したのはもちろんけしからん事で、TPP賛成、原発推進、消費税増税推進、日米同盟強化なども異論はあるが、また、ずいぶんと差別と偏見に満ちた物言いも気に食わないのだが、それ以上に憤りを覚えるのが、石原某氏へのマスコミの対応だ。

 マスコミはよほど彼が怖いのか、記者会見でも恐る恐るお伺いを立てている感じで、都知事としての功罪、政治家の資質を検証することを全く放棄し去っている。「石原」銀行の破綻による都民の大損失、オリンピック誘致失敗と税金の無駄遣いなど追求するそぶりすらないのだ。そればかりか、テレビでは、連日のように彼の「カリスマ性」、「リーダーシップ」を賞賛するいわゆる「街の声」を拾い集め、「新党」結成の応援団と化す有様なのだ。ほとんど人格破壊といっていいほどの狂ったような反小沢一郎キャンペーンとは大違いなのだ(自分は別段小沢ファンではないが)。

 まあ、無理もない。日経、読売、毎日、朝日、産経など大マスコミ(最近は”マスごみ”などと陰口をたたかれるが)は、石原某や最近彼と同盟しようとしている橋下某と同様に、こぞってTPP賛成、原発推進、消費税増税推進、日米同盟推進なのだから。ならば、「報道の中立」、「社会の木鐸」などと美辞麗句で自分を飾り立てるのは今日限りやめた方がいい。本当に思う。三流の政治家、四流のマスコミを持つ国民は不幸だと。
 

感動だった!
2012/10/03

 台風17号が過ぎ、函館の季節は完全に秋になった。教室の窓を全開すると、ほんの少しだけ冷たさが感じられる風が流れ込んでくる。空の青さったらどうだ! でも、短い秋が終わると、うーん、またあの冬だ。

 何たって日本ハムだろう、こんなにうれしい優勝はない!
 ダルビッシュがいない、4番はあの心許ない中田翔、なによりも監督は現場経験のない栗山さんだ。いくら、糸井が、陽がいるからと言ったって、田中賢、マック金子が安定しているからと言ったって、稲葉だって40歳だし2千本安打のプレッシャーもあるし...。誰もがそう思い、誰もが今年の優勝はないと勝手に思った。
 それがどうだ、序盤のエース・斉藤は中盤以降ずっこけたものの、同じ「斉藤佑樹世代」の吉川が14勝でダルビッシュの穴を完全に埋めた。4番中田は中盤以降安定し、いいところで打ち本塁打キングを狙う位置にまでつけた。糸井も陽も期待通りだったし、終盤怪我で退いたものの田中賢介の打撃も守備も相変わらず安定していた。そして、稲葉だ。あっという間に2千本安打を達成し、中田、陽らに「鉄人の背中」を見せ続けた、本当に偉大でしかも健気な男だ。キャッチャーの鶴岡も良かった。凄みはほとんどないが、穏やかに若い投手をリードし、また、いいところで打ってくれた。

 で、栗山監督だ。優勝決定を確認した後で彼が求めたのが胴上げではなかった。まず、ダッグアウトでコーチ、スタッフ全員と握手し、ひしと抱き合い、それから徐にグラウンドの中央に向かい、選手に祝福の拍手を送り、今度は選手全員と握手し抱き合い、その後歓喜の胴上げに臨んだのであった。大泣きではなく、押さえるでもない、自然の涙がこれほど似合う男は滅多にいない。
 彼は、戦略・戦術・作戦の公開を通して選手の立場を覚醒させルことに成功した。中田の4番固定は大博打でも何でもない。中田が自分の立場を理解している以上、そしてそれに応える能力があると判断した以上、彼を取り替える理由はなかった。投手ローテーション然り、覚醒せる選手への信頼と監督の「ぶれなさ」は同義語だった。こうしてグラウンドに放った選手の成功は、選手のお手柄であり、失敗は監督の過ちと言い切ることで、選手が萎縮することを避けることができた。緻密な作戦の立案、実行能力にも長けた栗山監督は、まさに野球界の「21世紀型」監督像を見せつけてくれたのだった。

 そして、日ハムの強力な応援団=北海道民こそ優勝の本当の原動力であったかも知れない。「なんも、いっしょ(全然、問題ないよ)」、例え斉藤佑樹が打たれようが、名手・金子がエラーしようが、中田が三振しようが、栗山監督以上に選手を信頼し、日ハムの野球をとことん楽しんだ北海道民あっての優勝だったにちがいない。大らかさ、優しさ、寛大さに助けられ、励まされた選手がどれほど多かったことか!

 おめでとう! 打倒・ジャイアンツ=日本シリーズ優勝まで突き進め!

坂本龍馬気取りの先に...
2012/09/13

 このところ天候の話から始まることが多いが、今日の函館は最高気温が28度に上った。50日連続真夏日(最高気温30度以上)の埼玉県熊谷市とは比較にはならないが、すっかり暑さへの耐性を欠いた「北海道人」としては、この連日の暑さは相当に身に堪えている。しかし、遠慮しているかのようにだが、秋は近づき始め、朝、晩の風の清々しさにほっと和んでしまう。頑張れ、秋!

 さて、橋下某が率いる「維新の会」に注目が集まっている。ひょっとしたら次期衆院選では第一党になるのではないかという見方も出始めた。坂本龍馬の「船中八策」ならぬ「維新八策」の踏み絵を前に、現職の国会議員が傅く様子に異様さと共に滑稽さすら感じてしまうのは自分だけであろうか。
 
 無党派である自分は、どの政党が第一党になるかにはほとんど関心はないのだが、「維新の会」に極めて危険な兆候を垣間見る。

 1.「強さ=数(カズ)」を標榜し、社会的弱者に強圧的である。
 2. 善か悪か,敵か味方かという二価値判断が認められる。(維新八策を認めるか否か)
 3. 思考が紋切り型のステレオタイプである。
 4. 理想に対しては冷淡で「リアリズム」をことさらに強調する。

 ざっと、並べてみて、ナチス=ヒットラーの「権威主義」を受け入れた大衆の心理を分析した哲学者のテオドール・アドルノを思い出す。
 また、同様にファシズムを生んだ大衆心理を「権威主義的パーソナリズム」と喝破し、大衆が「自由からの逃走」によって、全体主義=権威主義に全権を委ねてしまったかつてのドイツを指弾したフロイト左派のエーリッヒ・フロムを想起せざるを得ない。

 二人はまた、権威主義の到来の先にあるのは、権力者への自虐的な従順と、弱き者への他虐が待ち構えていることを警告した。すなわち、異常なまでのナチズムへの傾倒と、残虐極まりないユダヤ人撲滅を。

 願わくは、国民が「改革」の夢と政治的・思想的・社会的自由の重みに耐えかねて、また、忍耐をすっかり放棄して、「新たな権威」の魅力にそれを売り渡すことがないように。

暑!
2012/08/21

 うー、暑い! マジ、北海道?
お盆を過ぎて気温が上がり始め、この三日間は30度を超えている。北見では34度と聞く。節電を心がけようとは思うものの、この暑さではさすがに教室のエアコンを絶つわけにはいかない。とうとう、夕方近くになって、定格電流を超えたため小ブレイカーがダウン、受講中の生徒諸君に迷惑をかけてしまった。
 予報では、今日、明日が暑さのピークということなので、「暑い!暑い!」の連発でいっそう暑さを募ることがないようにして、爽やかな秋風の到来を待つことにしよう。もっとも、寒くなればなったで、この暑さが恋しくなる。人はつくづく身勝手だ。

 オリンピックは終わったが、テレビはまだオリンピック関連で視聴率を稼ぎたいらしく、メダル獲得数がどうの、活躍した選手たちがこうのと、オリンピック反対論者としては居心地の悪い日が続いている。近代オリンピックの父たるクーベルタンのアマチュア主義に未だに共感・支持する身としては、商業主義一辺倒、プロが跋扈する現代オリンピックなどに関心はないのだが、そこは、大のスポーツ観戦好き、大きな相手に怯むことがなかった”なでしこ”の強さに舌を巻き、アーチェリー男子個人の冷静なシュートに感心し、女子バレーの韓国戦で声を枯らし、ボルトの短距離連覇の走りに素直に感動を覚える。やはり、無条件にスポーツは素晴らしいと思う。
 だが、やはり今のオリンピックはいったん廃止すべきだと思う。誰が認めたかは知らないが、オリンピックにはあまりにも深く国家、コマーシャリズム、プロ選手が入り込みすぎた。異常なまでの誘致合戦、経済、政治へのオリンピックの露骨なまでの利用は、もはや「参加することに意味がある」はずのオリンピックを死なせてしまった。いわば、「ワールドカップ」の連合体となったオリンピックは名前を返上し、「国際総合スポーツ大会」とでも称して存続するならそれでよし、厳格な意味でのアマチュアスポーツの祭典としてオリンピックを再興して欲しいと願う。恐らくそうはならないだろうが。

柔道とJUDO
2012/08/03

 7月の終わりになって、4日間ほど30度程度の暑さが続いたが、今日はかなり涼しくなった。湿気もなく北海道らしい夏だ。7月中旬から、出張とお墓参りで、東京、京都に出かけたが、あまりの暑さと湿気にたじろいでしまった。函館の30年間で、すっかり北海道型の身体になってしまったらしい。

 アマチュアリズムがすっかり失せた近年のオリンピックには否定的な自分だが、テレビも新聞もオリンピック一色に染まっているせいで、否応なしに「観戦」する羽目になっている。
 苦戦が続く柔道だが、選手を責めることはできない。なるほど柔道は日本のお家芸だが、スポーツとしての”JUDO”または”ジュウドー”は柔道ではないからだ。男子100Kg級の穴井も、自分が大好きだった「内股」の井上康生も偉大な武道家・柔道家ではあるが、JUDO選手ではない。試合時間の5分間の大半を「組み手争い」に終始し、初めから「イッポン」などは眼中になく、「シドウ」、「ユウコウ」を狙う、たまに「ワザアリ」、「イッポン」があったとしても、双方ぐちゃぐちゃになって倒れていく様は、武道の美しさとは無縁だ。武道家・柔道家はJUDOスポーツでは勝てない。柔道は武道であるという意識とは無縁のJUDOというスポーツの選手を育てればいいのだが、柔道は武道であるというあまりにも長い伝統を持つ日本に根付かせるのは相当に困難だし、自分は興味もない。負けてもいい、すっくと立って最後まで「一本」を取りに行く柔道を徹底することで、JUDOに対抗して欲しいと願う。

どうして生活保護受給者をバッシングするんだ!
2012/07/11

 函館は、今週になって気温25度の日が続いている。夏日なのだが、教室の窓から入る風が心地よく、つくづくいい季節だなあと思う。今年は寒い春だったので余計その思いが強い。

 今朝の日経新聞によれば、一面に「就活に薄日 内定率上昇」とあり、その理由として「大企業が採用意欲を高めていること」と「学生が早い段階から中小企業への就職活動に取り組」んだことを挙げている。少しホッとするが、それでも内定率はまだ6割だ。早く希望者全員の働き口が見つかればいいなあと心から願っている。

 芸能人の親の生活保護不正受給から始まり、若者や一部地域に蔓延する不正受給、一部外国人の不正受給がマスメディアに取り上げられ、よほど暇なのか国会議員までが暴露合戦に参戦した。生活保護費が年金や最低賃金と比べられ、高すぎるから低くせよとか、生活保護の対象を制限しろとかの議論が、マスメディア主導で始まった。やれ、受給者数が200万人を超え戦後最悪だ、やれ、国家予算に3兆円も組み込まれているなど、今ほど生活保護や受給者が目の敵にされている時はない。
 
 いつから日本はこんなに品がない情けない国になったのであろうか。中国に抜かれたとはいえ、GDP世界3位の国が僅か2%程度を扶養して何が悪いのだ!何が問題なのだ!狩猟時代の太古の人たちですら、足が不自由な仲間に食料を分け与えていたことが知られている。我らはその時代の人達の優しさ、寛大さにも及ばないのか! 生活保護の疑念へ誘導するマスメディア、一部政治家の策動に絶対に乗ってはならない。慌てて、生活保護の見直しを約束した、かの「国民の生活が第一」の政権党のオンナ大臣など言語道断である。何が国民の生活が第一だ!

 この大不況の中、消費税増税はじめとする増税が待ち構えていて、おそらくさらなる不況へと向かうであろう。国民生活の向上ではなくその逆を目指す「大政翼賛」国会とそれを煽り立ててきたマスメディアは異常としか思えない。彼らは、生活保護予算の数十倍にも膨らんだ「天下り」組織は温存し、社会的弱者の「過保護」ぶりに国民の目を向けさせ、バッシングさせることで国民の不満を「ガス抜き」させようとする。我らはこんな策動に乗ってはいけない。品格、優しさ、寛大さを失う社会は人が住むに値しない社会だ。

”三高”から”三平”へ
2012/06/21

 6月に台風が上陸したのは8年ぶりだそうだ。6月の台風は、比較的小規模だと聞いていたが、直撃した沖縄はじめ西日本は大きな被害を受け、関東、東北も雨と風にたたられた。台風一過で関東以南は夏の暑さらしいが、函館は今も雨が続いている。6月に台風が上陸する年は、上陸する台風が多くなるそうだ。3.11の被害に追い打ちをかける自然を、少し呪いたい気持ちになる。

 「三高」はアラフォー、アラ5世代の女性が、結婚相手として望む男性理想像だった。曰く、「高い身長、高い学歴、高い収入」。日経平均株価が今の株価の4倍にも達し、日本中をボデコン(死語か?)女性が跋扈した「バブル」時代の話だ。もっとも、この条件を満たす男性は確率的に言っても極少数であったろうし、その男性にも女性を選ぶ権利があるから、理想をかなえた女性の数はそれほど多くはなかったのではなかろうか。仮に、女性が思いを遂げたとしても、「三高」男性ほどの自信家なら、一人の女性の思い通りにはなかなかならなかっただろう。

 時代が変わり、今は「三平」志向だとか。曰く、「平均的な年収、平均的な容姿、平穏・平凡な生活」。女性もずいぶん慎ましくなったものだ。「三高」の見果てぬ夢覚めて、現実へ回帰したのであろうか。それとも、「三高」を求め、結果として傷ついた女性の束の間の癒やしであろうか。「三高」の少なくとも最後の「高」には該当しなかった自分としては、少しほっとはしているが、すべてがこぢんまりしてしまう昨今の傾向にすぐには首肯できない思いがある。

 ところで、このところ触れる機会が多くなってしまっているが、消費税増税の話だ。国家権力とマスメディアが一体となるとやはり強い。ほとんどの国民が反対する中、消費税増税に向かって大風が吹いている。
 自分は、理系出身で経済学は素人だが、それでもバブル崩壊以降の「失われた20年」が、時の政権の誤った経済政策によるものだ、というくらいの常識は持ち合わせている。
 特に、その1 小泉=竹中の「新自由主義経済」政策
「規制緩和」によって、大幅に供給を増やしてしまったこと。例えば、タクシー業界は規制緩和で大幅に台数が増え、競争激化の煽りでタクシー会社の経営難、賃金の大幅ダウンを招いた。
 その2 民主党の「コンクリートから人へ」政策
デフレ下で、本来はインフレ時の政策である公共投資削減をすることによって、需要が大幅に縮小し、デフレ=不景気がますます進む。
 その3 民自公三党による「消費税増税」政策
増税はいっそうの消費低迷=需要のの縮小を招き、デフレはますます進行する。

 時の政権が、デフレの時にインフレ政策をし、インフレの時にデフレ政策をする、いわばアクセスとブレーキを踏み違えるのは、乗員(国民)の安全を考えないからだ。彼らに関心があるのは、国民の安全ではなく、特定の誰かの利益や、自己の損得や政権の維持だ。三流の政治、四流のマスメディアを持つ国民は本当に不幸だ。
 

なんか最近おかしい
2012/06/14

 寒い初夏だ。我が家では朝と晩に床暖が入る。今年の冬の大雪といい、この寒さといい、何かおかしい。

 おかしいと言えば、我が政権党・政府がその極みかもしれない。消費税増税に突き進む様子は、財務省の出先機関と化した感がある。3年前に国民に約束した「反」増税方針を厚顔無恥にも捨て去り、「税と社会保障の一体改革」と言いつつも、実際は社会保障改革はほぼすべてを棚上げし、何かに取り憑かれたかのようになりふり構わず増税一本をごり押しする様(さま)に、毎日呆れ、怒り、悲しく、絶望的な気持ちになる。

 財務省(旧大蔵省)には、したたかな歴史がある。なにしろ1200年前に日本に律令制度が生まれたとき以来国家の財布を握り、一度も手放したことがないのだから。明治になって大宝律令が廃止されたが、大蔵省は名称を変えながらも生き残り「官庁の中の官庁」として国家中央に君臨してきた。もっともこの役所の仕事は、税金を取り上げることと役所と役人の利益を守ることだけと言って良い。1200年にわたって受け継がれたその「DNA」は、理念も性根も据わっていないチンピラ政治家はもちろん、時の首相や大臣を牛耳ることなど朝飯前。言うことを聞かなければ、あの手この手で政治家を「追放」することも厭わないできた。

 消費税増税に理など全くない。現政府・政権党は、「国家予算10数兆円に群がるシロアリを退治しない増税」に反対することをマニフェストに掲げ政権の座に着いた。しかも、4年間は増税の論議すらしないと明言して政権を奪取した。しかし、シロアリ=「国家予算に寄生する天下り組織・官僚」は一匹たりとも退治されていないのだから、増税する根拠を失っている。さらに、このデフレ=経済不況の中での増税、しかも、震災被災地の住民をも課税対象とする増税によって一体経済が好転するのであろうか? 否、国民の消費マインドの停滞と実際の消費の手控えによっていっそうの不況が進行するであろう。
 増税を推進する政府・財務省は、マニフェスト違反を合理化するために、日本はギリシャ同様破綻の危機にあるから財政再建は「待ったなし」だと強弁するが、外国への負債がほとんどない日本と外国から借金しているギリシャでは全く事情は異なる。もし「待ったなし」を言うのであれば、それは「シロアリ」を完全に退治することであろう。財務省に関心があるのは、国民の福祉ではなく、シロアリをノウノウと生かし続けることだ。まさに、財政再建の障害物でしかない。

 大人は子供に嘘をついてはいけないと言う。その通りである。政治の世界での嘘は例外ではない。マスメディアが、マニフェストを守ろうとするのを「原理主義」と呼んで、「嘘」を奨励する。マスメディアが原理を投げ捨てたときに残るのは一体何だ!
 増税が必要ならば、そのためのマニフェストを新たに掲げ、国民の信を問う、すなわち、増税を決定する前に衆院を解散すべきだ。しかし、国民の8割は増税を望んでいない。ならば、政権党は増税を撤回し、任期中はマニフェストの実現を、「待ったなし」で進めるべきであろう。しかし、今の流れは、嘘つきがマスメディアも総動員して、正直者に馬鹿を見せつけることになりそうだ。

 セ・パ交流戦は終わりに近づいたが、優勝はジャイアンツとロッテに絞られた感がある。我がファイターズにも目はあるが、斎藤を擁しての昨日のジャイアンツ戦の敗北が痛かった。自力優勝はないが、残りすべてに勝利して、「奇跡」の逆転優勝といきたい。奇跡は起こすものだ!

マスメディアを憂う
2012/06/05

 先週、東京で「第19回東進全国大会」があり、我が函館杉並校は3部門の表彰を受けた。そのうち、「新年度継続率部門」と「全国統一高校生テスト部門」では、全国最優秀の表彰となった。とても光栄なことであり、生徒諸君の高い向学が評価されたと受け止めているが、ご理解とご協力をいただいた保護者各位、高校の諸先生方に心から感謝申し上げたい。さらに、裏方として奮闘した我が校職員の努力を多としたい。

 ところで、OB諸兄からマスメディアの劣化を憂う声が寄せられている。まさしくその通りだと思う。 日本の財政事情とギリシャの財政破綻を同レベルで論じ、「一刻の猶予もならない」と真実でない危機をあおり、だから消費増税を、と世論誘導する多くのマスメディアの劣化はいささか常軌を逸していると思う。

 野田首相へ―自民との協調が優先だ(朝日)
 野田・小沢会談 「もう一度」は時間の浪費だ(読売)
 元代表と平行線 首相、早く見切りを(毎日)
 野田・小沢会談 首相は「本気度」を見せよ(産経)
 首相は自公との連携へ踏み出すときだ(日経)

 これは、消費増税を進める野田首相とそれに反対する小沢前代表との2回に渡る会談についての全国5大紙の社説である。何たる腐敗、怠慢であろうか! 5大紙は一斉に増税に荷担し、かつて太平洋戦争を賛美した「翼賛」報道と同じ轍を踏んでいるのだと、軽蔑、怒りを超え絶望感すら抱いてしまうのは自分だけだろうか?

 マスメディア、とりわけ「報道」の果たすべき使命は、権力の監視・検証であろう。選挙で信任されていない現政権には、増税という国家の重大な選択をする資格がない。まして、同じ民主党の前政権は2年前に消費税増税を掲げ、大惨敗を喫した政権だった。「報道」は、なぜ、この2代に渡る政権の正当性を、増税を論ずる正当性の是非を問わないのだろうか?
 まして、3年前の政権交代の公約は、「シロアリ退治なき消費税増税は行わない」であったはず。今、堂々と公約を踏みにじる政権を前にして、その批判を行わないどころか、一斉にその応援団と化した「報道」・マスメディアを持つ国民はなんと不幸なことか! マスメディアのノブレス・オブリージュなどどこを探しても見つけることはできない。

 これからマスメディアを目指す大学生諸君、受験生諸君、君たちにこそマスメディアの再生がかかっているのだ。真の危機を告げ、権力の監視・検証を根本的な使命と自覚し得るマスメディアに変えられるのは、君たちだけと心得よ。

 ところで、先場所の白鵬の後半戦は気合いが入って、横綱らしく堂々としていて納得できた。さすがに琴欧洲のずっこけで優勝の目がなくなって、千秋楽は力なく負けてしまったが、6大関との連続対戦で5連勝を続けた。立派だった、白鵬!

白鵬、がんばってくれよ!
2012/05/16

 白鵬が変だ。初の6人大関の場所とはいえ、白鵬とは力が違いすぎる。まして、大関以下は問題にならない。なのに、大関以下と9番取って早くも4敗、昨日は大関・鶴竜に圧勝したものの、これまでとは余りにも違いすぎるのだ。

 仕事の都合上、ニュースでしか見られないのだが、今場所の白鵬は体が小さく見える。特に上半身が細く見える。多分、稽古のし過ぎとか場所前の調整の失敗ではないだろうか。それに、白鵬ならではのどっしりとした安定感が少し欠けているように見える、などと心配していたところ、初日の安美錦戦で左手人差し指を剥離骨折していたことが判明した。マワシがつかめない!「右四つ」の白鵬は左上手で相手のまわしを手繰(たぐ)る。左手指の骨折は手繰ることの大きな障害になってしまうのだ!にしても、何か変だ。精神面の問題があるかもしれない。一人だけで2年以上も横綱を張り、連勝記録に挑戦し、いい加減参っているかもしれない。師匠との軋轢も聞こえてくる。
 それでも、あと5日間、すべて大関戦だが、強い白鵬を見せつけて欲しいと願っている。こんな願望は、ファンの無責任さ、わがままさ、と知りつつも。

 昨5月15日は、沖縄返還から40年の節目。未だに、在日アメリカ軍基地面積の7割以上が沖縄県に集中し、米軍関係者の犯罪が止むことがなく、本土との経済格差も是正されてはいない。40年前、時の日本政府が言った「核(核兵器)抜き本土並み返還」は明らかに嘘だったし、これからそうなる保証などどこにもない。
 もし、我らが日米安保条約と「日米同盟」やらを安全保障の要と信ずるならば、沖縄の基地負担を具体的に軽減する、すなわち、少なくとも1都道府県に最低ひとつは米軍基地を受け入れる、沖縄の経済発展のために大々的な特別予算を組み、その税負担を引き受けるなどの決意をすべきだ。しかし、必要なのは、恐らく日米同盟を是とする日本政府の意を汲んだマスコミの執拗なキャンペーンで、なし崩し的に「国民の総意」と化した「日米同盟」の可否を、米軍基地存在の可否を、沖縄返還の行われた40年前以上に真剣に考え直すことではないだろうか。

大学生に言いたい!
2012/05/09

 毎年、この時期になると憂鬱な事故が起こる。大学の新入生が飲酒で病院に搬送されたり、場合によっては死亡する新聞記事を目にする。つい一昨日も、小樽商科大学で、飲酒したアメリカンフットボール部の学生9人が病院に搬送され、新入生1人が重体となったそうだ。搬送された9人のうち、男子は4人で残り5人は女子マネジャーだそうだ。警察が調査に乗り出し、酒を無理矢理飲ませていなかったか、傷害容疑での立件も視野に入れているとのことだ。

 先輩が新入生歓迎の宴を催し、飲食でもてなすのは、今に始まったことではない。自分の時も、4月、5月で10回はあったように記憶している。幸い、自分は家系的に酒に強く、酔わせて潰そうとした先輩を逆に潰してしまった。(大して自慢するほどのことではないが。)当時、せっかく苦労して医学部に入学した新入生が、初めて飲まされた酒で意識朦朧となり、病院に搬送される途中で亡くなったことがあった。

 実は日本人の4割が酒を受け付けない体質なのだ。アメリカ映画では、グラスいっぱいに注がれた酒を一気に煽るシーンがよく見られるが、日本人はアルコール分解能に優れたアメリカ人のようなわけにはいかないのだ。

 「先輩の酒は飲めないのか!」、「一気に飲まないと罰ゲームだぞ!」とばかり飲酒を強要するのは、明らかに間違いだ。楽しくない酒、いやいや飲む酒ほど鬱陶しいものはないし、場合によっては「毒薬」と化してしまうことさえあることを、宴席の主催者と参加者は知るべきだ。無理やり飲ませない、無理に飲まない、ということを大学時代から心得て欲しいと思う。

 ところで、就職活動の失敗を苦にしたとみられる若者の自殺が、去年1年間で150人に達し、自殺の原因を分析し始めた2007年から2.5倍に急増した、と警察庁が公表した。
 せっかく大学に進学しても、就職難でさぞかし大学生の気苦労は絶えないことと思う。周りが決まっていくのに、自分だけがどこからもお声がかからない。自分の将来はどうなってしまうんだろう。気持は痛いほどわかる。
 しかし、少し考えて欲しい。大企業への就職だけが全てではない。名の知れた有名企業やお役所に入ることが幸せの全てではないし、人生の勝者になったわけではない。自分を、自分の人間性を、自分のなにかしらの能力を必要としてくれる企業はかならずある。自分を大事にしてくれ、のびのび仕事をさせてくれる会社、職場はそれだけで素晴らしい。「中小零細」だって構わないじゃないか。自分の持てる力が社会にとってたとえ僅かでも役に立っているのであれば、多分、それは人間にとって最高の幸せなことだと思う。

 やれ「コミュニケーション能力」だ、「問題発見能力」だ、「問題解決能力」だ、と大企業様は振りかざすが、その大企業自身にそんなだいそれた能力がないことは、あの「リーマンブラザーズ・ショック」以降の経済不況で大企業が行ったことといえば、派遣切り、首切りであったことを思えば明らかだ。そんなスローガンに合わない学生などいらないという企業などこっちから願い下げだ、という気概を持って、全国の大学生諸君よ、がんばろうじゃないか!

春に思う
2012/04/25

 函館はやっと春めいてきた。教室の暖房が7ヶ月ぶりに止まり、窓を開けて外気を入れるほどになった。桜はまだ先だが、昨年から今年にかけての特別長く、寒く、雪が多かった冬からやっと解放され、なにかそれだけでもウキウキするような季節になった。

 さて、TPP(環太平洋経済連携協定)だが、自分は無条件で参加反対だ。いくつか理由があるが、第1に、このTPPは、間違いなく実質的にアメリカだけがルール決定の主導権を持っていることだ。日本は、政治面・軍事面ではアメリカ主導の日米同盟を維持する以上、経済だけ対等ということにはならないからだ。
 第2に、現在の円高が続く限り、いくら関税が撤廃されたとしても輸出に有利には働かないからだ。
 第3に、自主的に関税を掛けられないことで、日本の農業はおそらく壊滅してしまうからである。そもそも「関税自主権」は放棄すべきではない。関税自主権が奪われた、明治のあの不平等条約を改定するのに要した年月を想起せよ。。
 第4に、国民皆保険制度など日本が独自に実施している施策のことごとくが、ISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)に基づく訴訟によって廃止される可能性が大きいことだ。郵貯、簡易保険など確実に狙われるだろう。

 要するに、国内市場が十分大きく、政治的、軍事的に他を寄せ付けない強大国アメリカが、アメリカ自身の制度のことごとくを他国に飲み込ませ、経済、文化の全てを牛耳ようというのがTPPといって良いのだ。グローバリゼーションという美名のもと、アメリカ型資本主義で、まずは環太平洋圏を席巻しようというわけだ。結果は目に見えている。日本の「小泉改革」を始めフランスのサルコジ政権も採用し、「富の格差の拡大」と「大量の社会的弱者」を生み出し、ことごとくが失敗した「新自由主義」経済を再度アメリカ主導でばら撒こうとしているからだ。

 真のグローバリゼーションとは、アメリカの制度をそのまま世界の制度にすることではない。国家、民族の歴史と伝統、制度を互いに尊重し、友好関係、経済協力、人事・文化交流を築くことが目指されるべきだ。とはいえ、グローバル化の大波はそんな牧歌的な意見などすべて飲み込みながら押し寄せてくる。したり顔で、「自由化」賛成などとTPP推進派の肩を持っていたらどうなるか、ここは賢明な判断が求められよう。

 全く話が異なるが、ダルビッシュが対ヤンキース戦に先発し、一点も与えずに8回1/3を投げ、勝利投手になった。A.ロドリゲスからゲッツーを、ジーターから三振を奪ったし、もうダルビッシュ最高!

打て、ホームラン!
2012/04/18

 プロ野球の開幕を心待ちにしていた。自分では殆どやらないし、勤務時間の関係でテレビ観戦もあまり出来ないのだが、ニュースは真っ先にプロ野球、仕事以外の話題の中心はプロ野球といった按配だ。北海道人ということで、もちろん日本ハムを応援しているし、「巨人・大鵬・卵焼き」世代だからジャイアンツも気になる。勝っては喜び、負けたら負けたで敗因を分析し、監督になったつもりで明日以後の作戦を練る。ま、ファンというのはこんなものだろう。

 ところで、開幕から80試合消化した段階だが、なんと25試合が完封試合(負けたチームが1点も取れない)なのだ。1年間のペナントレースの完封率はせいぜい15%程度なので、今のところ2倍程度ということになる。素晴らしいピッチャーが投げて、1点も与えない試合は野球の魅力の一つであることはいうまでもない。しかし、どうもピッチャーが良くて完封と言うよりは、昨年から導入された「飛ばないボール」=統一球と広がったストライクゾーンによりバッターが随分不利な状況になっているらしいのだ。特に、一昨年までホームラン、長打を打てたパワーヒッターが「被害」に合っているらしい。

 全球団が同じ規格のボールを、それもできるだけ大リーグ使用球に近い規格のボールを使うことは、プロ野球の公平、公正さにつながり、国際化を促進する上で必要だ、という趣旨に表立って反対する理由はない。しかし、はっきり言って、野球がつまらないのだ。「打てない」野球は、必然的に守り中心の「スモールベースボール」に向かう。バントが駄目なのではない、スクイズが嫌なのでもない、スコアリングポジション(2塁、3塁に走者がいる)からの単打で走者を返すのも野球だ。だが、華がないのだ! ワクワクする瞬間がないのだ! 一発で試合がひっくり返る、「筋書きのないドラマ」=野球の魅力がすっかりなくなっているのだ!

 そうでなくとも、我先にと大リーグに飛び出す選手が多くなり、日本プロ野球は明らかにつまらなくなっている。面白くするにはバッターに頑張ってもらう他ない。統一球初年度の昨年は西武の中村、ソフトバンクの内川を除けば、バッターのほぼ全員が情けない結果となった。2年目の今年はどうかと思っていたが、期待はずれで昨年と変わる気配はない。監督、コーチはもちろんバッター自身に工夫の跡は感じられない。プロならば必ず克服しなければならないはずだ。そうでなかったら、いつまでも統一球のせいにするのであれば、プロはやめるべきだ。尊敬する前中日監督の落合氏が、「打てないのは統一球のせいでなく、ボール球に手を出すからだ。」と喝破したが、全く同感である。好球を真芯で捉えるという原点を忘れてはならない。

 注目しよう、統一球を克服しホームランを量産し、打率を向上させるバッターになるのは誰かを。彼らこそ、日本プロ野球の救世主となるだろう。

大いに憂う。
2012/04/06

 東大合格者数、1名なり。
これが30万都市函館の今年の大学受験の現実だ。東大だけが大学じゃない、という意見も聞こえてきそうだが、東大に合格者を生み出せないのが我が街のありのままの姿だ。人口10万余りの町でも二桁合格を出している例があるのに、情けない限りだ。

 早いもので我が受験屋稼業も30年になろうとしている。特にこの10年間で、街全体の大学進学「力」というべきものが確実に落ちてきているというのが実感だ。例えば、東進サテライブに「高等学校対応数学講座」というのがあるのだが、この中の「上級編」は、最近ではいわゆる受験校の学年上位者ほんの数名がこなせる程度だ。15年前は上位50名が、10年前は上位15名がこなせていたことから考えると、学力は確実に落ちてきている。他の教科でも、国語、理科にその傾向がはっきり見て取れる。
 
 
 東大に10名出す力があれば、医学部に30名、北大に100名以上出す力が育つ。受験とはそういったものだと思う。
 だが、最近では東大を目指す高校生にお目にかかることが殆どなくなった。見込みの有りそうな高校生に東大受験を勧めると、決まって「いや、いいです」という答えが返ってくる。どうやら東大は恐れ多いらしい。「何を言っているんだ、東大は天才だけが行く大学じゃないぞ、将来への大きな夢や希望があるならば、最も優れた環境で自分を磨いてこい。」と自分。「いや、遠慮します」と生徒。こんなやり取りをすることが多くなった。


 自分は、函館の発展は企業誘致でも、医学部誘致でもなく「教育立市」であると思っている。優秀な人材を育て、中央で学ばせ、活躍させる。彼らの作る優れた業績とネットワークと函館がつながる。また、優れた頭脳と知識が函館に戻る。函館を作るのは紛れも無く「人」である。エリートを育てること、ノブレスオブリージュ(選ばれた者の社会貢献の精神)を鼓舞することに躊躇してはいけない。しがない受験屋風情だが、この気概を持って頑張っていきたいと切に思う。

寒い4月
2012/04/03

 このところ冷たい風、冷たい雨、時折の雪で、何か街に華やいだものがないように思える。五稜郭公園の桜の蕾は固く閉じたままで、4月になったとはいえ、函館の春はまだ遠い。

 そろそろ今の政権党の崩壊が始まるように思う。3年前の総選挙の熱気、政権交代の高揚感が幻であったかのような印象だ。
 「民主党政権は程度の悪い自民党政権」、「学芸会のような政権運営」とはよく言ったものだ。マニフェストを次々投げ捨て、知らんぷりする傲慢さ、恥知らずぶりを見せたかと思えば、今度は頼んでもいないTPP参加に、シロアリ退治なき消費税増税だ。大震災の瓦礫の広域処理、原発事故の補償、被災地の復興、沖縄の基地問題はほとんど手付かずといってよい有様だ。政権交代に託した国民の純朴な期待と願いは完全に踏みにじられた。
 恐ろしいのはマスコミだ。何ら検証することなくTPP参加をそそのかし、消費税増税をこぞって煽り立てる。原発の是非を深く掘り下げる姿勢すらなく、普天間基地問題は他人ごとだ。世論調査と称して、ほんの数千人の電話アンケートを、あたかも国民全体を代表しているかのように誇張し、もし、マスコミが期待した数字でなければキャンペーンを張って世論を誘導する。安易でしかも悪質なのだ。

 しかし、自戒しなければならないのは、三流の政治家、四流のマスコミを持つ国民もまたそのレベルでしかないことだ。
 「国にお金がないから、増税はやむを得ない」などと、したり顔で賛成する前に、「シロアリ退治なき消費税増税はやらないんです」といって当選した現首相はじめとする閣僚の面々、国会議員に、その裏切りを問い詰めるくらいの気概がなければ、政治とマスコミの更なる低劣化が進むことを知るべきだ。

(参考)2009年衆議院選挙での野田現総理大臣の街頭演説から
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マニフェスト、イギリスで始まりました。
ルールがあるんです。
書いてあることは命懸けで実行する。
書いてないことはやらないんです。
それがルールです。

書いてないことを平気でやる。
これっておかしいと思いませんか。
 
書いてあったことは四年間何にもやらないで、
書いてないことは平気でやる。

それは、マニフェストを語る資格はないというふうに、
ぜひ、みなさん、思っていただきたいと思います。
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この大演説をぶった人間が、今、シレっとして「ルール」違反を犯しているのだ。
これが日本の政治家のトップなのだ!
何党を支持するとかしないとか、消費税をどうのこうのという以前の問題ではないか!

 ところで、日本ハムが好調だ。賛否両論があった斎藤佑樹の開幕投手だが、見事に完投勝利で飾った。スレッジが戻って打線もいい感じだ。仕事が終わってから、ネットで試合結果を見るのが楽しみだ。

吉本ばななのお父さんじゃないよ!
2012/03/17

 吉本隆明が亡くなった。自分たちは、”たかあき”ではなく、”りゅうめい”と呼んでいた。”りゅうめい”でなければならいほど自分たちは尊敬していた。本人はそう呼ばれることはいやだったかもしれないが。

 大学入学当時の自分たちには、どうしても読んで「決着」をつけなければならない3人の作家がいた。第一に吉本隆明、次いで高橋和巳、埴谷雄高だった。
 吉本の詩は浪漫派詩人の難解さをはるかに超え、ページを括るのが苦痛ですらあった。『共同幻想論』、『言語にとって美とは何か』は持って歩くことだけでも偉くなった気がし、多少なりとも議論の輪に入れたときはいっぱしの知識人になった「幻想」に囚われた。もちろん、多分何もわかっていなかったのだと思うし、他の二人の作家同様に「決着」などつけようもなかった。
 文学と評論の人でありながら理系の東京工業大学出身であることに驚き、病弱の奥様の看護に当たられていることに感動し、60年安保の知的アイドルであったことに憧れを抱いた。多分、団塊の世代あるいは全共闘世代の何割かは自分と同じ気持ちで吉本”りゅうめい”を見ていたのだと思うし、その中のほんの5%位が吉本を完読し、多少は評論できていたのだと思う。逆転させた「美にとって言語とは何か」を大まじめに議論し、興奮してつかみ合いをした自分たちはその他大勢の95%組に違いなかった。

 時が巡り、吉本の著書から足が遠のいていたが、1982年、久しぶりに威勢の良い痛快な吉本を見ることが出来た。「核戦争の危機を訴える文学者の声明」に対して吉本隆明が吠えたのだ。西ドイツへのアメリカのレーガン政権の核配備に反対した全世界的、全国的な「反核」運動への日本の文学者たちの共同声明だったが、吉本は、文学者が「全人類を代表して反対する」ことに対して、「君たちはいつからそんなに偉くなったのだ」と、次いで「文学は個人の営為なのに集団の言葉で語ることは腐敗である」と。あまり正確でないが、そんな内容を語ったのだ!さらに、「お前ら全員を敵に回しても一人で戦ってみせる」と。
 借り物でない自分の言葉で自分の思想を語ること、生活者の生きた言葉で語ること、学生時代に「決着」をつけられなかった吉本だったが、少しいらいらしながらもどこか楽観的な”りゅうめい”節に触れ、体が震え、こうはしていられないなあ、お前は何をぼーと暮らしているんだ、と頭をかきむしりたい思いだった。

 「吉本ばなな」はりゅうめいさんの次女だ。センター試験にも登場したほどの人気作家だ。最近は、吉本隆明は「ばななさんのお父さん」て言われことが多かったが、そして多分、家族を大事にする吉本はその事が嫌いではなかったと思うが、自分にとってはいつまでも「吉本りゅうめい」その人である。

消費税増税に思う。
2012/03/14

 国公立大学の前期日程の合格発表が終わった。当校は、順調な結果となった。中には、「前期勝負、後期鉄板」の受験生もいて、20日からの後期日程の合格発表でもう少し増えるだろうと思う。私大合格と合わせて、今年度の大学入試はまずは勝利宣言を出せるのかなあと思っている。願わくは、東大を目指す生徒とその合格を30万の街にふさわしいだけ生み出さんことを!

 ところで、平成時代は、ある意味消費税の時代でもある。平成元年(1989年)、初めて消費税が導入され、その8年後の平成9年(1997年)に税率5%に増税された。今また、まず税率8%、次いで10%への増税が取り沙汰されている。曰く、「年金などの社会保障費の安定財源のための消費税増税」。

 経済学の難しい話を持ち出すまでもなく、税率アップは経済の停滞=デフレをもたらし、税率ダウンは経済の上昇=インフレを生みやすい。今、日本はデフレであるから、消費税の上昇は、デフレを更に促進するだろう。また、増税によっても国の税収はプラスに働かないのは過去2回の増税経験で明らかだ。
 特に、消費税率を5%に引き上げた橋本政権は、消費増税により5兆円、所得税の増税で2兆円、社会保険料引上げで2兆円、更に、公共事業を4兆円削減したが、合計13兆円の増税+緊縮財政は日本を即座にデフレに突き落とした。税収は増税後の2年間で5兆円のマイナス、逆に国債は16兆円もの増額となった。以降、日本はほんの何年間を除いて不景気と「借金国家」の道を突き進んでいる。平成時代は、消費税と不況と借金まみれの時代である。

 方策は何か?それは、増税ではない!
 第一に、徹底した倹約、第二にデフレからの脱却である。国のお金に群がる役所や天下り先=「シロアリ」を退治し徹底的に「行政のスリム化」を図ること。これと同時進行で、現在のデフレ経済からの脱却と、これによる増収が必要だ。そのためには、現行5%の消費税をゼロにするくらいの大胆さが必要だ。国債発行だって躊躇すべきではない。お金を国民からむしり取るのではなく、お金を稼げるようにすべきなのだ。
 倹約と増収により生まれたお金を、雇用対策、未来型産業、新エネルギー産業へ積極的に振り向けることだと思う。もちろん、かの大震災からの復旧・復興への財政出動により、内需の拡大が図られるのは言うまでもない。

 今、経済専門家、財務官僚が当人以外は誰も理解できない数字と理屈を並べて結局増税の方策を示す。政権党始め、政治家の多くもまたはじめに増税ありきだ。マスコミがまた増税をけしかける。
 古今東西、名君、名宰相といわれたのは、節税と産業振興で国や地域を立て直した人たちであり、安易で無策な増税は、まさに「苛政は虎よりも猛なり」である。三流の政治家、四流のマスコミと学者を持つ国民は不幸である。

 

照れながら・・・
2012/03/05

 ホイットニーの遺作「ボディーガード」を、実は見たことがなかった。もう20年も前の映画だが、先日テレビで見る機会があった。ストーリーはさほどピンと来るものはなかったが、まだ若いケビン・コスナーは十分に格好良く、ヒロインのレイチェル役のホイットニーもそれ以上に魅力的だった。
 
 「塾長日記」に主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー」の歌詞の最初を載せたところ(正確な歌詞かどうか..)、生徒からどんな意味かという質問を受けた。辞書引いたら分かるとは言いつつも、せっかくだから若干英文法と英熟語のレクチャーをしてしまった。職業とはいえ、内心どうかと思いながらも...。

 If I should stay、I would only be in your way.

これは、"if - should-,- would-"の仮定法未来だな。ほとんど現実可能性のない場合に用いられる。「もし万一〜ならば〜するが、ま、そうはならない。」という感じ。
"be in one's way"は重要熟語で、「〜の邪魔になる」って意味。だから...
「もし万一あなたと居たら、あなたの迷惑になってしまうだけ。」かな。

 So I'll go.

「だから、あなたから離れることにするわ」か。

 But I know I'll think of you every step of the way.

"think of"は、「〜のことに思いを馳せる」かな。
"every step of the way"で、「一歩一歩、どんな場面でも」が直訳。
で、「でもね、、きっと、私はいつだってあなたのことを想っているわ。」か、ちと下手か。

"in your way"と"of the way"の二つの"way"が韻を踏んでいる感じかな。

 And I will always love you.Will always love you

これは、敢えて言わなくても、ま、そのまんまだな。

 せつない歌詞だな。映画の内容にはピッタリ合っている。当たり前だが。映画で、ホイットニーの歌を聴いて、また、CDで聴いて、やはり思った。死ぬのは早すぎるよ。

私大合格発表が一段落
2012/02/27

 私大入試は合格発表がそろそろ一段落しようとしている。不況下で受験者数は減っているものの、早慶、明青立法中(最近はMARCHがオシャレらしい)は、難易度はさほど低下しているわけではない。特に、明治は受験者数も三年連続11万人以上を確保し、早稲田を抑えて3年連続最も人気の高い大学となった。女子の受験生が急上昇中と聞く。

 こんな中で、当校は今年も首都圏の難関私大を目指したのだが、結果はこのホームページの掲載通り上々となった。「取りこぼし」はほとんどなく、逆に嬉しい「誤算」がいくつかあった。しかし、誤算と行ってもまぐれではなく、生徒がこの1年間大いに努力し、試験本番では持てる力を十二分に発揮した結果であり、その意味では「順当」なのだと思う。
 一方、国公立大入試が25日、26日に行われた。受験を終えた生徒の様々なコメントを聞きながら、自分なりに手応えを感じ、来月の合格発表を楽しみに待とうと言う気持ちになった。

 ところで、連日の雪かきで、体のあちこちが痛み始めている。除雪した雪の高さが背丈を超え、排雪する場所の確保に頭を悩ませる。昨日は3時間、今日は2時間と除雪効率が落ちている。
 こんなに函館って雪が多かったかなあ、まあ北国だから仕方がない、それに、相手は自然だからなあ、愚痴っても仕方がない、ま、冬場の運動不足の解消だ、などど自分を慰めながら、明日こそ雪かきをしないで済むようにと祈るこの頃である。

オールウェイズ・ラヴ・ユー
2012/02/15

 ホイットニー・ヒューストンが亡くなった。事件性はないというものの、ドラッグあるいはアルコール摂取による浴槽での溺死が疑われている。2009年のマイケル・ジャクソンの奇怪な死から約3年、我々は再び、余りにも悲しく、謎めいた黒人歌手の死に直面した。

 真剣にアメリカン・ポップスを聴かない自分ですら、ホイットニーのいくつかのヒット曲は思い出すことが出来る。"If I should stay、I would only be in your way.So I'll go.But I know I'll think of you every step of the way.And I will always love you.Will always love you"と、空前のヒット曲「オールウェイズ・ラヴ・ユー」の歌詞は少しは出てくるが、当然にも全く歌えない。なぜ、あんなにホイットニーは高く、太く、強く歌えるんだろう。”Saving All My Love For You”は、聴いているだけで浮き浮きした気持ちと、なぜかこうしてはいられないという気持ちになるから不思議だ。今、2枚しかない彼女のCDを繰り返し聴いている。

 報道で知っただけだが、この10年間はドラッグ、アルコール、離婚と、不祥事、スキャンダルまみれだったという。どうして、アーティストは頂点を極めるとドラッグに染まるのだろうか。「奇妙な果実」のビリー・ホリデイを思い出す。時代が違うが、彼女もまた麻薬、アルコール、離婚だった。決して彼女の為にならない取り巻きの男や女、栄光から凋落することへの不安、過去の汚辱への恐怖、いくつか原因が挙げられたが、結局、天性の声を嗄らして死んでいった。ホイットニーもまたそうだ。

 48才の死は早すぎる。ホイットニーの元夫ボビー・ブラウンが「ホイットニー、愛しているよ」と叫んだそうだが、もっと早く、そしていつもそう言って欲しかった。健気にも、年下の夫の嫉妬、暴力から周りが強引に引きはがすまで、ホイットニーは逃げなかった。「愛の歌姫」の必死の愛が、彼女から体力を奪い、精神を蝕しばみ、ドラッグに溺れさせ、あの美しい声を潰し、とうとう死に至らしめるとは何たる皮肉か! 「黒いダイヤモンド」の輝きをずっと見ていたかった。

ダルビッシュ
2012/01/25

 ダルビッシュが日本を去ることになった。1月24日、札幌ドームでは、1万余のファンがダルビッシュの記者会見を見守った。「すごくお世話になり、支えてもらった。北海道から離れるのはすごく寂しい」と言う彼に、ファンは大声援、そして涙で応えた。北海道の日ハムファンの優しさ、寛大さは恐らく世界一と言って良いだろう。この地で7年間投げられたダルも、それを見続けてきたファンも幸せだったと思う。

 だが、「(最近は)野球をする上で、モチベーションを保つのが難しかった。すごい勝負がしたかった。」と、もはや日本のバッターに敵なしと、大リーグ挑戦の動機を述べた彼の恐らく本心に、日本プロ野球の誰からも反発の声が聞こえてこないのは一体なぜだ?「下に見られたくなかった」と述べた彼に「下に見られ」た日本人バッターは、「チクショウ!」と思ってくれただろうか?
 さらに、ファンの優しさ、寛大さは、時には強い選手、強いチームづくりの仇とはならないだろうか? 好プレー、好成績には賛辞を、そうでない時には容赦ない罵倒が、自らの意志でチームを去る者には冷淡な態度が大リーグの常識だが、日本のプロスポーツが世界に対抗するために、必要なことではないだろうか?ふと、そんなことを思いながら、ニュースを見ていた。ともあれ、行く以上は、大男バッター達を時には力で、時には技でねじ伏せて欲しい。

 さて、我が浪人クラスは、全員2次出願準備を終え、「最後の闘い」に臨もうとしている。10ヶ月間、苦楽を共にした我が教え子達の勝利を確信している。

ホームページを全面リニューアル
2012/01/21

 1年ぶりにホームページを全面更新した。ひとり、この方面に強い職員がいて、彼が作ったかなりいいセンスの草案を基に、ああでもない、こうでもないと外野席からいちゃもんをつけながら完成した。今までで一番かなと思うが、いかがであろうか。これを機に、多くの受験生諸君、保護者様、受験関係者様がアクセスしてくれることを期待している。

 大リーガー・ダルビッシュが誕生した。総額100億円近い移籍に伴う金額からも、大リーグ球団の期待の大きさがわかる。日本屈指の投手が、アメリカでどこまで活躍できるかとても楽しみだ。

 それはそれとして、このままだと、日本プロ野球は大リーグの実質的なマイナーリーグとなるのではないかという不安がますます大きくなってきた。
 イチローがシアトルに渡り、巨人のゴジラ松井がヤンキースに移った時に感じた不安、大魔神・佐々木がマリナーズと契約した時の不安はまだ漠然とはしていたが、松坂、岡島、上原、高橋尚、西岡、黒田、福留、川上、斉藤隆、五十嵐、(まだいたかなあ?)今年はこれに、ヤクルト・青木、ソフバ・和田、ムネリンなどが加わる。言い方は悪いが、日本には「カス」しかいない時代がもうすぐ来るのではないか、という強烈な危機感に変わりつつある。
 高額な年棒、テンポのいい試合運び、圧倒的な注目度、大リーグの魅力はそのまま日本プロ野球の魅力のなさに繋がる。
 金満球団の巨人だって、逆立ちしても100億円なんか出ない、だらだらと3時間も続くゲーム、テレビの視聴率も球場の観客もどんどん減っていく有様だ。少し力のある選手が大リーガーを夢見るのはよく分かる。いっそ、正式にマイナーリーグになった方が...。冗談ではない! TPPの野球版はまっぴらごめんだ!

 では、どうしたら日本のプロ野球が大リーグに対抗していけるか。
@日本の野球を強くする。日本シリーズの優勝チームと大リーグのワールド・シリーズ優勝チームとの間で、真の王者を決めるグローバル・シリーズを設ける。優勝チームには100億円を贈る(誰が?)。このシリーズで大リーグをこてんぱんにやっつける。
A交流戦を活発にするために、韓国、中国、キューバなどのチームも参加させる。
B良い選手の年俸をチームだけが負担するのではなく、スポンサーを募集して基金を募る。
C大リーグNO.1の投手とバッターを国債を発行してでもいいから、日本のチームに移籍させる。

ふう、この程度か。今年が、日本プロ野球没落の始まりとならないようにただただ祈る。

センターが終わって
2012/01/16

 緊張と凄まじい重圧、しかもあいにくの吹雪、今年のセンター試験が終わった。一夜明けて、今日は自己採点を集約する日だ。午前中に大学浪人クラスの集計が終わったが、全体としては大健闘だと思う。昨年、現役時に受験したのセンター試験の合計平均点を約140点(900点満点)上回っていた。数学TAがあと少しで平均80点を超えるといううれしい結果もあった。何よりも、全員無事、全力を出してくれたことが嬉しい。この二日間の「戦い」に心から敬意を表したい。夕方からは現役生の集約をするが、浪人生同様に好結果であることを期待している。センター試験が終わって、さあ、二次出願相談、私大入試、国公立二次試験、これから受験屋の一仕事が始まる。

だからどうした!
2011/12/18

 師走の「師」とは、いわゆる「学校の先生」ではないらしい。
 源平時代の「奥義抄(おうぎしょう)」の中に、「十二月、僧をむかえ経を読ませ東西に走る故に師走」とあり、これが師走の始まりではないかという説が有力らしい。師は先生ではなく法師、導師と言ったお坊さんを指すらしいのだ。普段はゆったり構えているお坊さんが走るとは、なかなか滑稽ではある。
 ともあれ、誰も間違いなく忙しくなる12月も半ばを過ぎた。もちろん受験屋の自分も12月23日の「最終プレ」、12月25日からの冬期講習、来年1月14日、15日のセンター試験の準備やら対策やらで右往左往している次第だ。

 去る16日に、東京電力福島第1原発事故に関して、野田佳彦首相は、「原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至ったと判断できる」と記者会見で述べ、事故収束の工程表「ステップ2」の完了を宣言した。
 一国の総理大臣にいう言葉でないことは重々承知の上だが、「だからどうした」と言いたい。「宣言する」と言う野田首相の高揚感がどこから来ているのかさっぱりわからない。かの原子炉の炉心がメルトダウンし、圧力容器の底を突き破って出ていき、今一体どこにどういう状態であるのか誰もわからない。解明する測定機も技術もない。そんな状態で冷温停止もへったくれもない。溶けた炉心が地下水と混ざり拡散するかしないかも誰も分からない。一体、何が「収束」だ、何を「宣言」するのだ。
 他方では、生活の場を奪われた10万人以上の人々が、故郷に帰る当てもないまま、不安の中で正月を迎えようとしている。だから、何が「収束」したというのか!

 3.11以降、政府や東電ばかりではなく、国会も含めていわゆる「偉い」大人たちのあまりにも無責任な対応を見せられ続けてきた。誰も責任をとらない、誰も火中の栗を拾おうとしない。「絆」はもちろん大事だが、それをいいことに無為無策を続けるならば、この世界中が感嘆した日本人の「絆」すら瓦解しかねない危機に立つことを責任ある立場にある人たちは知るべきだ。

今井先生の公開授業、大いに盛り上がる!
2011/11/22

 今井先生の公開授業まで待ってくれていたが、とうとう函館は冬になった。昨日朝から降り出した雪のおかげで今年始めての除雪作業となった。途中緩むかもしれないが、来春まで、寒さと雪の少し長い時間を過ごすことになった。

 その今井宏先生だが、自分と同郷の秋田、しかも同じ県立秋田高校卒業ということで、公開授業の前から大いに盛り上がり、高校の校歌を3度、秋田県歌を2度熱唱してしまった。
 公開授業会場には、予想を上回る高校生が集まり、初めて先生を見る人はもちろん、普段サテライブ授業で先生のお世話になっている人も抱腹絶倒となった。しかし、ただ笑わせているだけではない。「受験勉強の王道は基本に忠実であること」をこれほど忠実に伝えようとする先生はいない。自称「熱血派」のまやかしを暴く先生が、実は、心底「熱血派」であることは間違いないと思った。
 2時間近くに及んだ公開授業だったが、あっという間に過ぎた感じがする。参加者の多くが、集中し、楽しみ、大いに向学心に目覚めたすばらしい時間だった。

 同郷といえば、中日の落合がチームを去った。監督8年間で、日本一に一度、リーグ優勝4度、Aクラスから外れたことは1度もなかった。が、何よりも勝ちにこだわり、強烈なプロ意識を持つ彼は、「リーグ優勝して日本シリーズに勝つ」を成し遂げられなかった無念さ、悔しさを忘れることはないだろう。いつか、必ずどこかのチームの監督として「勝たなければ野球じゃない」を見せつけてくれるはずだ。

函館に初雪が
2011/11/15

 ユキムシの予言通り、函館は初雪となった。淡い綿帽子がほんの少しだけ舞って、今日はご挨拶だけですよとばかりすぐに立ち去ってしまった。それでも、もう冬の覚悟が必要だ。

 市内花園町に東進「函館ラ・サール学園前校」をオープンさせた。18年間、杉並町の校舎だけで東進サテライブ授業を行っていたが、ラ・サール高生とりわけ寮生には何かと不便をかけてきた。今度の校舎は、ラ・サール高校から徒歩4分ほどに立地しているので、通塾にはとても都合がよいと思う。学習環境としての開放感と清潔感を心がけて出来た校舎だが、第一ゼミナール伝統の「ピンと背筋が伸びるような緊張感」は失わせたくはない。この新校舎でも、あと2ヶ月に迫ったセンター試験目指しての戦いが始まる。

ドラフトに泣く
2011/11/04

 用事で札幌に出かけた。函館と同じくユキムシが盛んに舞っている。下手に払うと黄色い液が付着するので、手で払いながら歩かざるを得ない。目といわず鼻といわず耳といわずユキムシは容赦しない。このカメムシ目アブラムシ科の昆虫の正式名称トドノネオオワタムシが姿を消す頃、北海道は初雪を迎える。今年は、白い綿を纏わない黒ユキムシ(ケヤキフシアブラムシ)も目立つ。寒い冬、ドカ雪の予感がするが、果たして・・・。

 東海大学の菅野智之投手が、ドラフトで一位指名された日本ハムには入団しない意向らしい。なんとしても巨人に行きたい。第一、日ハムは一位指名はしないと約束していたではないか。だから、浪人してでも巨人を目指したい。かなり頑なな様子である。

 事実上の巨人「逆指名」はドラフト制度の崩壊につながるから、巨人と競った日ハムの英断を評価する。野球好きの大方はこんな感想を持っている。他方では、日ハムの「やり方が汚い」という声も一部ではあるが聞こえる。おそらくどれも間違ってはいない。
 ドラフト制度がある以上、そのドラフトで成果を得るために各球団が戦略・戦術を凝らすことは当然である。「君を指名するから」と言っておいて外す、「君なんか要らない」と公言して、ドラフト当日に堂々と指名する。好き嫌いは別にして、ドラフトが競争である以上認められることだと思う。もっとも、こんな大人たちの陰謀に乗せられる選手はたまったものではないが。

 かつて、江川卓投手はドラフトでの指名を二度も蹴った。最初は作新学院で阪急(当時)の指名を、次に法政大学で阪神の指名を。二度目の時は、一浪後に有名な「空白の一日」事件を経て、晴れて巨人のユニフォームを切ることができた。巨人の魅力は相当なものらしい。

 菅野智之投手が一浪して巨人を目指すのも、ドラフト下での選手の取っていい作戦だと思う。やりたくない球団でそれほど長くない野球選手人生を過ごしたくない気持ちは痛いほどわかる。ここで、だが、と来るのだが、菅野投手はなれるものならば「ミスター日本」になってみたくないのだろうか、「ミスター巨人」で満足なのだろうか。もし、巨人の選手で満足ならば、一浪がよかろう。もし、その上を目指す力量があると信ずるならば、ぜひ日ハムに入って欲しい。楽天の田中マー君は、それほど人気も成績も芳しくない楽天球団の一位指名に躊躇なく応じて、5年目の今年はパ・リーグの投手三冠王になった。ダルビッシュ投手と並び、パ・リーグはもちろん球界を代表する大投手へと上り詰めた。

 菅野君よ、日ハムがある北海道の人たちは、巨人ファンよりずっと優しくて温かいぞ。勝ったらもちろんだが、負けても君を励まし見守り続けるぞ。ぜひ北海道に来たまえ。そして、チーム優勝だけでなく、史上最強・最良の偉大なる投手を目指そう!

プロはこうでなくちゃ
2011/10/19

 寒くなってきた。とうとう、昨日から教室に暖房が入った。ユキムシはまだ見かけないので、雪の到来はもう少し先になるのだろうか。

 プロ野球だが、中日ドラゴンズがセ・リーグ優勝を果たした。球団創立75年の中で連覇は始めてとのこと、まずはおめでとうを言わねばなるまい。
 にしても、鮮やかな「直線一気の差し切り」だったと思う。しかも、それが落合監督の解任が決まった後のことなので、凄味すら感じられた。監督とは郷里が同じ(秋田県)なのだが、監督の「静けさの中の気迫」は果たして我が故郷の県民性であったろうか?

 終わってみれば、「先発−中継ぎ−抑え」体制の強さ、リーグ最低の得点力ながら少ないチャンスを得点に結びつける確実さ、接戦を価値に持ち込む勝負強さなどこの優勝は偶然ではないとわかる。やはり見事と言うしかないチーム力だ。

 落合監督は、リーグ戦終盤に中日本社に呼びつけられ、新幹線の立ち席で東京から名古屋に向かい、そこの本社で解任を告げられたと聞く。逆転優勝の秘策と自信を持った監督の義憤たるや如何ほどであったろうか。無念さがひしひしと伝わってくるが、監督は一言も不満や愚痴を言うことはなかった。また、最後まで自分たちの仕事をきちんと果たす「落合流」を実践したのは他ならない選手たちだ。可愛げはないが、プロ精神とプロ技を見せつける、落合の8年間で中日は大きく変貌した。

 日ハムを裏切るようだが、ほとんど欠点のないパ・リーグの覇者ソフトバンクと「プロ軍団」落合竜の戦いを見てみたい気がする。
 

梨田か落合か...
2011/09/29

 9月も終わりになった。少しの間寒さが続いたが、このところ東京並みの暑さに戻ってしまった。自分も含めて教室に半袖姿がちらほら。寒さに向かう束の間の夏の名残か。

 プロ野球の話だが、二人の監督の今期限りの退団が公にされた。まだ20試合以上残っているのに退団発表でもないだろうと素人目には見えるが、早めにした方が後任探しに有利だという球団側の事情が優先しているらしい。

 日本ハムは、梨田監督の退団発表後負けが続き、10以上離れていた3位とのゲーム差がとうとう1.5まで縮んでしまった。退団の影響がないとは言い切れないだろう。逆に、中日は、落合監督の退団が明らかになってから勝ち続け、首位ヤクルトに肉薄するようになった。3ゲーム差は完全に射程距離だろう。退団騒動など関係ないどころか、バネにすらなった感がある。

 勝利を第一に考える点ではどの監督も同じだと思うが、それに徹することが出来るかと言えば、自ずと違いが出るのではないだろうか。それには”情”が関係しているのではないだろうか。
 札幌に移って以来、球団、監督、選手、ファンの一体感を演出し、それを勝利に結びつけてきた日ハムはいわばムード派、ファンサービス派だ。監督にはムードを壊す采配は許されないし、選手起用にもサービスが要求される。ダルビッシュを中4日でも登板させ勝ちムードを作りにいく、ルーキーの斉藤祐を先発ローテーション入りさせるファンサービスぶりは、勝利のみを考えたら恐らくはあり得ないことだ。
 これに対して、完全試合目前の山井投手をきっぱり切って、いつも通り押さえの岩瀬投手に引き継がせる、その押さえのエースすら時には若い浅尾投手に代えてしまう、要は、勝つためにはムードもサービスも一顧だにしないのが落合監督だ。「非情」采配、選手起用は日常茶飯事だ。だから、監督が代わることさえ意外でも何でもない。

 プロ野球には勝ち負けと並んでショーの要素がある。梨田監督の有終の美をともに分かち合いたい気持ちで試合を見守る優しい北海道の日ハムファンは、このところの連敗を残念ながらも寛大に受け止めるはずだ。自分もまた日ハムにそういう気持ちを持つが、自分が携わる大学受験は、非情で、勝ちか負けしかない。自分は「梨田監督」と「落合監督」の間を彷徨いながら、プロ野球と同じく一年勝負の受験界に30年間も席を置いてきた。
 

政局好きの我がマスコミ
2011/09/22

 寒くなってきた。朝晩暖房が入る話が聞こえてくる。短い秋の後の冬の寒さが思いやられる。暑いといっては嘆き、寒さを嘆く。人はつくづく勝手だ。四季を楽しめる心境に早くなってみたい。

 同じ大学出身だからとういう訳でもなく、政治信条を支持しているということでもないのだが、「鉢呂経産相」辞任劇は完全にマスコミと経産官僚の共同演出の「政局」だと思わざるを得ない。

 「死の町」発言は、この部分だけを取り出して誰かにコメントを、それも被災地の方々に求めたら、寛大なものにはならないだろう。「被害者感情を逆なでする」、「この野郎って感じ」等々、まして、それらのコメントを何日もずらっと並べて報道したらどうなるか。
 実は、少し前に、細川前厚生労働相が参院行政監視委で「本当に町全体が死の町のような印象をまず受けました」と答弁した時には、マスコミは全くシカトしているのだ。同じ「死の町」発言への全く異なるマスコミの対応に奇異な感じを受けるのは自分だけか。

 この少し後で、マスコミは鉢呂経産相の「放射能つけちゃう」発言を取り上げ、先の「死の町」発言と合わせて、鉢呂経産相が辞任する道筋をはっきりつけることになる。実は、「放射能つけちゃう」発言の方が「死の町」発言よりも前の出来事であることからもそれは明らかだと思う。しかも、「放射能つけちゃう」発言には全新聞社が立ち会っているわけではない。
  「ほら、放射能」(読売)  
「放射能をつけちゃうぞ」(朝日)
  「放射能をつけたぞ」(毎日)
  「放射能をつけてやろうか」(日経)
  「放射能をうつしてやる」(産経)
と完全にバラバラなのだ。明らかに、新聞各社の多くは、発言を又聞きしただけで真意を取材することなどなしに、ある「同じ目的」を持って、つまり、辞任に追いやることだけを目的に全新聞社が挙って報道したのだ。

 では、なぜこうなのか。それは、鉢呂経産相の「脱原発」方針に対する原発推進グループ(通称”原子力村”)の拒絶反応ではなかったのか。鉢呂大臣が乗り込んだ経済産業省は原発推進の中核だし、実は、大手新聞社始めマスコミ自身も原子力村の活動家である。今回の辞任劇が、マスコミと経産官僚の共同演出の「政局」だと思う所以である。

 にしても、鉢呂大臣の警戒心のなさはどうだ!初めての大臣就任に浮かれる気持ちは分からないでもないが、己の「脱原発」や「非TPP」姿勢の持つ重みを考えた時の軽率さは、やはり大臣にはふさわしくはないとのキャンペーンを張られやすいだろう。「死の町」にされてしまった住民に対する配慮の気配も感じられないのも資質に?がつくだろう。大臣辞任は、ある意味「自業自得」なのだが、ゴシップを追いかける芸能マスコミとほとんだ同じ次元で、世論の誘導と政局を作ることに血道を上げるマスコミの現状は、国民にとって最大の不幸であろう。

俺は何で食っていくのかな...
2011/09/09

 「俺は何で食っていくのかなあ..」恐らく高校2年生と思われる少年が、テレビのフィギュアスケートの村上佳菜子の演技に圧倒されてつぶやく。東進の「全国高校生統一テスト」のテレビCMだ。

 「お前は手が不器用だから、職人になれない。お前はもやしのようにひょろひょろしているから、肉体労働者にはなれない。お前に出来ることと言えば、せいぜい軽い鉛筆を持って勉強するぐらいだ。」恥ずかしながら、自分が高校に入りたての頃、今は亡き母が自分を諭した言葉だ。次いで、反抗期の真っ最中だった自分に、母はきっと向かって言った。「勉強ができることは偉いことでも何でもない。お前にはそれ以外の何も出来ない!」 
 今でも忘れない。悔しいが、名人と言われた祖父のような大工、当時荒くれ男を百何十人も従えてダムの工事現場で指揮を執っていた父にはとてもなれそうもなかった。しかも、学業における自分のそれなりの好成績すら、それしかできないと断罪されてしまった・・・。傲慢だった自分は悔しくて泣いた。
 母はそれからしばらくして癌を患い、この世を去った。自分はそれまで母の想いに応えることがなかった。大学を出る頃、やっと母の言葉の意味が分かった。

 時代が巡り、今、その昔母が自分に語った言葉に近い内容を生徒に話すことがある。目的を失いかけ、自信をなくしかけている生徒にその時の自分を重ね合わせている。あの時の自分がそうであったように、相手の生徒は押し黙ったままだ。自分は悔しかったが、生徒はどうだったろう。
 今は亡き母の気持ちが分かり過ぎる年齢となり、「軽い鉛筆で食っていく」はずの生徒を励ます立場となった。「俺は何で食っていくのかなあ」早く答が見つかるといい。9月23日、「全国統一高校生テスト」、今年は函館会場に600名を超える高校生が集う。

スモールベースボールばかりじゃ...
2011/08/29

 夏休みが明けた函館は、しばらく続いた雨の後で、晩夏とは思えない暑さになった。教室のエアコンにはもう少し働いてもらわねばならない。

 プロ野球だが、パ・リーグは、ソフトバンクの強さが際立っている。まず負けない。負けるとしても無様な負け方はしない。2位の日ハムも頑張ってはいるのだが、なかなか首位に迫れない。打撃不振が理由だ。ゲーム差は大きき離れているが、クライマックスシリーズがかかった3位争いが見物だ。昨年、「下克上」優勝のロッテと強いはずの西武が元気がない。
 セ・リーグは開幕前の予想に反してヤクルトが首位を走り、巨人、阪神、中日の「三強」が、ふらふら、よたよたになりながら後を追っている。特に、ずらっと「4番バッター」を揃えているはずの巨人の打撃不振は目を覆わんばかりだ。
 今年は両リーグとも「投高・打低」が際立っている。近年では珍しいほど、勝ち星が多い投手や防御率1点台の投手が多い反面、打率3割を打つバッター、ホームランを量産するバッターが非常に少ない。明らかに、飛ばないボールと言われる「統一球」を採用した影響だろうが、大リーグの使用球はこれ以上に飛ばないのだそうだ。してみると、昨年優勝のロッテや巨人は「飛ぶ」ボールに助けられていたのだろうか。
 ボールの影響がこれほどあることに驚かされるが、来シーズン以降、堅守、好走塁、功犠打、好投を前提としたスモールベースボールに全体が流れていくのは避けがたい。それはそれで野球の面白さの一面ではあろうが、どかんと一発攻勢の野球もまた捨てがたい。各バッターはもう少し研究をして、より遠く飛ばす技術の修得に努めて欲しいと思う。

 民主党の代表選挙だが、だれが当選するかどうかはともかく、報道するマスコミの姿勢に大いに疑問を覚える。
 要は、マスコミは「政局」が好きなのだ。誰と誰がくっついた、誰がやれば野党とうまくいくのか、一体幹事長ポストはだれになるのだ、などなど。芸能界のゴシップを追い続ける三文雑誌や視聴率稼ぎのテレビの立場なのだ。これからの日本の戦略・戦術や重要政策を問いただすことなど二の次、三の次なのだ。大物新聞記者と言われる読売の橋本、朝日の星にしてこのざまなのだ。特定の候補への肩入れ、逆に特定の候補への悪意ある報道が明白なのだ。
 報道の自由、不偏不党の名の下、実は、知性、品格を欠いた世論煽りの報道が国家、社会を歪めることになりはしないか。
 

夏期講習会の始まり
2011/07/25

 爽やかな何日かの後、函館は蒸し暑い夏になった。今日から始まった夏期講習会には、帰省した生徒を除いてほぼ全員が集まった。8月10日まで、文字通り天王山を戦う彼らを万全な態勢で支えてあげたいと思う。

「なでしこジャパン」の強さは本物だった。「柔能く剛を制す」というが、「小能く大を制す」でもあった。特に、完全アウェイのドイツ戦では、このチームの持つ底知れない強さが出た。決勝戦で二度同点に持ち込むことは彼女たちにとってはごく当たり前のことだったかもしれない。それにしても、やっぱり1位でないと!

 工学にほんの少しだけだが触れた人間として大いに関心を持たざるを得なかったのは、言うまでもなく3月11日に始まった福島原発事故だ。世界有数であるはずの日本の原発技術は、原発事故を前にして、「想定外」を理由に、情けないほど無力であった。原発技術は「平時」において「優秀」なだけであって、「非常時」には劣悪であった事実は、今後の原発の維持と新設に対して誰もが疑問を持たざるをえないほどの衝撃だった。

 他方、技術に対する不安と懐疑を政治的に利用する輩が、他ならない一国の政治的指導者たる首相であったことも、原発事故同様に義憤の対象となった。かつては、「技術の優秀さ」を政治的に利用し、日本列島を原発列島にしたが、今度は、「技術の不備」を利用に「脱原発依存」を掲げた政権の延命に利用される。技術は常に恣意的に「優秀な」と「未熟な」のどちらかの形容詞が付いて翻弄される。

 つい最近の中国の新幹線衝突事故もまた、政治による「技術」の引き回しの結果ではなかったのか!「世界に誇る自前の鉄道技術」は、実は「落雷」による不可避な出来事であり、中国の新幹線技術は全く問題ないのだと。40名近い事故の犠牲者は、中国共産党結成90周年の生け贄だとも言いたいのか!
 ここでも、技術は政治的都合で駆り立てられ、不完全でありながらも「世界的技術」だと強弁され、日本が原発列島化したのと同じように、中国全土が「新幹線化」していくはずだ。そして、事故はすべて「想定外」の自然災害だと。

 政治の前に技術は無力である。技術の担い手たる技術屋の良心と、利用者たる賢明な国民の諾否判断にその前途は委ねられるのだろうが、原発事故がその転機になるかどうかは疑わしい気がする。残念だが。

大学生に告ぐ
2011/07/09

 リクルートによれば、来年年春卒業予定の学生の内定状況は、前年よりもさらに悪化したということだ。
 6月下旬時点での内定率は49.2%と前年より6.6ポイント低下した。また、就職活動の終了率も34.4%と、前年に比べ11.7ポイント低い状況にとどまっているそうだ。選考を遅らせた大手が内定を出し切っておらず、「例年この時期に出る中堅・中小や大手関連会社が選考や内定を遅らせている影響もあるという。とくに、大震災の被災地学生が厳しい就職活動を強いられているそうだ。

 大学生が「シューカツ」もしないで大企業に就職できた時代があった。1960年代の高度成長期がそうだった。「団塊の世代」たちは、いくつかの企業を先輩や大学に紹介され、会社訪問、入社試験では、旅費、日当をもらって「優雅な」東京旅行が楽しめた。銀座で食事をごちそうになった例もあった。ついで1980年代のバブル期。今バブリー世代といわれている世代がそうだ。彼らもまた大した苦労をせずに企業に入り込んでいった。

 時代は巡り、バブル崩壊後の「就職氷河期」、その後の短い「売り手市場」を経てリーマンショク以後の「就職超氷河期」を迎えた。以前の「氷河期」と異なるのは、単に不況だから就職できないだけではなく、企業が「人選び」のハードルを高く設定し始めたことだ。曰く、「コミュニケーション能力」、曰く、「英語の運用力」、また曰く、「問題解決能力」...。平均的学生にとって、それまで見たことも聞いたこともない能力が要求された。もし日本人学生がこれらを欠くのであれば、ただでさえ狭い採用枠なのに外国人学生を採用するようになった。なにしろ企業は以前からグローバル化しているのだから。実際採用数の半数以上を外国人に割り当てた大企業が続出している。かくして、ますます企業は「狭き門」と化した。

 以前から「大企業よ、お前らはそんなに偉いのか?」と大学生に門戸を閉ざす企業を批判してきたが、その一方で、就職だけでなく良かれ悪しかれ「グローバル化された時代」に何の考えも備えもなく、××大学卒のレッテルだけで何とかしようという学生もまた批判してきた。「学生よ、アホになるな!この社会の未来はお前達にかかっているのだぞ。」と。
 学生諸君よ、まずぼーっと学生生活を送るな。部活であれ、バイトであれ、恋愛であれ、ボランティアであれ、ゼミであれ、何かに燃える時間を持て! TOEIC頑張れ! 何か語れる専門性を持て! そして何よりも己が目指す人間像を持て!

原巨人は何を目指すのだろうか
2011/07/01

 7月になった。東京はじめ本州は、真夏日、猛暑日、熱帯夜と夏本番だが、函館はまだ清々しい初夏の感じだ。教室のエアコンも入れたり止めたりだ。本州勢に差をつけられるとすればこの時期だな。

 プロ野球だが、北海道日本ハムは依然として好調だ。田中賢介が怪我で戦線離脱したのは痛いが、ダルビッシュはじめ投手がしっかりしている。打線は、中田が昨年までとはすっかり違って大部信頼できるようになったし、糸井がすばらしい。つなぐ野球は本調子ではないが、十分に首位のソフトバンクに対抗できるだろう。とても楽しみだ。

 ジャイアンツだが、見るも無残の一言だ。先発の内海とルーキー沢村以外に信頼に足る投手はいない。守れば信じられないエラー、打つ方ではラミレスがまずまず、他はがたがただ。いわば4番バッターが5人もいるよう戦力とは思えないほどの打撃不振だ。今年はこのまま終わる気がする。
 多分、原因は原監督の戦略・戦術の誤りだろう。あまり飛ばないと言われる「統一球」が採用されたことへの過剰反応だと思う。結果として、中途半端にスモール・ベースボールを取り入れてしまい、まず本来破壊力ある打線が死んだ。スモール・ベースボールの前提になる鉄壁の守備、投手力、バント、盗塁、堅実なチームバッティングのどれも機能してはいない。ジャイアンツの再生はどちらかへの特化だろう。つまり、5点取られてもホームラン、長打の一撃で6点取り返すビッグベースボール路線か、ラミレスにもバントさせるようなスモールベースボールの徹底化のいずれかだろう。個人的には前者だが、それは原監督の決断にかかっている。

 菅総理と仙石前官房長官は「学生運動」の闘士だったと聞く。極端な秘密主義、姑息さは、まあその名残かと少しは肯くが、ボツ思想性、ボツ理想となによりも人間的魅力のなさは同時代人としては残念さを通り越して、心底寒さを感じてしまう。
 原発は今なお収拾の目途が立たず、放射能汚染はますます拡大している。震災地に「復興」のかけ声は聞こえるが、肝心の復旧は遅々として進まない。がれき、異臭の処理、衣食住の確保無くして何が復興か! 総理自ら、閣僚自ら、与野党幹部自らが「復旧」の肉体労働に励む姿を見てみたい。
 

セ・パ交流戦
2011/06/10

 今年もプロ野球の交流戦はパ・リーグが強い。ソフトバンクも日本ハムも負けない。オリックスだって交流戦になって見違えるほど強いチームになった。そこいくと、セ・リーグは中日が何となく上位にいるものの、巨人、阪神は精彩を欠いている。昨年は、最終的に1位から6位までパ・リーグだった。一体何が起こっているのだろう。
 仕事柄、テレビでプロ野球中継を見る機会は限られているが、たまに見ても気付くことがある。それは、パ・リーグのピッチャーもバッターも失敗に動じないことだ。ピッチャーにつきものの、「いつ交代させられるんだろう」といった不安があまり感じられない。伸び伸び投げている。バッターはチャンスで三振しても、凡打でも割と平気でベンチに戻っていく。セ・リーグは、ピッチャーもバッターも何かおどおどしたものが感じられて、これが勝敗につながっているような気がしてならない。
 きっと、受験も同じだろうな、悪い点数をとって叱られたら、やはり力は発揮できないだろうなと思うが、教室に入ると見事に忘れてしまう。

 「責任をとらない大人」のことを書いたら、共感と反感の両方をいただいた。反感を抱く人が「責任をとる大人」だったらいいのだが...。
 にしても、「責任をとらない大人」がたくさん、それも、指導的立場にある人に見られるのは残念なことだ。

 福島原発事故に関して、このところ、「原発事故は人災」の大合唱が聞こえてくる。曰く、菅が悪い。また曰く、東電が悪い。さらに、曰く、甘い安全基準を作った奴が悪い。はなはだしいのは、関心を払ってこなかった国民が悪い。だから、人災だ、って。
 本当にそう? きっと違うな。すっぽり抜け落ちているのは、原発の存在そのものを可とするのか、不可とするのかの議論だ。もし原発Yesだったら、人災論議を大いにやればいい。悪い奴を探すのはきっと楽しいだろう。
 原発Noだったら、原発を推進してきた歴代政府関係者・政治家+官僚+学者+電力会社+巨大マスコミすべてが「人災」だ。責任をとって、まず自己批判、ついでにみんな辞めてて欲しい。なにしろ、社会を原発事故の不安のどん底に突き落としているだけでなく、「健全な」エネルギー開発を怠ってきたわけだから。
 「人災」合唱隊の多くが、原発YES派なのはわかるなあ。責任の所在を自分以外の誰かにしたいだけなのだから。だから「責任をとらない大人」って思うのだ。

 自分はただの受験屋風情だが、吾が生徒達がやがて向かうであろう社会が「無責任な大人達」の連合体だったとしたら、どのツラ下げて生徒達に社会貢献を訴えればいいのだろうか。自分も含めて、大人達よ、潔く責任をとることの大事さを、せめては次世代を担う若者達に教えてやってくれないか。

ノブレスオブリージュ
2011/06/07

 6月になって、このところの函館は程よい気温で実に爽やかだ。日も長くなって、気分も爽やかだ。吾が受験生たちは、この季節、「過酷な」受験勉強を割とサクサクと進めているようだ。いつも6月なら本当にどんなに良いだろう。

 5月31日に吾が校OBの渡辺斉志(ひろし)君が、6月3日には同じくOBの安達史紀(ふみのり)君が、忙しい仕事の合間を縫って、後輩達のために講演をしてくれた。

 渡辺君は、北大大学院卒業後、製薬会社を経て、現在サントリーの研究員として健康食品の研究・開発に取り組んでいる。「脳の老化防止」などの専門分野の話は実に興味深かった。やがてはお世話になるんだなあ、と我ながら真剣に聞いた。
 また、渡辺君は、これから大学へ行き、やがては社会で活躍するだろう後輩達に「人間力」をはぐくむこと、すなわち「柔軟性」と「俯瞰力」の重要性を強調したが、海外勤務中だけに、実に説得力に富んでいた。
 最後に、「自分は健康食品の開発を通して人々に貢献したい」と決意を語ってくれたが、さすがは吾が門下生、と嬉しかったが、博士号取得で十分に知的な彼ではあるが、なおかつ使命感に燃える彼の大きく成長した姿に目頭が熱くなってしまった。

 安達君は、青山学院大学卒業後、「就職超氷河期」にもかかわらず幾多の大企業の内定を取り付け、最終的にパナソニック社に入社した。入社以来、一貫してIT関連商品の海外営業に取り組んでいる。すでに20カ国を廻ったという。学生時代から、帰省した折には、受験勉強について、学生生活について後輩達に話してくれていたが、社会人なってからもほぼ2年ごとに講演に来てくれて今回で4度目の講演となった。
 彼は、「人口減、膨大な借金、国際競争力の低迷」に喘ぐ日本の現在と将来に強い危機感を表明し、後輩達に「君たちがこの状況を打破するのだ」と訴えた。そのために、常にグローバルに発想すること、そして渡辺君と同様に、「俯瞰力」を持つことを説いた。「英語ができることはもはや特技でなく常識であり、英語で『ばんばんやり合う』ことが求められている」には、吾が生徒達のテンションは頂点に達していた。
 「夢を達成するには夢を持ち続けること」とし、自分自身の目標は「世界一のプロフェッショナルになって社会に貢献すること」と熱く語った彼に、2年前の講演で見た以上の迫力と熱情を感じた。6月末にドイツに赴任する彼は、日本に戻る数年後には自分が想像できないほど大きな器になっているだろうな、と実に頼もしく感じた。

 渡辺君も、安達君も、もはや自分を超えた感があるし、そのことがとても嬉しい。しかし、この函館の街から何人、何十人、何百人の彼らを送り出す自分の仕事はまだ完成していない。頑張らねばな、と生徒同様に強く思えた講演会だった。

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